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第40話 二人を繋ぐ赤い糸
「いとこ? え、俺とお前のこと?」
「いや、お前と蒼のこと。やっぱり知らなかったんだよな? いや、俺たちも最近知ったんだけど、この間さあ……」
咲人がニコニコと笑いながら何かを取り出そうとしているのを見ながら、蒼は呆れたような顔をしていた。その顔からは、「頭がおかしくなったのか?」と今にも口走りそうなのを堪えているのがよくわかる。俺も同じ気分だった。
俺は野明良弥と野明実花の子供。父の良弥には姉がいて、それが野明未散だ。野明の子供は永心の子供達。つまり、永心兄弟と俺は父方のいとこ同士だ。それはわかっている。
「だって、母さんには親戚はいなかったって聞いてるぞ。だから、俺を残して自殺……」
俺はハッとした。そもそもその話自体が嘘だったわけだから、母さんにはもしかしたら家族がいたのかもしれない。そうだとしたら、そのことを知っている人は、父さんと澪斗さんだろう。
俺は父さんの方へと視線をやる。すると、父さんは両手を合わせて俺に申し訳なさそうな顔を見せていた。
「……知ってたの?」
俺がじっとりとした視線を送ると、父さんは慌てて両手を振ってそれを否定した。その様子からして、本当に知らなかったようだ。知らないのなら、訊いても仕方がない。俺は咲人へ向き直った。
「父方のいとこじゃないなら、母方なんだろ? 母さんに兄弟がいるのか? そもそも、母さんの旧姓は?」
「実花の旧姓は果貫だ」
父さんが横から口を挟んできた。そして、勢いよく頭を下げると「だから最初に蒼くんの名前を聞いた時に引っかかったんだよ。でも実花に似てるところがある訳でもないし、姓が同じだけかなあって思って……。ずっとそれどころじゃなかったから……ごめん!」と一気に言い切った。
確かに、こっちに戻ってきてからの父さんは、タワーからのミッションをこなすために忙しかった。体が自由でも、意識だけが何かを探っていたりすることが仕事になることが多いため、パッと見た感じが暇そうであっても、神経はいつもヒリヒリと忙しい。
そんな中、三十年近く一緒にいられなかった義理の息子の、しかもパートナーの姓を気にしている時間は確かにないだろう。
「まあ、忙しかったのはわかるよ。でも、果貫ってかなり珍しくない? そこで誰かに聞こうとは思わなかったわけ?」
少し怒りモードが入ってきた俺に、野本が話に割って入って来た。
「あの、実は翠さんがアルビノ化してた時にその話をしました。ちょうどその頃、澪斗さんから野明実花さんの過去の実績をタワーで調べるように言われてたんです。虹川たちの動向を調べる上で参考にしようとして。でもデータが何もヒットしなかったんです。そのタイミングで、海斗さんから実花さんは果貫姓だと教えていただいて。それで、果貫実花で調べ直しました。そしたら……」
「センチネルの果貫雪子 さんが家族データとして出て来たんだよ。雪子さんは実花さんのお姉さんだったんだ。そして、その備考欄に記載してあったのがこれ」
咲人が野本に合図をすると、野本がタブレットに表示されたタワーの名簿データの備考欄を見せてくれた。そこには、はっきりと蒼だとわかるような記載があった。
『配偶者は、果貫渉 (ガイド)。息子の果貫蒼氏(ガイド)は、VDS所属。妹の実花(センチネル)は、現在野明実花として登録』
その文字を読んでも、なかなかその意味が頭の中に入らない。いや、入ってもそれを信じることが出来ない。
「母さんの姉さんが、蒼のお母さん?」
俺がそう呟いて蒼を見ると、蒼は俺を見て似たようなことを呟いた。
「母さんの妹が、翠の母さん……?」
「そんなことあるのか……」
後ろから声が聞こえて振り返ると、田崎が目を落としそうな程に驚いていた。それを見て、咲人がゲラゲラと笑っている。
「びっくりするよなあ。本当だよ、これちゃんとタワーの正式な登録データだから。それにしたって、お前……顔がすごいぞ!」
さすがにデリカシーが無い男だ、相変わらず失礼なことを言っている。しかし、田崎はそれを詰るよりも早く、蒼を思い切り抱きしめた。田崎が俺の目の前で蒼に抱きつくことなど、これまで一度もなかった。
「うわっ! なんだよ、お前。痛い、痛い、痛い! この馬鹿力!」
抱きつかれた蒼も、鍛え上げた田崎に抱きしめられて悶絶していた。ただ、野本だけは違った。その田崎の姿を見て、涙ぐんでいる。
「田崎さん、蒼さんが攫われて翠さんが倒れていた時、ずっと二人の絆を信じていました。ソウスイが壊れるはずはないって。だから、どうやっても壊れない繋がりがあるってわかって、一番喜んでいるのは田崎さんなのかもしれませんね」
「そうなのか?」
蒼が田崎に尋ねると、田崎は顔を隠したままこくりと頷いた。そして、「誰も悪くないのにどちらかが寂しい思いをするのは、見ていられなかったからな」とポツリと呟いた。
「だから、よかったな、蒼」
蒼はしがみついている田崎の手を握り締めると、目を潤ませた。そして、その手をポンポンと叩きながら言う。
「うん。ありがとう、田崎」
すると、咲人が徐にタブレットをとり、数回画面をスワイプさせ、また違うものを見せてくれた。それは人の名前とその繋がりが記されていて、どうやら家系図のようなものらしい。
「さあ、そして。もう一つ驚くべきことがわかったんだよ。ほら、ここ見てみろ!」
咲人はそのうちの下の方を指さして、そこをトントンと叩いた。
「これ、家系図だろ? 田崎の家じゃないか。亡くなったお母さんと、親父さんと、田崎だろ? 何がすごいんだよ」
「そのお父さんの名前のところにかっこがついてるだろ? それ、旧姓なんだ。田崎の親父さん、婿養子だったみたいだな」
「かっこ……?」
そこに書いてあった姓を見て、俺たちは驚いた。
「かぎさき……。え、じゃあ田崎と海斗さんは血縁?」
俺たちは呆気に取られて父さんを見た。すると、
「そうらしいんだよー。世間は狭いよねー。田崎くんの父親が、僕の兄なんだ」
ニコニコと笑っている父さんを見ていると、がっくりと力が抜けてしまった。この人は本当に死戦を潜り抜けてきたセンチネルなのだろうか。いつもはキリッとしてかっこいいのに、仕事がないと正直少しがっかりするほどの落差がある。
俺が呆れているのが伝わったのだろう。澪斗さんが楽しそうに笑い始めた。
「翠くん、海斗さんはこんな感じだけど、何かあるととても頼りになる人だからね。あまりがっかりしないであげてよ」
「まあ、そうですよね。わかってます。それで……つまりは、田崎は父さんの甥っ子な訳でしょう? しかも血が繋がってる。そんなに気が付かないものなんですかね」
俺がそう問いかけると、澪斗さんはほんの少しだけ表情を曇らせた。
「海斗さんがいない間に田崎くんは生まれてるからね。そして、それを教えてくれるはずのお兄さんの雄一 さんも、奥さんの和子 さんも亡くなってしまってるから。田崎くんは海斗さんを知らなかっただろうし」
田崎はその「鍵崎」の文字をじっと見つめたままだった。お母さんが亡くなってからは、ずっと自分は一人だと思っていて、和人と繋がりが持てないことを、ついさっき盛大に嘆いたばかりだ。
それなのに、ここへ来て突然、父に弟がいたと知ることになるなんて、予想だにしてなかっただろう。俺たちも今しがたその思いをしたばかりだ。あまりに信じられなくて、三人で瞼が取れそうなほどに瞬きをすることしか出来なかった。
「これ、本当なんですか? ……え、待ってください。と言うことは、俺も戸籍上は翠といとこってことですよね?」
「そうなんだよね。戸籍上は田崎くんと、血縁では蒼くんといとこ。つまり、君たち三人は親戚として繋がってたわけだ」
「俺たちが、親戚……」
驚きすぎて、声も出なくなった。三人とも、孤独に喘いでいた。そんな中で懸命に生きて来て、ようやく出会えた同志だと思っていた。奇跡の出会いだと思っていたこの関係が、実は全て繋がっていたなんて。
「でも、そういうと出会いのありがたみが薄れるかもしれないなと思って、言えなかったところもあります」
野本はずっとそれを気にしていたようだった。
確かに、全くの他人同士が奇跡的に出会ったと考えた方が、その縁はありがたい。でも、自分たちが選び取る前から繋がれていたのだと考えると、それはそれで嬉しいと俺は思った。
「確かにそういう面もあるけれど、今はもうそんなことより大切なもので繋がれてる気がするから。付加価値がついたくらいにしか思わねーよ。ただ、ちょっとびっくりしすぎて実感がない。でも、気遣ってくれてありがとうな、野本」
野本は俺の返事を聞いて安心したらしく、穏やかに微笑むと頭を下げた。そこには、俺を恐れて本心を話したがらなかった男と同一人物とは思えない、まっすぐな笑顔が浮かんでいた。
「でも、なんで家系図を作ったんですか? 僕はそれが気になってるんですけど」
和人がそのデータをスクロールしながら、「それにしても永心、野明、鍵崎、田崎と複雑ですね……」と呟いた。そして、田崎の名前を指でなぞり、そのまま上の方へと辿っていく。
その最上部には永心拓史氏の名前があった。その隣にあるのは、配偶者である拓史氏の妻だった人物、華子氏の名前があった。ちょうどそのあたりに差し掛かって、和人の手がぴたりと止まる。
「これ……もしかして、これを調べてたんですか?」
和人は咲人に問いかけた。咲人は表情を引き締めると、顎を引いてそれを肯定した。野本はそれを見て、ばつが悪そうにしている。
「永心華子 、旧姓野本……。あっ! 野本慎弥……野本さん、野本さんも俺たちと血縁なんですか?」
今度は和人の目が落ちそうになっている。でも、おそらくそれを見ている俺もそうだろう。ただ、もう驚きすぎて、その感覚がもうよくわからなくなりつつあった。
「あ、あの、俺は実は野本の養子なんです。だから、血縁ではありません。ただ、こっちの方が驚かれると思うんですけれど……。実は、中学生まで俺は池内にいました。亡くなった執事長は、父のような存在だったんです」
「池内にいた? でも、お前は池内の仕事はして無いだろう?」
「はい。俺の仕事は一つだけでした。それが、永心の家を出た咲人の護衛です」
それを聞いて、俺たちは困惑した。今、二人は結婚している。野本が咲人と一緒にいたのが護衛のためだったのなら、その結婚はどう言うことなのだろうか。
「実は咲人がそのことに気がついて、俺を詰問するためにそれを調べたんですよ。でも、俺は池内にいた頃から咲人が好きでした。任務で結婚したわけじゃありません」
野本がそう言うのを、咲人は笑顔で聞いていた。おそらく、二人の間ではすでに一悶着あったんだろう。今その笑顔に曇りがないのだから、外野はそれ以上何も言わないでおく事にした。
「……ってぇ」
気がつくと、俺は軽い頭痛に襲われ始めていた。あまりにも突然、いろんな情報が入って来過ぎている。内容だけなら、視覚的な情報の補助があるため、そこまで複雑ではない。
でも、心情が目まぐるしく揺さぶられるような内容なので、心が追いつかない。そのことで少し疲れ始めていた。
「大丈夫? ちょっと休む?」
蒼が、俺の顔を覗き込んで訊く。その顔は、いつもと変わらない。でも、俺にはわかる。蒼の体の奥の方から、じわりと喜びが湧き上がっている。それが少しずつ広がって、これまで冷えていた部分を温めているのが見えた。
「俺と血が繋がってたの、嬉しいのか?」
じわりじわりと広がる赤い範囲が、指先にまで広がってきた。俺はその手を取り、指を絡ませて握る。蒼はそれを握り返すと、いつもよりも明るい笑顔を弾けさせた。
「うん。びっくりするくらい嬉しいよ。だってさ、それって赤い糸が一本じゃなかったってことだろ? 俺たちめちゃくちゃ特別って感じがして、胸がいっぱいになったよ」
「蒼……」
俺たちはいつもお互いだけだと言い合ってきた。それで十分だったし、他に欲しいものはなかった。それは今も変わらない。ただ、その上で、二人が共通で持っているものがあると知ってしまった今、それをありがたいと思わずにはいられなかった。
「二つの赤い糸か」
そう呟いた俺に、蒼がお互いの小指を絡めながら言う。
「そう、しかも、太くて頑丈なやつね」
「そりゃすごいな」
その小指をキュッと握り合って、二人で久し振りに大声で笑った。
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