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第42話 いつかまた、この庭で
◆◇◆
寒風が吹き荒ぶ朝を迎えた。俺は窓の外を眺めながら、膝に抱いた小さくて白い包みを眺めた。今日はこれから永心家に出向いて、実父である野明良弥と母の実花の骨を、鳳凰の梧桐の隣に樹木葬させてもらうようになっている。墓標には山躑躅 を選んだ。
澪斗さんから「埋蔵は出来ないから、散骨するだけだけどね」と言われているので、そのつもりで準備はしてきた。そして、二人の骨を加工して指輪を作り、下手な発想だがそれを親指に嵌めている。
「お父さんとお母さん、どっちも無縁仏になってたみたいだから、翠が身につけてくれて喜んでるだろうね」
蒼は車を停めると、俺の膝にそっと手を置いた。その手の温もりが、じんわりと伝わってくる。暖房をつけていたとは言え、外は雪景色だ。きっとピッタリくっついて歩かないと、かなり寒いだろう。
それぞれドアを開けて、車を降りた。その途端、「さむっ!」と二人して叫んでしまった。お互いに笑いながら、一緒に歩を進めていく。
「あー、本当に寒い。クラヴィーアが無かったら、この寒さは辛かっただろうなあ」
軽く風が吹きつけ、身が縮まるような感じがした。すると、それを見た蒼が、俺の腕に絡みついてきた。触れ合ったところから、じわじわと温まっていく。そこに小さな幸せを感じた。
「そうだねえ。昔は朝起きるのも大変だったもんね。この寒さだと触覚が痛みを感じて全部刺激されるだろうし、その上に視覚も聴覚も興奮状態になるだろうしね。いくら翠でも、ピアスと眼鏡が無いと出歩くのも無理だっただろうな」
この庭を大人になって歩く時には、いつも何かしら事件が起きていた。楽しいことで呼ばれるよりも、訃報や会議で集められることが増えていた。この三年ほどはずっとそんな感じだった。
「法案、通って良かったよね」
「そうだな。止めてた田坂が亡くなったら、みんな手のひら返したんだろう。そんなやつばっかりいるから、澪斗さんにはやめてもらっちゃ困るんだよ。思いとどまってくれて、本当に良かった」
梧桐の前に立つと、二人で一礼をした。照史おじさんとインフィニティに挨拶をしてから、隣に植えてもらっていた山躑躅 の周囲に散骨した。それを、部屋の中から父さんが見ていた。
この二本の木が見える照史おじさんの部屋だったところは、今は父さんの部屋になっている。澪斗さんと正式に入籍してから、父さんは住居を完全にここへと移した。そして、タワー所属のセンチネルを引退して、VDSで後進の育成をしている。
ふと見ると、父さんの隣には澪斗さんがいた。澪斗さんは、田坂の遺志を継ぐという自らの決意と、周囲からの熱烈な要望があり、仕事への完全復帰は果たしたものの、ふらつきが時折起こるのが完全に治らず、杖か車椅子を使って暮らしている。
『二人で支え合ってもうるさく言われないから、いいんだよ』
完全復調が難しいと分かった時も、あの人はそう言って、いつものように優しく笑っていた。
「父さん、母さん……一度もそう呼ぶことは出来なかったけれど、これからはいつもここで海斗さんが見守ってくれるから。俺は、海斗さんと澪斗さんを親だと思って生きていくよ。それと……」
永心、野明、と繋がった関係者の中に、果貫家の三人も入れてもらうことにした。どの家も、俺たちの代で血縁が途絶える。だから、最後はみんなここに揃って、誰も寂しくならないようにしようということになった。
「俺のパートナーは、母さんの妹の息子だから、いいよね。隣は果貫家になるよ」
夏の事件の後、咲人が俺と蒼の関係性を教えてくれなかったら、こういうことにはならなかっただろう。自分たちの深いつながりがわかって、それからの日々はより一層お互いを慈しむことが出来ている。
蒼と共に、三つの木に手を合わせた。そして、二人でしっかりと手を握り合う。
「じゃあ、みなさん、今からこの家は祝福ムードに染まります。どうか、ここで見守ってあげてください。そして、いつかここで、共に眠りましょうね」
そう告げると、二人で深々とお辞儀をした。そして、揃って準備のために咲人の部屋へと向かう。
「じゃあ、行こうか。田崎、泣くかな。あいつの感極まった顔なんて珍しいから、しっかり動画に収めておかないとな」
「もう、念願の結婚式と披露宴なんだから、今日は揶揄って怒らせるなよ」
蒼は、俺を嗜めるように頬を抓る。冷えた頬は、少しつまむだけでジンと痺れるような痛みが走った。
「いてて。その時はお前がちゃんと取り持ってよ」
「またそうやって、面倒なことは俺に押し付けようとしてー」
蒼が、俺の体に肩をぶつけるようにして笑った。
俺たちは、今日という日を迎えられたことが、嬉しくて、嬉しくて、仕方がなかった。今すぐにでも、人目を憚らずに泣いてしまいそうなくらいに、嬉しい。
「ほら、目が腫れる前に着替えてしまおうぜ」
俺は蒼の手を取って走った。
◆◇◆
「あーでも、本当に良かったよな」
婚礼用に用意している礼服一色に着替えて、大広間へと向かう。これから田崎と和人は、そこで結婚式と披露宴を行うことになっている。待ちに待った、センチネルとガイド以外の同性婚が、ここで初めて執り行われようとしていた。
澪斗さんは、田崎と和人のように、バースで結婚が認められていない人たちを救うため、復帰直後から同性婚を合法化するために法律案を提出した。
その概要は、全ての人が婚姻の届出をする際に、各窓口でセンチネルとガイドの審査を受ける事を義務化するというものだった。そうすることで、法的な性差別を無くしていった。
そのため、以前よりも全体の婚姻手続きが多少煩雑にはなったものの、そのことについても不満が出ることは無かった。なぜなら、その審査は全て、VDSとそのネットワークが請け負うことになったからだ。
処理案件は、大体一日につき二千件。その程度なら、VDSの能力者にとっては問題ではない。
その新しい部署が完成し、軌道に乗って問題が無いと判断されたこのタイミングで、めでたく田崎と和人は結婚する運びとなった。
「しかし、クリスマスを選ぶとはねえ。田崎って意外とロマンチストなんだな」
「それは俺も思った。でも、いいね。雪景色の日に、門出をみんなに祝福されるって」
二人で、新雪のこんもりとした景色を横目に歩いた。この冷たい空気の中を、隣の大切な人の温もりを感じながら歩く。
「翠、蒼くん。もう始まるよ」
父さんが、俺たちを呼んでいた。その手は、澪斗さんの座る車椅子のハンドルを握っている。二人とも正装していて、いつもの数倍輝いて見えた。
「澪斗さん、おめでとうございます。そして、ありがとうございます。俺たちじゃ、田崎にしてあげられなかったことを、叶えていただけて、本当に感謝しています」
「いや、お礼を言うのは僕の方だよ。あの時君たちが背中を押してくれなかったら、きっとあのまま辞めていたからね。こうして続けて、法律案の提出をやり切った。その後もVDSは色々対応してくれているし、本当に感謝してもし足りないよ」
「いや、そんな……」
俺が殊勝にも謙遜の言葉を続けようとしていると、後ろから「もういいから、座れよ」という不躾な言葉が飛んできた。振り返ると、そこには正装した咲人と野本がいた。
「お前はいつも後ろから現れて、いつも失礼だな」
俺の言葉に、咲人は眉を顰めた。
「お前こそ、だろ。なんだろうな、この口の悪いところは野明の血なのか? ここにいるメンツで口が悪いのって、俺たちだけじゃないか?」
咲人のその言葉を聞いて、野本が目を丸くした。そして、「本当だ」と零す。思いもよらなかったのか、野本の反応が気に入らなかったらしい咲人が、頬を膨らませてむくれてしまった。
「慎弥さん! 俺のことそんなふうに思ってたんですか!?」
咲人はそう言って、目を潤ませながら立ち去ろうとした。まずいと思ったらしく、野本は咲人の機嫌を取ろうと必死になっている。
そんな中、ピアノの音色が聞こえ始めた。その場の空気が、一気に引き締まっていく。俺たちは、広間に入ってくる二人の姿を見て、すでに堪えきれなくなってしまった。
田崎も和人も、照れて真っ赤になりながらも、幸せそうに笑っていた。真っ白な雪景色の向こうに、真っ白なフロックコートの二人。いつの間にか雪は止んでいて、それどころか二人の向こう側には青空すら見えていた。
「天気が味方したわねー。すごい素敵」
ミチも呼ばれていて、感動のあまり手が腫れそうなほどに両手を叩いていた。しっかりメイクをしているのに、滝のように涙を流してしまっている。
「お前、それ顔崩れるぞ。ほら、ティッシュ。押さえろ」
「うう、だって……。田崎さんも和人も、結婚式と披露宴が出来て嬉しいんだもん。神様仏様澪斗様だよー」
「そうだな」
そう言って、主役二人の方を見ると、田崎が俺の方へと視線を送っていた。和人と繋いでいた手をスッと上げて、俺たちに見えるように掲げてくれる。そこには、キラリと輝くプラチナのリングが光っていた。
それを見ると、嗚咽が止まらなくなってしまった。俺は、田崎が幸せになる姿を見たいとはずっと思っていたものの、どこかで少しそれを諦めていた。
それが叶っていることを、今強烈に実感した。号泣し始めた俺を見て、蒼が優しく抱きしめてくれた。
◆◇◆
日が翳り、星が光り始めた頃に、式も披露宴も終わった。澪斗さんの体調を考えて、明るいうちに行われたからか、終わって帰宅する時間になってもあまり寂しくはなかった。
「翠、蒼」
帰宅するために車に乗り込み、代行業者の運転手へ挨拶をしているところへ、田崎と和人が揃って俺たちの車へとやって来た。
「田崎。和人も。本日はおめでとうございました」
俺がかけた言葉に、田崎がブハッと笑った。今日一日の中で、最も田崎らしい瞬間だった。和人もくすくすと笑っている。
「すんげえよそよそしいな、それ。まあでも、どうもありがとうございます」
「和人、疲れただろう? また事務所で話せるからさ、今日はもう休みなよ? 田崎、年が明けたらまたゆっくり話そう。それまでは新婚旅行を楽しんでこいよ」
蒼は、長時間人と接して疲れが出たのか、車椅子に座っている和人を気遣って田崎へと言った。普段は杖だけでどうにか暮らせていても、こういう時はやはり疲れが出るらしい。
本人は嬉しくてその疲労を実感出来ていないのか、頬を赤くさせてニコニコと笑みを絶やさなかった。それでも、体には確実にダメージが溜まっている。蒼の心配は、もっともだ。
「ああ、わかった。気遣いありがとうな。とにかく、二人とも。……本当にありがとう。心から、お前たちと出会えてよかったと思ってる。まだこれからもよろしくな」
田崎は涙で声を詰まらせながら、俺と蒼に手を伸ばした。俺と蒼はいっぱいに開けたドアから半身を乗り出して、三人で抱きしめ合った。ぎゅっと力を込めて、お互いの存在を確認する。
「もちろんだ。俺たちは、ずっと一緒だ」
「お前もな」
俺は和人の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。和人はふわりと笑いながら、「はい」と答える。
「じゃあ、またVDSで」
俺たちは、口々にそう告げて別れた。
遠ざかる二人の姿を見ながら、蒼としっかり手を握り合った。大通りに入ってしまってから、昂った気持ちが抑えられずに抱きしめ合った。
「俺たち、出会えてよかったね」
呟いた蒼は、また涙を流していた。
「ああ、本当にそう思うよ」
蒼の目から流れ落ちる涙を指で掬いながら、俺はそう返した。
「だから、昔の俺たちみたいに、バースのせいで孤独を感じてる人を助けていこうな。これからもずっと一緒なんだから、ずっとそれを続けよう。俺たちにしか出来ないことを、焦らず確実にやっていこう。ベクトルだけは誤らなければ、大丈夫だから」
普段はたくさん抱きしめてくれる蒼を、今日は俺が抱きしめていた。俺たちには、たくさんの幸せがある。それに気がつかせてくれたバースというものに、俺は今心の底から感謝している。
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(終)
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