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第27話 エースの遺伝子

◆◇◆ 「……というわけで、しばらくはこの業務に専念していただきます。マッチングの面談は一定期間中止します。受付と振り分けだけならミュートスタッフで対応可能だと思うので、そこまでは対応してください。それと、身の安全を確保するために……」  能力者は全員現場へ駆り出されて行ったため、今VDS事務所内にはミュートとストレンジャーである和人しか残っていなかった。その状態での営業は中止すべきかどうかを悩んだのだが、マッチングを待っている人も薬の処方が必要な人も後を絶たないため、ミュートスタッフには通常通りに出勤してもらった。 「竜胆さん、ケータリング来ました。ミュートスタッフ全員分だと、ミチだけじゃ運べないんで、俺も一緒に食事の準備してきますね」  和人はスタッフとしてミュートと共に働くことを選び、ここである程度の仕事を覚えていた。元々覚えが早く、身体能力も高めなので、今は射撃訓練も受けている。  ガイドとしての能力を失ったとはいえ、それ以外のことでは知力も体力も平均を遥かに超えているため、俺の右腕になれそうなくらいにメキメキと成長して行った。  射撃訓練を受けられるのは、ミュートでもごく僅かのものだけだ。その枠に入り込んだと聞いた時には、さすがに俺も驚いた。  しかも、永心家の血筋であるにも関わらず、腰が低く人当たりが良いため、あっという間に社内の人気者になっていた。 「おー、頼んだ。ミチ、色々教えてやってくれ」  俺が心配だからと、ビムを部下に任せてこちらの手伝いに来ていたミチも、和人をこき使うことが出来るとあって、楽しそうにしていた。 「りょうかーい。雑用のスペシャリストに育て上げるね」  そう言って、キスを投げて行った。 「田崎さん、捜索に出たメンバーのツールや通信機器と、こちらのシステムの連携の確認、全て終了しました。問題ありません」 「了解。江里さん、しばらくそのまま監視をお願いしますね」 「はい。わかりました」  ミュートスタッフの仕事の重要なものとして、現場に出た能力者を遠隔からサポートするというものがある。これは、ケアに関わることがないミュートがシフトを組む方が合理的なので、能力者は担当外になっている。  センチネルには、遠見能力や耳聡さがあったとしても、人やモノを操作をすることは出来ない。ガイドは、戦闘能力が高いけれど、離れた戦闘には向かない。  そうなると機械操作や通信能力に長けたミュートが必要で、俺の役割はそれに当たる。ここで黙って待っているわけではなく、ここから戦闘に参加する。それが、うちのミュートスタッフのスタイルだ。  銃撃などの殺傷能力の高い訓練は、選ばれた者しか出来ないが、防御能力を高めるための訓練は、等しく全員が受けている。 「ここのガード担当は、今日は日野くんですか?」 「そうです。日野くんは、今ちょっと席を外してます。どなたかがお見えになったそうで……監視の件は、私がまとめますので、ご心配なく……」  日野くんは、柔道の有段者だ。ここへ来てからもさまざまな格闘技に精を出し、今や戦闘スタッフとしてはリーダー格にまで成り上がっていた。  入社当時は、狭い世界でもてはやされていたからか、自分を過信しているところがあったが、数年前にリーダーに抜擢されてからは、それもなくなったように見える。  ただ、ややお人好しで騙されやすい。何よりも、人に心酔しやすいところがある。そこを、蒼がずっと心配してはいた。サポートにつくスタッフが優秀なので、そこは彼も成長するものとして期待するしかない。 「江里さん、あなたは銃が使えましたよね? 一応、携帯しておいてください。もし、ここで何かあった場合は、俺と江里さんしか銃が使えませんので」  江里さんは、銃の訓練を受けてはいるものの、現場に出たことは数回しかない。俺も、出来れば使用させることはしたくない。ただ、事務所内だからと言って、何も起きないとは言い切れない。  冷静なタイプの人間には、前もって事態を把握しておいてもらいたかった。 「そう……ですか。わかりました。では、準備して参ります」  江里さんがそう言って席を立ったタイミングで、ちょうど日野くんが戻ってきた。何やらいつもより、目をキラキラと輝かせている。隣に誰かを連れているようで、その人を江里さんに紹介していた。  すると、江里さんの顔色が変わった。明らかに青ざめていく。そして、俺の方へと視線を向けると、目で信号を送ってきた。 『不審者あり』  俺がそれに『了解』と返すと、拳銃保管場所へと猛ダッシュして行った。 ——不審者……。誰を連れてきたんだ、日野くん……。  カツカツと響くヒールの音、シャラシャラと擦れ合う軽い金属の音。  おそらく、女性だろう。  二人分の足音が、出入り口で止まる。ドアが開かれたその時、俺は思わず目を疑った。 「お、大垣美津子……」  今現在、能力者スタッフが血眼になって探している人物が、それを知らされていないスタッフだけで運営している事務所に現れたのだ。 「お疲れ様でーす! みなさん、ちょっと驚くお客さんですよ!」  日野くんの元気のいい声が、事務所内へと響き渡った。ミュートのスタッフは、基本的に能力者に起きた出来事を、積極的には知らされていない。ただ、数人のスタッフは、事件の報道を見ていて知っていたのかもしれない。 「大垣さん……亡くなったんじゃなかったんですか?」 「大垣さん?」  数人のスタッフが、懐かしそうにその名前を口にして、彼女へと駆け寄っていく。大垣さんは、どのスタッフにも分け隔てなく接していて、かなり好かれていた。中には涙目になり、再会を喜ぶものもいた。  能力者に関する報道は、時折ミスリードを誘うために、恣意的に誤報を流すこともある。だから今も、彼らは、大垣さんは何かの作戦のために死んでいたことになっていただけで、実際は生きていたのだと思って話しかけているはずだ。 ——今、確保を呼びかけても、おそらく誰も動かないな。  そう思って、俺は対処に手をこまねいていた。  和気藹々とした雰囲気の中、どう動くかと思い悩んでいた。そこへ、あの二人が戻ってきてしまった。  入り口のドアが開け放たれたままであったため、ケータリングの準備が整ったことを報告しに、和人が走って戻ってきた。そして、その勢いのまま中へと入り、正面から大垣美津子に対峙してしまった。  あまりに想定していなかった事態に、和人は完全な思考停止に陥ってしまったらしい。こぼれ落ちそうなほどに目を見開いたまま、硬直してしまった。 「かあ……さん?」  そのまましばらく彼女をじっと見つめると、次第に様子がおかしくなっていった。体をゆらゆらと動かして、小さく独り言を言い始めたのだ。 「え……? どうして母さんがここに? え、いや、違う……。母さんは、死んだんだ。そう、死んだんだよ。お葬式したんだから、間違いない」  和人はずっと、小さな声でそう言い続けていた。  あまりにも大垣さんにそっくりなのだ。事前に聞かされていたとはいえ、動揺しても仕方がないだろう。俺も、なんと声をかけていいものかわからずにいた。 「和人ー? 早くみんな呼んでよ。料理冷めちゃう……」  そこへミチが戻って来た。ケータリングで温かい食事を用意したにもかかわらず、みんなを呼びに行った和人が一向に戻ってこないため、痺れを切らしたのだろう。  中に入ってきて、呆けている和人を見て驚きつつ、「どうかした?」と声をかけた。その、一瞬だった。 「きゃー!」  大垣美津子は、ミチの腕を掴んで引き寄せると、その喉元にナイフを突きつけた。そして、そのまま引き摺るようにして、ケアルームの方へと近づいていく。 「止まれ!」  ちょうど江里さんが銃を構えて戻ってきた。それを見たミュートスタッフが、悲鳴をあげながら事務所から飛び出して行く。日野くんは、自分が何をしたのかを理解出来ないまま、その場に突っ立っていた。 「江里さん、私に銃を構えるなんて、どうかしたんですか?」  江里さんは、その声を聞いて不快そうに顔を顰めた。眉間に寄ったその皺の深さが、本物の大垣さんへの敬愛の念の深さを物語っていた。 「……何者なのか知らないけれど、晶さんのフリをしてここへ潜入するなんて許せない!」  その言葉に、和人の目が力を取り戻した。江里さんがはっきりと別人だと言い切ったことで、和人の目が覚めたようだった。 「その人を離してください。あなたの娘さんは、そんなことをする人じゃありませんでしたよ」  俺が銃を構えて大垣に声をかけると、じっとりとした視線をこちらへ投げかけてきた。そして、鼻で俺を笑うと、ミチのほおをスッとナイフで切った。 「いっ……!」  ミチは、そのまま暴れもせず、黙って成り行きを見守ろうとしていた。ここで暴れれば、自体は悪くなるということをわかっているのだろう。  それがわかっていたとしても、そうそう出来ることではない。やはり、ミチの胆力はすごいものがある。 「晶ねえ。素晴らしい人だったらしいわね。でも、死んだんじゃ意味がないでしょう? せっかく女になれたのに、灰になったらわかんないじゃない」  その言葉に、トランスジェンダーであるミチが切れた。和人から、大垣さんがトランスジェンダーで、長年苦しんでいたことを聞いていたミチは、自分に重ねていたところがあった。  それまでは静かに耐えていたものの、その苦しみを知らない人物がバカにすることは許せなかったようだった。突然、大垣の襟首を掴み、殴りかかろうとした。 「なんてことを言うのよ!」  そして、その拳がふりあげられた瞬間に、事務所内が真っ白になるほどの閃光が走った。それはまるで、戦場で経験するような大きな爆発の予兆だった。 ——もしかして……! 「やめろっ!」  俺は隣に立っていた和人を抱きしめ、後ろへと引き倒した。和人は、燃えるような目をして、大垣を睨みつけていた。今にも噛みつきそうな、肉食獣のような牙を剥いていて、明らかに普段とは様子が違っていた。 「江里さん、逃げろ!」  俺がそう叫び、和人と共に後ろに倒れ込んだ瞬間、事務所は轟音と共に白煙を巻き起こす大爆発に巻き込まれた。

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