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第31話 僕には出来ない
「その人物の話をする前に、今下で騒ぎが起きているのは気がついてる?」
父さんがドアを閉めながら、後ろを警戒しているのが見えた。爆発の件を言っているのなら、田崎から報告はしてるはずなのに、何をそんなに警戒しているのだろうか。
俺がそう訝しんでいると、澪斗さんがそれに気づいたようで、こちらに向かってタブレットを提示してきた。それはうちの会社の支給品で、おそらく翔平のものだと思われる。
カバー部分に特徴のある柄が入っているから、遠目に見てもわかる。なぜそれを澪斗さんが持っているのだろうか。
「これは、翔平くんが下で撮ったものなんだけど……君たちの端末にも送られていると思うよ。これを見て緊急性が高いと判断したらしくて、晴翔に電話をしてくれたんだ。で、晴翔が僕に連絡をくれたんだけどね。まあ、慌てるよね、こんなの見たら」
そして、ディスプレイにある画像を表示してくれた。
そこには、VDSとは別に俺と蒼が個人的に使用しているガレージが写っていた。鉄平と翔平は学業と並行して任務に当たっているため、移動が楽に済むようにと蒼のバイクを貸している。それを戻しにここに立ち寄ったのだろう。そのバイクが、隅にちらりと写っていた。
「ここを見て欲しいんだけど……。次のものが、さっき丸く囲んであった部分を拡大したものになるんだ。それが……」
澪斗さんがそのバイクの画像の次に「これ」と言って見せてくれたものには、輪止めの向こうに三人の人影らしきものが写っていた。俺はそれを見て思わず小さな悲鳴をあげてしまった。そこに写っていたのは、自分にそっくりな人物の遺体だったのだ。
「なっ……なんですか、これ! なんで翠にそっくりな遺体が……。あれ、これ……。翠じゃなくて、翠のお父さん? あの剥製にそっくりだ。それに……田崎! これ、今村さんじゃないか!?」
「今村さん……?」
田崎は澪斗さんから手渡されたタブレットを見て、はっと息を呑んだ。そして、顔を顰めて小さく「今村さんだ」と呟いた。
今村さんは、佐倉 課長(虹川 陽一)と沖本 (灰野 )に利用された可能性が高く、その行方がわからなくなっていた。その今村さんが、遺体で発見された。人員配置をした田崎は、胸を痛めたようだ。
「今村さん……現場に派遣しなければ、こんなことにならなかったかもしれないのに……」
蒼も同じ気持ちなのだろう。あの時、俺が能力を失っていたから、今村さんは蒼とペアを組んでいた。センチネルの今村さんを守れなかったことは、ガイドとしては辛い。二人とも言葉を失い、項垂れてしまった。
「ねえ、ちょっと! そういうのはこの会社のセンチネルとして働くことを選んだ時点で、覚悟してるもんでしょう? ていうか、あなたたちもこういうの承知の上でやってるんじゃないの? それに、今はそれどころじゃないはずよ。落ち込むのは、全部終わってからにしてよ。私たちまで死んじゃったら、あなたたち立ち直れなくなるんじゃないの?」
ミチが田崎に向かってそう叫んだ。それに明菫も頷いた。そして、澪斗さんの方へと近づいていくと、「ちょっとすみません」と言いながら、ディスプレイの今村さんを指差した。
「この方、双子ですか?」
突然の明菫 の質問に、田崎は一瞬答えに窮したようだった。
しかし、明菫はワンマンで人の気持ちが理解しづらい性質はあるものの、あまり場違いな話をするようなところは無い。この質問に対する答えは、今必要な情報なのだろうと判断したようで、「いや、今村さんには兄弟はいないはずだ」と答えた。
すると、明菫はやや首を捻り、顔を顰めた。
「じゃあ、ここに写っているのは誰でしょうか。この方と違う箇所から血を流しています。でも、顔が同じじゃありませんか? 体型が少し違うから、鏡に写っているわけでもなさそうです」
そう言って、翠にそっくりな男の遺体の隣を指差した。その姿を見て、田崎がまた息を呑んだ。
「これは……あの紙袋に虹川の匂いがついていた日の今村さんと同じ服装だ。でも、確かにこちらの今村さんと比べると体型が違う。骨と筋肉が男性だ。そうだよな、翠」
田崎が俺のスーツを掴み、乱暴に自分の方へと引き寄せた。普段あまりそういうことをしないのだが、この日に虹川陽一を取り逃したことを悔やんでいる身としては、見過ごせなかったのだろう。異様に興奮しているようだった。
「……そうだな。確かにこれは生物学的には男の体だ。それに、どこにも女性になった手術痕が無い。つまり、この人は男性の体を持ち、女性の服装をしている人だ。それに、俺もあの日少しだけ顔を合わせている。ちらっと見ただけだったから、それ以上のことはわからないけれど、服装は間違いなくこれだった」
「澪斗さん、これはどういうことですか? 三人の遺体。そのうちの一人は翠にそっくりの人物、あとの二人は今村さんと今村さんになりすました人物。それが、インフィニティにイプシロンを打ち続けた人物と、どう繋がるんですか?」
蒼が澪斗さんに訊ねると、澪斗さんの澄んだ瞳が一瞬暗い光を覗かせた。それは、深い悲しみとやるせない思いが入り混じったもので、その色が濃くなるにつれて、澪斗さんは震え始めた。
「こんな……こんなことを望んでいる人がいたことが、僕には信じられない。そんな人と少しでも血が繋がっていることが、とても嫌だ。人としておかしいだろう、やっぱり」
苦しそうに絞り出したその声は、悲しげに客間に響いた。そして、澪斗さんはその場に頽れたかと思うと、両手を床に着き、額をその間に擦り付けるようにした。
代々続いた政治家家系の現当主が、人前で土下座をしている姿に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「兄さん! 何をしているんですか!? なんで土下座なんて……」
土下座をする澪斗さんに驚いた咲人が、駆け寄って立ち上がらせようとした。それを察した父さんが、「咲人さん」と言ってそれをやめるように嗜めた。
「どうしてですか? 兄が何をしたというんです!」
咲人は澪斗さんをとても尊敬している。長年、人間の汚い部分を見ながら育って来たにも関わらず、本人はずっと曲がらず腐らず、真っ直ぐに生きて来たからだ。
だから、その澪斗さんが、土下座するようなことをするわけがないと信じきっている。それは、俺も同じだった。父さんだってそうだろう。だとしたら、この土下座の意味を教えてもらわないと何も始まらない。
「澪斗さん、この三人を殺めた人物と、インフィニティにイプシロンを打ち続けていた人物が同じなんじゃないですか? あなたはそれを知っていたから、ここへ来たんですよね?」
「えっ!?」
咲人は反射的に俺の言葉に反応すると、俺に掴みかかってきた。
「どういうことだ、翠。兄さんが、犯人を隠してたって言いたいのか!?」
兄を侮辱されたと思ったのか、その手を緩めようとしない。俺も、相手が相手だけに、その気持ちがわかるだけに、振り解くことが出来ない。仕方なく野本に視線を送ると、それに目で応えてくれた。大きな体を揺らして、ゆっくりと咲人に近づいていく。
「咲人、少し落ち着こう」
「でも!」
「翠さんが澪斗さんをそんな目で見るわけがない。今、咲人が勝手にそう口にしただけだよ」
「だって!」
「咲人。ほら、こっちに……」
その大きな手で精一杯の威嚇を続ける小さな咲人を支えると、そっと俺から引き剥がしてくれた。その野本の手の温もりに気が緩んだのか、咲人は急に大人しくなると、素直に俺から離れていった。
「……隠してはいない。話を聞いたのは、ついさっきだ。でも、言われてみればそうだったかもしれないと思うことはあった。それを今まで見て見ぬ振りをしていた。そうするのが正しいと思い込んで逃げていたんだ。そこは僕の甘さだ。それを否定する気は無い。それに……」
抱えきれなくなった思いがあるのか、頭を下げたまま堰を切ったように話し始めた澪斗さんの声は、涙に濡れていた。そして、子供のように鼻を啜り、しゃくりあげながらも必死に言葉を繋ぎ始めた。
「あ、あの人、は……さ、三人を、あ、殺めて。命令、され、て。こ、今度は、田坂を……田坂と、し、心中を……」
父さんが澪斗さんを後ろから抱え、体を起こした。澪斗さんは父さんの体に縋りつきながら、泣き喚きたくて仕方が無いといった表情を見せる。それでも、俺に伝えたいことがあるようで、俺の目をしっかり見つめていた。
「翠、くん。おね、お願、い。止め、て。彼を……。池内を。も、これ以上、は……」
引き付けを起こしそうなほどに泣きながら、澪斗さんは俺にそう願い続けた。ただ、俺も出てきた名前に驚きすぎてしまって、言葉がない。理解が及ばずに、何も答えることが出来なかった。
「池内? 池内って永心家の執事さんたちですよね。どなたのことですか? あ、でも、名前が無いんでしたね……」
田崎がそう呟く。そう、永心家に使える男性センチネルは、池内と名を変えて死ぬまで仕えることになっている。その業務内容は、政治家秘書、隠密行動、そして性処理だ。
人として扱われないため、池内に入る時に全員が名前を奪われる。それでも、中には名前を持つことを許される者もいる。そういう人たちは、皆投手の寵愛を受ける愛人として扱われる。
「あの人には、ある。名前が……ある。拓史お爺様が、与えていた。そっ、そのことにっ、疑問を……持つべきだったんだ!」
澪斗さんは、そのまま子供のように大きな声をあげて泣き始めた。父さんはそれを抱きしめて宥めている。その場にいるものたちが、それぞれ池内の誰なのかと思案していると、明菫が立ち上がった。
「もしかして……執事長かい? 彼は最古参だろう? それに、確か拓史叔父さんにとても可愛がられていたはずだ。池内は皆当主の愛人だけれど、あの人は特に大切にされていた。だから名前を貰ってる。未散もそうだろう? 池内になっても大気という名前を照史さんに与えられていた。池内で名前がある者は、当主の妻と変わらないくらい大切にされる。それなら、彼が田坂を狙う理由が永心家のためだと言われれば、納得できる。でも、その三人を殺す必要があるかい? そこだけは理解できないよ」
「そうですよ……何かの間違いじゃ無いんですか?」
咲人が澪斗さんに問いかけると、澪斗さんは思い切り被りを振った。そして、「直接聞いたんだ。執事長が僕に、直接話した」そういうと、突然俺につかみかかろうとした。
もちろん、俺に危険が及べば蒼が間に入る。澪斗さんの両手を、蒼が掴んで止めた。
「ダメですよ、澪斗さん。ゆっくりお願いします。相手はセンチネルなんですから」
そう言って優しく嗜めると、話の邪魔にならないようにと、またすぐにその場を離れた。
「そうだね、蒼くん。さすがガイドのトップだ。ありがとう」
澪斗さんが恥ずかしそうに「僕はやっぱりダメだね」と言うと、蒼は眉根を寄せて被りを振った。蒼のその様子を見て、澪斗さんはクスリと笑った。
少し落ち着いたのだろう。俺の方へと再び向き直ると、しっかりと頭を下げた。
「翠くん、池内を止めてあげてくれ。僕には……僕には出来ない。ダメだと言えなかった。拘束すればよかったのに、出来なかった。彼が……拓史お祖父様にされてきたこと、田坂にされてきたことを思うと……あまりに不憫で」
そして、「お願い……お願いします」と言いながら、また泣き崩れた。
俺は、澪斗さんのそんな姿を見る日が来ようとは思いもしなかった。
——あの強くて優しい澪斗さんが、ここまで必死になるのなら……。
俺はその気持ちに応えたい。
俺がこの年まで無事に生きてこれたのは、蒼のおかげだ。それは間違いない。でも、その土台を作ってくれていたのは、照史おじさんと澪斗さんだ。その恩を返す日が来たのだろう。
「……わかりました。でも、罪は罪で償ってもらいます。それは納得してもらえますよね? それなら、殺人を犯す前に……」
「違うよ。殺人じゃ無いんだ。池内は無理心中をしようとしてるんだよ。自分をいいように利用した田坂を、それでも愛している自分が許せなくて、一緒に死のうとしてるんだ」
「……心中? 愛してる? どういうことですか?」
咲人が頭を抱えていた。俺も全く同じ気分だった。永心拓史の寵愛を受けていた執事長が、田坂を愛しているとはどういうことだろう。
「……澪斗さん、執事長との話をきちんと教えてもらえませんか? あまりにも話が見えません」
あまりに周囲が状況を掴めていないことが伝わったのか、澪斗さんは深呼吸をして気持ちを整えようとした。俺の問いかけに、小さく頷くと、涙を拭いて立ち上がる。
父さんがそれを支え、澪斗さんをソファへと座らせた。隣に寄り添い、手を繋ぎ、澪斗さんの気持ちが落ち着くのを待っている。
「澪斗、大丈夫? ごめんね、ガイドの回復にはセンチネルは役に立てない。でも、俺の体温が少しでも伝われば、不安は和らぐだろう?」
そう言いながら背中を摩っている。澪斗さんは、目を閉じてそれを感じ取りながら、何度かしっかりと頷いた。
「うん。ありがとう、海斗さん。みなさん、みっともない姿を見せて申し訳ない。うん、今から執事長……池内幹俊 さんが教えてくれたことを話すよ」
そう決意すると、父さんの手を握り、ゆっくりと話し始めた。
澪斗さんが語った池内幹俊氏の物語は、インフィニティにも匹敵するほどの悲しい話だった。
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