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1-5 暁の餓狼
――――五年前。
魔族の突然の奇襲で、壊滅状態だという村からの依頼。魔族の皇子と名乗る者が、戯れでその力を揮い、とある村を火の海にした。
そこら中に転がっているひとだった、モノ。
どれも身体が部分的に引き千切られていたり、妖魔に餌として食されているせいで、無残な姿で地面に散らばっていた。
家々は炎に包まれ、その熱は辺りにも影響を及ぼしているため、村全体が窯の中にいるような状態だった。
しかし、流れる汗は冷たい。目の前の凄惨な光景と、なによりも、その中心でほくそ笑む、首謀者である魔族の皇子が放つ禍々しい気に当てられ、指の一本動かすのも難しかった。
赤い瞳。
漆黒の衣を纏う、この世の者とは思えないほどの美しい顔立ちの青年。長い黒髪を緩く三つ編みにして背中に垂らしており、その綺麗な顔に浮かぶひとを馬鹿にしたような笑みが、目の前の者の本性を顕にしているようだ。
彼の周りを囲むように燃え盛る、炎から零れた無数の火の粉が、彼の美しさをより際立たせているようだった。
門派から二十人ほどが派遣されたのだが、今ここに立っているのは、自分と弟、たった二人だけ。
「な〜んだ、まだ生きている奴らがいたか。まったく、こんな小さな村ひとつ壊して来いなんて、父上もひとが悪いなぁ。あれ?これって、もしかして嫌がらせ?嫌がらせなの?」
顔は美しいが、頭が悪そうな話し方をするその魔族は、村を覆う炎の柱でほんのりと照らされた闇空を見上げて、「はあぁあ」と深く大きく嘆息した。
「まあ、いいや。道士もそれなりに殺したし、村は燃やしたし、あとはお前らをさっさと始末して、俺は魔界に帰る」
ぐっと伸びをして、準備運動でもするかのように、呑気な口調でその魔族は言う。だが、この魔族の皇子によって村の者たちは殺され、道士も同じ末路を辿った。
炎が焼き尽くす、様々なモノの臭い。それがなにか知ってしまえば、喉の奥から込み上げてくるものがある。
主の命で動く十数体はいるだろう上級の妖魔たち。それらとは比べ物にならない力を持つ、魔族の皇子。勝ち目など、初めからなかったのだ。
「兄さん、兄さんだけでも逃げて······。俺が囮になって奴らの気を引くから、その隙に、」
「なにを言ってる!?お前こそ早く逃げろ!」
五つ年下の、まだ十五になったばかりの弟が前に出る。不甲斐ないことに、師兄 を庇い右腕を負傷したせいで、剣も握れない。せっかく救ったその師兄さえ、もうここに立ってはいなかった。
「兄さんは、清君 山の道士の中で、一番強くて将来も有望。俺は、頑張って追いつこうと思ってたけど、やっぱり難しいみたい。だから、兄さんは死なせない。この村は救えなかったけど、俺は、兄さんだけでも救いたい!」
その表情は見えない。弟は、暁燕 は、優しすぎるが故に、他人になんでも譲るところがあった。しかし今は、絶対に譲らないという強い意志で、自分の前に立ち塞がっているのだ。
どうしてこんな時に限って、と顔を歪める。
「あー、仲良し兄弟ね。俺たちとは大違い。いやいや、ご立派ですこと。けど残念、お前らどっちも見てて気持ち悪いから、さよなら、だ」
それは一瞬の出来事だった。
目の前に立っていた弟の胸を貫いたのは、剣でも槍でもなく手刀。飛び散った赤い飛沫は後ろにいた兄の衣を染め、頬を染めた。長く鋭い爪が生えた右手が引き抜かれ、ぽっかりと空いた胸の穴。
赤い瞳と目が合う。
ぐらりと支えを失って倒れてきた暁燕 を抱き止め、そのまま地面に座り込む。もう息のない弟の、見開いたままの瞼にそっと触れる。閉じられた瞼。今も空いた穴から流れ出る赤。赤、赤、赤、赤、赤。赤ばかり。
「はは。ホントに脆いな、人間って。すぐに死んじゃうからつまらないんだって!お前らって俺たちを殺さないんだって?舐めてんのかなぁ?そんなんで生き残れるわけないのになぁ?」
あはは、と大袈裟に笑って、肩を竦めながら首を振る。じっとこちらを見下ろしているのがわかったが、もはやこの者に対して、言葉を発する気になれなかった。
「良いこと思いついた!お前、見逃してやるよ」
「········は?」
弟を抱いていた指に力が入った。
睨みつけるように目の前の者を見上げ、その言動に屈辱さえ覚えた。
「で、ほら、復讐ってやつ?俺を殺すために、血の滲むような努力?っていうのをしてさ。また運よく俺に出遭えたら、面白いよね!でもお前は道士で俺を殺せないから、頑張っても報われない。で、絶望を味わった後、俺に殺される」
それになんの意味が?と本気で腹が立った。
結局、早いか遅いか、死ぬことに変わりないのだ。それを解っていて、あえてひとの復讐心を煽り、それが無駄だったと死ぬ前に突き付けたいのだろう。
しかし、今の自分にはもはや戦う術もなく、選択肢などなかった。
「じゃあね、人間。せいぜい頑張って。俺はもう厭きたから帰る」
手で合図を送り、使いの妖魔たちを呼び戻すと、その場からすっと姿を消した。
燃え盛る炎の中で、誓う。
「殺す······絶対に、殺してやる······妖魔は一匹残らず、あいつら魔族も全員!」
ぎゅっとまだあたたかい暁燕 を抱きしめ、その血が白い衣をすべて赤く染めてしまおうとも、構わなかった。たったひとりの血の繋がった家族。弟。守ると誓ったのに、叶わなかった。
この事件の後、白暁狼 は取り憑かれたように妖魔を殺して回った。
殺して殺して殺しまくった結果、清君 山から破門される。将来有望と謳われていた青年は、そのすべてを投げ捨て、復讐のためにすべての妖魔、すべての魔族を殺すことを決めた。
到底無理なことだとわかっていた。
それでも、それ以外の生きる目的が見出せなかったのだ。
あれから五年、各地を旅して回った。ある町のある邸から、微かだが良くない気を感じ取る。
事情を訊ねたら、息子が原因不明の病に倒れたらしい。数日滞在し原因を探ることにしたが、邸の中で勝手には行けない場所もあるため、詳しくはわからなかった。
邸の主も自分を警戒してか、当たり障りのない対応しかしてくれない。
そんな中、当主が怪しげな三人組を邸に連れて来た。しかも、その中の一番若い呑気な雰囲気の青年が、自分と一緒に行動しようと言い出す。
挙句。
「兄さんって呼ぶの、なんだか新鮮。僕、末っ子なんだけど、兄上たちを"兄さん"なんて呼んだことないからさ〜」
そんな風に呼ばれたのは、五年ぶりだった。
暁燕 とは似ても似つかない、端正な顔立ちの少年のような幼さも垣間見える、おかしな青年。暗い黄色みのある赤。鳶色のその眼は、今まで見たことがない色だった。
鮮やかな紅色の衣は、暗い色ばかり見てきた暁狼 には眩しすぎる。
「俺に懐くな。協力するのは今だけ。これが解決すれば、縁は切れる」
「そうかな?縁って、余程の事がない限り切れないと思うけど、」
喧しい、と頭ひとつ分は背の低い紅玉 の頭を軽く叩いて、暁狼 はその口を黙らせる。呼び方は仕方なく許したが、別に慣れ合うつもりはなかった。
理解など、されたくもない。
してもらう必要もない。
本当の姿を知れば、どうせ逃げていくのだ。魔族に対する深く淀んだ感情。歪んだ復讐心は、奴らを目の前にすると抑えられなくなる。
他の門派の道士たちが自分を何と呼んでいるか。
(俺は、ひとりでいい)
誰も必要としないし、誰からも必要とされたくはない。なにも要らない。
あまりにも多くの妖魔を殺し、その酷い有様を目の当たりにした者が彼に対して、口にした言葉。まるで血に飢えた狼のようだ、と。そしていつしか、彼を知る者は皆、彼のことをこう呼ぶようになる。
逢魔が時に殺した妖魔の返り血を浴びて、燃えるような夕焼け空の下、狂ったように笑って立っていたその姿から、妖魔殺しの孤高の狼。
"暁の餓狼"、と――――。
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