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第34話 最後の勤め

 和人が吹き飛ばした事務所の隣室に、役員だけが使うスペースがある。そこは、役員専用の武器庫だ。俺たちはまずそこへ向かい、銃の点検をすることにした。  もちろん普段から安全に使えるように準備はしてある。だから、これは出発前の儀式のようなものだ。チェックが全て終わらないと持ち出せないようになっているので、どれだけ急いでいてもこの時間は削れない。 「翠、スーツ替えた? 当たらないだろうけど、一応着ててくれよ」 「おう。防弾仕様に替えた。相手の本丸だからな。潜入っていうか、ほぼ突撃だもんな……。田崎、タワーはもう着いたのか?」 「いや、遅れてるな。多分、田坂からも連絡が来たんだろう。あっちの情報だと、俺たちがテロリスト扱いかもしれないからな。ところで、翠。テッショーどうする? 連れて行くか?」  翔平と鉄平は成人したばかりだ。ここから先の人生を考えると、判断に迷いが出る。 「今回はかなり危険だ。ここで働くと決めているとはいえ、まだ三年目だぞ。待機させたほうが……」 「何言ってんだよ。連れて行くぞ」  俺と田崎がテッショー二人の将来を考えて、事務所待機にしようと決定しようとしていたところへ、蒼が異議を唱えた。  いつもはどちらかと言うと、蒼が保守的な意見を言う。それなのに、今回は最初からそのつもりは無いと言わんばかりの表情をしていた。 「連れて行くのか? 池本の時とは違うぞ。今回は、田坂の自宅だ。SP気取った殺し屋だっているだろう。命の保証ができないんだぞ?」 「何言ってるんだよ。だから連れていくんだろう? 俺たちがいる時にこういう現場を経験させておかないと、経験が積めないじゃないか。もちろん死ぬ気で守るよ。今一緒に行ってないと、俺たちが引退した後に自分たちだけでこんな現場に出たら、すぐ死んでしまうじゃないか。なあ、鉄平」  蒼が部屋の奥にあるカーテンの向こうに声をかけると、武装用の黒スーツに身を包んだ二人が出てきた。その顔は、いつになく真剣で、緊張の色が隠せていなかった。 「……うす。俺もそう思います。俺は特に警察でセンチネル交渉課に行くつもりなので、どうせこういう現場に行く事は増えます。今から生き抜くために指導してもらいたいです」  そう言って、しっかりと頭を下げた。その姿に、大きな成長を感じる。  池本のことで現場で大立ち回りを繰り広げたのは、もう二年前だ。それからはずっと、のんびりした事件対応とマッチングばかりをしてきた。  久しぶりに出る潜入が、いきなり銃を持ち出すようなことになって、緊張しないわけがない。それでも鉄平は、震える手をぎゅっと握りしめ、語気を強めて言い切った。 「兄貴と一未さんが巻き込まれましたし、この件の解決を指を咥えて待つことは出来ません」 「それに、ミチも巻き込まれた。和人も。そして、晴翔さん達のお母さんが利用されていたなら、俺も黙ってられません。力になりたいです」  鉄平の腕に絡みつくように甘えている翔平が、目をギラリと光らせてそう言った。こんな可愛らしい顔をしている翔平だが、スピリットアニマルは虎だ。そのペアである鉄平もそうだ。  二人とも普段は惚けてぼんやりしているのだが、喰らいついたら離さない鋭くて大きな牙を持つものらしく、怒らせると相手が完全に降参するまで執拗に追いかける。  翔平はVDS二番手の能力の持ち主だし、鉄平はそれに見合うガイドになるために、俺の元で扱かれ続けている。 「心配しなくても、二人ともちゃんとやれるよ。俺が直接戦闘訓練積んでるしね。三人できっちり翠を援護するよ。あ、今回は田崎と江里さんもね」 「……よろしくお願いします」  翔平の後ろから、ミュートの中でも射撃訓練を受けている江里さんが出てきた。田崎の顔を見ると、深々とお辞儀をする。 「江里さん、今回はいつも行ってもらう場所とは危険レベルが違います。本当にいいんですか? 今日死ぬ可能性が高いんですよ?」  普段、ミュートが現場に出ることはほぼない。ただ、江里さんは銃が使えるので、時々護衛の応援要請があった場合は手伝ってもらうこともあった。その程度の仕事では、実際に発砲することはほぼない。  しかし、今回は十中八九発砲する。そして、自分が直接狙われる可能性もある。その分、命の保証がされにくい。江里さんは、それを聞いても、全く怯むことがなかった。 「それでも、行きます。大垣さん親子を翻弄した田坂議員が許せません。私は、大垣さんに憧れていましたから。彼女の命を奪ったのは、インフィニティと真野涼輔ですが、インフィニティが大垣さんを付け狙ったのは、薬物の影響なんですよね? だとしたら……その諸悪の根源は田坂です。絶対捕まえる」  その意気込みはかなりのもので、放っておくと田坂を撃ち殺しそうな勢いだった。田崎が苦笑いしながら、「田坂を射殺しないでね」と伝えると、恥ずかしそうに顔を赤ながら「そのあたりは……承知してます」と答えてくれた。その言葉が聞けないと安心できないほどに鼻息が荒かったので、俺もほっとした。 「いいか。いくら極悪人でも、よほどの理由がない限り発砲はしないこと。センチネルが動きを読んで、ガイドが制圧するんだ。そして、ミュートは確保して引き渡し。いいな?」  準備を終え、整列したスタッフたちへと指示をする。いつも以上に引き締まった顔をした彼らの、覚悟の決まった声が返ってくる。 「了解」  VDSは、警察ではない。タワーと警察に協力する探偵業務と警備業務等はあるが、一民間企業であることに変わりは無い。人を裁くのは、あくまで裁判所なのだと言うことを、常にスタッフに意識させる必要がある。 ——まあ、かといって綺麗事だけで済むほど、人間は単純じゃ無いけどな。  俺はその言葉を口には出さずに、心の中に押し戻した。それを平然と口にするようになると、今度はそのハードルが下がっていく。そして、気がついた時には、自分の機嫌次第で平気で人を殺すようになってしまう。  悪人と善人の差なんて、そんなものだ。結局は、その境界線を保つために、どれほど自分を律することができるかにかかっている。 「田坂殺害と、その容疑者池内幹俊(みきとし)の自死を阻止しろ。そして、田坂を能力者の私的利用と薬事法違反で確保、警察ではなく、タワーへ引き渡せ。いいな」 「了解。出発します」  今回は、VDSが正面から田坂の自宅へと向かい、堂々と逮捕を言い渡す。そうすることで、池内が田坂の命を狙うよりも先に身柄を確保出来るようにする。  ただ、そのためには、田坂の周辺にいる警備を全て倒さなければならない。それに、確実に失脚することがわかっているのだから、なりふり構わずに俺たちを殺しにかかる可能性も高い。 「……でも、センチネルが無理心中しようとして、それを止めることは可能なんだろうか」  マイクロバスに乗り込んだスーツの集団は、外から見ると何の集団に見えるだろうか。街中を行く人々には、俺たちが政治家の暗殺を阻止するために出動している人間には、おそらく見えないだろう。  結婚式場の送迎だと思われるかもしれない。黒いスーツを着て、きちんと身なりを整えているからだ。そんな風に、一見するだけでは簡単には辿り着けないことがある。  その少ない情報の中から、多くを読み取る能力を持って生まれたことを、嘆いて生きていたのが俺の十八年間だった。その後の十年は、逆にそれを活かして生きてきた。  ガイドに頼らずとも生きていけるようにと、クラヴィーアの開発に着手して、それも完了した。能力そのものをなくしたがっている人のために、イプシロンも完全型が出来上がった。  それでもまだ、能力者とミュートの間には色々と格差が存在する。 ——それでも、池内家で無い場所に生きることができていたなら……。  どうしても、そうやって幹俊氏の人生を憂いてしまう。 「はい、VDS果貫(かぬき)。はい。……了解。全員銃を携行しています。わかりました」 「池内が田坂を拘束したのか?」  俺が蒼に問うと、「そうみたいだ。発砲許可が出てる」と返ってきた。これで、池内を撃つために逐一許可を取る必要がなくなった。 ただ、その手際の良さに些か虫唾が走る。  これは明らかに、田坂が手を回しているだろう。所詮、タワーも政治家の後ろ盾がほしいものたちの集まりだ。田坂の邪魔をする池内を殺すための口実を作ろうとしているのが見え見えだ。 「捕まってやるから、池内をさっさと殺せってことか。俺たちは殺さないけどな」  俺がそう呟くと、「うん」と蒼は寂しそうに答えた。 「まあ、俺たちが来ることも、もう知られている。田坂は拘束されてて、池内は一緒に田坂の部屋にいる。そこまでわかってるんだ。突入しよう。建物内に爆薬が仕掛けられてないのは、田崎がすでに確認済みだ。先頭にテッショー、そこから江里、田崎を先頭としたミュートの部隊、咲人、野本、後方は俺と蒼だ。事務所待機メンバーは研究所へ集合。あとは状況に応じて連絡する。ミチ、いいな? そっちの指揮を取れよ」 『はーい、了解』  奥歯に仕込んだ無線機から、緊張感の抜けるような返事が返ってきた。現場に来たスタッフは、ミチのその声でいい具合に緊張がほぐれ、おかげでいいパフォーマンスが出来そうだ。 「よし、行け」  俺の指揮で、テッショーを先頭に選抜部隊としての俺たちが田坂の部屋の前まで、走った。今回は繊細な作戦など何も無い。とにかく急いで池内を止めるだけだ。  平屋建ての奥の大きなドアの前に立ち、まず翔平がその中を透視する。 「……翠さん、ここです。ドア正面に二人分影が重なってます。匂いは、田坂と池内のものだけです。……警備とか全然いませんよ」   高レベルセンチネルである翔平は、その名の通りの監視を担当する。翔平には、透視能力があるため、ドアを開けなくてもそこにいる人数がわかる。  はっきりとその姿が見えるわけではないが、サーモグラフィのように熱量の移ろいがわかるため、それと匂いを合わせて状況を判断することができる。  その目で見て、人間が二人以外にいないことが確定された。そして、監視のための機械類が起動していないことは、俺たちの耳が証明していた。 「どういうことですか? これじゃあ、田坂だけ置いて周りが逃げたみたいですよ」  人影一つ、物音一つ何の動きも見られない。能力だけで状況を読むには限界があるようだった。計測してみても、人間の匂いは数時間前を境に急激に薄れている。これなら、どこかに戦闘員が隠れているということもないはずだ。 「……もしかして、執事長が警備を全て殺したのかも知れませんね」  咲人がボソリと呟いた。「それは可能なのか?」と俺が訊くと、「可能です。彼は戦闘レベルがとても高いんです。銃を持たせたら、数秒で五十人ほどを倒せます。見知った場所なら、もっと可能かも知れません」と野本が答えた。 「……それにしては血の匂いがしない。でも、全くしないわけじゃないな」  その時、突入する予定のドアが突然開いた。そこから一人の人影が飛び出してきた。  その影は、次々と翔平の後ろのミュート部隊を気絶させていき、野本の目の前へと迫った。 「……えっ?」  すると野本は、相手を倒すことを一瞬躊躇った。その隙を突かれて、野本は間合いを詰められてしまった。 「野本っ!」  パーンと乾いた破裂音が、広い廊下に響き渡る。言葉にならない叫び声が、一瞬それと同時に弾けた。 「……野本っ! 蒼、いけっ! そいつを逃すな!」  俺が野本へと駆け寄ると、蒼が飛び出した影を追った。あっけに取られた江里さんが呆然と立ち尽くしている。危険なので構えておけと注意しようとしたところ、翔平の前のドアがゆっくりと開いていくのが見えた。 「翔平! 伏せろ!!」  俺の声が響くよりも早く、翔平の後ろに現れた銃口から、一発の銃声が大きく響き渡った。

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