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第27話 ニセモノとホンモノ
「きゃー!」
轟音と共に、その場にあったものの大半が吹き飛ばされてしまった。ここはガラスのほとんどが防弾ガラスであるため、割れて飛び散らなかったことだけは幸いした。
ただし、その分逃げられなかったエネルギーが集中していった場所がある。それが、大垣とミチがいた場所だった。
「ミチ! 大丈夫か!?」
もうもうと立ち昇る白煙の向こう側に必死に目をやっても、姿は全く見えず、声も聞こえなかった。俺は興奮状態の和人を抱えていて、どうしてもそのまま放っておくことが出来ずにいた。
真っ赤な目、狭まった瞳孔、見開かれた瞼。そして、眉間に刻まれた皺の深さと、口から覗く牙状に見える八重歯。もちろん、牙が生えてくるわけはなく、八重歯がそう見えるほどに、強く歯を食いしばっているということだろう。
「和人! 聞こえてるか? 和人!」
俺が隣にいて、体を拘束しているにも関わらず、振り解いて走り出しそうなほどに興奮していた。
「どうしたんだ、お前」
どうやら正気を保てていないようで、俺の声は全く耳に届かない。今の爆発が何によるものなのかがはっきりしていない以上、自由に動かせるわけにはいかず、どうしたものかと思案した。
——麻酔針を打つか……。
和人とパートナーの証として、指輪をしている左手の薬指の付け根付近には、もう一つ指輪がある。それは、ミュートの俺が誰かに突然襲われても逃げられるようにと、会社から支給されている防犯グッズだ。
暴漢に襲われても対処できるようにと、強めの麻酔が仕込んであるその指輪のロックを解除する。解除方法は、歯で圧力を加えること。俺の奥歯には通信機器が埋め込まれている。俺がこれを噛み締めると、翠と蒼にSOS信号が飛ぶようになっている。
——大垣はここにいる。早く戻って来てもらうためにも、今はこれが一番有効だろう。
そう判断して、指輪を噛み締めた。金属に圧力が加わった瞬間、奥歯からジリッと振動が頭に伝わる。これであいつらには連絡がついたはずだ。そして、同時に僅かに飛び出した麻酔針を確認すると、和人の首にそれを刺した。
「うっ!」
一瞬呻いた和人は、そのままぐらりと体を揺らし、俺の腕の中で頽れた。
「興奮状態から一気に落としたから、後が心配だな……」
それでも、大垣とミチの状態を確認しなければならない。特にミチがどうなったかが心配だ。
大垣はセンチネルになっているはずだから、爆発の衝撃やそれが起きそうな状況は察知出来ていただろう。だが、ミチはそれが出来ない。まともに爆発の影響を受けていたら、この有様だと命も危ないかも知れない。
——まだ前に進み始めたばかりだ。死なせたくない。
俺の胸には、その思いが強くあった。
「ミチ! 大丈夫か!?」
俺は、ケアルームの前の廊下の突き当たり部分に、人影が見えるのを確認した。念の為に銃を構え、ゆっくりと近づいていく。
白煙が落ち着くに連れ、そこに人が倒れているのが見えてきた。
そこに倒れていたのは、大垣美津子だけだった。大垣は突き当たりの壁に頭をぶつけたようで、血を流して倒れていた。目を閉じ、だらりと腕を垂れた状態で横たわっている。
近くへと走り寄り、呼吸や心音を確認した。生きていることを確認すると、その手に手錠をかけ、菊神さんへと連絡を入れた。
「……田崎です。こちらへ向かってますよね? 爆発に巻き込まれて一人意識不明です。対応お願いできますか?」
『了解。状況は私が見て部下に指示をしよう。……他に何か問題があるんだろう? 声が震えているぞ。君らしく無い』
「え?」
そう言われて、初めて自覚した。確かに、俺は震えていた。全身が小さく震えていて、心は恐怖に埋め尽くされそうになっている。
——また、置いていかれるのかも知れないって思ったからか。
それは、恋人の身に起きたことが、全く理解出来ないからだった。何が起きたのかがわからなければ、身の安全も保証できない。過去に婚約者を失った経験のある俺にとっては、和人が傷つくことは耐え難い苦痛だということだろう。
どれほど誤魔化そうとしても、それには無理があった。
「和人が……サイコキネシスを発動したようなんです。でも、あいつは今ストレンジャーのはずですよね? こんなことが起きると思っていなかったので、少し動揺しまして……」
『和人が? ……君はくだらない冗談は言わない人だ。だから信じるしかない。ただ、それが本当だとしたら……。とにかく、急いで上にあがろう。待っていてくれ』
「わかりました」
俺の返事を聞き終わらないうちに、菊神さんは電話を切った。長年バースの研究をしている菊神さんでさえ、想定外だったのだろう。俺は、麻酔薬によって眠っている恋人の身を案じて、ため息を零した。
「お前まで、俺を置いて逝かないでくれよ」
そう呟いて拳を握った。そして、そばにいてあげたい気持ちをそれで殴りつけるようにして鎮め、ミチを探すことにした。
大垣へと目をやると、その隣にあるケアルームの扉が破損していた。その部分が少しだけ開いていて、強度が落ちていたらしい。完全に閉まっていれば、今の爆発くらいでここの建具が壊れることは無いはずだ。
そこは、ケアルームの中でも最も小さな部屋で、軽いケアを行う専用の部屋になっている。そのため、鍵は常に開けてあり、出入りが自由になっていた。
スライドドアが変形してはいるものの、開かないこともないようだ。俺は隙間に両手をかけ、思い切り力を込めて一気に扉を開いた。
ガーっという音を立てて扉が開き、それと同時に「きゃっ!」という短い悲鳴が聞こえた。中を覗くと、ミチが肘を押さえてうずくまっていた。
「ミチ!」
「田崎さん……」
いつもなら俺に飛びついてくるのだろうけれど、ミチは肘を切りつけられていたようで、その傷を抑えたままうずくまっていた。顔には困惑の表情が広がっている。
「大丈夫か?」
膝をつき、その傷の上にハンカチを巻き付けて止血した。手を傷より上に上げるために、ソファの近くへと移動させる。肘掛けに腕が乗るようにしてやると、「ありがとう」と言って微笑んだ。
「痛むか? すぐ研究チームが来るから待ってろ」
「うん。ありがとう……ねえ、さっきの人どうなった?」
ミチの右頬には、大垣に切られた傷もあった。それは思っていたよりも浅かったが、それにしても顔に傷をつけられたという事実に、少なからずショックを受けているようだ。その傷に触れながら、大垣を罵るのかと思いきや、口にしたのは意外な言葉だった。
「ねえ。あの人、本当に悪い人なの?」
眉根を寄せて、つらそうに俺を見るミチの目は、そう言いながらさらに困惑の色を濃くしていった。俺はミチが何を言いたいのかが全くわからず、うまく答えられずにいた。
ミチは、社会的弱者として夜の闇の中を必死に生き抜いて来たことで、自然に身についた洞察力を持っている。
能力者にも悪い人間はいる。そういう奴らに騙されて傷つき、やり返そうとすればセンチネルに見抜かれ、ガイドに返り討ちにされる。金持ちや悪い男に踏みつけられながら、上手い立ち回りを覚え、必死に生き延びたタイプだ。
だから、人を利用するような人間には、特に敏感だ。そして、人の命に価値を見出せない人間にも、高度なセンサーを持ち合わせている。低レベルなセンチネルよりも、ミチの方がよほど聡い。
「お前の目には、大垣は悪い人間に見えないってことか? ただ、実際に誘拐教唆の疑いがあるし、今だってお前を傷つけたじゃないか」
俺がそういうと、ミチは「何か理由があるんだと思う」と呟いた。そして、急に立ち上がると、肘の傷を指さした。
「これね、あの人が私をこの部屋の中に突き飛ばした時に、ナイフが当たって出来た傷なの。刺されたわけでも、切りつけられたわけでもないの。しかも、あの人、私を突き飛ばす前に『あなたは池本に狙われてる。逃げなさい』って言ったのよ。それ、どういう意味?」
「それ、本当か?」
俺にも訳がわからなかった。今聞いた話が本当なら、大垣はミチに警告をしに来たことになる。それだけのために、わざわざ敵の本丸へと乗り込んでくるのだろうか。
「じゃあお前は、大垣がお前に警告をするためだけにここに来たっていうのか?」
「それはわからないけど……なんで私を選んだのかと思って。ここにはミュートはいっぱいいたじゃない。センチネルなら、人質に取るくらいなら簡単に出来るでしょう? 私、こんなだけど男だし……もっと細身の女性もいたじゃない」
「確かに……」
そう言われればそうだなと思った。
ミチは小柄で細身だけれど、成人男性だ。大垣美津子は初老の女性だ。力の都合を考えても、入り口付近にいたミュートの女性を狙うのが一番効率がいいはずだ。
それなのにミチが入って来た時に、ミチを選んで腕を引いた。つまり、最初からミチを選んでいたことになる。
「そのことは、俺たちがこれから調べる。とにかく、お前も研究所へ行って治療を受けろ。大垣は頭を打っていて、意識がない。和人も俺が眠らせてる。今すぐに心配することはないはずだから、少し休め」
「……わかった」
納得がいかないといった表情で俯いたままのミチを、背中に手を添えてあげながら事務所の方へと連れ出した。ちょうどそこへ菊神さんがやって来たため、大垣と和人のいる位置を伝え、部下にミチを連れて行って貰うようにした。
「もうすぐ翠たちが帰ってくる。そしたら、研究所で話そう。いいな?」
「うん、わかった。和人のこと、よろしくね」
ミチはそう言うと、和人に目を向けた。眠っている和人は、いつも通りの穏やかな顔をしている。さっきまでの興奮した表情はすっかり収まっていて、それを見てミチも安心したようだった。
菊神さんに頭を下げると、大人しく研究所の方へと連れていかれた。
「……サイコキネシスが発動したと言っていたな。もしかしたら、ガイドの力が戻ったのかも知れない。詳しく検査をしておこう。大垣も頭を強く打っているから、向こうで詳しく検査をしておく」
菊神さんは、和人の状態を確認しながらそう言った。ふと廊下を見ると、大垣は既に搬送されていた。指示も行動も早いメンバーが揃って来てくれたようで、爆発後のチェックも滞りなく進んでいく。
「ストレンジャーがガイドに戻るなんてことが、現実的にあり得るんでしょうか」
俺の疑問に、菊神さんは腕を組んで思案顔になった。そして、ふっと小さくため息を吐くと「わからない。ただ、経緯を考えるとあり得なくもない」と答えた。
「……和人がストレンジャーになったのは、イプシロンの高濃度リキッドを注射されたからだよな?」
「はい、そうです。翠が打たれそうになったのを、身を挺して庇ったんです」
「それなら、そのイプシロンが不良品だった可能性が高いな」
そう言いながら、和人の髪を指で梳いている。
彼女は、和人がアメリカにいた時に養母をしていた。我が子のように育てた和人の身に、次々と降りかかる問題を苦しく思っているのだろう。
「この子は、インフィニティとエースの子だ。エースの力は、体がバラバラになっても修復できるほど強かった。その子供でガイドとして生まれたのだから、力は強かっただろう。不良品のイプシロンを打たれてもその力は完全に消されず、マスクされただけだった可能性が高い。そして、不良品の薬の効果が切れたことで、元に戻ったのかも知れないな」
「エース……照史さんのことですか?」
そう尋ねた俺に、ふっと笑みを浮かべて菊神さんは頷いた。
「そうだ。蒼くんは現在世界最強のガイドだが、照史氏が生きていれば、足元にも及ばない。ただ、彼はレベルを上げようとも認定を受けようともしていなかったから、それを知っている人間は少ない。彼が、世間にはミュートだと偽って生きていたのは知っているだろう?」
「ええ。一般的には今でもミュートだったと思われていますよね」
「そうだ。それはセンチネルを飼い慣らしているという世間の声を考慮してのことだった。ただ、何もしないとガイドの能力が高い彼は、無意識にいろんな人へ影響を与えてしまう。だから、イプシロンを飲んで力を抑えていた。エースの力であっても、私が作ったイプシロンであれば、能力が戻ることはあり得ないだろう。だが、和人が飲んだイプシロンのリキッドは、白崎製薬で作られていた模造品だろう? 能力を消滅させるのでなく、マスクさせただけなのなら、効力が消えれば力は戻る……」
「しかし、これまで全く復活の気配はありませんでしたよ? それなのに、なぜ……」
菊神さんは、苦虫を噛み潰したような顔をした。あまり口にしたいことではないようだ。
「大垣は晶さんのことを侮辱したんじゃないのか?」
「……ああ、はい。そうですね。しました」
「それに対する怒りがきっかけだろうな。和人は誰ともボンディングしてない。でも、この世で一番自分を愛してくれた人はセンチネルだったわけだ。その大切なセンチネルを侮辱されて、ガイドの本能が爆発した。そう考えるのが自然だろうな」
「養母への愛が爆発したということですか?」
「そうなんだろうな。……この子は、とても優しい子だから」
そう言って、また和人の髪を手で梳いた。
和人は、養母の手の感覚を覚えていたのだろうか、僅かに頬の緊張を緩めた。それを見て、菊神さんも嬉しそうにふわりと笑みを漏らした。
「大垣が亡くならないように手を尽くそう。ここで死なれたら、和人は一生悔いるだろう」
やや表情を引き締めてそう言うと、待っていた部下に和人を運ぶように指示を出した。そして、ストレッチャーで運ばれる和人の後をついて、俺たちも研究所へと向かった。
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