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第31話

 十六時が過ぎた頃、木原の予告通り陽翔が訪ねてきた。約一週間ぶりに見た親友の顔は何故だかとても安心感があり、陽翔の姿を見るだけで胸がほっと落ち着く。 そんな悠哉とは対照的に、陽翔は部屋に入って悠哉の姿を見つけた途端「悠哉…っ!」と駆け寄ってきた。そんな陽翔は面白いぐらい落ち着きがなかった。 「もう熱下がったんだよね…?!他に具合悪いとことか…」 「ばーか、落ち着けよ。もう大丈夫だから」  心配そうに尋ねてきた陽翔の頭を軽く叩き、やんわりと答えた。悠哉の様子に安心したように陽翔も「そっか」と微笑みを浮かべる。 「五日も熱が下がらないなんて何かの病気なんじゃないかって心配で気が気じゃなかったよ」  陽翔は床に腰を下ろすと「あ、そうだ」と何かを思い出したかのように口を開いた。 「明日の文化祭には来るんだよね?」 「行かない」  悠哉が質問に即答すると「え!?なんで?!」と陽翔は驚いたように目を丸くして尋ねてくる。 「行くわけないだろ。一週間も休んでおいて文化祭にだけ来るなんて変だし」 「そんなことない!もう悠哉の担当も決まっちゃったし…それに初めての文化祭だよ…?!」  陽翔はどうにかして悠哉を文化祭に行かせたいらしいが、悠哉自身今の状態で文化祭など浮ついたイベントを楽しめるわけがないため行きたくなかった。それに文化祭には那生が来る、また那生と鉢合わせることになったらどうしようという不安からますます文化祭に行く気にならない。 「神童先輩だって悠哉と文化祭廻るの楽しみにしてるよ」 「彰人が…?そもそもあいつと廻る約束なんてしてないんだけど」  悠哉は身に覚えのないことを言われ、怪訝な表情で陽翔の顔を見ると「え…?そうなんだ…」と慌てて目を逸らされる。どうやらデタラメなことを言ってでも悠哉を文化祭に行かせたいようだった。 「あ!でも神童先輩も悠哉のことすごい心配してたし、早く元気な姿見せてあげないと」 「さっきから彰人彰人って、なんでそんなに彰人のこと気にしてるんだよ」  悠哉は鋭い視線を陽翔に向けた。陽翔は目を泳がせしばらく考え込むような素振りを見せると「だって…」と言葉を続ける。 「悠哉、神童先輩のこと好き…?なんだよね?」  悠哉の瞳をしっかりと見つめ、陽翔は悠哉の気持ちを的確についてきた。予想もしていなかった陽翔の言葉に悠哉は何も言えずに固まってしまう。陽翔は悠哉の彰人への想いに気がついていたのだ。 「悠哉にとって神童先輩は特別なんだろうなってずっと思ってたから二人がいい感じになって僕も応援したいなって思ってるよ。神童先輩なら悠哉のこと幸せにしてくれるだろうし」 「お前いつから気づいてたんだよ…」 「うーん…いつからって言われたら難しいけど、中一の頃よく神童先輩と一緒にいたよね?その頃から神童先輩に対する悠哉の表情が柔らかくて…僕以外にあんな表情してる悠哉見たこと無かったからそうなのかなって」  頬を掻き、困り眉で微笑んでいる陽翔の言葉に悠哉は大きな衝撃を受けた。 「中一からって…そもそも今の俺自身の気持ちもはっきりしてないのにそんな前から彰人のこと好きなわけ…」 「僕は悠哉じゃないから本当のことは分からないけど、あの時お父さんの件がなくて神童先輩とも疎遠にならなかったら二人はいい関係になってたんじゃないかな?それに悠哉はずっと神童先輩を拒絶したことを後悔してたから、悠哉にとっては神童先輩の存在は大きかった、あくまで僕の予想だけどね」  陽翔が自分と彰人のことをずっと前からそんな風に思っていたなんて、悠哉は当然知らなかった。しかし陽翔の言葉が案外すっと頭に入っていく。陽翔の言う通り、あの頃から彰人の存在は悠哉にとって特別だった。同じ当番ということを理由によく二人で放課後話をしていた。彰人も最初こそいけすかない態度を取っていたが、悠哉がしつこく相手をしているうちに表情も柔らかくなり口数も徐々に増えていった。そんな彰人と共に過ごす時間が自分にとって特別でかけがえのない時間だったことは事実だった。  彰人のことを放っておけなかった一番の理由は父に似ていたからだろう。だけどそれだけではなく、彰人という人間にどこか惹かれていたから悠哉は彰人と一緒に居たいと思えた。悠哉はあの頃から彰人という人間に好意を寄せていたのかもしれない。 「俺、彰人のこと好きなんだ」  今まで否定していた自分自身の気持ちを初めて口に出した。陽翔は「うん」とだけ相槌を打ち、静かに耳を傾けてくれている。 「ずっと恋ってものが分からなかった、お前のことを好きだと思ってた時だって正直恋なのかあやふやな状態で無理やりこの気持ちは恋なんだって自分に言い聞かせてたんだ。そうじゃないとずっとあの人に…父さんに囚われてるような気がして嫌だったから」  悠哉にとってあの人は父親であり、憧れの人だった。自分は父さんに愛して欲しかったんだ。あの人に愛されていた母さんが羨ましいとさえ感じていた。そんな自分は彰人を見る度に父と姿を重ねてしまって、一生父への気持ちに囚われ続けることになるのが嫌だった。だから中学二年生以降は彰人のことを忘れようと無理やり陽翔に依存した。そうすれば父のことも彰人のことも忘れることが出来ると思ったから。 「だけどまた彰人と再会して、あいつと過ごしていくうちに俺はあの人じゃなくて彰人のことが好きなんだって気づいた。父さんへの気持ちは行き過ぎた親愛なのかもしれないけれど、彰人への気持ちは恋って呼んでもいいんじゃないかなって思えたんだ」  不思議なことに陽翔に話すと今まで悩んでいた自分の気持ちがすらすらと口から出てくる。彰人のことが好き、俺は彰人のことが好きなんだ。  「それは立派な恋だよ」と優しく微笑む陽翔の言葉がすとんと胸に落ちる。あんなにも複雑に入り交じっていた糸が一気にほどけ、一本の糸となったように自分の気持ちがすっきりと収まる。 「だけど彰人みたいな男前と俺は本当に恋人として相応しいと思うか?」  自分の気持ちが整理出来た次は、今一番頭を悩ませていることを尋ねた。  陽翔は悠哉の言っていることがよく分かっていないようで「悠哉が彰人さんには相応しいかどうかってこと?」と聞いてくる。悠哉は「…ああ」と頷いた。 「相応しい以前に二人は両想いなんだから関係ないと思うけど…」  陽翔の答えに納得がいかなかった悠哉は「じゃあもし彰人に対してすごい好意を寄せている人間がいたとして、そいつは見た目も中身も完璧で彰人への想いも真っ直ぐで、そんな奴がいたらそいつの方が彰人と相応しいと思うだろ?」とさらに質問を重ねた。  悠哉の質問に難しい顔をした陽翔は「なんでそんなこと聞くの?」と首を傾げる。 「…だって俺ってずっと彰人に対して素直になれなくて、好きだって認めることすら出来なかったから…。そんな奴が彰人のこと幸せに出来るはずないだろ…?」  目を伏せ、悠哉は自分の手を見つめる。自分でもみっともないことを言っている自覚はあった。だけど那生の存在が大きすぎてこう言わざるを得なかったのだ。  すると、陽翔の手が悠哉の手の甲にそっと重ねられる。温かい陽翔の手に包まれた悠哉はゆっくりと陽翔の顔を見た。 「悠哉は優しすぎるんだよ。相手のことを思い過ぎて、相手が幸せになることを一番に思ってるからそんな不安が出てきちゃうんじゃないかな。そうじゃなくてさ、自分が幸せになるために恋をしてもいいんだよ」  陽翔のその言葉に、悠哉は今まで霞んでいた視界が一気に晴れたかのような感覚になった。 「自分のために…」 「恋ってさ相手のことが好きだから無意識にしてるのかもしれないけど、自分の幸せを掴むためにしてる人が多いと思うんだよね。相手のことを幸せにしたいって思ってる人ももちろんいるだろうけど、悠哉はまず自分が幸せになることだけ考えればいいんじゃないかな?彰人さんから幸せをたくさんもらって、それからでも幸せを返すのは遅くないと思う」  「彰人さんなら悠哉がそばに居てくれるだけで幸せだって言いそうだけど」と陽翔は微笑んだ。  陽翔の言葉に胸がいっぱいになる。自分が幸せになるために恋をする、そんな考え今まで一度だって浮かばなかった。彰人のことを好きだと自覚して、それからは本当に自分が彰人に相応しいのか頭を悩ませるだけで彰人と付き合うことで自分が幸せになろうなど考えもしていなかった。 「俺、幸せになってもいいのかな。彰人から愛されてもいいのかな」  陽翔の手をギュッと握り返し、震えた声で尋ねた。瞳からは涙がこぼれ、俺最近泣いてばっかだなと自分の涙を見て悠哉は心の中で笑った。 「うん、誰にでも平等に幸せになる権利はあるんだから悠哉だって幸せになってもいいんだよ」  陽翔の優しさに、悠哉の涙腺はさらに緩んでいった。母さんが死んでからずっと孤独だった。一人で生きていこうと強がっていたけれど、本当は寂しかったんだ。自分の人生を不幸だと言ってしまったら死んだ母さんに申し訳ないし、孤独だった自分を孤独から解放してくれた陽翔にも申し訳なくて不幸だとは言いたくない、けれどやはりどこか悠哉の心には穴が空いていた。その穴は陽翔でも満たすことは出来なかった。愛されたかった、友愛でも親愛でもなくもっと特別な、心からの愛が悠哉は欲しかったのだ。だから那生と比べる必要など最初からなかった、彰人のことが好きで愛されたいと思えたのだからそれ以上何も考える必要などなかったのだ。 「お前はいつも俺に大切なことを教えてくれるよな。お前がいたから今の俺がいる」 「そんな大層なものじゃないと思うけどなぁ」 「ありがとな陽翔。あんなに悩んでた事がお前に話しただけで全部解決した、ほんとにお前がいてくれて良かったよ」  「僕はいつだって悠哉の味方だから」と陽翔は優しく目を細め、二人は互いに深い絆を感じながら微笑みあった。

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