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第20話 ただ、翠のために。
センチネルのランクは、五感の鋭さとそれによる混乱をコントロールする精神力の強さで決まる。五感が鋭い人間は、その能力のコントロールが出来ない場合、生まれて程なくして気が狂ってしまうか、周囲の人間に殺されて亡くなる事が多い。
対してガイドの能力は、基本的にはペアのセンチネルをどれほど正確にガイディング出来るかで決められることが多い。ガイドはセンチネルを癒すために存在する。だから、癒すことができる対象が多ければ多いほど、そのレベルは上がっていく。
そして、それ以外に決め手となるもの。特級レベルになると、そこで判断されるのは第六感の強さだ。それは、いわゆる超能力というものにあたる。
実際、ガイドの能力のうち、テレパスとエンパスはよく知られている超能力だろう。俺は現在存命中のガイドとしては、世界最高峰に当たる。この二つの超能力を、ボンディングしていない相手にも使うことが出来るからだ。
そんな俺にも、唯一使えない力がある。それは念動力 。それが今、ここで花開こうとしていた。
「くそ、急がないと血を抜かれてしまったらさすがに死んでしまうだろ……あいつ、狂ってるから全部抜くかもしれないし……」
沖本は実花さん殺しで刑務所に入っていた。それが三十年前だとしたら、その頃からずっと翠を狙っていたということになる。
どうして獄死しているはずの人間が外にいるのかもわかっていないし、この問題は触れるにしろ放っておくにしろ、危険が大きすぎる。
だからこそ、隣の翠を助けなければ、取り返しのつかないことになるだろうということは容易に想像ができる。俺の愛する男を、この場で狂人に奪わせるなど、到底許すことはできない。
——とにかくインシュロックだけでも外せれば……。
俺は親指がちぎれそうになるほどに、その拘束を解こうとした。しかし、そこからは傷が広がるばかりで、ビクともしない。
——翠……。
隣にいるのに。この一月、翠の体温を感じられなかったことで、俺は気が狂いそうなほどに孤独を感じていた。
——龍はどうした?
指が自由にならないならと、俺は体当たりをして扉を壊そうとした。これまで何度もそれを試みたけれど、それは分厚い鉄扉のようで、傷が入る気配すらなかった。
それでも、遠くで待っているならまだしも、隣で危機に晒されている翠を、黙って死なせるわけにはいかなかった。とにかく何度もぶつかり続けた。
ドンっと鈍い音が響き渡る。その音を聞きながら、外に出る希望を持ち続けるしかなかった。
「くそっ! 衝撃だけで頭がおかしくなりそうだ……!」
そう叫んだ時だった。隣の部屋から、小さく呟く声が聞こえた。それは、蚊の鳴くような小さな声。にも関わらず、俺の耳にはしっかり、はっきりとした音として飛び込んできた。
「……蒼?」
その声は、はっきりとした意思を持った呟きというよりは、夢現で口からこぼれただけのもののようだった。それでも、俺の心を燃やすには十分な燃料となった。
——くそ! 邪魔なものは……全部吹き飛べ!
そう思った瞬間に、俺の中で暴力的なエネルギーが生まれた。そして、飛び出す時を待っていたかのように、次々と止めどなく湧き上がってきた。
それは体の中心を駆け上がり、喉元でとぐろを巻くようにぐるぐると回転し、そのまま膨張していった。怒りとも焦りとも言えない感情が、身体中の細胞を沸騰させるような叫び声となり、そこから外へと一気に飛び出した。
まるで火龍のように火を吐き、音と炎が強烈な光の爆発と共に目の前の壁を吹き飛ばしていった。自分が扉に体当たりをしていた時とは比べ物にならないほどの轟音を轟かせて、分厚いコンクリートの壁がガラガラと崩壊していく。
「な、なんだ……今の……」
自分が引き起こした事態にも関わらず、何が起きているのかは全くわからなかった。よく考えれば、俺には何も見えていない。壁が壊れたのは音でわかった。光は、目を閉じていても感じられた。
「指っ……外れてる!」
気がつくと、インシュロックは熱で溶けたようになっていた。その部分に火傷ができていたが、全く何も感じない。おそらく、今はハイになった状態なのだろう。時間が経つと色々と不調が出るかもしれない。俺は急いでコンタクトを外すことにした。
「やっぱりか……姑息なことしやがって」
目に入れられていたのは、黒いレンズのコンタクトだった。手っ取り早く視界を遮るために使ったのだろう。両方とも外すと、眼球や視神経に特に問題は起きていないようで安心した。
「とにかく、翠を……」
穴の空いた壁を抜け、隣の部屋へと侵入した。そこには、ずらりと並んだパウチの中に、次々と血を抜いていく装置があった。その中心に、白い大きな箱のようなものが置いてある。それは、日常とは異なる雰囲気を纏った入れ物だった。
「まさか……」
俺は、その箱へとゆっくり近づいていった。一歩踏み出すたびに、モニターから聞こえる心臓の動きを表す音が耳についた。とりあえず、生きていることは間違いない。それだけは安心できることだった。
ただし、この箱の形状を見るからに、沖本が何をしようとしているのかがわかって吐き気がした。あいつはやはり異常者のようだ。どうして一般企業でのうのうと働いているのだろう。一緒にいた警察は……。
「……翠!」
箱の中を見て、俺は思わず全ての管を引き抜いた。そこには、青ざめた顔で目をとじ、胸元で手を組まれた翠が横たわっていた。血液は、細胞を壊すことのないように、ゆっくりと抜かれているようだった。それだけは、不幸中の幸いだった。
抜管した瞬間に、プシュッと音を立てて、周りに血が飛び散っていった。そして、それと同時にアラームが鳴り響き始めた。耳をつんざくようなレベルで鳴り響いている。
「翠! 起きて! 俺も地下にずっといたから、眠ったままを抱えて上にはいけない……」
最低限の生活はさせてもらえていたが、日に当たっていなかったためか、すでに体力が尽きかけていた。壁を崩壊させた力は、俺の体力を恐ろしいほどに奪っていたようだ。
「くそ、どう考えても連れ出すのは無理だ……」
素人なりに止血をして、翠をそのまま横たわらせた。あと何度かならあの力が使えるかもしれない。俺は扉を壊して上へと上がり、建物の外へ飛び出した。
——とにかく、田崎へ連絡しなければ。
一人でどうにか出来る状況ではないと判断した俺は、VDSへの連絡を優先することにした。
「……ここは、翔平の家の近くだな」
翔平が大学受験をする年に、俺は家庭教師として真野家へ通っていた。眼下に広がる住宅街には、その翔平の実家がある。
——ここからなら、龍に連絡を入れさせることができる。
『咲人へ連絡をつけてきてくれ』
俺は龍を呼び戻して、VDSへ行くように頼んだ。龍は顎を引くと、一瞬でその場を去っていった。しばらく待つと、ピリッと肌に刺激があった。それは、龍からの信号だ。俺は意識を集中して、咲人へと信号を飛ばす。
『咲人』
咲人は俺より僅かにレベルが下のセンチネルだ。ほんの少しでも接触が出来れば、きっと気がつく。数分呼び続け、ようやく俺の気配を感じ取ってくれた。
『蒼!? お前、今どこにいるんだ! 大変なんだ、翠が……』
『大丈夫だ、翠も一緒だ。俺の意識に集中してくれ。そこに俺の龍がいる。そいつを追って、ここまで来てくれ。沖本が帰ってくる前に翠を保護ししないと、命が危ない』
『翠も一緒なのか!? ……おい、田崎! 蒼だ、こっちへ来てくれ!』
咲人は田崎への報告と、俺とのテレパスを同時にこなしていた。そうなると、長時間は保たないだろう。俺は伝えるべきことを端的にまとめ、繋がりを断とうとした。
そこへ、一人の女性の声が割り込んできた。
『蒼くん、君もしかしてサイコキネシスが目覚めてないか?』
俺は彩女さんの声を聞いて、驚いた。俺に起きた変化を、声だけで理解したのだろうか。
『さっき、怒りの爆発みたいに感情が吹き出して、それと同時に壁が壊れました。指に拘束されていたインシュロックは溶けていました。それはサイコキネシスで間違い無いのでしょうか?』
彩女さんはため息をつきながら『そうだろうな』と言った。事態が事態なので不謹慎だと思い押さえているのだろうけれど、声に研究者としての好奇心が現れていた。
『悪いな、どうしても好奇心が顔を出すが……、君、ひどく声が疲れているだろう? 他の能力とは違って、物理的に物を動かすんだ。使うエネルギーの量も半端じゃない。これまでガイドでサイコキネシスを発動した人物は、正確に報告されているわけでは無いが、わかっているだけでも世界に一人しかいない。君は記録上、世界で二人目に当たる。それほど珍しい力だ。もう大きく体力を使わないようにしろ。いいな?』
好奇心と共に俺への気遣いのこもった声を聞いて、俺は素直に『はい』と答えた。
『そういうことなら、現場には私も行こう。翠くんを診る必要もあるからな』
そう言って、連絡を終了した。
俺は、階下へと戻り、翠の様子を確認しようとした。すると、階段を登ってくる音が聞こえることに気がついた。
——沖本か? 翠はまだ立てないはず……。
そう思って、対峙する準備をした。半身で構え、とりあえず攻撃を交わす準備をする。近づく足音に、やや肝が冷えていた。
——相手をねじ伏せるまでは、保ってくれ……。
そう願う俺の目の前で、ドアが開いた。その時、ふわりと流れてきた香りに、俺は無意識に涙を流した。
「蒼」
下から上がってきたのは、翠だった。
「蒼、会いたかった」
青白い顔をして、今にも倒れそうにフラフラとよろめいている。その状態で、花が咲いたように笑っていた。階段を踏み込んだ翠が、ガクッと力を失って倒れる。俺はそれを駆け寄って抱きしめた。
「翠! 俺も……会いたかった!」
勝手に逃げたくせに、俺はやっぱり翠のそばにいたかった。生まれがどうだろうと、誰と血縁があろうと、そんなことがどうでも良くなるくらいに、翠が必要だった。
「蒼。おかえり」
翠はそう言って、俺に腕を回した。そして、そのままガクリと頽れた。
「翠!」
倒れた翠を抱きしめた。鼻先に広がる、愛しい人の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
——ああ、やっぱり。翠、俺はお前を、どうしようもなく愛してるよ。
翠を再び手に入れた。その喜びに満ちた俺は、翠を抱きしめたまま眠りについてしまった。
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