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1-21 罠
しばらくすると、大王が姿を現した。側近は誰ひとりとして付けておらず、ひとりでやって来た事に対して、ほとんどの皇子が違和感を覚える。
何年経っても三十代くらいの若い姿のまま、凛々しく端正な顔立ちをしており、艶やかな黒髪はそのまま背中に垂らしている。漆黒を纏い、銀の装飾品を身に付けてる大王は、そこにいるだけで存在感があった。
皇子たちは決められた順番で横一列に綺麗に並ぶと、同時にその場に跪き、両腕を前で囲って頭を下げた。第一皇子の玖朧 が代表して形式的な挨拶をし、他の皇子たちはその間も動かずに、最初の姿勢のまま待機する。
「今日お前たちに集まってもらったのは、もちろん理由があってのことだ。梓楽 、前に出よ」
「ええ~なに?俺?俺なにかしたかなぁ?」
ぶつぶつと首を傾げながら、梓楽 は仕方なさそうに立ち上がり、一歩前に出た。
大王は、梓楽 のいつもの横柄な態度に対して何を言うでもなく、表情のひとつも変えなかった。
「梓楽 は三年前に己がした愚かな行動の罰として、つい先日まで牢に幽閉されていたが、その理由は皆、すでに知っているな?」
「罰?あはは。あれって罰だったの?まあ確かに暇すぎて死にそうだったかも?」
玖朧 はそのふざけた発言に対して、鋭い眼差しで梓楽 を見た。
今は大王が発言している時だと言うのに、あの態度だ。大王を心から尊敬する彼には、許せない行為だろう。
「なぜあのようなことをしたのか、皆の前で説明してみよ」
「はあ?三年前のことなんて、どうだっていいじゃん。誰も気にしてないでしょ?俺も忘れちゃったし?」
その本当か嘘かわからないふざけた口調で告げられた言葉に、藍玉 はひとり、唇を噛み締める。頭を下げていたのでその表情は誰にもわからない。
ただ、込み上げてくる怒りと、冷ややかな感情が胸の中に渦巻き、自分でもどうしたらいいかわからなくなっていた。
(忘れた?あんな酷いことをしておいて、忘れた だって?)
玖朧 と藍玉 の間に空いたひとり分の空間。梓楽 が大王の命令で前に出たことで、ぽっかりと空いている。同じように、第三皇子と第六皇子の間にもひとり分の空白があった。
あんなことがなければ、そこには桃李 がいて、いつものように穏やかな表情で、皆と同じようにその場に跪いていたことだろう。彼が自ら命を絶ってから、まだ 三年しか経っていないのだ。
それなのに。
梓楽 は「忘れた」と言った。
(感情的になっちゃ、駄目だ!)
口の中が鉄の味がする。血が滲み、白くなるほど噛みしめていた唇。聞くに堪えない言葉の数々。そのすべてが、明らかに自分に向けられてる。
藍玉 は気付いてしまった。大王がなにをしようとしているのか。させようとしているのか。
「忘れた、だと?お前が贄奴隷にして監禁し、魔力を奪いつくした弟のことを、忘れたのか?桃李 の最期を見ていたのはお前だけだ。よく思い出して、あの者の最期の言葉をその口で語ってみよ」
大王は口の端を歪めて、王座から梓楽 を見下ろし、珍しく強い口調でそう言った。梓楽 の瞳が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。
しかし、何事もなかったかのように、すぐにいつもの調子で肩を竦める。その変化に気付く者は、大王以外いなかった。皆、自分の膝に視線を落とし、塞げない耳を忌々しく思っていたからだ。
「やだね。憶えてても、教えてなんてあ~げない」
「そうか、よくわかった」
大王は立ち上がり、ゆっくりとこちらに近付いて来る。その足音は静かになった空間に良く響き、やがて梓楽 のすぐ横、藍玉 の前でぴたりと止まった。
「藍玉 、桃李 はお前と仲が良かっただろう?お前はどう思う?このままこの件をなかったことにしても、良いと思うか?」
これは、罠だ。
他の兄たちは、三年前の件に対して大王がどうしてここまでこだわるのかを、おそらく理解していないだろう。
第五皇子が自害したことの直接の原因が梓楽 にあるにせよ、ただの皇子と魔王候補。同情心こそあれど、そこまでの感情は彼らにはなかったからだ。
なにより、梓楽 のあの態度やふざけた言葉をずっと聞かされている方が不快だった。早く終わればいいと思っている事だろう。
しかし、藍玉 だけは違った。
「······僕には、わかりません」
言葉と感情が嚙み合わない。やっと絞り出した声は、震えていた。恐れではなく、悲しみでもなく、怒り。それは、どんどん淀んで、心を真っ黒に侵していく。
あの時の記憶が蘇る。穏やかな顔で眠る、桃李 の顔。二度と、動くことはないと知っていても、もしかしたら、と。
「ああ、そういえば、思い出した」
やめろ。その口を開くな。
「自分の母親のこと、最期まで心配してたっけ。殺されてぐちゃぐちゃになってるのも知らないで!」
やめろ!
「そうそう、あと~、俺の事、"好き"って言ってくれた!言ってくれないと母親殺す~って脅したからだけど!」
けらけらと笑う梓楽 に対して、これ以上は本当に聞くに堪えない、と皇子たちのほとんどが呆れかえる。そんな中、ひとり、許可もなく立ち上がった藍玉 に玖朧 は跪くように促そうとしたが、その身から放たれる殺気に言葉を失う。
普段の藍玉 からは考えられないようなその殺気は、それだけで身動きを躊躇ってしまうくらい冷たく鋭利なもので、玖朧 でさえ恐ろしいと感じるものだった。
そしてそれは、瞬きひとつ、本当に一瞬の出来事だった。
「····か······は····っ」
眼の前にいたはずの梓楽 の身体が、その先にある円柱に叩きつけられ、その衝撃で柱に亀裂が入ったのだ。背中の痛みに思わず息ができず、梓楽 は絞り出すような声を上げる。
ずるずると柱を背に座り込み、けほけほと咳き込む。口から垂れた血を拭い、にたりとその口の端を吊り上げた。
(そういうこと、ね······父上、あんたってひとは、ホントに最低だな)
藍玉 を怒らせるために、わざと自分に証言させたのだ。もちろん、口にしたことは半分嘘だ。本当のことを言ったところで、誰も信じないだろう。
(桃李 ······これを、お前は案じてたのか、)
立ち上がり、痛みが消えていくのを確認する。魔力がある限り、傷は癒え、この程度であればなんということはない。
視線の先にある同じ赤に、眼を細める。梓楽 は藍玉 がどうなろうと、知ったことではない。大王が何を考えているのかも、どうでもいい。
けれども、 " あの約束 " だけは、守る。
「可愛い藍玉 、やってくれるじゃん。お前、力を隠してたな?駄目皇子なんて呼ばれて、楽してたんだろ?力が無いって思われときゃ、人界での"任務"もないもんな!人間の血が混ざってるお前に、人は殺せないってか?」
あの村を襲撃させたのも、花椿 殿を間者に襲わせて、わざと生かした桃李 を自分に見つけさせたのも。その罪を全部、自分に背負わせたのも。すべてはこの時のためだと?
「笑わせてくれるね。その眼、魔眼だろ?そんな大層な能力隠してたなんて、" 落ちこぼれの第七皇子 " はとんだ食わせ物だったってわけだ!」
あの一瞬でなにがあったか、梓楽 が見たのは赤い瞳が光った瞬間だけ。気付いたら柱に叩きつけられていた。
「魔眼、だと?歴代の王の中でもほんのひと握りの者だけが持っていたという、絶対的な力だぞ?そんな力がありながら、偽っていたというのか?」
玖朧 は藍玉 を見上げ、眉を寄せた。その言葉を聞いて、信じられないという気持ちの方が強いようで、皇子たちは皆が藍玉 に注目していた。
「······僕、····は、」
わかっていたのに、抗えなかった。
赦せない。
その抑えられない感情が、今までの努力をすべて台無しにしたのだ。もし仮にここに碧雲 がいたなら、こんなことは起こらなかっただろう。それさえも計算されていたのだ。
震える両手の指先を見つめ、藍玉 は愕然とする。もう、誤魔化しようがない。ここにいる皆が証人だ。大王が満足げに笑っている。
「魔眼か。赤い瞳を持ち、魔眼まで持つお前は、王になるに相応しい。故に、藍玉 をこの時を以て、現在の地位の第三位を繰り上げ、第一位とする」
その宣言は、この後すぐに魔界中に知れ渡り、当然それには他の皇子や権力者が声を上げた。ほとんどの者が、玖朧 を推しており、第一位の地位は揺るがないと思っていたからだ。
藍玉 はまだ幼く、その決定は時期尚早だと、多くの訴えが寄せられたが、大王はこの宣言を覆すことはなかったという。
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