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1-10 宴

 護衛官となった碧雲(ビーユン)は、その形式的な手続きを終えた後、大王の第三妃嬪(ひひん)の宮に案内される。  纏う衣も、これから向かう宮に合わせて着替えさせられた。紺色の上衣下衣を身に纏い、長く白い布を腰に巻き赤い帯でとめると、手首に銀色の籠手(こて)をし、最後に大王から授かった宝剣を佩く。  今日からこの宮に住み、第七皇子の護衛をすることになる。よっぽどのことがない限り、その任は解かれることはないらしく、これから先安泰と言っていた魔族たちの言葉の意味を、改めて知ることとなった。 「私はこの黑蝶(ヘイディェ)殿の主、夜鈴(イーリン)と申します。あなたのことは試合で見ていました。魔族の中にひとりだけ子供がいたので心配していたのですが、まさか勝ち残るなんて!」  遠目で見た印象通りの、穏やかで優しそうな瞳のそのひとは、あの日別れたきりの母親の面影を碧雲(ビーユン)に思い出させた。  父にはそれなりに厳しく育てられたが、母に怒られた記憶は一度もなかった。奴婢になってからも、父を支え、文句のひとつも言わずに、いつでも笑顔で働いていた。 「あの時負った傷は、大丈夫です?」 「はい、問題ありません。俺、えっと、私は、」  碧雲(ビーユン)は「俺」と言いかけて、言い慣れない「私」と改める。それを見ていた夜鈴(イーリン)が、くすくすと少女のように笑った。 「いいのですよ。自分が言いやすい方で構いません。これから長い付き合いとなるのですから、お互い、楽しくやっていきましょう」 「······いえ、そういうわけには、」  少し先の方に癖のある黒髪は艶やかで、薄桃色の口紅が幼さの残る童顔によく映えた。  黒い上質な羽織を肩に掛け、紅色の上衣下裳の色合いが美しい。  あまり派手な装飾などは付けておらず、唯一の飾りと言えば、小さな紅の玉が付いた耳飾りくらいだろうか。その大きな瞳は薄茶色をしていた。  腕の中の白い布で包まれた赤子を愛おしそうに抱いており、大王との関係が悪くないことがわかる。  妃になった経緯などを勘繰るのも失礼だろうし、直接訊けるような立場でもない。 「あなたも幼い頃に魔界に連れて来られたとか。大変な思いをしたとも聞きました。これからはせめて、心穏やかに過ごせるよう、私もできる限りの事はして差し上げたいと思っています」  あなたも、という言葉に引っ掛かりを覚えたが、碧雲(ビーユン)は片膝を付いたまま、拱手礼をした。 「もっと力を付けて、強くなって、妃嬪(ひひん)様と皇子様をお守りします」  その優しさは、なんだか悲しい気持ちになる。そういう感情を全部閉じ込めて、任務に専念しようと決意する。 「はい、よろしくお願いしますね、碧雲(ビーユン)」  その日から、新しい生活が始まる。護衛官としての任務をこなしつつ、時間を見つけては訓練場で鍛錬をし、剣と弓の腕を磨く。  まだ幼い皇子は公の場に行くことも少ないので、ほとんど黑蝶(ヘイディェ)殿から出ることはなかった。  そして、数年の時が流れた――――。 ******  第七皇子、紅藍玉(ホンランユー)。五歳の誕生日。  開かれた宴はそれは豪華なもので、大王の横で妃嬪(ひひん)藍玉(ランユー)が楽しそうにしているのが見える。碧雲(ビーユン)は少し離れた場所でその様子を見守っていた。  他の妃や皇子たちもおり、各々楽しんでいるように見えるが、その真意はわからない。  冷淡な性格で有名な、魔王候補第一位で第一皇子でもある、玖朧(ジゥロン)。頭の螺子が緩んでいるような話し方をする、第二位で第四皇子の梓楽(ズーラ)。  このふたりと妃がそれぞれ大王に近い場所に座り、それに続いて、第二皇子から第六皇子が順番に並んでいた。 (第一皇子が次期大王となるのは、まず間違いないだろう。才能があるだけでなく、優秀で魔族たちの信頼も厚い。第四皇子はあの調子だから、選ばれないと思うが····)  万が一、第一皇子になにかあれば、その権利は第四皇子に移ることになる。そうならないように、玖朧(ジゥロン)の護衛はどの皇子たちよりも多い。  他の皇子たちは自分たちの身を守るためにも、魔王候補となる兄か弟に忠誠を誓うことになるが、その力関係は意外にもそんなに差がなかった。  それは第七皇子が生まれた事にも関係しているようで、その成長次第で勢力図が一変する可能性もあるのだ。第三位ではあるが、実力次第でその位は変動する。大王のひと声で簡単に覆されるのだ。 (だが、藍玉(ランユー)様はまだ幼い。妃嬪(ひひん)様もああいうひとだから、寧ろ、こういうことには関わらせたくないようにも思える)  第七皇子の藍玉(ランユー)の才能は、正直、計り知れないものがある。    それを公にしていないのは、やはりそういうことなのだ。もちろん、碧雲(ビーユン)も口止めされている。 (あの"魔眼"の能力が知れれば、間違いなく大王様は藍玉(ランユー)様を、)  そこまで考えて首を振る。  奏でられる音はどこまでも美しい音色で、目の前で舞う異国の衣裳を纏った踊り子も優雅だった。  そんな中、踊り子のひとりが妙な動きを見せる。他の護衛たちも武官も、違う方に気を取られていて、誰も気付いていないようだった。  それは、開け放たれた庭園の先で燈された天燈の美しさに、皆が目を奪われたからだった。立派な庭の所々に飾られた花の絵が描かれた天燈は、橙色の光を湛え、幻想的な雰囲気で視界を楽しませた。  その演出のため、宴をしている大広間の燈がほとんど消され、お互いの顔が見えるか見えないかという暗さになったのだ。  燈が消されるその直前に目にしたあの踊り子の動きの違和感に、碧雲(ビーユン)は嫌な予感を覚えた。 (なにもなければ適当に誤魔化せばいい。なにかあれば取り返しがつかなくなる!)  迷ってる場合ではない、とひとりその場から駆け出す。そしてあの踊り子の位置を薄暗闇の中で確認し、そのまま床を勢いよく蹴り上げて、玉座へと続く階段の上まで飛んだ。  踊り子は光が消えたあの一瞬で、舞台の上から誰にも気付かれずに、玉座のすぐ傍まで詰めていたのだ。よほどの手練れだろう。 「大王様、妃嬪(ひひん)様、お気を付けください!」  踊り子が何かを投げ、それらを反射的に宝剣ですべて防ぐ。金属音が何回か響き渡り、辺りが騒然となった。  おそらく、飛び道具かなにかだったのだろう。ちっという舌打ちが聞こえ、碧雲(ビーユン)は目の前にいるだろう間者の路を塞ぐように立った。 「そこにいる者、大人しくその場に跪け!」  その瞬間、後ろから何かが間者に向かって飛んで行く気配を感じた。同時に、鈍い音と短い悲鳴が上がる。  装飾品がシャラシャラと鳴り、なにか重いものが上から下へ転がり落ちていく独特の音が、目の前から遠のいていくのがわかった。 「燈を点けろ! 誰もこの広間から出すな!」  大王直属の護衛官を中心に、まだ完全に光が戻っていない広間が手際よく封鎖された。皆がざわざわと騒ぎ出す中、突然複数の女の悲鳴が上がる。踊り子たちだった。  彼女らは、自分たちの足元で首から血を流して息絶えている者に対して、驚いて思わず悲鳴を上げたようだ。 「この間者、なかなかやるな。碧雲(ビーユン)、お前だけ気付いたのは褒めてやるが、詰めが甘いぞ」  大王は満足そうに笑みを浮かべて、舞台の上で倒れている、踊り子の喉元を飾る鋭い寸鉄を眺めていた。薄暗闇の中こちらを狙った暗器は、どうやらあの寸鉄だったのだろう。  自分が弾いて飛ばした一本が、大王の近くに飛んで行ったのかもしれない。おそらく彼はそれを拾い上げ、あの暗闇の中で、的確に踊り子の喉元を貫いてみせたのだ。 「申し訳ございません。罰なら受けます」  剣を鞘に収めてその場に跪き、拱手礼をしながら深く頭を下げた。その姿に対して機嫌よく笑う大王は、大袈裟な素振りで肩を竦めて、すぐ隣にいる者たちに視線を向けた。    「罰だと? なんの罰を受けるつもりだ?妃嬪(ひひん)、俺はお前たちを守ったあやつに、なんの罰を与えれば良いと思う?」  大王の横で、真っ青な顔で藍玉(ランユー)の視界を覆うように抱きしめていた夜鈴(イーリン)は、震える唇を堪えるように噛みしめていた。  幼い藍玉(ランユー)はどこかぼんやりとしていて、状況がわかっていないようにも思える。 (なんだ······様子がおかしい、)  怪訝そうに碧雲(ビーユン)は眉を顰める。あれは、大王様がやったんだよな?と改めて自分に言い聞かせるように問いかける。    あの大王の笑みは、そういう意味の笑みではなかったと?  踊り子が誰の差し金で、誰を狙っていたのか。  その真実はわからないまま、血に染まった宴の幕は下りた。

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