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第33話 鳳凰の美しさ
「田坂の隠し子の池本が薬物騒動を起こして捕まっただろう? 明菫さん、あなたも一緒に。その後、田坂だって無傷ではいられなかったんだ。だから幹俊さんを使って、相手をコントロールしながらスポンサーを増やすっていう行動に出た。センチネルが同行すれば、契約は簡単にまとまる。相手の好きなものや嫌いなものがわかりやすいからね。その度に昔のことを餌にして呼び出された。そして、その度にとても大切にされたんだそうなんだ。それが、今度は田坂への歪んだ愛情を生み出した。もちろんそれも、田坂の計算だよ」
それを聞いていた明菫が「うっ!」と声を上げた。そして、がっくりと頽れる。突然のことで周りが驚いていると、ミチが明菫を抱きしめて宥め始めた。
「……大丈夫。続けてください。多分、幹俊さんと環さんが重なったんだと思います。……そして、田坂が自分と重なったんでしょうね。相手の恋心を利用してたっていうところが……。今はそれをすごく後悔してるから、ちょっと辛くなっちゃったかなー? 過ぎたことを考えても仕方がないよ! 悪いのは池本だったしね」
ミチはそう言いながら、明菫の背中をポンポンと叩いたり、優しく撫でたりしていた。似たようなことをしたとはいえ、明菫は苦しむほどに後悔していても、田坂にはそれがない。そこが決定的に違う。
愛されたくて戻ってくる幹俊氏に、田坂は最後まで汚れ仕事を頼み続けた。
「じゃあ、その流れであの三人の始末まで頼んだってことですよね」
「……そうだね。田坂はエネルギー事業で永心家が進めようとしてる小規模発電のプロジェクトを止めたがっていた。そのために虹川 と灰野 を使って鹿本一未 さんを誘拐した。ただ、それが按司地 の真壁 さんの婚約者だったことで、ことが単純に運ばなくなった。真壁さんの弟の鉄平くんが永心家に関わってるからね。加えて虹川と灰野が暴走したことで、収拾がつかなくなった。だから、二人を殺害するようにと幹俊さんに命令した。今村さんは、本当にただのとばっちりだったみたいなんだ。流れ弾が当たって亡くなったそうだよ」
「でも、命令されたからって殺さなくても良かったでしょう? どうせ兄さんに話したのなら、殺す前に言えば良かったんですよ」
咲人がそう言うと、澪斗さんは優しく被りを振った。そして、俺と咲人の肩に手を乗せると、「君たちを守ったんだよ」と呟いた。
「俺たちを? どういうことですか?」
「僕ね、訊いてみたんだよ。幹俊さんに。なぜ今頃になって、その話を僕にしてくれたんですかって。そしたらね、父さんのために役に立って死にたいからだって言われたんだ」
「照史おじさんのために、ですか?」
「うん。幹俊さんは、田坂に使われながらも永心家を出ていかなかった。そして、当主が拓史 お祖父様から父さんに代わっても、ここに止まった。その父さんの時代に、思い知らされたんだって。本物の愛の強さ、本当の能力の素晴らしさ、そして、自分という人間の情けなさをね」
「あの執事長が、情けなさを感じてる?」
驚く野本に、澪斗さんはクスリと笑った。
「まあ、相手が父さんだからね。パートナーはインフィニティだし。性別を変えて、制裁に自分の子供を代理母出産してもらって、そのことを隠したまま子供と一緒に暮らして。徹底して自分達のことを明かさなかった。何が起きても、二人は番であろうとし続けた。あの二人と自分を比べると、なんて弱かったんだろうって思ったんだって。それからは父さんの下で頑張ってきた。それでも、欲に負けて田坂の元へ通って……。でも、父さんが死ぬ時に、幹俊さんに言ったらしいんだよ。永心家のセンチネルたちを頼んだよって。父さんは、咲人がセンチネルであること、翠くんがインフィニティの甥であることを、幹俊さんに明かして亡くなったんだ。その信頼に応えるためにどう生きるかすごく考えたって。それからずっと、身の振り方を考えてたらしい」
「でも、その後も田坂のところに行ってたんでしょう? 結局は裏切り続けてるじゃ無いですか!」
確かにそうだ。照史おじさんが亡くなってから、もう二年以上経つ。そして、幹俊が殺した人のうち、今村さんはうちのスタッフだった人だ。VDSは永心家がスポンサーとして付いている。つまり、永心家の邪魔をしていることになる。
ただ、さっき澪斗さんが言っていたように、今村さんの死が事故だったのであれば、その話も変わる。そうなると、今のところ実害は無いのかもしれない。
「幹俊さんが田坂のところに出入りして、何か情報を漏らしたとして、被っている実害はなんですか?」
「これまでのことなら、鹿本さんの恋人が鉄平くんのお兄さんだと知られたことが一番大きかったかな。小規模発電はこれからの時代に必要だから、一未さんを誘拐するヒントを与えてしまったのは問題だったね。でも、一未さんを保護する様に促したのも幹俊さんらしい。だから、実害は無いと言えば無い」
「それで、俺と翠のためっていうのは……?」
「それはね、虹川と灰野がプラチナ・ブラッドをまだ手に入れようとしてたからだよ。田坂は儲けのために欲しい、虹川と灰野は、ただ性癖を満たしたい。でも、それで咲人と翠くんが命を失う可能性が高くて、その前に……と思ったらしい」
俺の体を、冷たい感覚が走り抜けた。あの二人なら、やりかねないと思ったからだ。実際に、俺は一度血を抜かれている。あの時、蒼が目にした未使用の血液を保存するためのパウチの量は、尋常じゃなかったらしい。
あれに全部、俺の血液を抜いて保管しようとしていたのなら、俺は間違いなく死んでいた。咲人が捕まっても、同じ目に遭っていたかもしれない。
しかも、咲人はインフィニティとエースの子供だ。最高峰の遺伝子を継いだセンチネルの血液は、研究試料としてはかなり貴重なものだろう。捕まったら最後、本当にミイラになっていたかもしれない。
「でも、捕まえれば良かっただけでしょう? 殺す必要なんて……」
「いや、あったかもな。あいつら、何度も脱獄を手配してもらってて、顔も変えながら生きてきてた。それだけ田坂にとっては、利用価値があったんだろ。また姿を変えられてたら、俺たちは安心して暮らせなかったと思うぞ」
「そうなんだよ、咲人。俺たちも対応に困っていただろう? 捜索はしていたけれど、見つけてからどうするか決めきれてなかった。警察にもタワーにも、田坂側の人間はいる。それを見かねて、幹俊さんは殺害したんだ。彼自身が病気をしていて、もう余命が僅かだからと言われて何の躊躇いも無くなったと言ってたよ。そう言われると、何も言えなかった」
「そんな……どうせ死ぬからいいってことですか? なんか、それって……」
咲人は眉根を寄せて唇を噛み締めた。自分のために大罪を背負った人が、もう助からないと知る。やるせない気持ちが心を重くしているんだろう。俺も同じだった。
相手は悪人だとはいえ、殺してくれてありがとうとはとてもじゃないが言えない。でも、その行いを軽蔑する気にも批判する気にもなれなかった。
「じゃあ、せめて……田坂を殺すのは止めましょう。人を殺そうとするのを見過ごすことは出来ません。それも無理心中なんて……」
そんな終わりを迎えようとしている人を知って、何もしないでいられるほど俺は無神経ではない。田坂を狙うとわかっているのであれば、田坂を張ればいい話だろう。
「僕ね、それ違うと思ってるんだ。彼は僕にそう言ったんだけど、きっと彼はまだ拓史お祖父様のことを愛しているはずだから」
「俺もそう思います」
田崎が澪斗さんの意見に賛同した。澪斗さんは、田崎を見ると悲しげに微笑んだ。そして一言「どうして?」と返した。
「自分が幹俊さんをぞんざいに扱えば、田坂が幹俊さんに手を出す。弱っていた彼は田坂へ寄りかかって、永心へ不義理をする。でも、スパイをするなら永心は出ていかず、身の安全は一応保てる。そして、照史氏に代が変われば、彼が田坂の陰謀は全て潰してくれると踏んでいた。さらに、田坂と幹俊さんの間に何があろうとも、幹俊さんは、最後は必ず永心を守ってくれると信じていた。その全てが、拓史氏の計算なんでしょう?」
澪斗さんは田崎の考えに「そうだね、僕もそう思うよ」と答えた。そして「そんなことを考えて生きている人の孫であることが、最近特に恥ずかしいんだ」と言った。
澪斗さんのその反応を見て、田崎は一瞬何か思うところがあったらしい。意外そうな顔をして、やや考え込んでいた。
「澪斗さん。もしかして、ご存知ないですか? これはこの件とは全く関係なく、ただのゴシップなんですけれど。田坂は、自分の愛人同士に子供を作らせることがあるらしいんです。目的は自分の兵隊を増やすためです。薬物騒動で捕まった池本は、そのうちの一人だったはずです。それで、これは俺の想像ですが……。拓史さんは、もしかしたら、幹俊さんに子供を持つチャンスを与えたかったのかもしれませんよ」
「……え?」
澪斗さんは、田崎の言葉を聞いて、目を見開いたまま動きを止めた。今田崎が口にしたことは、永心につながりのある人間なら、およそ想像だにしないようなことだったからだ。俺も心底驚いていた。
——永心拓史が、そこまで人のことを考えるか?
照史氏とインフィニティの悲恋を考えても、拓史氏はいつも極悪人だった。仕事上でも常に評判が悪く、利己主義で強引な男としての評価を受け続けていた。
ただ、照史おじさんの例がある。世間では、永心照史といえば、泣く子も黙る極悪人の政治家だった。辣腕を振るい、目的を果たすためなら、何でもする男だと言われていた。
「言われてみれば、照史おじさんだって、世間の評判とは全く違ういい人でしたよね。その父親なんだから、無いと言い切るのも違うかもしれません」
澪斗さんはソファ唐滑り落ち、床にぺたんと座り込んでしまった。その顔には、憑き物が落ちたような安堵の表情が浮かんでいた。言葉を発せず、ただ黙ってハラハラと涙を流している。
「澪斗?」
父さんが心配して澪斗さんの顔を覗き込むと、澪斗さんは父さんに飛びついてキスをした。溢れた感情が止められないのか、何度も絡み付いては唇を寄せていく。
「ど、どうしたの?」
驚いた父さんが、澪斗さんの肩を掴んで問いかけた。澪斗さんは、また子供のように泣きじゃくっている。
「……さっき幹俊さんもそう言ってた。拓史は、本当は優しい人だって。父さんが……亡くなる前に、幹俊さんにそのことを伝えたらしいんだよ。田崎くんの言う通りなんだ。お祖父様は、幹俊さんに子供を作って欲しくて田坂へ近づけたみたいなんだよ。でも、でも僕はその話を信じられなくて……。ただ自分の計算通りに人を動かして楽しんでる、嫌な人だと思ってたから。田崎くんには信じられたんだね。……僕はバカだ。人を見る目がなさすぎる」
父さんにしがみついて泣きじゃくる澪斗さんを見ていると、何だか力が抜けてしまった。俺は、蒼の手を取り握りしめた。そして、その愛おしい体温を感じながら澪斗さんへ告げた。
「澪斗さん。言われてみれば、インフィニティと照史おじさんのスピリットアニマルは、鳳凰でしょう? 鳳凰という鳥は、良い君主がいる時代にしか現れないんですよ。鳳凰と共に生まれた子供がいるということは、その親が良い君主だということになるんです。でも、永心家は悪者になりたがる人ばっかりです。隠すのが上手なんですよ。俺だって拓史さんは嫌なやつだと思ってましたから。その心の美しさに気がつけなくても、仕方がないんですよ。俺だって、今でもあの人がいい人だなんて思えませんよ」
「翠くん……」
「世界最高峰のセンチネルが気がつけないんじゃ、一端のガイドには分かりませんよ。さあ、澪斗さん。ここで泣いてる暇があったら、幹俊さんを止めましょう。心中じゃ無いにしろ、田坂を殺そうとしていることには間違いはないんでしょう? 田坂の屋敷に向かったんですよね?」
蒼の問いかけに澪斗さんが頷くと、それを見た田崎は、そのままタワーに連絡を入れ始めた。
「VDS田崎です。殺人の意思を表明している人物が田坂議員を狙っています。うちから人員を出しますが、そちらからも応援をお願いします。はい、詳細は……」
誘拐から始まった事件の黒幕を捕まえるために、そして、哀れなセンチネルにこれ以上の殺人を犯させないために。利用された人々を、安らかに眠らせるために。
「田坂と永心の因縁を終わらせようか」
長い年月を経て徐々に狂ったベクトルを、正しい方向へ戻すために、俺たちは田坂邸へと潜入することになった。
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