14 / 43
第13話 ボンドの危機
「失礼します」
和人が軽くドアをノックすると、すぐに「入って」と言う声が聞こえた。俺たちは二人揃って中へと入り、さっき別れたばかりの澪斗さんに会釈する。
澪斗さんも海斗さんも、ソファの背もたれにぐったりと体を預けていて、俺はその姿を見て驚いてしまった。
それはどう見ても心を許したものにしか見せない姿だったからだ。自分はもうそこまで受け入れてもらえているのかと思うと、胸がジンとした。
「ちょっと、気持ちはわかるんだけど、もう少しちゃんとしてくださいよ。ホラ、せめて着替えてください」
和人はそう言って疲れ切った澪斗さんの背中を押すと、テキパキと服を脱がせていった。
いくら弟とはいえ、兄の着替えを手伝うことなんてそうないだろう。それなのに、和人は手慣れた感じで澪斗さんの着替えを済ませていく。
「……もしかして、澪斗さん結構寝落ちする人?」
「そうなんです。ギリギリまで仕事したがるから、毎日夜はこんな感じで……いつもは咲人兄さんがやってくれてるんですけどね。さっき野本さんと一緒に水上署に行ってしまったらしいから、僕が頼まれました」
なんとか上下を上等そうなナイトウェアに着替えさせると、今度は海斗さんの方へ周り同じ事をしようとした。
しかし、海斗さんはすでにベッドの中で眠っていて、和人一人の力ではどうしようもない。
「あーまた寝ちゃった……センチネルの人って、本当に急にパタっと体力尽きるな……」
完全に脱力してしまっている海斗さんを見て、俺は少し驚いていた。さっきはどう見ても死線を潜り抜けてきた人にしか見えなかったのに、今はこの場で完全に気を抜いた状態で過ごしている。
永心家は本家の人間と池内のものしか立ち入らないため、確かに安全ではある。それにしたって、身を委ねすぎじゃないかと少し心配になった。
「お疲れのところ申し訳ないんですが……先ほど水上警察署のセンチネル交渉課の課長さんから、電話をいただいきました」
「誘拐の件?」
澪斗さんは半分微睡んだ状態で、なんとか思考を追いつかせようとしてくれている。どうみてもものすごく疲れている人に対して、話しかけ続けなくてはならない自分に嫌気がさしてしまう。
しかし、そこは仕事だと言い聞かせて、先を急いだ。
「はい」
和人は、澪斗さんの体を支えながらベッドへと連れていく。澪斗さんは、海斗さんの隣に寄り添うように横たわり、ふうと息を吐いた。
「田崎くんがそれだけ落ち着いてるってことは、一未さんは保護されたんだよね? 犯人は? やっぱり沖本で間違いなかった?」
「はい、犯人は沖本だったようです。ただ、沖本は意識不明の重態だそうです」
俺の報告を聞いて、澪斗さんの瞼がピクリと動いた。
「……重態? 状況は?」
沖本が病院に運ばれていることを告げると、険しい顔をして上体を起こした。和人が慌ててそれを支えた。
「一未さんが沖本に抵抗して怪我を負わせたわけではなくて、オーバードーズ? 彼女は薬物使用者なんですか?」
「いえ、そうではないみたいです。一未さんは職場で倒れているのを同僚が発見しています。でも、沖本はどうやら駅前に倒れている人がいると通報があって、警察が酔っ払いだと思って保護したようなんです。それが様子がおかしくて病院に搬送したら、合成麻薬の過剰摂取状態だったという事でした」
「合成麻薬……まさか、池本の指示で誰かが動いてるんじゃ……」
「でも、池本の指示ならなぜ沖本を狙うんですか? 狙うなら一未さんになるんじゃないですか?」
俺がそう問いかけると、「そうだね」と言って澪斗さんは黙り込んでしまった。そして、再びうとうとし始めたため、改めて伺おうかと思いそれを口に出そうとした。
ちょうどその時だった。野本から澪斗さんへ、電話が入った。着信を告げるスマホの画面を見て、澪斗さんは表情を固くした。
「……もしもし、野本。 何か他に報告すべきことがあった?」
澪斗さんはスマホをスピーカーモードに切り替えて、三人で通話が確認できるようにした。野本は、やや息が切れた状態で、声を顰めながら報告している。
『佐倉課長が、沖本の様子を聞いてから、一未さんを警察で保護する方向で決定しようとしていたんですけれど、それを聞いてて俺がちょっと引っかかることがあって……。今、その決定を直前で止めてもらっています。出来れば彼女はVDSで保護したいのですが、VDSへ打診していただけますか?』
澪斗さんは野本の話に「うん、わかった」と即答した。
「お前がそう判断するようなことがあったんなら、いいよ。まだ田崎くんがいるから、このままお願いしよう。それで、お前は何に引っかかったんだ?」
野本は一層声を顰めた。そして、ごく小さな声でこう答えた。
『沖本を殺したのが一未さんじゃないなら、彼女の命が危ないかもしれないから、警察で保護しよう。万が一、池本の人間を目撃していたら、確実に狙われるだろうから急げって言ったんです』
それを聞いた途端、澪斗さんはパッと目を開いた。眠気などかけらもないようにシャキッとした表情で立ち上がると、俺の方へと向き直った。
「田崎くん、鹿本一未をVDSで保護してくれ。翠くんには僕が連絡する。君はすぐに動いてくれ。頼む。理由は後で説明する」
澪斗さんの目は、これまでに見たことが無いほどに、怒りに燃えていた。それがなぜなのかはわからないい。ただ、それを問いただす時間もないことだけはわかった。
永心家の人間とは、学生時代からの知り合いだ。会社の後ろ盾でもある。そのトップの要請なのだ。この人は人間的にも信用に足る人物なので、躊躇う必要がなかった。
「わかりました。水上署へ行ってきます。和人、行くぞ」
「はい」
俺と和人は、澪斗さんに一礼すると、水上署へと向かうため、車に乗り込んだ。
「竜胆さん、さっきの話だけでなんで急いで保護する必要があるかって……」
和人が俺に聞くけれど、俺にもはっきりとはわかっていなかった。視線は前を向いたまま、軽く被りを振る。
「一未さんが、池本の人間を見ていたら危ないから保護するって……話はわかるんですけど、なんかいまいちしっくりこないっていうか。池本と沖本はグルなんでしょう? だったら職場にほったらかしたりしないで、池本に渡すだろうって思って」
「……まあ、そうだな。それに、もう一つ気になることがある。もしかしたら、それが澪斗さんの急いでる理由かもしれない」
「急ぐ理由? わかったんですか?」
「佐倉さんが池本の名前を出した事がおかしいんだ。池本と永心が対立しているからと言って、犯罪に池本が関わっているなんて軽々しく口にできるモノじゃない。警察が何かを隠している可能性がある。それなら、一未さんはVDSで保護すべきだ」
「なるほど……」
車内は、俺と和人の緊張が糸となって目に見えるようだった。普段は警察と協力して動くことが多い。咲人はやめてしまったけれど、野本はまだセンチネル交渉課に所属しているし、警察と協力して動くというのが民間でのボンディング斡旋業者としては義務づけられているからだ。
それなのに、今回は別に動くことになる。下手をすると、池本から圧力をかけられてうちは潰れるかもしれない。それでも、永心が動いてくれと言えばそれに応える。VDSはそう決めている。
「慎重に動かないといけませんね」
和人の緊張した声がシートに吸い込まれるように消えていった。その時、俺のスマホには、ミチからの能天気なメッセージが表示されていた。
◇◆◇
警察署で一未さんを引き渡してもらい、無事にホテルに辿り着いた。事務所に一未さんを連れて行くと、そこには既に涼陽さんが来ていて、彼女の到着を待ち侘びていた。
「一未っ!」
「……涼陽ぃー」
行方不明になってから約一月。ようやく再会した二人は、抱き合って泣いていた。
「涼陽さん、この部屋はしばらくお二人で使ってもらって構いませんので。ただ、危険なのでしばらくは外出する時は誰かガイドのスタッフと一緒にお願いしますね。あと……ここはケア専用のフロアなので、多分、色々聞こえますけど……そこは、ご了承ください」
俺は、涼陽さんと一未さんに、ここでの生活の注意点を説明をしている。決して笑わせようと思ったわけでもないのだが、思いもよらず二人は爆笑し始めた。
「田崎さんが真面目な顔でセクハラっぽいこと言っても、しれっと聞き流すように言われてたんですけど……本当に言うんですね!」
一未さんはとても楽しそうに笑っていた。それを見て、涼陽さんはやや泣き出しそうな顔をする。二人が揃っていることに、安堵しているようだった。
「あ、そうだ。お二人にお伝えしたい事があります」
俺は、ミチから届いていた能天気なメッセージの内容を思い出した。そして、その手続きの途中だったことも思い出し、まずは二人に話しておくべきだなと思い、タブレットを取り出した。
「お二人の結婚式を、こちらのチャペルで行おうと言うことになっているんです。外から人は呼べないので、職員だけしか参加できませんが、いかがですか?」
その言葉を聞いて、一未さんは目を丸くしていた。そして、だんだんと目に涙が溜まっていく。
「い、いいんですか? あ、でも、ここ確か高くて……」
「料金は、会社が出します。鉄平のお兄さんのお式ですしね。永心に関わったことで犯罪に巻き込まれたとあって、永心家からも出資いただきました。お詫びだそうです。ですから、いいドレス着ましょう。澪斗さんが払いますから」
俺がパンフレットを見せながら言うと、一未さんは涙を流しながら大きな声で笑った。涼陽さんは逆に申し訳なさそうにしていて、小声で俺に確認してきた。
「だ、大丈夫なんですかね? 後から払えとか言いません?」
「大丈夫ですよ。永心は結構懐の深い家ですから。それに、もし払えって言われたら、会社から全額出します。ここは、建物自体も僕たち三人がオーナーなんです」
「あっ、そうなんですね」
「そうなんです。だから、翠と蒼の意思確認だけすれば大丈夫ですし、二人とも鉄平をとても可愛がっていますから、反対することはありませんよ」
二人は顔を見合わせ、小さく頷き合った。そして、揃って俺の方へと向き直ると「じゃあ、よろしくお願いします!」と元気よく頭を下げてくれた。
「わかりました。じゃあ、とりあえず俺は、社長たちに確認取りますね」
そう言って、その場を辞した。
その後、何度連絡を入れても、翠も蒼も捕まらず、そのうちに一日の業務を終えた。仕事にも出ず、電話は無視。こんなことは、今まで一度も無かった。それも、どちらか一人だけではなく、二人ともだ。
「どうしたんだ、あいつら……」
俺は痺れを切らしてもう一度電話をかけながら、事務所の奥の階段を登って上階へと上がった。そこは二人が暮らしているペントハウスへと続く内階段で、ドアの鍵は取締役である俺も持たせてもらっている。
室内に誰かがいれば、カードキーだけでドアは開く仕様になっている。センサーにカードを翳すと、ガチャリとロックが開く音がした。どちらかはわからないが、中に人がいるのがこれでわかった。
「ったく、家にいんのかよ。仕事に出ねーで何してんだ」
俺は毛足の長いカーペットをずんずん踏みつけながら中へと進んだ。リビングには人影が無い。寝ているのかと思い、寝室へと向かうドアのノブに手をかけた。
その時、足元にキラリと光ものが見えた。座り込んでそれを拾い上げてみると、踏み潰されて変形したピアスだった。
「これ……翠の能力制御ピアスじゃねえか」
潰れたピアスには、血がこびりついていた。それはまだ乾き切っておらず、ついたばかりなのがわかる。
——引きちぎられてんのか?
さあっと血の気が引くのがわかった。翠に怪我をさせられるほどの人物が、ここにいるとなると危険だ。それでも、まずは翠の無事を確認しなくてはならない。
ただし、大声は上げられない。ピアスが外れているということは、今あいつの耳は、何にも守られていない。引きちぎられているなら、弱っているはずだ。これ以上のストレスはかけられない。
俺は推し黙ったまま、リビングから寝室へのドアを開けた。なるべく物音を立てず、そっと開ける。そして、中へ入った。
カーテンの引かれていない大きな窓には、外の灯りで淡い藍色に見える夜空があった。その右上に、大きな三日月が見える。
街灯の光と月明かりが混じる窓辺に、真っ白な塊が落ちていることに気がついた。その一部に、血がべっとりと張り付いていた。
心臓がうるさく跳ね上がる。この音すら、センチネルには騒音だ。これ以上呼吸を荒げるな、騒ぐな、決して慌てるな……そう言い聞かせながら、その白い塊に手をかけた。
ゴロン、と転がして向きを変えた。
「翠! どうし……」
俺はそこに転がっている人物を見て、言葉に詰まった。それは、どう見ても翠だった。ただし、これまで見たことのない容貌をしていた。
センターパートのストレートボブ、大きな目、長いまつ毛、すっと通った鼻筋、小柄で無駄のない筋肉質な体。
「……翠、なの、か?」
その全てが、真っ白だった。そして、半開きの瞼から覗く瞳は、真っ赤に光っていて、それが、翠の身体中から色素が抜け落ちたことを教えてくれていた。
ともだちにシェアしよう!