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第22話 欲望の犠牲者
◆◇◆
「良弥、俺たちしばらく身を隠すから、ここでいい子で待っていてね。お世話出来ない間に、色々不調が起きるかもしれないけれど、ちゃんと直してあげるからね。待っててよ」
そう言って、虹川は白くて長い指を手に取り、その先端に口付けた。その指は、陶器のように美しく輝き、また、それと同じような硬度を持っている。
隣で見ているだけで、ムナクソ悪くなる光景だ。でも、実は少しだけ羨ましくも思っている。
——俺も、実花をこうしてもらっておけば良かったかな……。
俺は知っている。虹川は、時々ここにやってきては、アレで一人で遊んでいることを。さすがにそれを見かけた時は、吐き気がしそうになった。でも、冷静に考えると、俺だったら実花でそれをしていただろう。
俺が刑務所にいる間に、遺体は荼毘に付されてしまっていた。当たり前と言えば当たり前だけれど、勿体無いことをしたと思っている。
「おい、そろそろ行かないとまずいだろう?」
虹川は、うっとりと蕩けた目で、その白く輝く男を見つめていた。
「ああ、わかってる」
そう答えながらも、全く動こうとはしない。いつまで経ってもこのままじゃ、あっという間に捕まってしまう。この間逃がした二人は、優秀な能力者だ。貰うモノは貰えたから、もう未練も何もない。
ただ、あいつらに見つけられたら、やっと手に入れた愛する人を失うことになる。もう池本の力も借りられそうに無いのだから、ここからは自力で必死に逃げるしかない。
俺は、虹川の腕を思い切りぐいっと引っ張り、腰を引き寄せてその唇を吸った。虹川の目には、今の俺の姿は、この男と同じように見えている。
「灰野……ああ、よく出来てるな。良弥そっくりだ」
そう言って、俺の体を、その手のひらで味わうように触り始めた。後のことを考えているのか、作り上げられたばかりでまだ痛みの残る顔だけは、ちゃんと避けている。
——まともなのか、狂っているのか……。
俺と虹川は、ともに堕ちた人間だ。愛しすぎた人がいて、壊してしまっても諦めきれない。生きている限りその姿を追い求め、見つかりもしない幸せを探してもがくしか無い。
「今日からは、俺をコイツだと思えばいいだろう?」
待っていても埒が開かないと踏んだ俺は、虹川の制服を剥ぎ取った。
「あっ、りょう……や」
精巧に作られた池本からの置き土産。
野明そっくりに作り替えられた俺は、偽物に欲情して蕩けきっているその中へと、乱暴に突き進んだ。
◆◇◆
「この家だが、やはり野明の本家で間違いない。良弥は高校生まではここにいたはずだ。その後、この家がどうなっていたのかは、正式な記録が残っていないからわからない。ただ、佐倉課長らしき人物の目撃情報があった。それも、ごく最近だ」
海斗さんはそう言って、俺と翠の目の前に一枚の写真を置いた。それは、間違いなく、俺たちが囚われていた地下室のある家に間違いなかった。
そこが野明の本家だったということは、翠にとっては父の実家だということになる。これまでずっといないと思っていた肉親が、実際に住んでいた家に囚われていたのだ。何を思うだろうと思いその顔を見てみると、何も感じていないような顔をしていて驚いた。
「翠、なんかこう……感慨深いとか、ないの?」
俺が尋ねると、間髪入れずに「え? いや、わかってたからな」と軽く答えた。
「えっ? あ、そうか……匂いが残ってたのか? 匂いには血縁を感じる要素があるって、前から言ってたもんな」
「そう。自分と似た匂いがしてた。そして、咲人と従兄弟だっていうのもよくわかった。あいつにも似た匂いがしてたからな。つまり、ここには俺たちの祖父母と父が暮らしていたってわけだろう?」
翠はそう言って、海斗さんの方へと視線を送った。海斗さんはそれをしっかり受け止めると、「そうだな」とにこやかに答えた。
「ただ、俺もこの家には行ったことは無いんだ。だから詳しいことはわからない。ただ、内部を詳しく知っている人がいる。それが……菊神さんだ」
水を向けられた菊神さんは、そこから話を引き取った。タブレットから大型のモニターに投影されている情報を、次々に増やしていく。
「この家には、地下室があっただろう? 君たちが囚われていた二部屋がよく使われるものだ。だが、実はもう一つ、ここに隠し部屋がある。これは、あの家族と私の家族、永心家の長になった者しか知らない。そして、照史氏は澪斗くんにはそれを教えなかったようだ。それが、この位置にある」
菊神さんは、モニターに家の見取り図を映し出し、俺が囚われていた部屋と、翠が運ばれてきた部屋のもっと奥に、やや小さな部屋があると言った。それは部屋というよりは、書庫のようなところだと言う。
「地下室の書庫ですか。人に知られないような場所にあるってことは、知られたくない情報がそこにあると言うことですよね?」
「そうだ。そこには、野明の高レベルセンチネルたちが持つプラチナ・ブラッドの秘密が隠されている。それが公になると、菊神の両親はおそらく捕まっていただろう」
「菊神さんのご両親が、ですか? もしかして、イプシロンの抽出の時みたいに、何か薬の開発でもされていたとか……」
そう言っていた翠が、何かに気がついたようで、俺の顔を覗き込んで止まってしまった。考えはまとまっているけれど、それを理解したく無いとでも言うような、複雑な表情をしている。
俺はそのあたりは疎い方で、まだその状態では何も理解出来なかった。その代わりに、田崎へと視線を送ると、田崎も何かに気がついたようで、厳しい表情をして口を引き結んでいた。
それでも、こう言う場面で発言してくれるのはいつも田崎だった。俺も翠もそれを期待して、田崎を見つめた。
「俺の口から言って大丈夫なのか?」
田崎が翠に訊くと、「ああ、お前ならいい」と答えた。田崎は、荷が重いとつぶやきながら、ふうと息を吐く。そして、菊神さんの方へと向き直ると、しっかりとした口調で訊ねた。
「もしかして……彼らは人工的に生み出された能力者なんじゃ無いですか? 野明のセンチネル、永心家のガイド……都合よく揃いすぎている気がします。そして、都合よく恋に落ちている。そして、それを研究していたのが、菊神さんのご両親だった。ここ最近の出来事を考えると、そう捉えるのが妥当です」
田崎の厳しい口調に、菊神さんは「さすが田崎くん。ご名答」と茶化すように答えた。田崎はそれに「どうも」と答える。
「この話を聞いてしまったら、インフィニティに性転換を勧めたのなんて、可愛らしく思えますね。代理母出産とかで驚いている場合でもなかったかも知れない。だって、あの人はバース全てを変えたということでしょう? それで生きていくのは、かなり大変だったはずです。そりゃ狂ってしまうだろう……」
呆れたように笑いながら、翠がそう呟いた。第一性を手術で変えた人物は、生まれる前から第二性をコントロールされていた。体にかかる負担は、かなりのものだっただろうという事は、容易に想像がつく。
「第一性の転換は、未散の希望に沿ったわけだから、そこはあえて考えないでいてあげてくれ。そうしないと、あいつは浮かばれないよ」
珍しく菊神さんが辛そうな表情をして、翠に訴えた。翠もその表情と声音に、「すみません、言いすぎました」と答えた。それもまた、致し方ないだろう。自分の体の中で、最も持て余している部分が、誰かの手によって意図的に生み出されていたのだと知ったばかりだ。
俺は、翠の手を握った。少しでもショックを和らげてあげたかった。指を絡ませて握り、何度もそれを握りこむ。
——辛いな。でも、大丈夫。お前がお前だったから、俺たちは今一緒にいるんだ。全部それでいいだろう?
俺がそうやってテレパスすると、翠は俯いたまま目を潤ませた。
「永心兄弟と翠くんの人生を、私の両親が狂わせたかもしれない事は理解している。だから、まずは詫びをさせてくれ」
菊神さんは、そう言って立ち上がると、澪斗さんと翠に向かって頭を下げた。腰を折って頭を下げるその姿を見ていると、何がこんな風に人を狂わせていくのだろうと考えてしまう。
その悲痛な表情の菊神さんの肩に、ポンと手をのせて、澪斗さんが穏やかに微笑んでいた。そして、彼女の肩を掴み、体をまっすぐになるように、優しく戻していく。
「あなたが頭を下げる必要など、どこにもありません。そもそも、菊神さんのご両親がその研究を始めたのは、拓史お爺様の指示ではないのですか? 永心家が政治の場で活躍し続けるために、センチネルの助けが欲しかったのでしょう。だとしたら、頭を下げるべきは永心の人間なんですよ。あなたの家族に、罪の意識を背負わせていたなんてとんでもないです。今の家長である僕が、あなたにお詫びをしないといけないくらいですよ。人生がお辛かったでしょう? 大丈夫ですよ、僕たちはみんな幸せに暮らしていますから。ねえ、翠くん?」
澪斗さんは翠へ笑顔を向けると、首を傾げて「君は今、幸せだよね?」と訊いた。翠は不敵とも言える強気の笑顔を見せると、俺の腕を思い切り引き寄せた。
「はい! 幸せですよ。 俺のために必死になってレベルをあげて、公私共にパートナーになってくれるような、すごーくいい男と結婚しましたからね。高レベルセンチネルだったからこそ、こうなったんです。お礼を言いたいくらいですよ」
そう言って、菊神さんに思い切り笑顔を見せつけた。
「だから、その話に罪悪感は無しでお願いします。それよりも、その家に虹川が住んでいるのは、その部屋に何か欲しいものがあるからじゃないんですか? そういう話をしましょう」
そう言って、菊神さんの背中をポンと叩いた。
叩かれた方の菊神さんは、短く息を吐き出すと「君たちは本当にかっこいいな」と呟いた。そして、キリッと表情を引き締めると、突然悍ましい話を始めた。
「そうだ。虹川が、この部屋に大切にしまっている物がある。私はそれを今、ここで翠くんの前で口にすることに、とても勇気が必要だ。海斗さん、あなたもショックを受けるだろう。だから、その時は澪斗くん、蒼くん。二人がパートナーをしっかり支えてあげるんだよ。いいね?」
菊神さんの言葉に、翠と海斗さんは顔を見つめあった。そして、海斗さんは翠の手をとり、優しく握りしめた。
「あっ……これ、覚えてる……」
翠はそういうと、幼い少年のように微笑んだ。そして、小さくそっと「……父さん」と海斗さんを呼び、息子の顔をした。海斗さんは、翠のその顔を見て眉根を寄せ、肩を震わせていた。
「菊神さん、大丈夫です。俺たちに共通するのは、野明良弥……俺の実父のことですよね? 支えてくれる人はいます。だから、話してください」
そう言って、強がっている俺の愛しい人を支えるため、俺は後ろから翠を抱きしめた。隣で、澪斗さんも同じことをしている。
「お願いします」
四人で一つになり、野明の血を持ったセンチネルについての話を聞く。それを語るのは、最強の能力阻害薬イプシロンを生み出す体を持つ女性だ。
能力に振り回されて生きている人たちが、今から過酷な運命に巻き込まれるのは、間違いない。そしてその話に立ち会うのは、ギフテッドと呼ばれる最強のミュートの長、田崎だ。
俺たちは、自分たちの力に振り回される事はあっても、それに飲まれる事はない。それは、一重に愛すべきパートナーの存在があるからだ。
——本当の愛があれば、道を間違う事はない。俺は、それを自分の人生で証明したい。
田崎の隣に、和人も立つ。これがVDSの理想のスタイルだ。これが組めるなら、俺たちはどんな悪にも負けない自信がある。
「わかった。じゃあ、教えよう。この部屋に保管されているもの、虹川が顔を変えてまで保っておきたい宝物は……」
菊神さんは、一枚の写真を指差した。そこに写っているのは、翠にそっくりで、不自然なほどに透明感のある男の姿だった。
「虹川自らが命を奪った、男。野明良弥の……剥製だ」
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