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第30話
あれから家に帰ると、身体中を覆う寒気を覚えた悠哉は熱を測ってみたところ三十八度もあった。丁度木原とうちで夕飯を食べるという話になっていたため、悠哉の体調不良を知った木原が看病することになり、その日は泊まることになった。「大丈夫か悠哉?」と心配そうにしている木原は悠哉の傍から離れることなく、甲斐甲斐しく看病をしてくれた。
それでも悠哉の熱は下がることなく、次の日病院に行って貰った薬を飲んでも一向に良くはならなかった。こんな高熱が長続きしている状況が久しぶりすぎてこのまま自分は死んでしまうのではないかと不安になってくる。身体が沸騰したように熱いのに、背筋が凍るような寒気にも襲われる。はぁはぁと息が苦しく寝ることさえ困難だ。それでも胸がズギズキと痛むのは熱のせいでない事だけは理解できた。
嫌でも那生のこと、そして御影に言われたことを思い出してしまう。昨日の出来事を思い出すと胸が苦しくて痛くて、とても辛い。これはきっと罰なのだろう、御影の誘いに心が揺らいでしまった自分自身の罰。それでも彰人に会いたいという気持ちが心の奥底には存在していた。しかし彰人に会ったところで俺はどうするんだ?彰人がモデルになってしまったら本当に住む世界が変わってしまう。俺が彰人のことを諦めたら彰人は那生と付き合うのだろうか?そんなの嫌だ、耐えられない、彰人が自分以外の誰かを愛している姿など、悠哉は想像したくもなかった。しかし彰人に愛されたいのにこんな自分は愛される資格などない、そんな相反する感情がぐるぐると渦を巻いて自分の中に黒いモヤとして存在していた。熱のせいか分からないがどんどんネガティブな感情に飲み込まれていく。いっそのこと、このまま消えてしまったら何も考えなる必要がなくなるのではないか、そんな事を考えながら悠哉は瞳をゆっくりと閉じた。
五日目でようやく熱が下がった。平熱まで下がるのは久しぶりでこんなにも身体が軽いのか、と改めて実感する。一向に悠哉の熱が下がらないことに顔を真っ青にして心配していた木原も、今日渡した体温計を見て心底安心した顔で「熱が下がって本当に良かった」と悠哉の頭を優しく撫でた。
「そういえば今日の夕方陽翔くんが悠哉の様子を見に来るって」
「陽翔が?」
木原から薬を受け取り水と共に一気に流し込む。五日目にしてもこの薬の苦さには慣れることはなく、悠哉は思わず顔を顰めた。
「ああ、この一週間何度が訪ねてきてくれていたんだけど、悠哉の熱がうつると悪いから部屋にはあげなかったんだ。だけど今日ならもう大丈夫そうだ」
「悠哉のことすごく心配してくれて、本当に陽翔くんはいい友達だね」と木原はうんうんと頷く。
そういえばスマホ、と思いコップを木原に渡しスマホを手に取る。風邪をひいていた間とてもじゃないがスマホなど見れる状況ではなかったため、約五日ぶりにスマホを開いた。
「うわ…っ」
悠哉はスマホの画面を見て思わず声を漏らす。画面はLINEの通知で埋まっており、ほとんどが陽翔からのものだった。
「陽翔は良い奴だけどこの異常な心配症はどうにかならないのか…」
「ははは、陽翔くんは本当に悠哉のこと心配してたもんなぁ。あ、そういえば神童くんだっけ?あの子も何度か来ていたよ」
彰人の名前を聞き、ドキリと悠哉の心臓が跳ね上がった。LINEの通知を漁ってみると、陽翔に隠れ確かに彰人からもメッセージが何件か届いていた。「また風邪をひいたんだってな、大丈夫か?」「今日放課後見舞いに行く」「相当重症みたいだな、早く良くなればいいんだが」など陽翔ほど数は多くないが、毎日何かしら送ってくれていたみたいだ。そんな彰人の優しさが胸を締め付ける。
「なぁ、人を好きになるって何なんだろうな」
気づいた時には悠哉は木原に問いかけていた。今の悠哉には最早、人を好きになって恋人同士になるということの意味が分からなくなっていた。
「素晴らしいことだと思うよ、自分以外の人を愛するって」
木原は悠哉の質問に一瞬驚いたような仕草を見せたが、すぐに表情を戻すと自分の答えを口にした。悠哉の意図しない木原の見当違いな返答に、悠哉は唖然としてしまいしばらくの沈黙の後「そういうことを聞いたんじゃない」と冷たく言い放った。
「え?!違うの?!」
「なんか違う、なんだよ素晴らしいと思うって抽象的な答えは」
「だってその通りだろう?人間誰しも自分のことが大好きで自分よりも大切なものなんて存在しないのさ、だけど恋をするとそんな考えがコロッと変わってしまうんだ。相手のことが愛おしくて仕方なくて、自分を犠牲にしてまで相手を守りたくなる、恋をすると自分よりも大切な存在ができるんだよ、やっぱり人を好きになるって事は素晴らしいじゃないか」
木原が淡々と自論を並べている中、悠哉は自分自身に当てはめていた。自分を犠牲にしてでも彰人の事を守ろうとするのか、しかし悠哉には絶対彰人を優先すると断言することが出来なかった。けれども彰人ならば俺の事を何がなんでも守ってくれるのだろうという想像が悠哉には容易にできた。それほどまでに彰人に愛されているという自覚が悠哉の中にはあるのだった。
「悠哉にとってそういう存在はいるの?」
木原の優しい問いかけに悠哉はしばらく黙り込むと「どうなんだろうな…」と曖昧な返答をした。
「今の俺にはまだ判断できないみたい。でもあいつは自分のことなんかよりも俺を優先してくれるんだろうなって思ってる…、愛されてるって自覚はちゃんとあるんだ、なのに…同じぐらいの大きさで俺も愛せるのか分からないんだ…」
「別に同じ分だけの愛を相手に与えようだなんて考えなくてもいいんじゃないのかな」
木原は悠哉を優しく包み込むような笑みを浮かべて目を細めた。
「人にはそれぞれ愛の伝え方があってさ、それは人によってやっぱり違うんだよね。それこそ美桜なんて結構キツいようなことを平然と口にするような子だけど、それでも俺のことが好きだって感じ取れるし、悠哉もそこまで深く悩む必要は無いんじゃないかな」
「…そうなのかな…」
「うん、それに今の悠哉を見てたら相手のことをすごく考えてるし、それだけでも好きなんだなって伝わってくるよ」
悠哉は木原から目を逸らし「…そっか」と小さく呟いた。すごく説得力のある木原の言い分は、彼の今までの経験からだろうか、さすがは悠哉よりも長く生きているだけあって悠哉には持ち合わせない視野の広い考え方だった。
それでも未だに悠哉の中にあるモヤモヤとした気持ちは消えることなく、悠哉は黙り込んでしまう。そんな悠哉を励ますように「でもさ!」と木原は明るい声を発した。
「相手が自分のことを好きだって分かってて、俺は同じ分だけ愛を返せるのかってすごく贅沢な悩みだと思うけどなぁ、普通は相手に自分のことを好きになってもらうにはどうしたらいいんだろうって悩むはずなのに。悠哉は真面目すぎるんだよ、相手が自分のことを好きで自分も相手のことが好きだったらそれだけでいいんじゃない?」
「恋愛ってそんなものなのか…?」
悠哉が険しい表情で木原に問いかけると、木原は肩を震わせ「悠哉はほんと可愛いなぁ」と笑みを浮かべた。
「はっ?なに」
「いやー、だってそんなに悩んでるなんて初々しくてさぁ。相手も自分の事で悠哉がこんなにも頭を悩ませてるなんて知ったらすごく嬉しいと思うよ」
初々しいと言われてしまった悠哉は途端に顔を赤くさせ「…うっさいっ!」と声を上げた。今になって恥ずかしくなってきた悠哉は布団へ潜り込み木原に背を向ける。
「もういいから出てってくれ」
「ふふっ分かったよ。陽翔くんが来たら悠哉の部屋に案内しても大丈夫?」
「…ああ」
そう言うと木原はコップを持って部屋を出ていった。一人になった悠哉はスマホを手に取り、再び彰人からのメッセージを読み返していた。ふと半年前に風邪をひいたときの事を思い出す。そういえば彰人が看病してくれたっけ、と悠哉は懐かしむ気持ちで振り返った。あの時は陽翔から鍵を借り勝手に入るという強引すぎた訪問だったが、彰人は悠哉のことを確かに心配してくれていた。
彰人に想われている、頭では理解出来ているはずなのに、自分の気持ちに一向に踏ん切りがつかない。先程木原も言っていたように、悠哉は真面目すぎるのだった。しかし悠哉自身、自分がここまで面倒くさい性格をしているなんて、と驚きを隠せないでいた。昔から物事を決める際には即決していた自分がこんなにもうだうだ考え込んでいるなんて、悠哉には半ば信じられないことだったのだ。今まで恋愛経験などほとんどした事がなかった悠哉は、実は恋愛絡みになるととても面倒くさい考えになってしまうのかもしれない。
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