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第38話 罪と罰とそれ以外1
「こちらになります」
執事長の下で働いていた池内さんに勧められて、俺たちはみんなで通夜振舞いにも顔を出す事にした。永心家は池内のものたちが亡くなっても回帰法要の全てが終わるまで、その一切を親族として預かるということを約束している。
池内という姓をもらったその日から、生きている間も死んでからも、ある意味安心できる環境下に置かれる事になる。ただし、そこには自由は全くと言って良いほど無い。
ただ、ここ数年の池内の者たちは、永心家の子息たちが性処理を強要するようなタイプでなかったことから、その苦痛からだけは逃れられていた。
「池内さんたちって、この時代でも永心家に忠誠を誓ってたりするのかな」
「さあ、どうだろうな。俺たちが理解できないほど若い奴はいないように見えるから、まだそういう人が多いかもしれねーな。でも、意図的に若い人間を入れてないような気もするんだよな」
今日は帰るつもりがないので、俺もお酒をいただいている。執事長を見送ると思うと、どうにも落ち着かなくなってしまい、蒼と二人でビールを分け合った。
二人で幾度となく通ったこの家は、ここ最近ずっと終焉の香りが漂っている。それは照史おじさんと澪斗さんが話し合って決めたことだろうから、俺には何も言えない。
ただ、それはそれとして、澪斗さんにはどうしても叶えてもらわないといけないことがある。ただそれは、どれほどいい言葉を綴ったとしても、ただの俺のわがままだ。俺の力ではどうにもならないことを、あの人の力で叶えてもらいたい。どうしても、それをお願いしたかった。
「もう少しだけ、永心家には頑張ってもらいたいんだけどな」
「……今日、それをお願いするつもりなんだろう? きっと澪斗さんは、何かしらの準備はしてると思うけどな。これから先も、それを生き甲斐として頑張ってもらえたらいいね」
蒼は田崎へチラリと視線を送り、俺の方を見た。俺は「そうだな。あの人なら、きっとやってくれると思うんだよ」ということしか出来なかった。
そこへ、先に澪斗さんの様子を見に行った咲人が戻ってきた。ややむくれているのがわかる。ただ、その思いを顔に出さないようにと必死に頑張っているようなので、その事には敢えて触れないようにした。
「兄さんが、車椅子でここに来ようとしてるところに鉢合わせした。全力で止めて、今部屋に戻らせたから。俺たちがあっちに行こう。ここに来たら、客の相手をしようとするに決まってる。短時間で切り上げられるわけがないんだから、絶対に来させちゃダメだ!」
咲人は鼻息荒く、俺たちに向かって「ほら、いくぞ!」と捲し立てる。そして、大きな足音を立てながら歩き始めた。その姿を後ろから見守りながら、野本が俺に頭を下げる。
「お前も大変だなあ。確かにかなり成長した気はするけど、あの足音、自分にもうるさく聞こえてるはずなんだけどな。政治家秘書があれじゃ、仕事にならなくねえか? ずっとお守りしてないといけないな」
そう言って背中をポンと叩くと、「それがかわいいんで、俺は喜んでやってますよ」と返してきた。
「へえ。咲人は幸せだな。普通なら逃げられるぞ」
「そうですよね。実は俺も最初はそう思ってました。でも、いつの間にか大好きになってしまったんですよね」
「おー、そりゃ性癖だな。ぴったりな相手とボンディング出来て良かったな」
俺がそう返すと、野本は真っ赤になりながらも「……はい」と答えた。
「咲人です」
咲人が澪斗さんの部屋のドアをノックした。野本と話している間に、咲人は澪斗さんの部屋に着いていた。そして、そのノックに応える「どうぞ」という澪斗さんの声は、いつもよりはか細いとはいえ、思ったよりも元気そうだったため、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「失礼します」
咲人が開けてくれたドアを抜けて、澪斗さんの部屋へと入る。俺がこの部屋に入ったのは、小学生の時以来だ。
「わー、懐かしいですね。さすがにいくつかの家具とかは変わってるみたいですけど……雰囲気は澪斗さんのままだ」
永心の長男は、生まれた時に与えられた部屋を、生涯使い続ける。だから、部屋の調度品は、長く持つようにと値の張るものが置いてある。
そのどれもが昔見たことがあるもので、大切に手入れをされながら使われてきたのだとひとめで分かった。こういうところにも、澪斗さんの人柄が現れているなと俺は思う。
「ごめんね、ここまで来てもらってるのに出迎えも出来なくて」
そう言って澪斗さんは、本当に申し訳なさそうに手を合わせた。
「何を言ってるんですか。結構なケガをしたんですから、あまり無理してはいけませんよ。そういうのは後々影響が出ますからね」
蒼が小さな子供に言い聞かせるように口を挟むと、澪斗さんはふわりと笑った。そして、「ありがとう」と言いながら全員に座るように手で促す。
「あまり長居してもいけないと思うので、一つ聞いてもいいですか?」
俺が澪斗さんに尋ねると、「そうだね。どうぞ」と答えてくれた。その顔は表情こそ柔らかく余裕が見られるが、顔色が悪く、目の下にもクマがあった。
和人もそうだけれど、サイコキネシスを発動すると、その反動が強く体に出るようだ。唯一、蒼には目立ったダメージはないのだけれど、それはおそらく蒼が高レベルガイドとして日々鍛錬していたからだろう。
和人はトレーニング期間中に力を失っていたため、それからは何もしていなかった。澪斗さんに至っては、ガイドとしての任務よりも政治の方が忙しく、父さんのケア以外で現場に立つこともほぼ無かった。
反動を打ち消すだけの体力を持ち合わせていなくて、発動直後には、突き刺さった金属片を除去する手術も受けていて、体には相当なダメージが残っている。
「もう片付いたのであまり詮索したくはないんですけれど……、田坂の自宅は、なぜあんなに警備が手薄だったんですか? 手薄というか、いなかったですよね」
俺が話し始めると、咲人が全員分の飲み物を運んできた。今日はここには池内の者は入れないことにした。みんな執事長を弔いたいのだ。それほどに、あの人は身内に好かれていた。
それに、話す内容もここにいる者以外には知られないほうがいいような内容ばかりになるだろう。それを見越して、最初から部外者は一切入れないことにしてある。
『翠さん、今日は蒼さんもお見えですよ。後でお茶をお持ちしますね』
突然、執事長が笑顔で俺に話しかける場面が思い出された。咲人と遊ぶためにここへ来ると、蒼が先に来ていることがあった。ただ、あの頃は、俺自身はまだ蒼とそれほど仲が良くなくて、咲人が俺と蒼を繋いでいたようなものだった。
時々ここで、三人で澪斗さんに遊んでもらっていた。その時に、執事長がお茶を持ってきてくれたんだった。
「田坂の自宅で雇われていた人たちは、VDSが来ることを知ってから、ほぼ全員が辞めていったそうなんだ。力で押さえつけられていただけの関係だから、その力がなくなったら、もうそこにいる必要がないと思ったんだろうね」
「見捨てられたんですね」
野本が呟くと、澪斗さんは眉根を寄せて目を細めた。「そうだね」そう言うと、力無く息を吐く。
「彼はね、若い頃に何度かあったことがあるんだけど、とても快活でキラキラした人だったんだよ。まっすぐでやる気に満ちてた。頭も良くて、身体能力も高くて、いろんなことに長けてた。でも……気がついたよね? ガイドとして生まれたけど、計測ギリギリの低レベルだった。そのことで、ずっとバカにされてたんだよ」
どんなに学業で結果を出そうと、どんなに政治に入れ込もうと、支援者から「でもガイドとしては不出来」だと言われ続けた。地元は彼のおかげで潤っただろうに、当時能力者こそが偉いという風潮があって、田坂がやることは全て否定され続けた。
「どれほどやる気があっても、どれほど学力があっても、心を折られたらどうしようもない。どうにかもがいて生き抜こうとしていたところ、ライバルだと思っていた拓史お祖父様が同性愛者だという噂が回った。そこで初めて見つけたんだよ。自分が見下してもいい人物を」
それ以来、田坂は拓史氏を目の敵にして追い落とそうとした。ただ、いくら手を出しても、拓史氏は愛する池内がいたため、歯牙にもかからない。だんだん焦り始めた田坂は、池内をネタに拓史氏をコントロールすることにした。
「まあ、あとはみんなが知ってる通りだよ。そして、そんなことを繰り返していると、人は離れていく。だから田坂は金と力で人を縛る道を走るしかなくなってしまった。そうこうしていると、息子は親の背を見て育つ。結果的にその息子の行いで、また自分の首が絞められて、ついには求心力が尽きたようだね」
「田坂自身は、執事長を愛していましたよね」
「そうだと思う。レベルのことを考えれば、答えはそれしかない。まあ、可哀想ではあるよね」
澪斗さんは、そういうと弟たちを近くへ呼んだ。そして、三人がそばに行くと、その頭を撫でながら静かに涙を流した。
「僕ね、政治引退しようと思ってるんだ。正当防衛とはいえ、人を殺めてしまった。僕は、命を奪ったことは、どんな言い訳も利かないと思ってるんだ。平然とこれまで通りに暮らすのは、無理なんだよ。だから……」
「ダメですよ!」
澪斗さんの手を掴んで、和人が叫んだ。その手に力を込めて何度も言う。
「ダメです! そんなの許されない! どうして兄さんが諦めないといけないんですか? 恣意的な殺人じゃないんです。そこまですることは無いんじゃないですか? 辞めちゃダメ! ダメです! あれは自分でどうにかできるものじゃありません。それは僕もなったからわかります! そうですよね、蒼さん! 僕はレベルが低いからかもしれませんけど、蒼さんのレベルでもコントロールは無理なんですよね? それなら……」
「そうですよ。引退の理由がそれなら、ダメだとしか言えません。あんなのコントロールしろって言われたら、息をせずに生きていけって言われてるのと同じです。無理なんです。命を奪ってしまったのは、結果論です。田坂が銃なんて持ってなければ、あんなことにはならなかったんですから。銃を持つ権利も無いのに、人を撃つような男の前に丸腰で出たんです。ああなっても仕方がありません」
それでも、澪斗さんはまだ納得しきれていなかった。意図せず命を奪ったとはいえ、人を殺したことに変わりはない。それは、普段からそういう現場に出ていなければ、耐え難い苦痛だろう。俺たちは、少し麻痺しているきらいがある。
「正直言うとね。少し疲れてしまったんだ。この家には大きな秘密がいくつかあっただろう? 僕は、それを一人で三十年以上抱え続けた。全てを知っていたのは、僕だけなんだ。誰にも言えず、それを抱え続けているうちに、自分がいるからいけないんじゃないかと思うようになってしまって……。僕がいなくなれば、永心家が政治から退けば、誰かが悲しむことはなくなるんじゃないかって。鹿本一未さんが誘拐されたのだって、トレーニングマシンの利用と小規模発電を結びつけて、健康維持と発電を結びつけたからだし。そのことで田坂が不利益を被るからって、誘拐までするなんて思ってなくて。それに……」
「そんなことを言ってたら、俺が生まれたせいで母親はストーカーに殺されたし、父親もストーカーに殺された挙句に剥製にされましたよ。俺がいたせいで、施設は格差によるいじめがあったし、蒼は監禁されたし。俺のせいで和人は一度力を失ってたし。俺の方がいない方がいい理由はたくさんあります」
そう、俺は生まれてこなければよかったと思わない日はなかった。十八の冬、泣いている俺を蒼が見つけてくれるまでは。毎日死にたかった。どうやって死ねばいいのか、でも痛い思いはしたくない。中途半端に苦しむのも嫌だ。そんなことを考える日が続いた。
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