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第7話 なぜ
◇◆◇
『前撮りの時間忘れないでよ。19時にスタートだからね!』
そうメッセージを送って来たのは、昨日の15時過ぎだった。結婚式の前撮り写真で、一つだけどうしても夜景を入れたいと言って聞かなかった一未は、その日をとても楽しみにしていた。
俺は仕事が忙しく、在社中に万が一異常事態が発生したら、問題が解決するまでは帰れなくなるため、その日は有給をとっていた。夕方まで家でダラダラ過ごして、外で食事をしてから式場へ向かう予定だった。
一未はドレスを着る前に食事なんかしないと言っていたので、俺はギリギリの時間まで外で過ごした。着替える間は待つことしかできないため、その間は居なくてもいいと言ってくれていたので、それに甘えた。
「さて、そろそろ行くか」
そう思って食事をしたダイニングバーを出ようと立ち上がりかけた時に、スマホが震え始めた。俺にかかってくる電話は一未か会社からの緊急電話のみだ。
今は一未からかかってくるはずが無い。ということは、必然的に会社からの連絡だということになる。
——あーあ、これは一未激怒案件だな。
そう思いディスプレイを見てみると、表示は会社ではなく、式場からになっていた。その文字を見たときに感じた胸騒ぎは、おそらく一生忘れない。
細胞全てが、ここから先に起こることを拒否しているかのように、嫌な予感を感じ取っていた。
「……もしもし?」
『あ、真壁様でいらっしゃいますか?』
電話の向こうには、俺たちの結婚式を担当するプランナーさんの声がした。その声は困惑しきっていて、その向こうも何やらざわついて騒がしい。
「そうですが。仁木さんですよね? 一未が何かわがままでも言いましたか?」
打ち合わせのたびにこだわった細かい希望を出す一未に、仁木さんはやや手を焼いていた。毎回帰り際に俺が頭を下げていて、その度に「この無理難題を乗り越えるのがやりがいですから!」と胸を拳で叩くようなユーモラスな人なのに、今日はそんな様子が少しも見えない。
『それが……鹿本様はこちらにお見えになってらっしゃらなくて……。何度も連絡を差し上げているのですが、このままですと撮影が難しくなりそうでして。真壁様とはご一緒では無いのでしょうか?』
「え? 来てない? いや、そんなはずは無いんですが……15時にはメッセージもらってました。忘れては無いと思うんですけれど、俺から連絡してみます。はい、折り返しますので」
そう言って電話を切った後、何度か一未に連絡を入れるけれど全く応答がない。メッセージも既読にならない。一未とは高校生の頃からずっと付き合っているのだが、こんなに連絡が取れなくなったことは一度もなかった。
——家に行ってみるか……。
俺はそれからタクシーに乗り、式場へはキャンセルの連絡を入れてお詫びをした。そのまま一未の家に向かう。だんだんと日が暮れて、タクシーの外はキラキラと輝き始めていた。
『駅裏の夜景があったかくてキレイでね。そこでこのドレス着て二人で撮りたいのー!』
プランの中には夜間の撮影は入っていなかったため、段取りが大変だっただろうことは想像に難くなかった。わがままを聞き入れてくれた仁木さんにとても感謝していた一未が、連絡もせずにドタキャンするなんてありえない。
蕩けるような優しい街灯の光が連なる通りを抜け、ほんの少しの間だけ、本当に僅かな距離なのだが真っ暗になる側道に入った。一未の家の周辺には、そうやって少しだけ暗いところがあって、早く引越ししろよと言っていたのが懐かしい。
「まさか、ここで誘拐されたとか無いよな……いや、無いだろ、一般人なんだし」
富豪の娘だとでもいうのであれば、それもありうるかも知れない。でも、一未も俺も一般家庭の子だ。誘拐などしたところで何もいいことはない。
「考えすぎ、考えすぎだから……ちょっとマリッジブルーなの、とかそんなのだろ……」
胸に渦巻く嫌な予感を押し殺しながらタクシーを降り、オートロックを解除して部屋へと急いだ。エレベーターが上がるのも待てず、ずっとポケットに手を突っ込んで足踏みをしていた。
ドアが開くと同時に飛び出し、突き当たりの角部屋のドアを目指す。猛ダッシュで扉を掴むと、鍵がかかっていた。慌てながらオートロックを解除したものと同じカードキーを翳し、開錠する。
カチャリと電子ロックの外れる音がすると同時に、ノブを回して乱暴にドアを開けた。
「一未!」
部屋に入り、声をかけても返事がない。寝室や脱衣所、トイレ、クローゼット、開けられる扉は全て開けたけれど、一未はいなかった。
「どこ行ったんだ、あいつ……友達の連絡先なんかわかんねえぞ……」
どこかに友人の連絡先がわかるようなものが無いかと、机の引き出しを開けてみた。ほとんどものは入ってなくて、家計簿に混じって日記のようなものがあることに気がついた。
「何か記録してないか……」
そう思ってパラパラとめくったページの中に、不自然な箇所があるのを発見した。ページの表面に僅かな凹凸がある。
——なんで私が涼陽のことを好きだって知ってるの?
俺のノートの隅に「すき」って書いて消したけど、筆圧が高くて跡が残っていたことがあった。俺たちはそれで付き合い始めたんだということを、こんな時に思い出すことが出来る俺は、結構呑気なのかも知れない。
ふっと短く息を吐き出しながら、その歪みに鉛筆を滑らせた。小気味よく鳴る音に任せて文字が浮かび上がるのを待っていると、その中央にとあるギリシャ文字が浮かび上がってきた。
「なんだこれ……♾️? インフィニティか? あいつ、数学とか物理とか全くダメじゃなかったかな……」
不思議に思いつつそれを眺めていると、そのページの隣が破かれていることに気がついた。とても慎重に、丁寧に切り取ってあるため、よく見ないとわからない。そのことが、殊更にこの状況の異常性を物語っていた。
「誰だ、これを破ったやつ……」
一未は大雑把な人間だ。こんなに丁寧にノートを破ったりすることは、絶対にない。一未以外の誰かがやったに違いない。
——やっぱり、誘拐?
ただ、これだけで何か事件に巻き込まれたというには、やや弱いのはわかっていた。それでも、なぜかずっと胸騒ぎが消えない俺は、必死になって一未の家の中に、あいつが消えた理由を探し始めた。
結婚する直前にマリッジブルーになったのかも知れない。それなら、俺が抱きしめてあげれば解消する? 友達と飲みに行けば解消する? 他にも、何か気分転換でもすればいいのだったらなんでもさせてあげればいい。
——でも、それ以外だったら?
いくら婚約者とはいえ、本来ならこんなプライバシーの侵害に当たるようなことはやりたくない。でも、どうしてもこの状況は受け入れ難くて、早く理由を知りたかった。
「あ、なんだこれ、時系列? なんの……」
俺はそれを見て、ハッとした。それはどこからどう見ても、誰かにストーカーされていたという記録だった。いつどこで何をされたか、いつどこで何がなくなったか、いつどこで見張られていたか……。
「なんで言わなかったんだよ……」
その記録は、一年ほど前から始まっていた。それは、俺がプロポーズをした日。忘れようもない、記念日だった。
あの、お前が大好きな夜景の見える丘の上で、お前が欲しかった指輪をプレゼントした。泣きながら受け取ってくれたあの日、それからずっと誰かに狙われてたのか?
「……なんか理由があるんだよな。俺が、頼りないからとかじゃないよな……俺が、信用できないとかじゃ……」
俺はその記録を握りしめて崩れ落ちた。そして、その場でひとしきり涙を流し、出し尽くすまでそのまま泣き続けた。
——大丈夫、大丈夫だ。頬を張って切り替えた。
「ぜってえ見つけるからな!」
一未は大雑把で、笑顔が可愛らしくて、優しい。そして、曲がったことが大嫌いだ。その分、敵を作ることも多い。何かしらの犯罪に巻き込まれることもあるかも知れない。
それでも、一未に非があることは殆どない。これまでずっとそうだった。だから、俺はあいつを信じて探してあげるだけだ。
スマホを掴んで涙を拭った。パスコードを入れてすぐに表示された一未の笑顔を見ないようにして、俺は弟のスマホに連絡を入れた。
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