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第37話 壊れる前に
早朝の市街地を抜け、郊外へと車を走らせる。出勤前に運動をして健康管理をしている人が増えたこの時代は、夜遊び明けの若者や夜の仕事を終えた人々に混じって、イキイキとランニングをする姿も溢れている。
彼らは、自分の健康を管理することで、日々を快適に過ごせるように努力している人たちだ。そうやって、自己の努力が継続されることは、とても尊いことだと俺は思う。
そして、それと同じくらいに思うことがある。自分の努力だけではどうにも出来ないことが、世の中には多すぎる。俺もそれを痛感して来た一人だ。
だから、こうやって仲間に恵まれた今を、とても幸せに感じている。パートナーは文句のつけようもなく最高な男で、多くを語らずとも俺をわかってくれる友人、そして俺を慕ってついて来てくれる部下たち。本当に運が良かった。
俺だって、ずっと孤独だったらセンチネルの力を悪用して儲けようとしていたかもしれない。人の弱みを握り、それに漬け込んで、脅して、搾取する。それは楽な生き方だったかもしれない。
でも、それを続けて一体何になるだろう。毎日をただ虚しく消費して、何をしても喜びを感じられなくなるのではないかと、それが恐ろしかった。
おそらく、田坂はそうだったはずだ。あの時、あの場にいた能力者は全員気がついたはずだ。田坂はミュートとして知られているけれど、あいつはガイドだ。それも、かなり低レベルのガイド。
能力を持って生まれたことで期待されただろう。でも、あのレベルはミュートと変わらない。そうなると、周囲から批判されることになる。その心無い言葉は、人を簡単に歪めてしまう力を持っている。
池内の存在は、田坂にとって好都合だっただろう。でも、実は田坂自身が池内に支えられていたところもあったはずだ。そうでないと、二人が抱き合えるはずがないことを、俺たちは知っている。
低レベルのガイドが、自分より高レベルのセンチネルに触れる場合、電撃が走るような痛みに耐えなければならない。池内のボンディング相手のマメンツがあれば、それは防げる。
しかし、池内は誰ともボンディングしていなかった。拓史氏と恋仲にあったとしても、契約はしてもらえなかったのだ。と言うことは、田坂は毎回かなりの痛みに耐えていたことになる。ただの嫌がらせのために、そこまでのことは出来ないだろう。
「田坂ってさあ、幹俊氏のこと好きだったぽいよな」
独り言とも問いかけとも取れるような小さな声でそう呟くと、蒼がニコリとしながら「あー、あれかなり愛してた感じだよね」と答えた。
「……あの顔の合わせ方だけで、そんなことがわかるのか?」
田崎はハンドルを握ったまま、バックミラー越しに俺に問いかけてきた。俺たちが感じたことは、ミュートの田崎にはわからない。でも、俺と現場に行けるほどのレベルの能力者なら、みんなわかっているだろう。ヒシヒシと、肌でそれを感じ取っていたはずだ。
そういうことは時々ある。だから、現場にいなかった和人にも、それを答えることができる。
「レベル差のあるセンチネルを抱くと、ガイド側は相当な苦しみを味わうんですよ。毎回それに耐えていたなら、かなり深い愛情ですよね」
「ああ、そうだったな。ガイドはセンチネルがいなくても生きていけるけど、守りたいセンチネルとの間には色々とハードルがある場合もあるんだよな。でも、田坂の場合は、よっぽど拓史氏が気に入らなくて、何がなんでも嫌がらせしたかったんじゃないのか?」
田崎がそう返すと、和人は目を丸くして「それだけでそこまでのことが出来るとしたら、相当な恨みですよ」と答えた。
「恨み、か。でも、そもそも拓史氏が幹俊氏を家に閉じ込める様になった理由が気になるんだよな。普通の幸せを願うなら、解放してやれば良かっただけだろう。閉じ込めて不幸にし続けるっていう選択をする気持ちが、俺にはわからないんだよな」
俺の言葉に、蒼がぴくりと反応した。そして、悲しげに眉根を寄せて、辛そうな声を絞り出した。
「そんなの、多分拓史氏もわかってないと思うよ。澪斗さんが言ってただろ? 国のためを思っているほど壊れるって。辛いことが多くて、幹俊氏を愛する事が出来た間はなんとかなったけれど、それが出来なくなってからは、ストレスが逃がせなくなって壊れたんじゃないかな。田坂もそうなんじゃない? だって、若い頃ってそこまで評判悪くなかったよね。真面目にやってても報われなくて、気がついたら壊れたみたいだよね」
「そうだとしたらやりきれないな。……でも」
道を間違えた人間の事情には、大体途中くらいまでは同情できる余地はある。ただ、分岐点に差し掛かった時に選ぶ道が間違えてしまう時、人は大体大事なものをすでに見失っている。
その事に気がつけないと言うことは、その道に向いていないと言うことだ。その時点で自己の器量を見定めて身を引くことを、選択肢に入れる勇気を持たなくてはならない。
「それはただの言い訳だ。それで人を壊していいことにはならない。そうなる前に、打開策を練るべきだ。少なくとも、俺たちが進むベクトルは、いつもそっちじゃないといけない」
田崎はそうきっぱりと言い切った。俺と蒼もそう思っている。ただ、時折こうやって同情に流されそうになることがあって、その度に田崎がそれを修正してくれた。
俺たちは、いつも強者の都合の良い理由で弱者を振り回すことだけは容認しない様にしてきた。もし一時的にその道を選ばないといけないことがあったとしても、その場合は一刻も早い軌道修正を図る。
三人だからこそ、それがうまくやれたのだと自負している。このやり方を実現出来たことを、何よりも誇りに思っている。そして、だからこそ、どうしても考えてしまう。
「あの人たちの時代に、うちの会社があれば良かったのにね」
「……って、思っちゃうよなあー」
俺は蒼の肩にもたれかかりながら、大きく長い息を吐いた。考えても仕方がないたらればの中でも、最もくだらないこと。それを思い悩んでしまう。自分たちなら、あの人たちも救えたのではないかという馬鹿げた妄想が、勝手に心をすり減らそうとしていく。
生まれるタイミングが違えば、今のような自分になっていたかどうかもわからないのだ。そんなことは杞憂に過ぎない。
「分からんでもないけどな。まあ、その分、これから先の人たちのために頑張れば良いんじゃねえの?」
「そうですよ」
「だな」
「だね」
そう、少しでも前を向いていくしかない。後ろ向きなことを考え始めたら、それをどうエネルギーへ変えるかを考える。それだけは続けていかなければならない努力だと、俺は改めて自分に言い聞かせた。
「おーし、もう着くぞ。とりあえず幹俊さんに線香上げてから、澪斗さんのところへ行こうか。澪斗さん、部屋にいるんだろう?」
減速しながら田崎が咲人に訊く。咲人は、半ば呆れ顔でため息をついた。窓の外に並ぶ黒いスーツの列を見ながら答える。
「どうかな。一応寝ておくようにとは言ったけどね。運よく大きな損傷が無かったけど、金属片が体に刺さった状態で意識不明だったくせに……。出来るだけ顔を出そうとしてるつもりだったみたいだから」
「車椅子で顔を出そうとしてるようでしたね。一応やめておいたほうがいいとは言いましたけど……」
野本が小さな声で俺に言う。でも、咲人はセンチネルだから、いくら小声で話してもそれは全て筒抜けだ。本人もそれはわかっているけれど、どの人の気持ちも理解できるからか、揉め事にはしたくないらしい。
「大丈夫ですよ、慎弥さん。どうせそんなことだろうと思ってましたし。そうでもしないと、やりきれないんでしょうから仕方ないですよね。それは俺たちが兄さんに寝てて欲しいのと同じような気持ちでしょうから」
俺はその言葉を聞いて驚いてしまった。それが咲人の口から出た言葉だとは、およそ信じ難いほどに殊勝なものだったからだ。
「おお、なんかお前大人になったんだな」
俺の言葉を聞いて、咲人は不服そうに頬を膨らませた。前言撤回。大人はそんな可愛い顔はしない。
「はあ? なんだよ、俺だって一応気遣いくらいできるっつーの」
「いや、したことないだろ? 少なくとも俺はしてもらった覚えはないぞ」
「……いや、お前も仕事以外は酷いもんだぞ」
珍しく蒼が突っ込んだものだから、田崎はハンドルを握ったまま思い切り後ろを振り返って「えっ!? お前だけは庇ってくれると思ったのに」と大声をあげた。それを見て、和人が大笑いをしている。
「大丈夫ですよ、竜胆さん。僕がずっと味方でいますから」
そう言って、咲人も顔負けの可愛らしい笑顔を向ける。その和人の笑顔に絆されたのか、田崎はフットブレーキを踏むと、珍しく人目も憚らずに思い切り恋人の唇を喰んだ。
「良かったなー、可愛くて強い味方がいて」
「本当だよ。俺たちお役御免だもんな。和人、田崎を末長くよろしく頼むぞ」
俺が和人にそう声をかけると、和人は嬉しそうに「はい」と言って微笑んだ。ただ、田崎はその和人の笑顔は見ないふりをして、黙って車から降りてしまった。その背中が、僅かにピリついていた。
「……やべ、地雷踏んだ?」
「あー……、そうかも知れません。でも、気にしないでください。こればっかりは仕方がない事ですから」
窓の外に立つ田崎の顔を見つめながら、和人も悲しげに微笑んでいた。たくさんの問題を解決してきた田崎には、自分ではどうにもならない問題がある。
理解していても、受け入れ難い現実。日々、それに苛まれている。
「でも、さっきあいつが言った通りだからな。壊したり壊れたりする前に、打開策を打つ。自分でどうにも出来ないことは、人を動かすんだよ」
「え?」
俺は先に車を降りた。そして、助手席へと回り、ドアを開ける。そして、エスコートするために手を伸ばした。
「お前たちの問題は、お前たちだけで抱えるものじゃない。世を動かせる人に、しっかり動かしてもらおう」
俺が和人の腕を掴んで立ち上がらせると、横から蒼が和人を支えた。ふと視線を上げると、俺たちが和人を支えている姿を、田崎がじっと見ていた。
和人は、サイコキネシス発動時に体にかかった負荷が原因で、下半身に問題が残ってしまった。リハビリを続けたことで、ゆっくりなら歩ける様になったのだが、立ったり座ったりするときはサポートが必要な状態が続いている。いつもは田崎が率先して支える。それが、俺の不用意な一言でそれを拒ませてしまった。
今の二人には、先の保証は何も無い。同性で結婚出来るのは、一人がセンチネルでもう一人がガイドのボンディング相手だった場合だけだ。田崎はミュート、和人はガイドだ。二人は今の方の元には婚姻関係にはなれない。
それなのに、俺はうっかりそのことに触れてしまった。それが、何よりも田崎を傷つけてしまう事だとわかっていたはずなのに。
「ごめんな、田崎。でも、俺はお前の幸せを心から望んでるから。軽口叩いたわけじゃないし、何もせずに手をこまねいたりはしない。問題の解決のためにも、ちゃんと働かせてもらうぞ」
田崎は俺の言葉を聞くと、バツが悪そうな顔をして、ゆっくりこちらへと戻ってきた。そして、俺たちに代わって和人を支えると、震える声で「悪い、ちょっとこのことだけは、抑えが効かないんだよ。お前のことを悪く思ったわけじゃ無いから、気にするな」と言った。
「いや、俺が悪かったよ。失う恐怖に二回も晒されたんだから、ずっと一緒にいたい気持ちは強くなってるよな。それが保証されてないってわかってるのに、無神経だった。ごめん」
田崎は「うん」と言って黙り込んだ。ただ、その表情はさっきとは違って、ほんの少しだけ穏やかな笑顔をのぞかせていた。俺はその田崎を見て、必ず澪斗さんに辞職を思いとどまるように言おうと、改めて誓った。
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