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第17話 泣くのは今日じゃない
「ミチ、お前本当にデリカシーなさすぎだから! 俺にその時の話するなよ!」
「えー、別に本当に一回だけなんだし、田崎さんは私のことが好きだったわけじゃないんだし、いいでしょー?」
「嫌だからやめろって言ってんの! 日本語わかるだろ!」
和人とミチの言い合いは、まるで子猫同士のケンカのようだった。そうは言っても、この件は和人にとっては真剣な悩みだろうということは、本当はミチにもわかっている。
ミチには、この和人を田崎に見せてやりたいという思惑があった。
「田崎?」
和人には、田崎を好きすぎるあまり、二人でいるときに完璧でいようとし過ぎるきらいがあるらしい。ブンジャガの飲み会の時もそうだったのだが、それがあって嫉妬心を田崎に伝えることが出来ないようだ。
ただ、俺もミチも田崎をよく理解しているので、それは是非とも見せてやった方がいいモノだろうといつも思っていて、和人が自然にそれを出せる機会を作るようにしている。
どうやら思惑通りに、田崎は和人の嫉妬心に当てられたようで、隠せない喜びで顔がニヤけていた。口元を手で隠してはいるものの、ずっと頬が緩んでいる。その姿は、最高に面白かった。
「……何笑ってんだよ、お前。結構元気出てきたのか?」
恋人が嫉妬してくれていることに、喜んでいる自分が恥ずかしくなったのか、田崎は俺に絡んで気を紛らわせようとしている。少し前のあいつなら考えられないことばかりが起きていて、俺は少し楽しくなっていた。
「そうだなあ。俺は心のどこかで、蒼がいなければ孤独で可哀想な人なんだと思ってたけど、こうやってお前たちと一緒だったんだなと改めて思ってさ。それに、蒼も俺のことを捨てたわけじゃないんだろ? だったら、いつまでも落ち込んでちゃダメだなあって思ってさ。そう考えてると、勝手にどんどん回復してくるんだ。不思議だな」
病室でギャーギャーと喚いていた二人が、ぴたりと騒ぐのをやめた。そして、嬉しそうに微笑みながら俺の方を見ている。
——ああ、俺って幸せ者だったんだな。
改めてそう思わせられる光景だった。そうやって幸せだと前向きな感情が湧くと、ふわっと体の中に柔らかい感覚が湧き上がるようになっていた。
それが起きると、胸の辺りにまたじわじわと幸せが宿るような感覚がする。そうやって少しだけ、喜びに浸れるようにはなっていた。
「……海斗さんが、蒼を連れ去った人物の匂いを特定したんだ」
もう話しても大丈夫だと判断したのか、タブレットを取り出しながら、田崎は俺に報告を始めた。その時、俺の目の前でベールが一枚捲られるような、目が覚めるような感覚がした。
——少しずつクリアになって行ってる。
「……ミチ、悪い。晴翔さんに言って、ソレをフィルコに詰めてもらって来てくれないか?」
ほんの僅かにだけれど、感覚が戻りつつあるのを感じた。回復傾向にあるのならば、それを後退させないようにしておきたい。俺はベッドサイドのテーブルに置いてある、ピルケースの中の白い粉を指した。
「これ……蒼さんの?」
「そうだ。それはクラヴィーアとは違って純度100%のケアが出来る。会議をするなら、それじゃないと持たないと思うから、頼んだ」
ミチはピルケースを手に持ち、「戻りそうなんだね?」と俺に訊ねた。「了解しました! 行こう、和人!」と叫ぶと晴翔さんの研究室へと向かって走り出した。
「おい! ここ一応病院なんだよ! 走んな! それと、和人って呼ぶな!」と叫びながら、和人はミチを追いかけていった。
「蒼を連れてったのは誰なんだ?」
二人がいなくなって、静まり返った空気を割くように訊ねた。俺自身もその声を聞いて驚いた。この短時間で、随分と仕事モードに切り替わっている。
抑うつ気味だった精神状態は、いつの間にか持ち直しつつあった。ただ、それは蒼と過ごした幸せな日々と同じものというよりは、それよりもっと前の、パートナーがいなくてがむしゃらに働いていた頃に近いものがあった。
少しヒリついていて、必死に生きていた、あの頃の自分。まだ、そのくらいの回復だということだろう。
「お前、大丈夫か?」
田崎は少しだけ、その頃の俺を知っている。蒼のレベルが俺に追いつかなくて、気持ちが通じ合っていても、まだ俺のケアは別の人に頼むしかなかった頃。俺は常にヒリついていた。ちょうどその頃に田崎と知り合った。
「大丈夫だ。これがあるからな」
俺のそばには、万が一を考えて蒼が作っていたツールがたくさん置いてある。蒼の爪を仕込んだピアス、指輪、ペンダント。そして、あいつがいつも家に置いておいた、乾燥処理された精液。
潜入捜査の時はいつもこれを使っていた。蒼はいつも俺の身の安全を確保するために、準備を怠らなかった。特級レベル10になってからは、それすら必要がなくなっていて、その存在を忘れていた。
これだけ思われていることに慣れてしまって、いつの間にか当たり前だと思っていたのだと気づいて、少し恥ずかしいくらいだ。
——勝手に落ち込んで、レベル下げてる場合じゃないんだよな。
「そうだな、あいつはいつも、自分がいなくてもお前が無事であるように考えてた。いつも、お前のことだけを考えてた」
田崎はそう言って、僅かに昂った感情を押し殺そうとした。手がかりが見つかったという割には、悲観的だ。俺にはそれがどうも気になっていた。
「そういえば、手がかりが見つかったのに、なんでちょっとだけいいニュースなんだ? いいニュースじゃない理由はなんだ?」
「それなんだが……これを見てくれ」
そう言って、スワイプしたタブレットには、ある男のデータが映し出されていた。
「虹川陽一 、ガイド、特級レベル2、タワー所属。これ、タワーの証明写真だろ? こいつの匂いで間違いないなら、すぐ見つかるじゃねーか。なんで蒼は見つかってないんだ?」
タワー所属の能力者なら、住所はもちろん、勤務時なら現在地も全て把握されているはずだ。それなのに、見つからないとなると、プライベートでどこかへいっているということになる。
ただ、それも大体の行き先は明かしておかないといけない。いつ仕事が入るかわからないからだ。
田崎は、ディスプレイをスクロールして、ある場所をトントンと指で指し示した。俺はその部分を目にして、「……どういうことだ?」と混乱するしかなかった。
そこには、こう記してあった。
『……三十年前、殺人犯として服役中に、獄中で病死』
「蒼を攫った犯人は、すでに死んでる? でも、嗅覚優位のセンチネルに間違いがあるわけはないだろう? 海斗さん……父さんが嘘をつく理由もないだろう。そんな嘘はすぐにバレる。つまり……?」
田崎は、タブレットの画面をまたスクロールした。そこには、もう一つ信じがたいことが書かれていた。
「蒼を連れ去った人物、虹川陽一の匂いに紛れて、野明良弥の匂いが確認された。ただし……その匂いには生活反応がないものと見られる。つまり……」
田崎はディスプレイに映るものを全てオフにして、俺の目を見ている。俺はまだ、自分のことで混乱状態にある。田崎は、全て調べ上げて、自分の見解をまとめてからここへ来ているはずだ。
俺は長い付き合いの友人を信頼し、その口から答えが出るのを待つ。田崎は、ふうと息を吐くと、自分の考えを述べ始めた。
「蒼を誘拐した人物は、虹川陽一で間違いない。ただし、虹川は獄中死したことになっている。それなのに今生きているということは、別人になり変わっているはずだ。その男は、野明良弥の誘拐にも関わっていて、さらに死後に接触がある。それにもう一つ。その人物は、警察内部の人間だと俺は思ってる」
田崎の思いもよらない発言に、俺は思わず田崎のスーツを掴んだ。しわ一つないスーツのラベルを、力一杯握りしめた。
「何……なんで警察が? 蒼を誘拐してどうするんだ? それより、なんで犯人が警察にいると思うんだ。何かあったのか?」
「ああ。これは澪斗さんからの忠告だ。警察を信用するな。流してないはずの情報を、なぜかあいつらは持ってるらしい。それが池本に絡んだことだから、慎重に動けと言われている」
「流してないはずの情報……? 池本が絡むってことは、一未さんの誘拐の件か?」
「そうだ。沖本が逮捕された後、鹿本一未さんを保護しないと、池本に狙われるかもしれないと、警察の会議で話が出たらしい。野本がそこで違和感に気がついたんだ。その時は、まだ池本が絡んでいるということを、永心側からは警察に報告をしてなかったらしい。それを知っていたということは、永心側に裏切り者がいるか、池本側と警察が繋がっているってことだ」
俺はその場に頽れそうになった。その先に考えられることに、大きな絶望があったからだ。しかし、今度はそれを田崎が阻止した。
「まだ絶望するな。確かに、もし警察と池内が通じていて、蒼が誘拐されているのなら、殺されてとしても発覚しようがない。ただ、お前が言っただろ? 警察が蒼を誘拐して何になる? むしろ警察という組織としては、お前とあいつにはこれからも活躍してほしいに決まってる。だから、落ち込むな。流されるな、翠。お前が探すんだよ」
田崎は俺の両肩を強く掴むと、体を前後にゆすった。その目は、蒼の身を案じているただの友人に戻っていた。
「海斗さんも探してくれている。でも、蒼を見つけるなら、お前だろう? 取り戻せ、センチネルの力を。お前が蒼を助けるんだ。俺には出来ないから……頼んだぞ!」
そう言って、俺の手のひらに密閉容器に入った指輪をのせた。
「蒼の指輪……」
田崎はもう一度俺の肩を掴むと、強い口調で俺に発破をかけた。
「蒼のパートナーは、お前だ。お前が探して、死ぬまで一緒にいるんだ。実父も養父もパートナーもいいように扱われてんだ。しっかりしろよ!」
そう言われて、はっとした。田崎の言う通りだった。二人の父を翻弄した人物が、最愛のパートナーを奪っている。それなのに、黙っていられるわけがない。
——落ち込むのも、泣くのも、いつでも出来る。今は、戦う時だ。
俺は田崎の腕を掴み返した。そして、その手にグッと力を入れた。
廊下をバタバタと走る音が聞こえてきた。ミチと和人の足音に、晴翔さんのものが紛れている。これで、蒼がいなくても、俺は現場へ戻ることができるだろう。そのためにも、トレーニングが必要だ。
「田崎、レベル上げのトレーニングを頼む。足音の聞き分けが出来るようになってきた。最低ランクには戻れたみたいだ。この状態なら、一般的なレベル上げで戻れるはずだ。三日で元に戻る」
腹は据わった。蒼を取り戻すためなら、何でもやれるだろう。そのためには、高レベルに戻らなくてはならない。
「了解。翔平と鉄平をつけるから、三日間リカバリールームに篭れ。三日目には野本を呼ぶ。それでいいな?」
「おう。頼んだ」
今はまだミュートとセンチネルの境界にいる、低レベルのセンチネルだ。学生時代に何年もかけてあげて行ったレベルを、三日で戻すのは、かなり大変だ。
でも、あの頃の俺とは持っているものが違う。仲間、人脈、そしてツール。その全てを駆使して、犯人を捕まえてやる。
「翠くん! 君が使えるツール、全て準備したよ」
蒼の思いが詰まったフィルコを手にして、俺は立ち上がった。
「晴翔さん、サポートお願いします」
俺の目を見た晴翔さんは、安堵の表情を見せた。そして、こくりと頷くと、すぐに表情を締めた。
「レベル上げの最中に倒れないようにサポートするよ。行こう!」
俺たちは、VDSへと走り出した。
バース研究センターとVDSは隣接している。その渡り廊下へ差し掛かった時、降り続いていた雨が上がって、オレンジ色の夕日が輝き始めていた。
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