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第30話 かえらない2

「私的に利用……? 能力者を、ですか? それだけでも大罪じゃ無いですか。それも、田坂が危険を顧みずにそれをしていたのなら、かなりレベルの高い人物でしょう?」  田崎がそこまで口にした時点で、全員がハッとした。 「う、嘘だろう……」  咲人が震えているのが見えた。激しく動揺している。気がつくと、俺も小さく震えていた。それはそうだろう。俺も激しく動揺しているからだ。  高レベルの能力者で、永心に関わる人物、精神的に問題を抱えていて、すでに亡くなっている人。それは、一人しか思い当たらない。 「もしかして……インフィニティのことですか?」  インフィニティは、大垣一から拷問を受けたことで精神疾患を抱えていた。時折記憶が途切れ、別人格が現れていたように記録されている。そして、その拷問の時にセンチネルの能力を失い、ミュートとして生きていた。  「池内家の人間」としての利用価値が無くなったことで、永心家から追い出され、別のタワーマンションに居を構えて暮らしていた。俺もそこには現場検証で行ったことがある。そこは、インフィニティが飛び降りた場所でもあったからだ。  その時思っていた。照史おじさんが月に一度会いにくるくらいで、ここで精神を病んだ人間が一人で生活をすることが、果たして可能なのだろうかと。  その間、照史おじさんが会いに行かない時には別の雇用主……、つまり、田坂の命を受けてセンチネルとして働いていたと言うことなのだろう。それなら、田坂の方の人間がインフィニティの生活の面倒を見ていた可能性が高い。 「じゃあ、センチネルの能力は消えていなかったんですか? 俺たちが見たミュートとしての姿は、イプシロンによるマスクが機能していた時だけで、それが消えれば元に戻って働いていたと……」 「そういうことです。そして、未散(インフィニティ)本人はそのことを知らない。センチネルとして働いている間は、人格が別に作られていた。催眠のようなものだそうです」  それを聞いて、ハッとした。そうだ、インフィニティの遺書を見せてもらった時に、そんなことが書いてあった。 『何をしていても思考が定まらず、気がつくと知らない場所にいることも増えました』 「インフィニティ本人が、記憶が曖昧で困っていたらしいことは、遺書に書いてありました。俺はそれを見せてもらえたので……間違いないです。それは、田坂の催眠の影響だったんですね」 「あの、じゃあ拷問が原因で精神疾患があったというのも虚偽報告なんですね? 本当は何も問題がないのに、病気の人として扱って、しかもそのことで永心家からも追い出させて……。さらに国際法規を無視して、最高峰のセンチネルを私的に利用していた……なんて酷いんだ。永心からも田坂からも利用されて、小さい頃には、親からは捨てられてて……。本人はいつもただ必死に生きていただけなのに。彼女自身は一度も曲がることなく、まっすぐ直向きに生きていただけじゃないですか……」  蒼は話を整理しながら、静かに怒っていた。ここ数年の事件を思うと当然だ。田坂のして来たことは、あまりにもインフィニティに対して酷すぎる。  全てを犠牲にしてでも、照史おじさんとの愛を貫こうとしていた野明未散という人間の尊厳は、永心拓史(たくじ)によって奪われ、池内大気として生きていた尊厳は、田坂竜磨(りゅうま)によって奪われていた。 「これが公表されれば、田坂は国際的に処分されることになります。日本の政治家なんて、国際センチネル保護法にかかれば無力ですからね」  明菫はそういうと、長く息を吐いた。  その場の全員が口を噤んだ。無音がその事実の重さを語っている。田坂がこの事実の漏洩を恐れているとして、明菫とミチをどう保護するかと考えた時に、ふと疑問に思うことが浮かんだ。  ただし、その答えも同時に浮かんだ。だから俺はそれを聞かなかった。こういう時に、デリカシーのない確認を引き受けてくれるのは、いつも田崎だからだ。 「あなたは、それを以前から知っていたんですよね? では、なぜそのことを永心家に報告しなかったのですか? あなたは永心家の親族でしょう?」 「それは……それを悔やんでいるんです」  そう言って、明菫は項垂れた。  俺にもその気持ちが伝わる。咲人もそうだろう。視覚が、嗅覚が、聴覚が、明菫の後悔の信号を拾う。  目に宿る後悔の色が濃い。悔やんで、悔やんで、悲しんだ形跡のある視線がこちらを見ていた。体からも後悔の匂いが立つ。もちろん、後悔に縮む筋肉の音が聞こえる。  それは、センチネルだけにわかる、痛いほどの叫びだった。 「明菫さんは、多英おばさんを苦しめていた二人を……照史おじさんと野明未散を恨んでいた。だから、田坂の考えを知っても、二人を苦しめられるからと思い、黙って協力した。そういうことですよね? そして、それが誤解の上に成り立っていたから激しく後悔している……合っていますか?」  俺はそう確認しながら泣いていた。明菫から伝わる悲しみが、重たくて痛かった。  知らなかったという言葉では済まされない犠牲がある。それでも、真実を隠した人間が被害を被ったのだから、そこは仕方がないのだと言える部分もある。  この問題だけは、一様に語れない難しいことだとこの場の皆がわかっている。それを、どうしても伝えたかった。 「あなたは何も知らなかった。永心照史と野明未散が愛し合っていて、多英おばさんは多英おばさんで愛する人と結ばれるように約束されていた。そのことを知らなかった。その事に関しては仕方がない。ただ、気に入らないことがあると相手を痛い目に合わせようと思う気持ちがいけなかったんです。そうではなくて、苦しんでいる人に話を聞いて、本当の意味で助けてあげれば良かったんですよ。その発想を持てなかったことが、あなたの罪です」  俺がそう言葉をかけると、明菫は声をあげて泣き始めた。既に何度もしているであろう後悔を、わざわざまたここでさせる俺たちだって酷い人間だ。それでも、命がかかっている。  たとえ非道だと思われても、少しでも明らかに出来ることはしていかないといけない。俺は、心を鬼にした。 「申し訳ありません。少々言いすぎました。……ですが、もう一つ確認させてください。イプシロンが時限性マスクだったということは、田坂がインフィニティに仕事をさせた後、永心家の人間に会う前に、もう一度イプシロンを摂取する必要があるはずです。それをしていたのは、誰ですか? 鈴本ですか?」  明菫は変わらず声を上げて泣いていた。それでも、誰も俺を止めようとはしなかった。ミチでさえ、その答えを待っていた。明菫本人も、俺の問いには答えようとしている。  しゃくりあげながらも、必死に答えようとしていた。そして、「しら、ない」と答えた。 「知らない? でも、創薬に関わった人間にしかそんなことはさせないでしょう? もしかして、息子の池本にさせたんですか?」  すると、今度は明確に被りを振ってそれを否定した。 「池本は……口が軽い。そんな危険を犯すわけはない」 「じゃあ、誰が……」  俺が明菫にそれを問い詰めようとした時、入り口のドアをノックして人が入ってきた。 「それは、僕が先ほど聞いてきたよ。ここで説明させてもらえるかな」  優しくて丸い響きの声が、そう言った。  その声に、その場にいた人間が一斉に振り返ると、そこには、澪斗さんと父さんが並んで立っていた。

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