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第10話 S+型

 蒼は父さんと俺の間に割入って、俺を抱き抱えるようにして距離を置いた。そして、ガイドとしての力をフルで解放しようとして構えていた。  そうなると、近くにいる俺たちよりレベルの低い能力者は、何かしら影響を受けることになる。慌てた澪斗さんが、海斗さんの前に立ち、蒼を宥めた。 「蒼くん、落ち着きなさい。君の気持ちはわからなくもない。僕だって少しは翠くんの人生に関わってきたからね。だからこそ、海斗さんの話を聞いてあげてほしいんだ」  蒼は攻撃を仕掛けはしないものの、俺を守ろうとして周囲にシールドを張り始めた。手負の獣のように瞳孔を狭め、口から威嚇音を出しながらも、俺の周りには優しく暖かな空気の層が出来ていく。  俺のために必死になっている姿を見ていると、懐かしい記憶が蘇ってきた。高校生の頃だっただろうか。俺が全てに疲れ果て、もういっそ死んでしまおうかと一瞬考えてしまった時があった。  その時に初めて、蒼に抱きしめられた。俺からお願いしたことだったけれど、誰かに包み込まれて幸せを感じた記憶は、あれが初めてだった。父さんが俺を抱いていた記憶は、今初めて知ったようなものだ。  俺には、いつだって蒼だけだった。これからもそうだ。それで幸せだったんだ。だから、そんなに怒る必要は無いんだと伝えたかった。 「蒼。ありがとう。でも、謝られる必要なんてねーよ。俺が大変だったのは、お前と一緒になる前までだ。お前といたことで、そんなの全部忘れたよ。俺、かわいそうなやつじゃ無いから。ただの幸せ者だよ。謝られたら、なんか損した気分になるわ。とりあえず、言いわけ聞いてやろうぜ」  あったかくて優しい色のシールドの中で、俺は蒼をぎゅっと抱きしめた。そして、指と指を絡めて手を繋ぎ、心の底からの思いを届ける。 ——お前さえいれば、他には誰もいらない。親であっても、それは変わらない。  心の中でその言葉を繰り返した。それでも、怒りに取り憑かれた蒼の心にそれが届くまで、しばらく時間がかかってしまった。ようやく受け入れもらえた時に、蒼の体がわずかに跳ねた。  俺の目をじっと見つめると、その体からわずかに警戒を解いて「……わかった。翠がいいなら」と言ってくれた。そして、俺を優しく抱きしめ返すと、握った手の指先をすり合わせ、俺の好きなキスをくれた。 「怒ってくれたのめちゃくちゃ嬉しかった。ありがとうな」  俺からもお返しのキスを送る。それで少しだけ溜飲を下げてくれたようだった。シールドを解除すると、父さんに向かって「納得はいかなけど、一応俺も聞きます。話してください」と無愛想に告げた。  父さんと澪斗さんは、顔を見合わせて困った顔をしたままだったけれど、それでも微笑みあって「ありがとう」と答えた。 「さっきの記憶は、翠が一歳になる前のものだ。俺は結局誕生日までは一緒にいられなかった。お前が誕生日を迎える寸前に、俺は行方不明者の捜索のために潜入捜査に入ったんだ。すぐ戻るつもりだったから、孤児院に預けた。それが、結局今の今までかかってまだ解決しないほど難しい事件だったんだ」  父さんはそう言って、一枚の写真を取り出した。そこには、三年前に亡くなった池内大気に似た人物が写っていた。それは他の人が見たら同一人物だと思うほどの違いだった。でも、俺にはわかる。これは、池内に似た他の人物だ。 「これ……池内ですか?」  やはりそう思ったようで、咲人が横から口を挟んできた。それでも、他の人物だったたらそうはしなかったかもしれない。でも、咲人にとっては池内は母親だ。それも、池内が亡くなるまでそのことを兄弟全員が知らなかった。  大垣晶さん殺害事件の容疑者として池内が上がった際に、ようやく照史さんがそのことを話してくれた。だから、池内の話題には永心家族は敏感だ。 「いや、実は違う人物なんだ。池内大気……つまり、野明未散だね。野明は孤児院育ちだから、天涯孤独だと思われている。でも、実はそうじゃ無いんだ。彼には、弟がいる。後天性のセンチネルだったため、親から捨てられることは無かったんだ」 「えっ!? インフィニティに弟がいる!? そんな……知らなかった」  特級の最高ランクに上り詰めてから、俺は大抵のことには驚かなくなった。それでも、これは大きな衝撃だった。俺はインフィニティと色んなところで似ていたから、俺にとっては特別な人物だった。  最も似ていたのが、家族がいなくて天涯孤独であったこと、それに、生まれながらの高レベルセンチネルだったことだ。俺は、生きにくい状況でも、腐らずに努力して世界最高峰レベルになり、伝説とまで言われたインフィニティに憧れた。  だから俺も同じ道を目指した。そのインフィニティが自分と同じでは無かったなんて……俺は少なからずショックを受けた。 「そう。弟の名は野明良弥(りょうや)といって、タワーでセンチネルの捜査官として働いていた。良弥は、俺の友人だ」  父さんはそう言って、写真の胸元をトントンと指差した。タワー所属のセンチネルが着用する制服であるスーツ。その胸元には、「r.noake」と小さな文字で刺繍が施されていた。 「俺たちはタワーの同僚だったんだ。そして、もう一人実花(みか)という名前の友人がいた。彼女もセンチネルだったんだけど、二人は三十年前に結婚した。でも、結婚してすぐに子供が生まれて、幸せの絶頂だなって話してた矢先に、実花はストーカーに殺された。そして、それからすぐ良弥は行方不明になった」  父さんはそう言って、もう一枚の写真を取り出した。それもタワーの職員登録用の証明写真で、野明良弥と同じ制服を着ていた。そして、その胸元には「m.noake」と刺繍がされている。  俺はその顔を見ながら、インフィニティの弟の奥さんはこの人なのか……と感慨深く思っていた。ただ、そんな俺の目の前で、その写真を見つめて震えている人物がいることに気がついた。 「えっ……これ……一未?」  涼陽さんがテーブルに置いてあった写真を手に取り、驚いて声を失ったままそれを凝視していた。それを見て、父さんと澪斗さんは何かに納得したように頷き合っていた。 「やはり、似ていますか?」 「え? あ、はい……似てます。それも、かなり。でも、なんでこんなに似てるんでしょう。一未のお母さんと一未は全然似てないんですけど……」  澪斗さんがその写真に目を向けたまま、淡々とそれに応えた。 「実花さんと一未さんが似ているのは、他人の空似なんです。本当に、ただ似ているだけのようでした。そのあたりも調べましたが、二人の間に繋がりはありません。ただ、この二人につきまとっていた……ストーカーが同じ人物だということがわかりました」  その場にいた全員が息を呑んだ。同じ顔をした女性を狙うストーカー。三十年前に狙った人物を自ら殺しておきながら、また同じ顔の人物を狙っているということになる。 「そ、それは……一未は命が危ないということですか? その、この実花さんという方はストーカーに殺されているんですよね?」  涼陽さんは恐怖を湛えた目で澪斗さんを見上げた。手に持った写真が、パタパタと音を立てていた。婚約者を狙っていた人物は殺人歴がある……その事実は涼陽さんを震え上がらせていた。 「どうして同じ人物が狙っていると断定出来るんですか?」  蒼が横から口を挟んできた。その視点は、捜査員なら持たなくてはいけないものだろう。俺もそれは気になった。ただ、澪斗さんのことだ。何か証拠が上がっているから、断定的な物言いをしているに違いない。 「それは……野本。出してあげて」 「……はい」  野本は、澪斗さんに促されて前に出てきた。その時、咲人はそこで野本が出てきたことに驚きの表情を見せていた。どうやら咲人はこの件に野本が関わっていることを知らなかったのだろう。うっすらと落胆の色が見えた。 「これは、野明実花さんが犯人から突き落とされた現場に残っていた指紋です。そして、この指紋と一致する人物が、最近ストーカー相談に訪れた鹿本さんから提供された写真と同じ人物でした」  テーブルの上に、指紋の照合データと写真が並んだ。その写真に写っている人物を見て、また涼陽さんが大きく反応した。写真を掴み、絶望の表情を見せる。 「この男をご存知ですか?」  父さんが涼陽さんにそう尋ねると、力無く頭を垂れてそれを肯定した。そして、そのままずるずると崩れ落ち、テーブルに突っ伏してしまった。 「……まだ一未さんが亡くなったと決まったわけではありません。一刻も早く探さないといけませんから、この男の名前を教えてください。こいつは、前回の殺人で収監中に何か手を回されて不正に出所しています。その後の身元も何かの手回しがあって、何度も変えられていてどれが本当だかわからない状態です。ただ……」  父さんは涼陽さんの肩を持ち、体を起こした。そして、涼陽さんの目を真っ直ぐ見つめると、強い口調で言い切った。 「俺の記憶の中にある実花のストーカーと、この男は完全に一致します。この男は、実花に異常な執着を持っていました。これだけ似ていたら、また狙ったとしても不思議じゃない。ただ、この男は実花が好きだとかそういう理由で狙っていたんじゃないんです。本当に欲しかったのは、良弥の血なんです。だから、良弥の子を狙ってた。実花は子供を庇って、犯人を道連れに飛び降りたんです。おそらくそれがあいつの中で捻じ曲がった事実として残り、実花そっくりの鹿本さんを見て、良弥を誘き寄せる餌にしようと誘拐した可能性が高いんです。だから、殺すメリットはないと考えて大丈夫です。だからと言って無傷でいられるかどうかはわかりません。お願いです、名前を教えてください。俺たちが調べるのは可能だ。でも、時間がかかる。あなたが証言してくれれば、すぐに逮捕できるんですよ」  力無く項垂れる涼陽さんは、声を上げずに泣いていた。犯人は知人なのだろうということが、それだけで見てとれた。もしかしたら、犯人と一未さんを引き合わせてしまったのかもしれない。そう考えると、あれは後悔の涙だろう。 「こいつは……沖本龍也です。俺の……同僚です。プロポーズしようとしていた日に偶然会って、立ち話程度に一未を紹介しました」  それを聞いて反応したのは、澪斗さんだった。眉根を寄せて涼陽さんを見ると、肩に手をポンと乗せてその心を慮った。 「按司地電気の沖本さんですか? 彼が、そうですか……。野本、タワーに報告して。そして、翠くん」  澪斗さんに突然名前を呼ばれ、俺は動揺した。この話の流れで俺に振られるとは思っていなかった。鹿本一未誘拐の犯人に目星がついたのなら、俺たちにすることは無い。ただ沖本を逮捕すればいいだけだろう。それなのに……。 「はい」  訝しげに返事をする俺の考えを見抜くように、今度は俺の方へと歩を進め、肩に手をのせた。 「沖本を誘き寄せる餌になってもらうよ」 「は?」  その声を上げたのは、俺だけではなかった。その場にいた能力者が、全員事態を把握しきれてなかった。澪斗さんは、今にも泣き出しそうな顔をして、全員に周知するように話し始めた。 「沖本は野明良弥の血が欲しかった。それは、野明の血がプラチナブラッドと呼ばれる貴重な血液型を有しているからなんだ。それは、S+(エスプラス)型と呼ばれている。その血を持つ者は、生まれながらにして高レベルセンチネルになるからだよ。それを薬にして儲けたい輩がいて、それに協力していたのが沖本なんだ。翠くん、もうわかるね?」  澪斗さんは俺の顔を見ると、目の前に野明良弥と実花夫婦の写真を並べて置いた。俺は、その二人の顔をただ眺めた。おそらく、澪斗さんの言いたいことはわかっている。ただ、これまで一度も考えたことがなくて、それを受け入れることが難しかった。  蒼の方を見ると、蒼の顔はほんの少しだけ紅潮していた。蒼は、どうやらこの知らせを好意的に捉えてくれているようだ。それなら、一旦俺も好意的に受け止めよう。そう思って、澪斗さんの言葉を待った。 「生まれながらの高レベルセンチネルは、そういるものじゃない。翠くん、君は野明良弥と実花夫妻の間に生まれた唯一の忘形見だ。つまり、僕らは野明の血を介した親戚だということになる。君と咲人はこの事件を解決するまで、囮になってもらうよ」 「そ、それは……つまり、俺はインフィニティの甥ってことですか? それで、あなたたちの従兄弟ってことですか……?」  呆然としながらも、俺の口はどうにか動いてくれていた。ぎこちないながらもどうにか動かせたその唇は、その後震えっぱなしだった。 ——俺に、血縁がいた……?  あまりの衝撃に、思考を拒否した頭は、目の前を真っ白に塗りつぶし、そのままホワイトアウトしていった。

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