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第2話

「難波とはもういいの?」  帰り道、代わり映えのしないいつもの下校コースを複雑な心情を抱きながら悠哉は足を動かした。  思いがけない彰人との再会に悠哉の頭は未だに理解が追いついていなかったが、一度陽翔に話題を振り彰人のことを頭の中から消そうと試みた。 「え?あ、うん。週末の予定聞かれただけだから」  悠哉の質問に陽翔は微笑んで返した。この様子だとどうやら週末はデートの予定があるのだろうと推測出来た。デートの約束ぐらいLINEで出来るのにわざわざ陽翔を引き止めて聞くところが悠哉の癇に障った。まるで自分から陽翔を引き離そうとしているようで難波への嫉妬心がますます溜まっていく。  「はぁ…」とついため息が漏れる。今までは陽翔と一緒にいるだけで心が休まるような気持ちになれたのに、今は逆だった。陽翔といると嫌でも難波のことを思い出してしまって、親友の幸せを喜んでやれることが出来ない自分が憎くて堪らなくなる。  二人は特に会話をすることもなく足だけが動いていく。その間も悠哉はぐるぐると余計なことを考えてしまっていたが、いつの間にか家の前まで来てしまい我に返った。自然とポストに手が伸びるとガサゴソと溜まっている郵便物を出す。すると悠哉はふいに強い視線を感じた。 「なに?」  悠哉はくるりと振り返り、陽翔に問いかけた。「え?!」と大袈裟に驚いている陽翔の様子から、無意識に自分の事を見ていたのだろうと悠哉は思った。あたふたと取り乱す陽翔の姿は滑稽で、これだから陽翔には飽きないんだよ、と悠哉は心の中で失笑する。 「えーっと、悠哉顔赤いけど大丈夫かなーって思ってさ」  陽翔は頬をかき、言いずらそうに悠哉へ指摘した。悠哉は途端にバッと顔に手をやり、なるべく自分の顔が見えないように隠した。まさかさっきの名残がまだ残っているのか…?と思ったが、確かに自分の手に伝わる体温は普段よりも高いような気がした。 「熱、あるかも」  「やっぱり?ちょっと触るね」と陽翔は悠哉のおでこに手を伸ばした。生暖かくしっとりとした陽翔の手に触れられ、なんだか懐かしい気持ちにされられる。 「やっぱり熱いよ、今日はゆっくり休みなよ」 「お前は俺の母さんかよ」  悠哉はボソッと呟いた。面倒見がいいお人好し、悪く言えばお節介、陽翔のそんな面が悠哉にとっては母親のような存在に感じられた。  とにかく先程のやり取りのせいで顔が赤くなっているのではないのだと分かって悠哉は胸をほっと撫で下ろす。彰人に対して変に動揺してしまったのだって、熱があったからなのだと自分を納得させた。きっとそうに決まっている。 「何か欲しいものある?あとで持ってきてあげるよ」 「別にいいよ。そこまで体調悪くないし」 「でも徐々に熱も上がるかもしれないしさ、母さんに何か作ってもらうように頼んでみるよ」  「…お節介野郎」と、つい心の声がポロッとこぼれた。悠哉が体調を崩す度、毎度のことながら陽翔のお節介は度を超えていた。わざわざ学校を休んでまで看病しに来たこともあったほどだ。 「そんなこと言われたって仕方ないじゃん、悠哉は家に一人なんだし、心配なんだよ」 「とにかく、今日はもう大丈夫だから。ピンポンならしても出ねぇから、じゃあな」  悠哉は扉に手をかけ、素っ気なく言い返した。今日は色々ありすぎてストレスが溜まっているのが自分でもよく分かった。それに加え熱もあると来たら今の気分は最悪だった、陽翔のお節介に構っているのも辛いほどに。  悠哉の機嫌が悪いことにいち早く気がついた陽翔は「分かったよ。でも辛かったらいつでも連絡してよ?じゃあ、お大事にね」と手を振り悠哉の家の隣にある自分の家に向かい歩みを進めた。 「はぁ……」  陽翔が帰った途端、どっと疲れが訪れる。悠哉は家の鍵を閉めたことを確認し、玄関に倒れ込んだ。本当に今日は色々あり過ぎて心も身体も不安定にぐらぐらと揺れている。 『お前のことが好きだ、悠哉』  ふと先程の彰人の言葉が脳裏によぎった。端正な顔立ちをした男がこちらをじっと見つめ好きだと言っている。なんで俺なんだ、お前みたいな色男にはもっと相応しい相手がいるはずだろうに、と悠哉は静かに目を瞑った。  神童彰人、彼の名前を口にするだけであの時の後悔が悠哉を押し寄せる。悠哉にとって彰人は思い出したくない記憶の中の一部だった。  彰人は悠哉よりも二つ歳上で、悠哉と中学が同じだった。そんな二人の出会いは三年前、悠哉が中学一年生の時であった。  当時美化委員に入っていた悠哉は、二人一組となって週に一回当番制で花壇の水やりを任せられていた。ペアはその場で適当に決められ、悠哉の相手は三年生の男子生徒らしく、その時の委員会の集まりには来ていなかった。学校を休んだわけでもなく、どうやら集まりを放り出したようでそんな奴が真面目に当番に来るのか、と悠哉は些か不安に思ったのを覚えている。  案の定男は来なかった。だろうなとは思っていたものの、本当に来ないとなるとそれはそれで腹が立つ。委員長にその事を話し当番活動への催促を促したが、一ヶ月経っても一度だってその男が当番に来ることはなかった。  そんなある日、悠哉がいつもの様に一人で花壇の水やりをしていると、その横を中学生にしては大きな図体をした男が横切った。その風貌から一瞬教師なのだと思ったが、その男の顔を見た途端悠哉は「おい」と男を呼び止めた。 「なんだ?」 「お前、神童彰人だよな?なんで委員会の当番に来ないんだ」  神童彰人、クラスの女子が噂していたのを悠哉は耳にしたことがあり、その男の名前となんとなくの風貌は知っていた。そしてこうして間近にするのは初めてだったのだが、この男が神童彰人なのだと悠哉は男を目の前にして確信できた。彰人はくっきりとした目鼻立ちが特徴的な日本人にしては顔の堀が深く、端正な顔立ちをしていた。そしてなんといっても金に近い髪色、物珍しい青い瞳が悠哉の耳にしていた特徴と合致していたのだ。 「当番…」  少し考えるような仕草をして彰人は「ああ、そのことか」と特に悪びれる様子もなく悠哉の方へ距離を詰めた。 「確かに佐原から金曜に美化委員の当番に行けと言われたが、別に俺一人が来ないだけで特に支障はないだろ?だから行かなかった、これで納得したか?」  彰人は面倒くさそうにそう言った。そんな彰人の態度に悠哉の沸点はふつふつと見る見るうちに上がっていった。「は?それが理由か?」と問いかけると、もう話は済んだと言ったように「そうだ」と悠哉に背を向け彰人は歩き出した。  プチン、と自分の中で何かがキレた音がした。途端に悠哉は相手が上級生だということも関係なしに彰人の胸ぐらを力強く掴んだ。 「納得した?そんな理由で納得するわけないだろふざけんな。こっちが年下だからって舐めんな」  彰人はまるで珍しいものでも見たかのように目を見開き悠哉を見ていたが、すぐにキッと睨みあげる。そして悠哉の腕をガっと掴み上げ「お前こそ調子に乗るなよ?」と再度鋭い瞳で悠哉を睨んだ。 「は?別に調子になんて乗ってねぇよ。お前の方こそ調子にのってるんじゃねぇの?自分の任された仕事すらできないような奴がよ」 「お前いい加減にしろよ」 「なんだ殴るのか?そうやって理不尽に自分の腹が立つことがあったら相手を黙らせる、でかい図体してるくせにやってる事がだせぇーんだよ」  悠哉の言葉を受けた彰人は瞳をカッと見開いた。その姿に、今にも怒りの感情が露になっていることが見てわかった。すると、彰人が悠哉の顎をグイッと上に上げ力強く引き寄せる。ゆらゆらと揺れている青い瞳が目の前にあり、悠哉の喉は思わずゴクリと鳴った。 「その生意気な口を今すぐ閉じろ、今すぐお前を襲ったって俺は構わないんだぞ」  悠哉の言葉に彰人は本気で腹を立てているようで、先程よりも掴んでいる手には力が込められており悠哉の腕はじんじんと痛んだ。それでも腹が立っているのは同じだったため、悠哉は彰人の脅しに物怖じせずに負けじと睨みあげた。 「そんな脅し使っても無駄だぞ、俺はお前のことなんてちっとも怖くないんだからな。でかい見た目してれば誰でも怖がって言うこと聞くと思うなよ」 「俺が怖くない…?はっ、強がるなよ」 「強がってなんかない。とにかく離してくれないか?そして俺の言うことを聞いて当番に来い」  しばらくの沈黙が続く。物珍しい青い瞳がこちらをじっと見つめている。悠哉はここで目を逸らしたら負けだと思い、彰人の瞳から視線を外すことなく見つめ続けた。  すると彰人は悠哉の顎から手を離し、するするとその手で身体をなぞると悠哉のケツを揉んだ。その瞬間ゾクリと嫌な寒気が悠哉の全身を走り、悠哉は堪らずに彰人の頬を思いっきり手のひらで叩いていた。  「…っ、なにすんだお前…っ!」と彰人は叩かれた頬を痛そうに撫でた。かなりの力で叩いてしまったため、彰人の頬には立派な手のひらの跡が残ってしまっている。 「それはこっちのセリフだ…!この変態が…っ!」 「だからって叩くことないだろ?ただの嫌がらせを本気にするなよ」 「はぁ?!嫌がらせって…男相手に冗談じゃねぇ…っ!」  嫌がらせにしてもタチが悪すぎる、と悠哉は顔を顰めた。なぜ男に尻を揉まれなければならないんだ。  当の彰人は叩かれたことに納得がいっていないようで「普通上級生を叩くか…」と怒っているというより半ば呆れているような様子だった。 「お前みたいなやつとは初めて会った。俺を見てもビビりもせずにむしろ噛み付いてくるなんてな、そしてまさかビンタされるとは思ってなかった」 「それは完全にお前が悪いだろ?男のケツを揉むなんていい趣味してるよほんと」 「お前はもう少し危機感を持った方がいいぞ、そんなに誰これ構わずに噛み付いていたらいつか痛い目を見る」  彰人は悠哉に憐れむような視線を向けてそう忠告した。 「はぁ?お前にそんなこと言われる筋合いはない。とにかく、来週当番に来なかったらもう一発くれてやるから」 「それは怖いな。まぁいい、お前みたいなガキにそもそも興味なんて無いしな、それにこれ以上言い争っていても埒が明かないから俺は帰る」 「あっ、おい!!」  背を向けた彰人に、このままでは逃げられてしまうと思った悠哉は咄嗟に彰人の手を握った。「来週は絶対来いよな」と自分より十センチ以上は大きな人間に対して下から見上げるような形で訴える。彰人は一瞬驚いたような仕草を見せたがすぐに顔を背けてしまった。握っていた手を払われ「気が向いたらな」とだけ言い残し、彰人は今度こそ背を向け歩き出した。  自分より一回りは大きかったであろう彰人の手。触れた瞬間なんて冷たい手なのだろうと悠哉は思った。まるであの冷めきった青い瞳のようだ。  彰人への第一印象は最悪だった。初対面でケツを揉まれたのだから、こうした印象を抱くのだって仕方がない。それに不真面目で愛想が悪い、悠哉自身曲がったことが大嫌いだったため当番に来ない彰人のことが正直気に食わなかった。だけどそんな彰人を放っておくことが出来なかったのは、彰人が陽翔と出会う前の自分に似ていたからなのだろう、と悠哉は考えている。これが悠哉と彰人の出会いだった。  それからというもの、悠哉は彰人を見かけてはしつこく声をかけ続けた。彰人のことは嫌いだったが、当番に来ないことには単純に腹が立ったため、どんなに嫌いな相手だろうと悠哉は自ら関わろうとした。彰人はというと、最初こそ反抗してたものの、そんな悠哉のしつこさに根負けしたのだろう、ついには当番に来るようになった。二人の関係が変わっていったのはそれからだ。学年は違えどなんだかんだ気兼ねなく話せる仲になり、よく二人で何気ない会話を交わしていた。彰人も徐々に口数が増え、自分自身が抱いているコンプレックスを教えてくれたこともあった。  彰人は母親が日本人、父親がアメリカ人のハーフということもあり、父親の遺伝子が色濃く残ってしまったがために目の色が深い青色だった。その事で差別をする人間もいたようで、彰人自身自分の目の色を嫌っていたのだ。それに加え成長するにつれて背も徐々に伸びていき、中学生にしては大人のような容姿をしていた彰人は周りから怖がられ、時には持ち前のルックスから親しくもない女が擦り寄ってくるなど、自分の容姿に関してかなりのコンプレックスを抱いていた。そんな彰人は自分の容姿しか見ていない周りの人間を軽蔑していた。悠哉からしてみればそんな奴ら気にしなければいいと思うのだが、彰人にとってはそんな自分も周りの人間も毛嫌いしてしまっていたのだろう。そんな彰人のことを余計に放っておくことが出来ず、あの頃は彰人のことばかり考えていたような気がする。しかし、二人の関係は長くは続かなかった。  事件が起きたのはその年の冬、悠哉は実の父親に無理やり襲われかけた。親からの性的被害、陽翔が助けてくれたおかげで未遂で済んだものの、たった一人の肉親であった男に襲われそうになったことは悠哉の中で言い表せないほどのトラウマとして刻まれることになった。それから悠哉は大人の男性に対して恐怖心を抱くようになり、彰人のことも同様に怖がった。悠哉は彰人と父親の姿を重ねてしまい、彰人のことを強く拒絶してしまったのだ。あの時の彰人の傷ついた顔は今でも鮮明に悠哉は覚えており、忘れられずにいる。それから彰人が卒業するまで一度も会話を交わすことなく二人の関係は疎遠になった。  そしてその時の出来事は自分の中で後悔として現在まで残っていた。彰人のことを思い出すとあの人のことまで思い出してしまいそうで悠哉にとって恐怖だった。そのため彰人の存在ごと自分の中で忘れようとしていたけれど、彰人に対しての罪悪感が強く自分の中に根付いていたため、悠哉にはそう簡単に忘れることなど出来なかった。

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