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第9話 ルーツ

◇◆◇ 「おお、そうだ。定時になったら、お前もこっちに来てもらえないか? うん、澪斗さんからそうしてもらいたいって言われてて。難しいなら他のやつに……あ、そうか和人も一緒に来るんだな? じゃあ、お前は和人の部屋で待っててくれ。終わったら連絡するから」  俺は事務所で待機中の田崎に、永心家に到着したことと、澪斗さんが田崎にも会いたいからと会議後に食事に誘われている旨を伝えた。俺たちはここ最近はこの家を訪ねることも減っていたため、なんだか妙に懐かしく感じていた。  ただ、田崎は和人と付き合っているから、ここに食事に呼ばれることも多い。その流れで田崎を呼んでいるんだろうと思い、深く考えずにその伝言を伝えた。  しかし、田崎は何か聞いていたのか、明らかに電話の向こうの声に動揺が現れていた。それでも、今日の話とそれが直接は関係ないだろうと思い、後で話を聞こうと思っていた。  それが、思いもよらない方向から自分に深く関わることになろうとは、この時の俺には想像もつかなかった。 *** 「あ、翠、涼陽さん来たみたいだよ。……なんだか楽しそうだね」  蒼は、まつ毛が音を立てそうなほど目を瞬かせて驚いていた。確かに、婚約者が行方不明の状態の人にしては、纏う空気が緩んでいるように見える。普段は真面目で、どちらかというと晴翔さんのように騒がないイメージだったので、あんなに慌てている姿は珍しいように思えた。 「悲しいからって塞ぎ込むばっかりが正解なわけじゃないしな。あれでも結構こたえてるんじゃないの?」  そう言いつつ、こちらに向かって手を振ってくれている澪斗さんへと頭を下げて挨拶をした。少し下がって蒼もそれに倣う。仕事上は俺が上に立つので、俺たちの立ち位置はいつもこうだ。 「お世話になります、永心先生。鹿本さんの件、よろしくお願いいたします」  澪斗さんは俺の挨拶に「はい。できる限りの情報を提供させていただきますよ。どうぞ、座って下さい」と返してくれた。そして、全員が着席して、一呼吸置いたところで「いつも通り話してもらって構わないからね。ここにいる人は近しい者ばかりでしょう?」と言い、ふわりと微笑んだ。 「はい。わかりました……えっと、そちらは?」  揃ったメンツの中に、一人だけ見覚えのない顔がいた。ただ、その人物の顔を見ていると、なぜだか不思議と心が落ち着いてくるような気がした。 「さすがの特級パーシャルレベル10でも、一歳までの記憶は無いのかな?」  澪斗さんはそう言って、意味深な顔をして微笑んだ。その顔は、イタズラをする子供のようでもあり、慈愛に満ちた母のようでもあった。その言葉の意味がわからず、俺は困ってしまった。 「はい? 俺の知り合いということですか? でも、俺はこれまでにお会いした人物の顔は大体覚えています。でも、まあ、それも三歳くらいからですけれど」 「そっか。そのあたりは意外と普通なんだね」  そう言って澪斗さんは楽しそうに笑っていた。俺は一瞬面白くないような気がしたのだが、澪斗さんは意味なく人を揶揄うような低俗なことをする人では無い。  この問いかけに、きっと何か他の意味があるのだろうとは思うけれど、それが何なのか見当がつかずに困ってしまった。 「本当は今紹介するべきでは無いんだろうけれど、今回の事件を語る上で彼の素性は明らかにしないと話がややこしくなるんだ。だから、ここで紹介します。いい? ちょっと覚悟してね」  澪斗さんはそういうと、蒼の方へと視線を移した。そして、その目をじっと見つめると「いいね? 揺れちゃだめだよ?」と念を押した。  蒼は澪斗さんの意図するところがわからず、「……はあ」と生返事を返した。 「海斗さん、自己紹介してもらえますか」  澪斗さんは、海斗さんと呼ばれた人物に自らを紹介するようにと促すと、豪奢なファブリックのソファーに座り足を組んだ。その時見せた顔は、いつもの微笑みを湛えた表情とは違い、キリッと引き締まった雄の顔に変わっていた。  そこにいた全員が、その表情の切り替わりに驚いていた。俺たちはあんな顔の澪斗さんを知らない。議場にいる時とはまた違う、守るべきセンチネルが存在するガイドの男の顔だった。 「なあ、澪斗さんってそういえばパートナーいるんだっけ?」  小声で蒼に訊ねると、蒼は首を傾げていた。「そういえば、聞いたことないかも。でも、ガイドだから誰とも契約してなければ、特に問題は起きないからなあ……」そう言って、口を噤んだ。  その海斗さんの視線は、俺と蒼を行ったり来たりしていて、俺は妙に落ち着かなくなった。彼の視線には、ある種の愛が込められている。でも、俺にはそれの意味するところがわからない。 ——センチネルなんだろうな……おそらく閉心してるんだろう。それでも漏れ出てる愛情ってことか……。  そんな風にじっと見つめ返していると、海斗さんはふっと軽く息を吐いてから口を開いた。 「……私は、三十年近く潜入捜査を繰り返しているタワーの捜査官です。名前は……鍵崎海斗と言います」 「鍵崎? 俺と同じですね。俺は……」 「鍵崎翠だよね」  鍵崎海斗と名乗るその男は、俺が名乗る前に俺の名を呼んだ。その声が、俺の記憶の中の何かに引っかかった。なんだろう、どこかで聞いたことのある声だ。ただ、それがどこであって、またその記憶がいつのものなのかは全く思い出せなかった。  俺にとってはそんなことは珍しいことで、大体必要な記憶なら呼び出そうと意識すれば呼び出せることがほとんどだ。それなのに、必要だと意識しても、その扉が開かない。  滅多に無い事態に焦燥感が募る。「大丈夫か?」と聞いている蒼の声に、返事をする余裕も無かった。 「プラチナ・ロック、解除」  狼狽えている俺の前で、海斗さんと澪斗さんが声を揃えてその言葉を口にした。すごく近くに寄ってきて、二人で声を揃えて……何か深い意味があるのだろうけれど、それでも思い出せない。  そう焦った時だった。  ふわ、と香りがした。  その途端に、記憶の扉がガチャリと音を立てて開いた。銀色の扉、それもすごく重そうな鉄扉だ。そこから、赤ん坊の俺が見えた。 『すーい! かわいいなあ!』  小さな俺を抱き上げる男の声、俺を見ている四つの瞳。俺が笑うと、その四つの瞳も光を宿す。柔らかな空気、穏やかな時間。その中心にいるのは、俺と……。 「……澪斗さんがいる。隣にいるのは……あなたですね……」  俺は澪斗さんに抱かれている乳児の自分を見ていた。そして、その澪斗さんの隣には、海斗さんがいる。俺を抱っこしていた澪斗さんが、海斗さんに抱っこを交代するようにせがまれていた。 『力入れないでね、そっとね。翠くーん、お腹いっぱいになった? パパに抱っこされて嬉しいねえ』  そう言ってこれまで見たことが無いような破顔を見せていた。 『翠、ただいま。澪斗はいいママだったか?』 「え? 澪斗さんがママ? どういうこと?」  頭の中に見える映像に振り回される俺を見て、蒼が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。 「大丈夫? 翠、何か見えるの?」  咲人も野本も、涼陽さんも心配そうにこちらを見ていた。俺は側から見たら、気が狂ったように見えるだろう。それはわかっている。でも、この先まで見ないといけないような気がしていた。 「兄さん、翠は何を……」  咲人が心配して澪斗さんに訪ねる。それでも澪斗さんは何も言わず、何かを待っているような顔をしていた。 『何言ってるんですか。海斗さんはパパだけど、俺は男でしょ。子供だし』 『あはは、冗談だよ。ごめんごめん』  そのシーンが終わると、高周波が聞こえてきた。それと同時に目の前の映像が消え、目の前の二人が何者なのかをはっきりと思い出した。 「海斗……父さん、澪斗さんと一緒に、俺を育ててくれていた……」  俺のその言葉を聞いて、蒼が「えっ?」と海斗さんを見た。「翠の……お父さん?」と呟きながら、目を剥いた。 「思い出したみたいだね。まあ、普通は思い出せないんだよ。君が特別な血の継承者だったことと、僕たちが仕掛けた記憶解除法があるから思い出せたんだ」  澪斗さんはがそういうと、海斗さん……父さんが隣で頷いた。そして、その目は俺を見つめると眩しそうに目を細め、次第に涙に濡れ始めた。 「元気そうで良かった。本当に……」  そう言って俺に歩み寄ってきた。それは、おそらくハグをする流れだったのだろう。俺はまだ混乱していたから動けず、そのまま流れに身を任せようとしていた。  でも、父さんは俺をハグすることが出来なかった。俺に歩み寄り、手を伸ばした途端に、隣から思い切り腕をはたき落とされた。父さんの手を思い切りはたき落としたのは、鬼の形相をした蒼だった。 「な、にを……勝手なことを! 翠が……翠が捨てられてからの人生をどう生きてきたか……知っててその行動ですか!? まず謝罪してください! 生まれつきの高レベルセンチネルというだけでも生きづらいのに、孤児だからと生活に追われて苦しんで……俺はずっとそばで見守ってきました。俺の大切な人を捨てた人間に、謝罪もなしに触れられたくありません!」

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