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第32話 池内幹俊

◆◇◆ 「あっ……ぃやっ。ダメです、だめ。旦那様っ……」 「なぜダメなんだ? お前は今潜入から戻ったばかりなのだろう? しっかりケアしないとあとが大変だ。ほら、もっと深いところまで癒してやるから、来い」 「あっ、あっ、あああー!」  ……いつからだろう。こうやって、若いセンチネルが潜入から戻るたびに、旦那様がその男を抱くのを見ていなければならなくなったのは。  抱かれている方は、私が育てた優秀なセンチネル。池内の者。大切に大切に育てて来た愛する息子のような彼らを、毎日のように目の前で、私の愛する男が抱いている。  それが始まって以来、私には一切触れることは無くなった。その代わりに、私が現場へ出向くことも無くなった。完全な教育係として、ここに留まることを命じられている。  永心家に仕えるセンチネルは、本来そういうものだ。それを悲しいと思っている私がおかしい。そもそも旦那様には奥様がいらっしゃる。愛するお子様だって、照史様という坊っちゃまと、純香様というお嬢様がいらっしゃる。  私など、ただの秘書で執事でしかない。 「池内、あとは頼んだぞ。風呂に入れて、綺麗にしてやれ」  彼の中から引き抜いた熱の塊からは、色のない糸がたらりと垂れていた。私はそれを見て、思わず喉を鳴らす。いけないとは思っても、体がそれを期待してしまう。  目が離せなくなって、思わずその場に立ち尽くしてしまった。旦那様はそんな私を見て、長く嫌気のさしたような息を吐き出された。その目には、鋭く強い光を宿していた。 「池内。 ……そんな汚い目で見るな。萎える」  そして、横たわるもう一人の池内の体を転がすと、うつ伏せに組み敷いた。彼はもう眠りに落ちていて、乱暴に扱われても気がつけない。拓史様は、その中へと一気に挿入っていった。 「んああああんっ!」  強い快感が襲ったのか、相手が突然目を覚まして大声で喘ぎ始めた。私はまたそれをその場で見ているように命じられた。  静かな離れの和室に、青年の喘ぎ声がこだまする。その音に混じって、気が狂いそうなほどの嫌悪感を吐き出そうと、必死に息をする自分の音が聞こえた。 ——どうしてですか? 「あ、んっ! だ、旦那、さまぁっ!」  体がぶつかるたびに、粘りついて離れていく液体の音が耳を襲う。それは何が鳴らす音なのかを、私は知っている。 『拓史(たくじ)ぃっ! そんなに出さないで……あとが大変だってば!』 『だって……我慢できない。幹俊(みきとし)、もっと……』  そうやって狂ったように愛し合っていたのは、まだ数ヶ月前のこと。  拓史。俺たち、ずっと一緒にいるためにこの家を作ったんじゃ無かったか? お前が俺を離したくないと言うから、俺はタワーでの要職も捨てて、ここへ来たのに。  あんなに、朝晩求めてくれたのに。あんなに優しい目で見てくれたのに。あんなに優しく口付けてくれたのに。 『幹俊。愛してる』 ——じゃあ、どうして俺を置いていくの。  拓史様のことをそんな風にしか考えられなかったから、バチが当たったのだろう。全てを知った頃には、気がつけば私は田坂の奴隷になっていた。 ◆◇◆ 「池内幹俊は、拓史お祖父様に特に可愛がられた愛人として知られてた。でも、僕は父と池内のことはわかっていたけれど、お祖父様と幹俊執事長のことには全く気が付かなかった。その事に疑問を持つべきだったんだ。小さい頃からガイドだった僕が、二人の間に何かがあれば気が付かない訳がない。意図的に二人が僕に隠していたんだ。何度かうっかり二人の心の声を聞いてしまったことはある。でも、お祖父様からも執事長からも、お互いに対する愛情みたいなものを聞き取ったことは一度もなかったんだ」  蒼が配ったコーヒーを飲みながら、澪斗さんは悲しげに目を伏せた。父さんはずっと澪斗さんの背中に手を当て、孤独を募らせないようにと気遣っている。 「さっき聞いた話だと、二人は学生の頃からの知り合いだったみたいなんだ。まだ永心が曽祖父の代の頃の話で、それほど家の決まりも厳しくなく、池内も存在してなかった。それどころか、どうやら池内は幹俊さんのために作られた制度らしいんだ。考案したのはお祖父様だった」 「学生の頃からの知り合いのために、池内を作った? あの制度で救われるような関係だったということは、二人は恋人同士だったってことですか? 父さんとインフィニティみたいな関係だったってことですか?」  咲人が訊くと、澪斗さんは穏やかに微笑んで頷いた。 「知り合ってすぐに恋に落ちたみたいでね。学生時代からの友人たちは、みんな知っていたそうだよ。全く隠さずにお付き合いしていたみたいでね。お前たちなら結婚出来そうだなって言われてたらしい。それでも、お祖父様はやはり家を継ぐ人だったから、女性との結婚だけは避けられなかった」  若く愛し合った二人が自由に結婚出来ない状況に陥り、打開策として生まれたのが池内という家だったと澪斗さんは言う。あの制度は、人を人とも思わない酷いものだと思っていたけれど、元々は恋人を大切にしたいから始めたものだったのだ。 「秘書と執事を兼ねることで、日常生活なら二人がずっと一緒にいられるようにしたんだ。お祖母様も、それを承知の上で結婚されたみたいだよ。本当に父さんと同じことをしていたんだね。おかしな話だと思ったよ」  澪斗さんは呆れたようにふっと息を吐いた。「そこまでなら、いい話なんだけどなあ」と寂しそうに呟いた。 「……それなら、幹俊さんが田坂の愛人をしていたのは、拓史おじさんからの命令だったということかな?」  明菫がそう訊ねると、澪斗さんは「いえ、それが違うんです」と大きく被りを振った。それには、重い悲しみが滲んでいた。 「幹俊さんは、ある日を境にお祖父様からぞんざいに扱われる様になりました。そして、その頃から潜入などのセンチネルとしての仕事も全て奪われている。それがいつ頃かと言われると、ちょうど父さんが生まれた年でした」 「子供が出来たら、産めない愛人はいらなくなったってことですか?」  吐き気が出ると言わんばかりに、語気を強めてミチが訊く。澪斗さんは、それを見て目を細めた。 「ううん、違うよ。信じられないんだけどね、その逆だったんだって」 「逆? 逆って……え、全く意味がわからないんですけれど」  ミチがそういうと、「僕もわからない」と言って澪斗さんは笑った。どうやら幹俊さんから説明は受けたけれど、どうにも納得がいかないようだ。困った顔が、その考えを受け入れることを拒んでいる。 「お祖父様は、生まれた父さんを見て、子供というものはこんなにも素晴らしいものなのかと感動したらしいんだ。そして、同時に気がついた。自分たちには、それが叶わないという事実に」 「いや、だからそういうことでしょう? 何が違うんですか?」  ミチは、爆発しそうなほどの勢いで澪斗さんに噛みつこうとしていた。ミチは、出産出来ない体に生まれてきたことが、自分の人生でいちばんの不幸だと思っている。この話題は地雷だ。 「お祖父様は、幹俊さんに何も残してやれないんだということに気がついたんだよ。自分には子供がいる。でも、幹俊さんにはいない。自分が一緒にいる限り、彼には家族がいない事になる。それで本当にいいのかと悩み始めたらしい」 「……それで、悩んだからってなんでぞんざいに扱うんですか?」 「ミチさん、ごめんね。この話題どうしても避けられないから……。幹俊さんはね、幼少期に能力が芽生えた。だから他のセンチネルにもいるように、親に捨てられて児童養護施設で育ったんだ。お祖父様は、このままだと彼に家族はいないまま、その生涯を終える事になるのかと思って、怖くなったんだそうなんだ。ただ、それを言っても幹俊さんは別れないだろうと思って……。彼を抱くのをやめた。センチネルだからケアしないといけなくなるから、そうしなくていいように、現場に出すのもやめた。そうこうしているうちに……なぜかお祖父様が狂い始めたらしい。他の人との行為を、彼に見せつける様になったそうだ」 「えっ!?」  部屋にいる者、全ての口から驚きの声が漏れた。センチネルが、ケアもしてもらえないのに、目の前で自分のガイドが他のセンチネルをケアするのを見せつけられる……? そんな恐ろしいことがあるなんて、と一様に青ざめていた。 「酷い……幹俊さんは何も言ってないんでしょう? 自由にしてくれとかそういうこと。なのに、じーさんは一人で勝手に盛り上がって、勝手に狂っていったんですか? しかも人とするのを見せつけられて、自分は被害者ぶって……バカじゃないの!?」  興奮したミチが、澪斗さんに掴みかかろうとするのを、明菫が抱き止めて阻止した。ミチだって、澪斗さんが悪くないのはわかっている。でも、もし自分がそれをされたら……と、人に寄り添う優しい気持ちが、どうにも怒りを収められ無くしてしまうのだろう。 「なんでよ! そんな、出来ないことを考えて苦しむくらいなら、死ぬまでずっと大切にしてあげればいいだけじゃない! どうしてそんな変な発想に流れていくのよ……。池本といい、じーさんといい……金持ちはバカばっかりなの!? まっすぐ勝負しないからこうやっていろんな人を巻き込むのよ。あー腹たつー!」  大きな声で喚き散らすミチとは対照的に、澪斗さんは優しく微笑んでいた。そして「本当だよね」と呟くと、その穏やかな笑顔に一筋の涙を流した。 「どうしてそう出来なかったんだろうね。ただ、相手に伝えればいいだけだったし、そうすれば二人で話し合うことだって出来たんだ。そこから逃げたからこんなに大変な事になってしまって。本当にバカだよ」 「でも、それがどうして永心家に在籍したまま田坂の愛人になるという話になるんですか? それと、忘れてはいけませんよ。この話は、池内幹俊が可哀想というだけの話では済まされないんです。人が三人亡くなっていますから」  田崎の冷静な声が響いた。場の空気が一瞬にして凍った。そうだ、忘れてはいけない。この話の延長線上に、三人の命が奪われた事件がある。いくら池内が可哀想であっても、だからと言って三人の人を殺めたことに変わりはない。  こういう時、田崎のような者がいると助かる。全員が本来の目的を思い出した。澪斗さんも冷静さを取り戻すように深呼吸をして、再び話し始めた。 「お祖父様が幹俊さんをぞんざいにし始めてからしばらくして、永心家での会食の時に田坂が近づいたんだ。その会食の直前にも、幹俊さんはお祖父様から他人との性行為を見せつけられたばかりだった。泣いていた幹俊さんを見つけた田坂が、彼を唆したんだよ。『可哀想に。このままここで飼い殺しにされるくらいなら、俺の愛人にならないか』って。そして、一緒に永心家を潰そうって言われたそうだ」 「……田坂の格好の餌食だったわけですね。でも、いくらなんでもそれにのるなんて浅はかじゃないですか? しかもそれからもずっとうちにいたでしょう? なんで出ていかなかったんですかね」  咲人は、話がどう転んでいくかわからないからか、ストレスを逃すために野本の膝に座っていた。その状態でも、やや震えながら話を聞いている。  身内の恥を晒す事にもなるこの話を聞くには、純粋な咲人には耐え難いものがあるようだ。正直なところ、俺も聞くに耐えない。元々拓史氏は嫌いだったけれど、もっと嫌いになりそうで吐き気がしていた。  そして、野本も咲人が心配なのだろう。普段なら真っ赤になるはずのその顔は、現場に出ている時のように冷静だった。その状態で、状況を推理していく。 「……それで考えられることは、幹俊さんがスパイとして使われていたということですよね。私が永心家に出入りする様になってから、過去にそういう騒動が何度かあったと聞いたことがあります。永心の情報が、田坂に漏れている可能性があるという噂でしたね」  それでも、誰も執事長が田坂のスパイだとは思わなかったようで、毎回全てが有耶無耶になっていたらしい。拓史氏もそれを追求しようとせず、池内家ではその話は御法度とされていた。 「そうやって情報を渡していくうちに、拓史氏が進めていたプロジェクトが頓挫することが増えていった。そうこうしているうちに田坂が与党第一党の政治家に上り詰めた。その日を境に、今度は田坂からぞんざいに扱われる様になったらしい。それも、相手をしないというものではなく、捌け口に使われ始めた。暴力を受け、また奴隷の様に扱われる日々が続いた。それを機に、田坂の元へ通うのをやめたそうだ」 「やだー! 悍ましい! そんな奴しかいないの!? 政治家って」  ミチが自分を抱きしめる様にして腕をさすりながら、心底いやそうに叫んだ。それを聞いていた澪斗さんは、「本当だよね」と悲しそうに同意した。 「どうしてだか、国を良くしようとする人は、みんな自分を守る方へと堕ちていく。かといって、やる気がない人はずっと無い。どうしてもうまくやる気を継続することが難しいみたいだね。僕だって、いつまで正気でいられるかわからないもの」 「それで、通うのをやめたのなら、なぜあの三人は……」 「うん」  澪斗さんは、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲み、ごくりと喉を鳴らした。そして、重たいため息を吐き出す。

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