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第22話
二人は床に肩を寄せあって座った。そして全てを話した、悠哉の育った環境、実の父親にレイプされそうになったことも全部彰人に打ち明ける。悠哉が話している間、彰人は一言も喋ることなく悠哉の手をギュッと優しく握りしめ、静かに耳を傾けていた。
「ごめん、ずっと話せずにいて」
全てを話終えるとやはりいい気分はしなかった、あの時のことを少しでも思い出そうとすると指先が冷たくなり体が震えてしまう。そんな悠哉の身体に彰人はそっと腕を回し、優しく肩を抱いてきた。
「いや、辛いことを話してくれてありがとう。お前の兄からレイプ未遂の件は聞いていたが、実際にお前の口から聞くとお前の父親に対する憎しみでどうにかなってしまいそうだ」
そう言った彰人の声には静かだが確かに怒気があり、瞳の奥に怒りの色が見える。
「そしてお前が一番辛い時に何も出来なかった自分が悔しくて堪らない」
顔を顰め拳を握りしめている彰人に「お前が気にすることじゃないのに」と悠哉は目を細め笑う。
「いや、お前に一度拒絶されたぐらいで怖気付いてお前と関わろうとしなかった俺が今は憎くてぶん殴ってやりたい気持ちだ。悠哉があんな辛い気持ちでいたのに俺は気づきもしなかったんだ」
本気で悔しがっている彰人がなんだか面白く見えてきた。本当に自分のことが好きで仕方がないこの男が愛おしく感じる。
彰人の肩に頭を預け「本当に俺のこと好きだよな」と悠哉は笑い混じりに言う。
「ああ、好きだ。お前は覚えているか分からないが、三年前に自分の外見を気にしている俺にお前は『外見ばかり見られるのはお前の外見が魅力的だからじゃないか?贅沢すぎる悩みだと俺は思うけどな。だけどお前がそんなに外見ばかり見られるのが嫌っていうなら外見を上回るぐらい内面を磨く努力をしたらどうだ』って言ったんだ。生意気なお前がストレートに褒めてきたことにも驚いたが、内面を磨けというお前の考えには頭が上がらなかった」
確かに言った。当時でかい図体をした自分の外見をよく思ってなかった彰人に対して言った率直な感想だった。今思うとなんて小っ恥ずかしいことを言ってしまったのだろうと悠哉の顔は赤くなってしまう。
「あれはお前が外見について女々しく悩んでたから励ましてやっただけで別に褒めてるつもりじゃ…」
「じゃああの時の言葉は嘘だったのか?」
悠哉が照れ隠しのように俯くと、彰人は悠哉の顔をのぞき込むようにして問いかけた。
「べ、別に嘘って訳じゃ…っ、それにあの時のお前は自分の外見どうのこうのって卑屈になってるだけで何もかも諦めてただろ?だからって不真面目に生きてるお前が俺は嫌いだったんだ、だから内面を磨けって言ったんだ…もうこの話はいいだろ…?」
なんだか彰人の外見を素直に褒めているようで、悠哉の恥ずかしさはさらに上がっていった。あの時は全く気づかなかったが、こうして掘り起こされると彰人の外見を魅力的だなんて顔を覆いたくなるような発言だ。
「いや、まだ言いたいことがある。お前は俺の瞳の色を綺麗だとも言ってくれたんだ、俺は昔から自分の瞳の色が大嫌いだったが、お前のおかげで今は嫌いじゃない」
彰人に柔らかい微笑みを向けられ、悠哉は「…そっか」と小さく呟く。彰人が自分の瞳の色に対して以前のような強いコンプレックスを抱いていない事実に、悠哉はホッとしたような安心した気持ちになった。たかが自分の一言で彰人が自分自身のことを好きになってくれるなら、恥ずかしがらずにもっと褒めてやるのもいいのかもしれないと悠哉は密かに思った。
「お前の言葉はお世辞でも何でもなく思ったことを真正面から口にしているだけのように感じて、だからお前に褒められると素直に嬉しい気持ちを抱けたんだ。それにお前は俺みたいなやつと平気で一緒にいただろ?普通は俺なんかと関わりたいやつなんて滅多にいないのにお前は違った。周りの目を気にせずに堂々と生きてるお前を俺はかっこいいと思ったよ」
褒め殺しのように言葉を続けていく彰人に「そんな理由で惚れたんだ?」と悠哉は半ば照れ隠しのように問いかけた。
「まぁ、顔も大きいな。初めて会った時にお前に腕を掴まれて上目遣いで見つめられた時は正直やばかった」
悠哉は思わず「嘘だろ?」と顔を上げ、彰人の顔を見る。初めから自分に気があったなんてあの頃の彰人からは一切感じられなかったため、驚きを隠せない。
「好きになったタイミングは定かでは無いが、もしかしたら一目惚れだったのかもしれないな」
あんなにすました態度でいた彰人が既に自分のことを好きだったなんて半ば信じられなかった。「それならもっと優しくしてくれても良かったのに」と悠哉は頬を膨らませ不満を漏らした。
「あの頃の俺はガキだったんだ、許してくれ」
柔らかく微笑んだ彰人はポンポンと悠哉の頭を撫でた。彰人の大きな手が不思議と悠哉を安心させる。なんだか今ならなんでも話すことが出来そうで、悠哉の口からはつい言葉が漏れてしまった。
「お前と昔の俺は似てると思ってた、だから俺はお前のことがなんかほっとけないんだとそう思ってたんだ」
「違うのか?」
「お前はあの人…父さんと似てるんだ」
悠哉が父さんと口にすると、彰人は眉を寄せおもむろに嫌そうな顔をした。
「お前の父親にか?」
「ああ、あの人はいつもどこか強がってて素直じゃなかった。子供っぽいところが結構あってさ、そんなところがほっとけなくて。やっぱり似てるって言われて嫌だったか?」
「まあな、お前に酷いことをした男と似てるなんて正直嫌すぎる」
彰人の素直すぎる答えに悠哉は思わず吹き出し「正直だな」と笑う。彰人は嫌がっているが、悠哉の父親と彰人は見た目だけではなく、中身もどこか似ていた。どこが似ているのかこと細かく説明することは出来ないが、あの時から悠哉の中でこの二人を重ねてしまうことが多々あったのは事実だ。だから悠哉は彰人を気にしてしまっていたのだろう。
「お前は父親のことが嫌いじゃないのか?」
彰人の疑問に悠哉はしばらく言葉が出なくなる。悠哉が無言でいることに悪いと思った彰人は「やっぱり今の質問はなしだ」と訂正した。
「わからない」
やっと出た答えはどっちつかずのもので、自分でもこれ以上の答えは出ないだろうと悠哉は思った。
「襲われそうになった時、怖かったし気持ち悪かった。だけどそれよりも俺のことを母さんだと勘違いされた事がショックだったんだ。俺は所詮母さんの代わりでしかない、父さんは俺のことを愛してくれることは無いんだって絶望した。母さんじゃなくて俺を見て欲しい、俺はあの人から愛して欲しかったんだ、ただあの人からの愛が欲しかった…でも実の父親にこんなこと思うのってやっぱり変だよな…?あんな事されても未だに愛して欲しかったなんてさ、だから今まで俺はあの人が嫌いだって自分に言い聞かせてきたけどやっぱり本心では嫌いにはなれなかったんだ、やっぱり俺のあの人への想いはおかしいよな」
悠哉は眉を下げ、自分を卑下するような口調で彰人に問いかけた。
「そんなことはない、子供なら誰しも親からの愛が欲しいと思うのは当然だろう」
「だけど俺の父さんへの気持ちは本当に親愛だったのか分からないんだ。父さんに好きだと言われたら俺の胸は大袈裟に高鳴ったし、あの人に見つめられると顔が熱くなったこともあった。お前はどう思う?」
悠哉の問いかけに彰人は最初驚いたような表情をしていたが、すぐに顔色を変え難しい顔をして「そうだな…」と口を開いた。
「お前の父親への感情が親愛を超えていたとしても、それはお前の父親が親としてお前を愛していなかったから生まれてしまった感情だと俺は推測するな。父親として真っ当にお前を愛していたなら、お前も本来親へ抱くはずの感情を持てたはずだ。だけど中途半端に愛情を注がれたお前はそれを恋に似たものと勘違いしてしまったんじゃないか?」
彰人の答えに「恋…?」と悠哉は思わず聞き返す。
「俺が父さんに恋してたって言いたいのか…?」
「お前の話を聞く限りだとそう思うのが普通だろ。父親に対してドキドキしてたんだろ?」
彰人は平然と話を進めているが、悠哉はまるで信じられないというような顔で未だに彰人の言っていることが理解出来なかった。まさか実の父親に恋していたなんて信じられない。
「確かにドキドキしたこともあったけど、実の父親だぞ?父さんへの感情は普通の父親に抱くものとは違ったかもしれないけど恋はないだろ…?」
「それはお前自身しか分からないことだ。だけどお前の陽翔への感情よりよっぽど恋に近いと思うけどな」
彰人の言う通り、悠哉は陽翔に対してドキドキなどしないし、確かに父さんへの感情の方がよほと恋に近いような気もしてくる。
「お前は父親に対する感情が恋愛感情だと認めたくなかったから陽翔への感情を無理やり恋愛感情に結びつけたんじゃないか?」
彰人の言葉を聞いて、悠哉はすごく腑に落ちてしまった。そうなのかもしれない、父さんの事を忘れる為に無理やり陽翔に依存したのも、父さんに対する恋に似た感情を否定するためだったのかもしれない、と悠哉は自分自身の感情への気づきが見えたような気がした。
「…なんか今になって自分の本当の気持ちに気づいたのかもしれない、だけどすごく虚しくなってきた。俺はずっと叶うはずのないものを求め続けていたんだなって」
悠哉はずっと一人の男からの愛が欲しかったのだ。母さんがいなくなっても父さんは俺のことを愛してくれている、悠哉はそう思いたかったのかもしれない。
すると、彰人の指先が悠哉の頬に触れる。そして彰人の手が悠哉の頬を包み込むように添えられ、自然と瞳と瞳が絡み合った。
「お前は愛が足りてないんだ、本来家族から受ける愛をお前は十分与えられなかったせいで愛情が未成熟のまま成長してしまった。だから自分が誰かを愛する気持ちもよく理解できないんじゃないか」
愛が足りていない、確かに彰人の言う通りなのかもしれない。愛され慣れていない俺は愛し方を知らないから恋というものが分からない。
「俺がお前を愛してやる。今まで与えられてこなかった愛情を俺が与えてやる。愛されすぎてお前が困ってしまうほどに俺は悠哉のことを愛したい」
愛したい、彰人からの熱い言葉を受けて、悠哉の心臓は今までにない程大きく跳ね上がった。この気持ちはなんだ…?身体がどうしようもなく熱い、心臓がバクバクとうるさい、頭が上手く回らない、俺は一体どうしてしまったのだろうか。悠哉は自分の感情の意味が分からないまま彰人の瞳を見つめ続ける。彰人の顔が近い。溺れてしまいそうなほど青い綺麗な瞳が悠哉の姿を捉えては離してくれなかった。
自然と閉じていく瞼。二人はどちらともなくゆっくりと距離を詰め、お互いの唇を重ねていた。ふにっと柔らかい感触が唇から伝わってくる。温かくて心地よい、ずっと触れていたいと思ってしまう。
すぐに唇は離され、鼻と鼻が密着するぐらいの距離でお互いの瞳がまた絡み合う。そして再度キスをされる。先程の触れるだけのものとは違って、角度を変え悠哉の唇を食むように何度もキスを落とされる。彰人とのキスが気持ちよくて、身体中の体温が急激に上がっていき悠哉の頭はふわふわとぼーっとしてきた。
彰人の右手が悠哉の耳たぶに優しく触れる。思わず「ん…っ」と声が漏れてしまいなんとも言えない気分になってゆく。息の仕方さえ忘れてしまい、苦しいはずなのに気持ちが良くて、悠哉は彰人の背中に腕を回し、ギュッとしがみつく。
どのぐらい時間が経ったのか分からない、本の数秒の事かもしれないが、悠哉にはとても長い時間に感じられた。ゆっくりと唇が離されると、彰人は急に立ち上がり「帰るぞ」と悠哉に背中を向けた。
「あ、ああ」
彰人の後に続いて悠哉も立ち上がろうとした瞬間、ぐらっと足元がおぼつきバランスを崩してしまう。そんな悠哉を「大丈夫かっ?」と彰人が慌てて支えてくれた。そんな彰人の姿をぼーっと眺めていると、すぐに顔を逸らされてしまう。そのまま二人は一言も言葉を交わすことなく、もうすっかり薄暗くなった景色の中足を進めた。
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