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第36話 金のカフス

◆◇◆  僕がそれを拾ったのは、二年前の父さんの葬儀の後。あのセンチネルに優しい仕様の父の部屋を訪れて、思い出に浸ろうとしていた時だった。僕はベッドに腰掛けて、その先に見える梧桐の木をぼんやりと眺めていた。  その木は、スピリットアニマルを鳳凰に持つ父と母が、生きている間に夫婦になれないのであれば、せめて亡くなってから一緒になろうと約束をした場所。父照史と母未散が、あの木の下に眠っている。  池内大気としてこの家のために尽くしてくれた野明未散が亡くなった時から父が大切に育て、父亡き後は池内執事長が世話をしてくれていた。 ——池内は今日も梧桐に話しかけてくれているんだな。  木肌に手を添えて何か話しかけている。そして、一礼したと思うと、雑草を抜いて水を撒いた。まるで生きている人間のお世話をしているような丁寧さで、執事としての業務をこなしている。  彼は父が小さな頃からここにいる。父が野明未散と出会った日にも、一緒にいたらしい。それからずっと二人の関係を見守っていた。  そして、拓史お祖父様の意向で二人が結婚出来ないことがわかると、それでもどうにか一緒になる術はないかと、誰よりも親身になって二人の味方をしれくれた。二人が離れなくて済むように、出来得る助力は全てしてくれていたそうだ。  そんな関係だったから、あの木のことも大切にしてくれているのだろう、僕はずっとそう思っていた。 「あれ、何か落とした?」  池内が去った後、木の根のあたりに、何か光るものが見えた。池内が落としたのなら、早く返してあげないとわからなくなるかもしれない。僕は中庭へと走った。 「あ、やっぱり。これ……カフス?」  木の根元に落ちていたのは、金のカフスだった。上品に輝く艶からして、かなり上等なものの様だ。池内はいつも家から支給された制服を着ている。こんな華美なカフスを業務中に使うことはないはずだ。 「誰かのものを預かってるのかな? それなら早く渡したほうが……」  そう思って池内を追いかけようとした。すると、向こうから慌てた様子の池内がこちらへと走ってくるのが見えた。僕は、きっと池内はこれを探していたのだろうと思い、そのカフスを持った手を振って「池内!」と呼びかけた。  その時の池内の顔は忘れられない。  真っ赤な顔をしたかと思うと、真っ青になって、こちらが心配になるくらいに狼狽えていた。それでも、何がそんなに池内を動揺させるのかは、あの時の僕にはわからなかった。 「これを探しているんだろう?」  そう言ってカフスを見せると、慌ててそれを奪い取るように受け取った。 「あ、ありがとうございますっ、澪斗様!」  その時、一瞬見えた映像を、僕はさっき思い出した。知りたくもなかった、その映像は、若い頃の田坂が絶頂を迎える表情だった。 ◆◇◆ 「……おはようございます」  軽いノックの音と共に、遠慮なくドアが開かれた。そこには、無遠慮が服を着て歩くと言っても過言ではない永心様が立っていた。ただ、ここ最近はその態度も丸くなり、隣の野本が心配そうに見つめている。 「おはよう。早くねえか? 今何時だよ……」  隣を確認すると、蒼はまだ眠っている。俺は咲人の腕時計を見て驚いた。まだ朝の五時だった。 「……お前、老人にでもなったのか? さすがに早すぎるだろう。まだ眠てーんだけど」  すると、咲人は何も言わずに俺に拳をトンっとぶつけて来た。寝起きのセンチネルを殴るとは、大したもんだ。自分だって朝は大変だろうに、それすら無視するほどのことが心の中で巻き起こっているんだろう。 ——まあ、今日だけは許してやるか。  そう思わざるを得ないほどに、その顔は涙でびしょびしょに濡れていた。こんな早い時間に、いい大人がこれほどの涙を流すことがあるとしたら、それは大体誰かとの別れだ。  今日その知らせを聞く可能性が最も高い人物は、間違いなく二人いた。俺はそのうちの、さらに可能性の高い方の人物の名をあげて咲人に訊く。 「……幹俊さん、亡くなったのか?」  咲人は黙ったまま、ただ泣いていた。まるで叱られたことに納得していない子供の様な顔をしている。俺の腕を握りしめ、悲しげに目を伏せた。野本がそれを見て、咲人の肩を抱き込んだ。 「翠さん、池内執事長は亡くなりました。田坂は意識不明のままです。あの、澪斗さんのサイコキネシス発動については、防犯カメラの映像から、それで間違いないと断定されました。なので今回のことは、正当防衛という判断になりました」 「正当防衛? 相手が意識不明の重体なのに?」  野本は、「咲人、ここに座って」と言って、ベッドサイドのオットマンに座らせた。そして、自分は立ったまま咲人の頭を撫でている。そうすることが、執事長が亡くなってショックを受けている咲人への、軽いケアになっているようだ。  撫で続けていると、咲人の張り詰めた糸がほんの少し緩んでいくのが見えた。野本もそれに気づいたのか、少しだけ気を緩められたようだ。  ただ、それも僅かな時間だけだった。野本は、あの日の自分の失態を、今でも深く悔いている。 「はい。実はあの時、執事長に撃たれて動きが鈍っていた俺を、田坂が狙っていました。澪斗さんは、それを見て、怒りに駆られてしまった様でした。丸腰なのに銃を持った田崎に飛びついて、ものすごい剣幕で怒鳴りながらそれを阻止しようとしたんですよ。しばらく揉み合っていたんですけれど、そのうちに……。だから、最初から殺人の意図があったわけではないと判断されました」 「そうか」と答えていると、蒼が目を覚ました。起きていきなり二人の客がいることに驚いたようで、目を丸くしている。  その慌てた顔が可愛くて、俺は頬にキスをした。そして、間抜けな表情をしている愛しい恋人に、朝の挨拶をした。 「おはよう、蒼。驚くよな、俺も起きたらこいつらいたんだよ。デリカシーがないのは、相変わらずだ」 「お、おはよう翠。咲人、野本、大きな現場の直後に驚かすのやめろよ……下手したら殴っちゃうから」 「悪い。どうしてもやりきれなくて。翠に会いたくなったんだよ」  そう言ってまた俯く咲人を見て、「……幹俊さん、亡くなったのか?」と蒼が訊く。三人とも、それに頷いて答えた。 「田坂は意識不明の重体で、でも澪斗さんは正当防衛だって。詳しくは、後で話すよ。それより、行こうぜ」  俺はそう言いながら立ち上がった。すると咲人がポカンとして俺を見ていた。野本も同じだ。でも、さすがパートナーの蒼は、「了解」と言うと、すぐに喪服へと着替える。 「行くって、どこに?」  俺も喪服に身を包みながら答えた。 「永心家だよ。池内幹俊は池内の者だから、亡くなってからも永心が面倒見るんだろ? 見送るために、と、もう一つは……」 「澪斗さんの説得だよ」と、寝室のドアをノックしながら田崎が入ってきた。咲人はその意味が全くわからないらしく、「兄さんに何を説得するんだ?」と怪訝そうな顔をしている。 「ん? 政治家続けるように、だよ。あの人、このままだと絶対辞職するだろ。でも、あの人にしか出来ないことがたくさんあるんだよ。だからやめられたら困る」  身支度を整えると、田崎からそれぞれがいつも飲んでいるコーヒーを手渡された。俺と咲人はアイスキャラメルラテ、蒼と野本はアイスのブラック。  最近、いつでもホットしか飲まなかった蒼が、夏場はアイスコーヒーを飲む様になった。そういう変化はあったけれど、その他は変わりなく、いつもの俺たちの出発前の日常が戻った。  それぞれ飲むものを受け取り、その紙袋を見て苦笑する。 「それ、見るのも嫌になるのかと思ってたぞ」  俺が揶揄うと、田崎も苦々しげに笑った。そして、早朝で口数の少ない和人を見つめると、目を細めて微笑んだ。 「あのままだとちょっと嫌な思い出になりそうだったから、いい思い出を増やしたくてさ。まあ、弔いの日にはなるけれど、少しでもと思って。敢えて買ってきた」  田崎はそう言いながら、和人の手をぎゅっと握りしめていた。軽口を叩いているが、今村さんが亡くなったことを、田崎はまだ受け入れられずにいる。  きっとこれからも、この紙袋を見る度に思うのだろう。あの日、虹川陽一に気がついていたら、今村さんは死なずに済んだのかもしれない、と。  それでも、俺たちは立ち止まるわけにはいかないから、こうやってトラウマを克服しようとしている。もちろん、今村さんのことは忘れず、できるだけの弔いと家族へのサポートもする。  田崎はいつもこうやって自分で前を向けるようにと頑張れる。その強さは、俺の見習うべきところだ。 「今日が少しでもいい日になればいいな」  俺は田崎にそう声をかけて、ごくりと甘いコーヒーを飲み込んだ。

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