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2-2 碧雲と翠雪
翌朝。紅玉 たちは暁狼 と合流し、庭に広げた荷物の山と荷馬車、大勢の従者の前で、忙しそうに指示を出していた趙螢 に時間を貰い、その場から少し離れた場所で昨夜の考察を話す。すると、意外にもすぐに答えが返って来た。
「実は、慶螢 には親同士が決めた婚約者がおりまして。しかしながら、相手の年齢も考慮して、本格的な婚姻を結ぶのは二年後なのです。顔合わせはすでに済んでおり、本人たちも納得の上の婚姻関係なので、特に気にしておりませんでしたが······なにか今回の件に関りが?」
趙螢 が言うには、最初はお互い言葉も交わしたことがなかったので乗り気でなかったようだが、何度か顔合わせをしている内にそれも解消されたそうだ。相手はこの町の領主の娘で、上に兄もいるためこの家に嫁ぐことになる。
また、慶螢 には特に浮いた話もなく、この婚姻に反対する理由もなかったようだ。お互いの家が利益を得るのもそうだが、なによりもふたりが嫌々婚姻を結ぶわけでもないため、円満な結婚といえよう。
「その話を聞くに、この仙人様の考察は的外れだったということになるな」
嫌味にも聞こえる言い方で、暁狼 は肩を竦めて言った。それに対して翠雪 は特に顔色を変えるでもなく、苛立つでもなく、大扇でいつものようにゆったりと扇いでいた。
「だが、この邸中に隠されていた数々の呪詛はどう説明する? 人目を盗んで邸に入って、怪しまれずに出て行くことなど不可能だろう? 夜でも護衛の者が数人巡回しているのだ。門の扉は正面にしかなく、普通の人間には到底無理だ」
なぜかそれに対して碧雲 が反論する。暁狼 を敵視しているからだろうか、それとも翠雪 のことを庇ったのか。
「ならば俺たちが追うそれ は、すでに普通の人間ではないということだ」
暁狼 の冷淡な表情がより一層冷ややかさを帯び、嫌な笑みさえ浮かんでいた。その意味を紅玉 は知らなかったが、なんだか胸の辺りがざわざわとし、思わず紅色の上衣をぎゅっと握りしめていた。
「いいでしょう。それも可能性のひとつであることに違いありません。ではここからは二手に分かれて情報収集をしましょう。組み分けは私と碧雲 、紅玉 は暁狼 殿と動いてください」
「おい、ちょっと待て! なんで俺がお前なんかと一緒なんだ!?」
「碧雲 、師に向かってお前なんか とは······どうやら話し合う必要がありそうですね、」
「そうだよ、碧雲 。翠雪 様 にそんな言葉遣いをするなんて、失礼だぞ。弟子なんて取らないと言った師匠に、僕たちは何度も"お願い"をしてやっと弟子にしてもらったんだから」
まさかの紅玉 まで、自分が聞いていない設定を付け足して咎めてきた。こうなると、碧雲 は黙るしかなくなる。余計なことを言って計画を台無しにするわけにはいかないし、なにより道士である暁狼 に疑われれば、動きづらくなるだけだった。
「し、······師匠に従います······」
ものすごく納得のいかない顔で碧雲 は拱手礼をして深く頭を下げる。どんな顔をしているかは見なくてもわかるだろう。
「よろしい。では、私たちはもう少しこの邸のことを調べましょう。その前に趙螢 殿、私も慶螢 殿に会わせていただいてもよろしいでしょうか?」
それは構いません、と快く趙螢 は頷く。
「では、紅玉 は暁狼 殿に同行して、彼の手助けをしてあげてください。暁狼 殿はお好きなように紅玉 を使ってくれて構いません」
「それはどうも。だが、必要ない。お前たちと協力する義理もない。俺はひとりで行動する。同行などむしろ足手まといだ」
本音かどうかは別として、暁狼 はちらっと紅玉 の方に視線だけ巡らせたが、それに気付いた紅玉 は満面の笑みで応えた。
「じゃあ、僕は勝手について行くことにする!」
「は··········?」
「そうしてください。私はまだ彼を信用していません。あなたのその"眼"で、しっかり見張っていてください」
ふたりのやり取りに対して、暁狼 はもはやなにも言えなくなってしまう。どんな理由を付けてもこの者はおそらくついて来るだろうし、振り払うだけ無駄な気がしてきた。
「そういうことだから、暁狼 兄さん、今日もよろしくね!」
「··········勝手にしろ」
ふんと漆黒の衣を翻し、暁狼 は背を向けた。はーい、と明るい声で紅玉 が後を追う。やれやれと翠雪 はどっと疲れた表情を浮かべるが、横にはさらにげんなりとしている碧雲 の姿があった。
(現実問題、彼ひとりでは情報収集は上手くいかないでしょう。紅玉 が横にいればそれも補えます。それに、こちらも彼がいない方が動きやすくなるので、これが良策といえるでしょう)
紅玉 たちはどうやら邸を出て行くようだ。趙螢 は他の者に残りの仕事を引き継ぐと、翠雪 たちを案内してくれた。
部屋に着いてすぐ、信用してくれているのか、趙螢 はそのままふたりを置いて出て行った。
「俺はひとつお前に言いたいことがある!」
足音が遠のいたのを確認し、碧雲 が唐突に口を開いた。なんですか?とまったく興味がなさそうに翠雪 が訊ねる。寝台で眠る慶螢 を眺めながら自分に背を向けている翠雪 を見据え、碧雲 は口をへの字にして眉を寄せた。
「俺はお前の従者でなければ、弟子でもない!」
「知ってますけど?」
今さら何を? と翠雪 は面倒そうに答える。まあ、この咄嗟の設定が気に食わないのだろうが、そもそも始めたのは自分たちの主である。文句を言うなら紅玉 に言うべきだろう。そんなことよりも····。
「どうでもいいですけど、その"お前"という呼び方、そろそろ止めてくれませんか? 呼ぶなら名前で呼んでください。最初の頃はまだ礼儀を重んじていた気がしますが、最近気が抜けてませんか?そもそも、あなたとはそこまで親しくはないですし、立場的にも年齢的にも私の方が上なんですから」
言うことすべて正論のため、碧雲 は見えない矢に何本も射抜かれている気分になる。紅玉 がいなければお互いの接点などなく、なんなら仲が良いわけでもない。
性格もほぼ真逆で、真面目で堅物な碧雲 と、温和だが目的のためなら手段も選ばない、翠雪 。
そこに中和するように存在する紅玉 がいて、はじめて上手く回る三人組だった。つまり、歯車の役割をする紅玉 がいなければ、ふたりは自分の思うままにバラバラの速度で回ってしまうのだ。
「じゃあなんでこの組み合わせにした? 藍玉 様の護衛は俺だ。お前があの道士と一緒に動けばよかっただろう!」
「は? 馬鹿も休み休みに言ってください。あの道士殿は、あの子だから仕方なく同行を許したんです。仮に私があなたの言うように組み分けをしていたら、絶対に同行などさせなかったでしょう」
あの暁狼 という道士が昨夜の紅玉 の一件で、なにか気持ちの変化があったのだろうことを、翠雪 は察していた。でなければ、最初に組み分けの提案をした時点で、真っ先に文句を言ってくるはずだ。
しかし彼が思い出したかのように口を開いたのは、碧雲 が物申した後だったのだ。しかも必要ないと言っておきながら、紅玉 を気にするように目配せまでして····。
「それよりも、さっさとこの事件を解決して、あの道士殿とあの子を引き離すのが先決です。長く一緒にいれば、それだけ情も湧いてしまう。そうなれば、この先の彼の旅路の弊害になりかねません」
相手は道士。自分たちは鬼で、紅玉 はひとの血が混ざっていようと魔族なのだ。いつかそれが暴かれた時、傷付くのは目に見えている。それを回避するには、この事件を終わらせ、別々の道を行くのが良いに決まっているのだ。
「それは、そうだが······」
「見てください。あの子が言っていた通り、首の辺りに黒い痣があります。これは、おそらく呪痕《じゅこん》でしょう。すべての布人形の首に刺さっていた針の効果。犯人が恨みを込めて刺した証拠です」
もしあの人形を見る前にこれを見ていたら、翠雪 でもただの痣だろうと見逃していたかもしれない。紅玉 がそれに気付いたのは、やはり彼の観察眼が優れているからだ。
そんな中、この部屋に近付いて来る足音があった。ふたりはその足音が、趙螢 のものではないとすぐにわかった。なぜなら、その足音には少し足を引きずるような音が混ざっていたからだ。
扉が開かれた時、そこにいた人物。それは、十代後半くらいの少女だった。おそらく、この邸で雇われている女中だろう。
彼女は驚いた表情で中にいたふたりを見るなり、持っていた桶を思わず落としてしまった。バシャっという水が床に落ちる音が響き、それにも同じくらい驚いた少女は、「すみません! すみません!」と、慌てて持っていた布巾で拭い出す。
碧雲 は仕方なしに、寝台の横にあった布巾を手に取ると、濡れた床を一緒に拭き始める。それに対して翠雪 は大扇で口元を隠すと、必死に床を拭いている少女を手助けするでもなく、ただじっと見下ろしているのだった。
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