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第16話 ストレンジャーの気づき

「ねえ、その髪ってさ、簡単に言うと白髪だよね? メラニンが無くなったんだから、そうだよね? ちゃんとケアすると戻るのかな。あ、元々はセンチネルだったから、体質的にミネラルの消費が激しかったんだよね。そこへ強度のストレスで追い討ちかけたってことか。え、じゃあミネラルとってタンパク質でケアしたら、髪だけでも元に戻るかもねー」  ミチは俺の髪を目の細かい櫛で梳きながら、鏡に映る姿に向かって話しかけている。ミチ自身は、長くて綺麗な金髪をまとめてお団子にしていて、いつもより動きやすそうな服装で俺の身の回りの世話をしてくれていた。 「お前、相変わらずデリカシー無いね。『センチネルだったから』って……結構な言葉だぞ、それ」  和人は、晴翔さんから指示された通りに、決まった時間に薬を飲むための管理をしてくれている。今日は一日講義が無いらしく、日中の世話を二人で買って出てくれた。 「ミチ、お前は夕方からビムに行くんだろう? 時々休んでろよ。ずっと起きてると倒れるぞ」  俺は、サラサラになるまで髪のケアをしてくれて、「よし」と満足げにしているミチに声をかけた。ミチは俺のその言葉に、ふっと短く息を吐くと、両手を上げて仰々しく呆れたという様子をして見せる。 「月明かりの下でぶっ倒れてた人に言われてもねえ。今はご自分の心配をしてくださいよ、社長!」  そう言って、鏡に映る青白い顔の頬を摘むと、ぐいっと横に広げた。そのつままれた先の部分が、ほんのりと赤く染まる。それを見て、俺はほっとしていた。 「なんで顔を摘まれて安心してるんですか? もしかして、Mなの?」  鏡越しではなく直接俺の目を覗き込むようにして、ミチは俺の顔に覆い被さるように首を伸ばした。ほんの少しだけ、俺の鼻先にミチの肌が触れる。俺は、驚いて思わず顔を逸らしてしまった。  その反応を見て、ミチはやや悲しそうに目を細めた。 「あ、悪い。別に嫌で避けたわけじゃ……」 「うん、大丈夫。私もそれを悲しんでるわけじゃないよ。ただ……前に比べたら反応が鈍くなってるから、本当にセンチネルじゃ無くなったんだなあと思っただけ」 「ああ、それはそうだな、うん。まあ、慣れるしか無いだろう」  ミチの言う通りだった。俺はこの数日で随分と視力が悪くなり、音の聞き分けもしづらくなってきていた。空気の流れが読めなくなったことも、それを予測して先回りして動くことも、ほとんど出来なくなった。  生まれ持った能力よりも下がったセンチネルとしてのレベルは、薬物を投与されて偽センチネルになっていた鈴本環のレベルをも超えて下がっていて、もう俺は本当にミュートと同じ扱いになっている。  しかも、低レベルのセンチネルというのは、感度が下がっているというだけでなく、能力を使用するとすぐにゾーンアウトするという厄介な状態だと言える。  今はまだ僅かに残った能力があるため、完全にミュートになってしまうまでの間を、特に注意して過ごさなくてはならないと言われていた。  ただ、センチネルの能力を無くしたとしても、社長としての仕事はそれなりにこなせていて、経営自体は問題なく回っていた。人前に出ることが出来ないため、対外的なことは田崎に一任しているが、センチネルとしての仕事は翔平と咲人が代わりにやってくれているため、そういう意味での影響は少ない。  ただ、VDSに果貫鍵崎ペアに憧れて入ってきたものたちが、ボンディングしたところで絆が壊れる事があるのなら、そのほうが辛いだろうから、斡旋することに躊躇いがあると言い始めているらしい。  確かに、今ならクラヴィーアがあるため、それでもなんとかやっていける。ただ、クラヴィーアは完全では無く、やはりゾーンアウト後のケアはガイディングが最も効果的だということには変わりがない。  それでも、絆のないケアは負担でしかないと考えている者たちは、その考えを飛躍させ過ぎてしまい、今やケアは野蛮な行為だとすら言い始めるものも出てきた。 「俺がミュートになったことが引き起こした問題だもんな。田崎には本当に申し訳ないと思ってるよ」  ケアを受けたがらなくなったセンチネルたちは、ガイドを憎むものすら出始めたらしく、現場での単独行動が目立ち始めている。いくら五感が鋭くても、問題に直面した時には、物理的な面でのガイドの助けが必要になることは多い。  それすら意地を張って断るような者達が、現場で事故に遭うケースが後を絶たなくなった。その度に田崎は後処理に追われ、あまりに自分の都合を優先しようとする者がいた場合は、解雇するというケースも出ていた。  その全てが、俺と蒼の個人的な問題に起因しているとなると、心苦しくて仕方が無い。俯いて唇を噛んでいる俺の背中を、ミチが優しく摩った。 「翠さんは悪くないんだよ。それでも連鎖して悪い方向へ行くことってあるでしょう? 自分を責めちゃダメだよ」  ミチの言いたいことは、俺にも理解出来る。きっと立場が違って、俺が誰かを慰めている時は、同じことを言うだろう。それでも、どうしても自分を責める気持ちは消えていかない。  その苦しみは、今感じては危険なものだ。だから無理にでも止めようとする。それが悪循環を生んでいた。 「翠さん。俺、あなたの気持ちが痛いほどよくわかりますよ。だって、俺も同じ目に遭ってる。ただ、それを言うとあなたが気にすると思って……」 「……お前が俺を庇ってくれた時のことか?」  俺は、今でもはっきり覚えている。俺の能力を奪おうとしていた池本が、イプシロンの高濃度リキッドを仕込んだナイフで刺そうとした時、和人が間に入って身代わりになってくれた。  守るべき学生を危険に晒したこと、そして能力を失わせてしまったこと。俺はそのことを一生忘れてはいけないと思っている。 「はい……俺はあの時、一瞬で全ての能力を失いました。ガイドの能力は、五感みたいに誰でも持っているものではなくて、超能力みたいな第六感と言われるものに近いです。だから、失った時の無力感はすごかった。本当に役立たずの邪魔者になったんだと、痛烈に感じました」  俺は和人の顔を見た。今はもうわからなくなってしまったけれど、能力を失ったガイドはストレンジャーと呼ばれ、体の中に特殊能力が抜け落ちた痕跡を持っていることが多い。  それは、センチネルの目で見ればわかる。身体中に細胞が一段暗くなっているように見える場所があって、それは神経に沿っているため、灰色の網目が張ってあるように見える。  でも、今の俺にはそれももう見えない。 「センチネルの力は、誰もが持っている力の感度が高いってことですよね。それって、言い換えれば訓練次第で戻すことが可能なんだってことじゃないですか?」 「えっ? 戻す……? 能力を?」  どくんと心臓が一跳ねするのがわかった。センチネルが失った能力を取り戻すなんて、考えたこともなかった。そう言われてみれば、これまでにセンチネルが能力を失ったという報告を見たことがない。  それは常にガイドの報告ばかりだった。だからなのだろうか。ガイドが能力を失うとストレンジャーと呼ばれるのに、センチネルが能力を失ってもそれだけを表す呼称は存在しない。 「和人……悪いがそれを調べてくれないか? 確かに、センチネルのレベル上げは、ガイドより明確な方法がある。ガイドの能力は磨けばどうにかなる様なものじゃないからだ。でも、センチネルの能力は、結果に個人差はあるものの、伸ばし方は大体同じだ。それなら、俺がトレーニングを受ければ、最低ランクのセンチネルくらいには戻れるかもしれない」  俺は話しながら、ふっと鼻先に何かが香ったのがわかった。驚いて顔を上げると、二人が微笑もうとしていたところだった。俺の鼻は、それを体温の変化と香りで察知したようだ。 「希望が見えて、既に回復の兆しが現れたようですね」  そう言って、和人はパッと花が開くような顔で笑った。俺はそれを見て嬉しくなると同時に、とてつもない罪悪感に襲われた。鼻の奥がつんと痛む。それを見て、和人が眉根を寄せて困ったように笑った。 「もう、だから気にしないでくださいって。俺、あの時翠さんを助けたかったんですから。俺みたいに生きる目的がはっきりしなくなったやつじゃなくて、たくさんの人を守っている翠さんに無事でいて欲しかったんです。能力がなくなったことで狼狽えたのは事実ですけど、俺には竜胆さんがいますから。むしろ同じ非能力者になれて、今じゃ感謝してるくらいですよ」  和人はそう言って、俺の手を取った。両手をしっかりと握って、俺の目をまっすぐに見つめる。そこには、揺らぎない信頼と愛情に支えられて、自信を取り戻した一人の青年の確固たる思いがあった。 「あいつ、お前の悲しみにしっかり寄り添ってるんだな」  竜胆の花言葉に準えて俺が言うと、くしゃっと顔を崩して和人は笑った。 「またそれ言ってる。怒られますよ、竜胆さんに」 「そうだな。もう怒ってるかな。なあ、田崎?」 「えっ!? あ、本当だ、何してるのそこで? 捜索は?」  田崎は、スライドドアの向こう側に、背中を預けて立っていた。俺たちの話を聞いていたのだろうか、わずかに目を潤ませていた。顔は悲しみに覆われているわけではないから、蒼に何かあったというわけではないだろう。そう思うと、竜胆の花言葉通りの姿なんだろうと思えて、思わず笑みがこぼれた。 「何笑ってんだよ……ちょっとだけいいニュース持ってきてやったぞ」  やや照れながら中に入ってきた田崎は、俺と和人が繋いでいる手を無理に解くと、和人をしっかりとハグした。照れて離れようとするのを阻止され、ジタバタしている和人は、俺たちにいつもは見せない顔をしている。 「ちょっと、田崎さん、やめて……にゃあー!」  逃げようとする和人をガッチリホールドしたまま、思い切りキスを浴びせていた。俺はその田崎の姿を見ていると、おかしくてたまらなくなった。 「あははっ。和人、そいつエスっ気あるから、やめてって言うと喜んでやるぞ。もう知ってるだろ?」 「あーそうだよ、私の時もさあ……」 「わー! やめろ、ミチ! お前は余計なことを言うな!」  じっとりとした目でミチを睨みつける和人を、田崎は必死に宥めることになった。

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