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1-11 第七皇子は駄目皇子?

 あの宴の後から、皇子と妃嬪(ひひん)の様子がどうもおかしい。  黑蝶(ヘイディェ)殿に仕えている宮女たちも同じように思っていたようで、碧雲(ビーユン)にも様々な噂が耳に入って来る。それは、今までになかったような噂話ばかりで。  今日は座学の日で、朝から老師とふたりで勉学に励んでいる。藍玉(ランユー)は五歳にして神童と謳われており、いつもなら興味津々の眼差しで老師の話に耳を傾けているはずだった。  しかし、ふたりの宮女は碧雲(ビーユン)を見つけるなり、真っ青な顔で話しかけてきた。 「碧雲(ビーユン)様、藍玉(ランユー)様が今度は老師様に悪戯をして、酷い罰を受けているそうで······あの、どうしたら良いでしょう?」 「また、ですか?」  この前は武術の稽古の際に、やりたくないと言って座り込んで頑なに動かなかった。宮女たちが言うには、紙で作ったそれは精巧な(さそり)の紙人形を、書物に忍ばせて驚かせた挙句、尻もちをついた老師が腰を痛めたのだそうだ。 「それは、自業自得としか言えません。ちなみに、その罰とは?」 「ぶ厚い書物を頭に乗せられて、庭に立たされていました。まだ幼いのに、そんなことをさせられて······藍玉(ランユー)様、大丈夫でしょうか、」  宮女たちが甘やかして勝手に手を貸せば、老師の怒りはさらに爆発してしまうだろう。一体、あの第七皇子に何が起きたのか。  そんな急激な劣等生ぶりに対して、母である夜鈴(イーリン)がなにも言わないのも不思議だった。  自分たちには愚痴のひとつも零してこない。元々おっとりとしていて、怒ったりするのは得意ではないようだが、優秀だった我が子が急にあんな風になってしまったら、心配くらいはするだろう。  もしかしたら自分たちが知らないだけで、大王には相談しているのかもしれない。  碧雲(ビーユン)はとりあえず自分に任せるように伝え、仕事に戻るように指示する。  そして自分は藍玉(ランユー)が罰を受けているという、庭の方へと向かうのだった。 (今までが優秀すぎたのかもしれない。皇子はまだ五歳だ。人間だったら遊び盛りだし、魔族でも同じくらいの子たちは自由に走り回ってるんだから、別に特別おかしなことではないのかも)  ここが魔界だとは忘れてしまうような立派な庭には、白と赤を中心とした花が咲いており、山茶花(サンサカ)躑躅(ツツジ)牡丹(ボタン)など、季節関係なく様々な花が咲き、小さいが池もある。  その池の周りは、玉砂利の部分と土だけの部分が模様のように分かれており、とにかく見ていて飽きない庭なのだ。  そのちょうど真ん中。何もない場所に幼子の後ろ姿を見つける。  宮女が言っていた通り、ぶ厚い書物を頭に乗せて直立不動の姿勢で立っていた。先程鐘が鳴ったので、今は昼の頃。どの段階で立たされていたのかは知らないが、幼子に対して受けさせる罰にしては、少し重い気もした。 「藍玉(ランユー)様、だいじょ······」  同情心から声をかけようとしたが、すぐさま碧雲(ビーユン)は呆れ果てる。正面に回って藍玉(ランユー)の様子を覗き込んだのだが、まさか立ったまま寝ているとは誰も思うまい。  さすがの碧雲(ビーユン)も眉を寄せた。若くて秀麗な顔をしているが、最近は眉間の皺が増えた気がする。  それもこれも、この主がそうさせているのだ。すぅっと息を吸い込み、腰を屈めて幼子の耳元に顔を近づけ、 「······藍玉(ランユー)様!」  と、その名を怒鳴るように呼んだ。 「ふにゃ······あ、碧雲(ビーユン)だぁ······おはよー」 「おはよー、じゃないですよ。あなた、また性懲りもなく老師様を怒らせて。最近そのようなことばかり耳にしますが、何がしたいんですか?」  書物は頭に乗せたまま、寝ぼけ(まなこ)藍玉(ランユー)は赤い瞳を擦ってみせる。  本当にあの格好のまま眠っていたらしい。器用すぎるだろう、と碧雲(ビーユン)は感心と呆れが混ざって、もはやなにも考えたくない気持ちが強い。 「別に、なんにも~?あ、そうだ!桃李(タオリ―)兄上が、一緒に遊ぼうって言ってくれたんだっ」 「第五皇子様が?」  いつも薄桃色の衣を纏い、にこにこと優しい笑みを湛えている桃李(タオリ―)に対して、碧雲(ビーユン)は特に悪い印象は受けていないかった。  しかし一見優しそうに見えるが魔族であり、あの大王の第五皇子。癖のひとつもないはずがない。油断は禁物である。  宴の前から、たまにこの黑蝶(ヘイディェ)殿に足を運んで来る唯一の人物で、彼は藍玉(ランユー)の事を純粋に気に入っているようだった。 「もちろん、碧雲(ビーユン)も一緒」  はあ、と嘆息して碧雲(ビーユン)は寄せていた眉を緩める。いつものことだが、その満面の笑みに絆され、甘やかしてしまう。  それに気付かれぬよう、書物を手に取り頭の上から解放すると、そうですね、といつもの無表情で真面目に答える。  少し袖の長い上質な黒い衣が、小さな手を隠していた。赤ん坊の頃から主の成長を見てきたので、自分の弟や子のように想う時もある。  それが錯覚なのは重々承知であったが、それくらい藍玉(ランユー)は懐いていて、なにより愛らしい。魔族の皇子だというのに、そういう片鱗もなく、本当にただの甘えたがりの子供なのだ。 「俺にだけは、話してくれませんか?あなたがそんな風に偽っている理由を」  そう訊ねた碧雲(ビーユン)に、藍玉(ランユー)は大人びた笑みを浮かべて、困ったような顔で見上げてくる。 「やっぱり碧雲(ビーユン)にはバレちゃったか。母上にも言われたんだ。内緒にしても意味ないよって。でもね、ガッカリさせたくなくて」 「······はあ。よくわかりませんが、俺はあなたに対して失望することなどありませんよ?少なくともあなたは、他の誰かが悲しむようなことは、しないでしょうから」  ガッカリ、の意味はよくわからなかったが、藍玉(ランユー)の心根を理解しているつもりだった。幼いながらに色々と考えていることも。 「僕ね、魔王になんてなりたくないんだ。その争いに母上を巻き込むのも嫌だし。でも碧雲(ビーユン)は僕が偉くなった方が、あんたい?なんだよね?」 「安泰?ああ、俺が魔族じゃなくて鬼だから、あなた次第でどうにでもなるって話ですか?そんなことは気にしなくてもいい。俺は別に、出世したくてここにいるわけじゃないですから」  誰かが皇子の耳に入れたのだろう他愛のない噂話を、真に受けたようだ。幼い頃、両親の目の前で妖魔に攫われ、魔物が蔓延るあの魔窟に入れられた。  何人かいた幼子たちはその日の内に魔物の餌となり、自分だけ生き延びた。後ろめたさはひと欠片もなかった。生きるために失ったモノの方が多かったからだ。  帰る場所もなく、ひとですらなくなり、希望など消え失せた。  そんな中、その原因を作った大王によって機会を与えられ、生まれたばかりの皇子の護衛官の座をこの手で掴んだ。その皇子が目の前の藍玉(ランユー)で、あれから五年の月日が流れ、その成長を傍で見てきた。 「あの宴の日、踊り子に扮した間者がいたでしょ?誰を狙っていたのか、何の目的であの場で事を起こしたのか、碧雲(ビーユン)は予想できる?」  しっかりとした口調で幼子は話す。その表情はどこか浮かない。いつもの天真爛漫さがなく、大人びてさえ見えた。 「証拠はなにもないけど······あれは全部、父上の差し金だったんだと、僕は思う」  は?と間の抜けた声が思わず出た。  一体、なんのために?  自分の妃や、大切な皇子を危険に晒す理由は?  明らかにあの間者は、王座にいた大王かその近くにいたふたりを狙っていた。なぜわざわざ自分たちを狙わせたのか。どんな意図があったのか。  藍玉(ランユー)は自分で口にして不安が増したのか、碧雲(ビーユン)の腰に巻かれた白い布を握り締める。 「あの時、襲ってきた間者を殺したのは······たぶん、僕なんだ」  その口から紡がれた衝撃的な言葉に、返す言葉を見失う。俯いたままそう言った藍玉(ランユー)が、冗談を言っているようには聞こえなかったからだ。

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