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第11話 非能力者の矜持
「翠!」
クラヴィーアを飲んではいたものの、受け取る情報量が多すぎたのか、その刺激が強すぎたのか……。倒れ込む翠を支えた蒼の背中がちょうど見えた頃に、俺と和人は永心家の大広間に着いた。
ドアを開けた途端に蒼の腕の中に頽れた翠、それを慌てて抱き抱えた蒼、苦しそうな澪斗さん、そして、名前だけ聞いていた人物……鍵崎海斗氏がいた。
「竜胆さん、翠さんどうします? 完全にはアウトしてませんよね。でもケアしないと……。父さんたちの部屋なら、すぐ寝かせられると思いますよ」
和人が澪斗さんの方を見ながらそう言うと、澪斗さんは「そうだね。蒼くんと行ってもらって大丈夫ですよ。田崎くんが話を聞いてくれていれば大丈夫でしょう?」と言ってくれた。
「はい。じゃあ、蒼。翠を照史さんの部屋に……」
俺が蒼に声をかけると、こちらを見ずに「わかった。あとは頼んだ」と言い、翠を抱き抱えて出て行ってしまった。
——なんだ、今の顔……。
蒼は翠と一緒にいれば、どういう状況下にいようとも笑顔を見せようとしていた。それなのに、今あの男は間違いなく絶望感に打ちのめされた顔をしていた。
この場にいて、蒼があんな顔をしなくてはいけない理由があっただろうか。もしする人がいるとしたら、それは涼陽さんだろう。その涼陽さんですら冷静を装っている。蒼があんな風になった理由が気になった。
「田崎くん」
蒼の異変に気がついた俺に、おそらく気がついているであろう澪斗さんがそっと声をかけてきた。俺が澪斗さんの方を向くと、海斗さんと二人で頭を下げていた。
「どうしたんですか……?」
突然のことに頭のついていかない俺に対して、彼らは何かがこぼれ落ちるのを堪えるように、声を絞り出していた。
「やっぱり……全てを明らかにした状態で幼少期を過ごさせるべきだった。もし蒼くんに現れた異変が強くなるようであれば、その時は君に迷惑をかけることになるかもしれない。申し訳ないけれど、協力してくれるかな」
涙を流して俺に懇願する二人を見ていると、さっきの蒼の顔が頭をよぎった。翠の過去について蒼が知り、それに対して二人の関係性が揺らぐ可能性を心配しているのだろう。
「翠の血縁がいると知って、蒼がよく思っていない可能性があると言うことですか?」
『俺たちには、お互いしかいないからな』
そう言って笑い合う二人が羨ましかった。本当にお互いしかいないのに、少しも寂しそうにすることがない。親は既に亡く、子供は望めない。親戚縁者は全く不明の状態で、既に十年以上経っている二人の間には、絶対に壊れない絆があるのだと、二年前に実感した。
『俺は蒼が愛してくれるなら、あいつに壊されてもいい』
そこまで覚悟を決めている翠と、命懸けで翠を救った蒼。
——その二人が、壊れる?
「そんな……そんなことあり得ませんよ」
海斗さんは、言葉を話せなくなるほどのショックを受けていた。自分たちがしてきたことで、さらに翠を不幸にするかもしれないという事態が、彼の精神を削っているようだった。
「澪斗さん、海斗さんの様子もおかしくないですか? ケアしてあげないと……」
「ああ、うん、そうだね」
そう言って、息苦しそうに胸を掴み、どうにか立っているような状態のパートナーを、澪斗さんは椅子に座らせた。背もたれにぐったりと張り付くようにしているのに、別室で休ませようとしないことに全員が違和感を感じていた。
「兄さん、海斗さんも兄さんの部屋に……」
咲人が声をかけた。しかし、澪斗さんは咲人のその言葉には答えず、海斗さんの椅子の前にひざまづいた。そして、その目の前で苦しそうにしている海斗さんのベルトを外すと、あっという間に全てを晒してしまい、その中心を躊躇いなく一気に咥えてしまった。
「なっ! 何してるんですか、兄さん! せめて別室へ……」
咲人も和人も驚いて目を丸くし、ミュートで同席していた涼陽さんに至っては、慣れない光景に驚いて部屋の隅まで逃げてしまった。
蒼が翠をケアするのをたまに見かけてしまっていた俺でさえ、あまりの事に驚いて動けなかった。
「うっ……、んっ……」
気持ちよさよりは息苦しさが勝った呻き声を上げながら、海斗さんも澪斗さんを受け入れていた。ひどく冷静な顔をして淡々と海斗さんを昇りつめさせていく姿には、鬼気迫るものがあった。
それでも海斗さんを扱う手や口元には細やかな気遣いが見える。決して勢いやヤケになってしているのではないことが、ひしひしと伝わってきた。
「あ、あっ……み、みお、っ!」
ガクッと体を折り、紅潮した目の周りに涙を浮かべた海斗さんは、澪斗さんの頭を抱えたまま、息も絶え絶えに脱力した。
澪斗さんはゆっくりと口を離すと、海斗さんの前に立ち上がり、俺達の方を振り返った。そして、口元をぐいっと手で拭くと、自分の唯一のセンチネルを守るガイドの顔をして、鋭い視線を投げつけてきた。
「どうしたんですか、兄さん……」
驚く周囲をよそに、澪斗さんは平然としながら「何が?」と答えた。俺たちは呆気に取られていて、どうしたものかわからずに視線を漂わせた。
そして、ふと海斗さんを見ると、彼はケアが成功したようで、冷静な状態に戻っていた。そこに羞恥心が微塵も無いことに、俺たちは驚かされた。
「驚くよね? でも、海斗さんは、何度も死線を潜ってきたセンチネルなんだ。拷問だって何度も受けてる。蹂躙されることにも慣れてる。ケアが必要だとして、場所を選んだりはしないんだ。それくらい厳しい環境にいた。自分と関わりのあるものに気が付かれるわけにいかない日々を送っていた。それを、みんなに知って欲しかったんだ。……出来ればそれをあの二人にも知ってて欲しかったけどね」
澪斗さんはそういうと、いつも通りの柔らかな笑顔を俺たちに向けた。そして、海斗さんの体を綺麗に吹き上げ、乱れた服を元に戻していく。
シャツのボタンを一つずつしめ、ジッパーを上げながら海斗さんの髪を撫でていた。
「ありがとう、みお」
そう言って海斗さんがその目を優しく細めると、澪斗さんは「良かった」と言って海斗さんの頬に優しく口付けた。
「田崎くん。君たちもそれなりに大変な思いをしてきている。でも、それはここ最近の落ち着いた状況下での話だ。海斗さんが捜査に入っているところは、全てが命懸けのところなんだ。そして、この世代が引退すると、次は君たちの世代に回ってくる。VDSは組織として認められているから、おそらく君たち三人には依頼は来ない。でも、翔平くんや咲人はわからないよ。それに、これから対峙する組織は、永心家と敵対しているところだ。君も知っているだろう? 息子が薬物取締法違反で捕まった、池本議員のところだよ」
「池本!? またあいつらに関わらないといけないんですか!?」
澪斗さんの言葉に大きく反応したのは、和人だった。二年前に恋人を失った薬物騒動は、元凶が池本たちだったからだ。あの時、和人は翠を助けようとして、ガイドの能力を失っている。
和人に関わる二つの悲劇が、池本の欲望のもとに起きていた。そのため、池本と名を聞くだけで冷静さを失うほどに強く恨んでいる。
「そうだよ。あの一家は、組織力も財力もあって、自分の欲を満たすためなら、何でもするような連中だ。本当に何をしてくるかわからない。一未さんを誘拐しているのが本当に按司池電気の沖本だとしたら、その糸を引いているのは池本だ。按司池は池本に多額の賄賂を渡している。お互いにズブズブだからね。そして、一未さんの会社は僕たちと勉強会をすることが多かった。つまり、永心派だと思われていた可能性が高い。……池本とぶつかるためには、かなり強い意志が必要になるよ」
澪斗さんはそう言って、俺の目を射るように見つめてきた。澪斗さんの言うとおり、俺たちはこれまで死ぬ気でやってきた。翠と蒼は潜入だってやっているし、俺は俺で会社を守るために公私共に全ての時間を仕事に捧げている。
でも、海斗さんの体を見ていると、さっきの姿を見ていると、思い知らされた。彼の体には、確かに拷問の跡がそこかしこにあった。人前でケアをされても、動揺する素振りさえ無かった。
「二人の精神力が試される時だと言う事ですか?」
「図らずも、だけどね。そういう局面になってしまったんだ。野明の血がなかったら、こんなことに巻き込まれずにいられたんだけどね……」
俺は、倒れた翠とそれを抱える蒼の姿を思った。今、あいつらの間には、過去最大の亀裂が入っているはずだ。お互いを繋げているワードだった「天涯孤独」が消えてしまったことで、蒼が孤独を深めている。そこを突かれると、二人は一気に弱ってしまう。
『田崎! 俺たちとお前は、ずっと一緒だぞ』
俺が一人になってしまった時は、あいつらがそう言ってくれた。それから仕事を通してずっと一緒にいてくれた。二人の間には入ることはなくても、俺は孤独を感じることなどなかった。
その関係性のおかげで生き続けることができた。だから、何があってもお互いを信頼してきた。
それは、翠の素性を知らされた今でも変わらない。あいつの血筋がどうだろうと、壮絶な試練を生き延びてきたことには間違いが無い。
それをそばで蒼が支えてきたことにも変わりはない、その二人が共にいられる場所を、俺が守り続けてきたことにも変わりはない。
そして、それはこれから先も変わらずに続いていくことだ。何があろうと、続けていくことに間違いはない、
「能力者も非能力者も行きやすい世の中を作る……そのために生きて、働く。それが俺たちの約束です。代表がそれぞれの能力者であることが重要なので、このトライアングルが壊れないように、ミュートである俺が働きます。俺にとっては、それが非能力者として生まれた矜持ですから」
そして、俺は和人を抱き寄せた。「それは後天性であっても、同じです」俺の言葉に、和人は強く頷いた。
非能力者で、二人でずっと一緒にいられる保証がない俺たちでも、役目があると言うことをしっかり理解して生きていきたい。
能力が無かったために大切な人を二人失った俺に、ミュートなりの役割を与えてくれたのは翠と蒼だ。
だから俺は、あの二人のために全てをかける。
「センチネルとガイドが自由に動き回れるよう、全力でサポートします。遠慮なく使ってください」
和人と二人で頭を下げた。
「よし、頑張ってもらうからね。頼んだよ」と返ってきた言葉に、俺は力強く頷いた。
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