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第39話 罪と罰とそれ以外2 

「でもね、この世には罪と罰以外にも、背負って生きていくモノがあるんですよ。俺はそれが使命だと思ってます。人はそれぞれ使命があって生まれてくる。ただそれは、人のためのものと言うよりは、自分のための使命です。自分を磨いて、高めるためのもの。それをこなすために、孤独に耐え抜かなければならない時もあります。でも、それに耐え抜いて役目を果たすと、素晴らしいパートナーに出会えるんだと思うんですよ」  そうやって蒼に出会った時、二人とも天涯孤独だった。これまでずっと、それが俺たちを繋いでいた。その関係性が崩れた今年、久しぶりに生きていく意味がわからなくなった。  それでもやっぱり二人でいたいと思えたから、俺は明日を心待ちに出来るようになった。そして、出来なかったことを振り返って嘆く暇があったら、まっすぐ前を向いて足元を固めて行きたいと思うようになった。  つまり、孤独に耐え抜いた後に、自分には素晴らしいパートナーがいることを、しっかりと再認識したということだ。 「澪斗さん、今は父さんがいるじゃないですか。父さんは、もう引退するんでしょう? 虹川陽一は死んだ。今回はしっかり遺体の確認も出来ましたよね? だから、もうセンチネルとして世界中を飛び回る理由は無くなりましたよね? それなら、愛するガイドのそばにいればいい。そして、田坂がやろうとしていたことで、世にいい影響を与えそうなことを、澪斗さんがやるのを手伝えばいいんですよ。そのために、あなたはまだ政治家でいてください」  これまで、ずっと全てを一人で抱え込んでいた澪斗さん。その苦しみを分け合う相手がいれば、そこから導き出す答えも変わっていくだろう。その相手は、父さんにしか出来ない。  約三十年間、ほぼ会うこともできずに、それでも想い合った相手だ。これから先、二人の間に問題があるとしたら、一緒にいすぎて辛いと言う程度のことだろう。それなら永心家には簡単に解決できる問題だ。居場所なら、いくらでもある。 「支え合う相手がいれば、その罪悪感を抱えていても、生きていけます。誰になんと言われても、やるべきことをやってください。あなたにしか出来ないことをやらずに、逃げることの方が問題だと俺は思います。裁く場所があなたを無罪だと言うのなら、それ以外の答えは無いんですよ」  気がつくと、体が震えていた。声もだ。そして、止めどなく流れる涙に驚いていた。  俺が知っている人間の中で、最も優しい人は澪斗さんだ。いつもその笑顔の下で必死に最善を尽くしている。ガイドだから人に与えることのほうが多くて、その割に見返りは少ない。立場上、あまり人に弱みを見せることも出来ない。  それでも、その状況でずっと壊れずに頑張り続けた人を、たとえ本人であっても否定して欲しくは無かった。 「兄さん、俺たちのためにもお願いします。俺と竜胆さん、このままじゃ同居人として亡くなる事しかできません。父さんが、最後に言ってました。お前の問題は、澪斗が解決してくれるだろうって。そうでしょう?」  気がつけば昼を過ぎ、太陽は一番高い位置へと移っていた。そこから降り注ぐ強い日差しの中に佇むように、梧桐の木がわずかに見えている。 「……確かに、言われたね。明菫さんとミチさんのこともそうだった。ミュート同士やミュートとガイドの同性カップルを救ってあげてくれと言われた。その準備はもちろんしてあるけれど……」  その言葉に田崎が反応した。そして、突然前へ進み出ると、ものすごいスピードで澪斗さんの前に滑り込み、床に両手をついて跪いた。 「田崎くん?」  驚く澪斗さんに、田崎は叫んだ。その声は、俺がこれまでに聞いた中で、最も悲痛で、最も必死なものだった。 「お願いします! 俺たちにも、法的な婚姻が可能になるようになるまで、辞めないでください。他の方ではなく、あなたにそれを叶えていただきたいんです。俺は、一度婚約者を亡くすという経験をしています。和人がサイコキネシスの反動で倒れた時、また失うのかと怖くなりました。目を覚ましてくれて、体に障害が残って、それでも一緒にいようと思っても、俺には出来ない手続きがたくさんあるんです。それ以来怖くなってしまって……。だから、お願いします。俺たちにも、自由をください」  毛足の長いカーペットにも関わらず、ゴツッと音がするほどの勢いをつけて、田崎は額を床に擦り付けた。その姿を見るのは、おそらく三度目だ。婚約者を失い、母を失った田崎の慟哭が響いた夜を、俺たちは思い出していた。 「竜胆さん……」  座り込んだまま立ちあがろうとしない田崎の背中を、和人が優しく摩る。そこに立っているだけで女性スタッフが騒ぎ出すほどのスマートな田崎が、涙でぐちゃぐちゃになりながら、澪斗さんに懇願し続けていた。 「友人や仕事仲間には恵まれてます。でも、家族や恋人は、いつも手からすり抜けていくんです。それでも、今でも十分幸せに暮らせているのだからと言い聞かせてきました。でも……、和人が倒れてからはもうそう思えない。もしかしたら、誰かセンチネルのいい人を見つけて去っていくかも知れない。ただでさえ、俺はかなり年上なんです。色々と器量の小さいことですけど……不安で仕方がなくて」  それを聞いて、和人も涙ぐんでいく。もちろん、田崎がそれを本心で言っているわけでは無いのはわかっているだろう。でも、何が二人を引き裂くかは、誰にもわからない。だからこそ、出来るだけの手を打っていたいという気持ちは、痛いほどよくわかる。 「ほら、澪斗さん。こんなに求められてます。それに、これを言ってるのは田崎だけじゃありません。同じ立場にいる人たちは、いつも投書してくるでしょう? みんな、孤独を埋めたいんです。それを可能に出来る相手がいるのに、法が阻むなんて、意味がわかりませんよ。それを正してくれるんでしょう? 照史おじさんもそれを期待してたんでしょう?」  澪斗さんの表情が、少しだけ柔らかくなった。本来の表情を取り戻しつつあるみたいだ。 「それ言われるとなあ……。確かに、父さんの期待から逃げることになるな……」  父さんは、澪斗さんの心が解けかけたので、すかさずその手を握った。そして、軽く口付けをしながら、甘えるように問いかけた。 「ねえ、澪斗。田坂議員の件は、翠の言う通りだよ。法が澪斗に非がないと言ってくれた。それなのに、澪斗が自分に非があると言うのなら、澪斗は法より尊いと言う事になるよ? それは違うだろう?」 「あ……。そう、ですね」  澪斗さんはそのことを考えなかったようだ。自分の倫理観だけで突き進もうとしていたようで、父さんに指摘されて初めて、自分の驕りを感じたらしい。ほんのりと頬を染めて、それを綺麗な手で覆った。 「本当だ。僕結構恥ずかしい勘違いをしているんだね。この国は、法が遵守されなくてはならない。裁かれた結果を受け止めて、僕なりに頑張ることにするよ」  それを聞いて、田崎が顔を上げた。その顔が、思ったよりもドロドロになっていたので、俺は思わず吹き出してしまった。それを見咎めた咲人に叱られてしまう。 「何笑ってんだよ、翠。お前だってデリカシーないぞ。俺のことは言えないな」  なぜか得意げなその姿に、少々腹が立ちはしたものの、柔らかく変わった空気に安心すると涙が出てしまった。それを察知してくれた蒼が、俺の肩をそっと抱いてくれる。 『よかったね』  テレパスされた気持ちは、エンパスとなって増幅する。嬉しさに頬を緩めると、そこへ思いがけない言葉が降ってきた。 「さすが蒼は翠の欲しい言葉をわかってるな。最高のパートナーで、番で、いとこ同士だな」  得意げにうんうんと頷く咲人に、野本が慌ててそれを止めようとしていた。俺と蒼は、咲人が何を言っているのかがわからず、声を揃えて『はあ?』と言った。

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