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ep14. 王城に秘された祝部
王城の最北部、陽も当たらない薄暗い廊下の突き当りに、狭い階段がある。一見すると壁と同化して素通りしてしまいそうな階段に、セスティはようやく気付けた。正確には、隠されていた場所を暴き出した。
周囲を警戒しながら、螺旋階段を下りていく。降りきった先で、老人が一人、ランプの灯りを手にセスティを待っていた。
「諦めが悪い皇子様ですなぁ。貴方様が望むものは出てこないと何度も話しているのに」
心底迷惑そうに老人が顔を顰める。
「諦める選択肢など最初からないと、俺も話したはずだ。希望のものが見つかるまで、通わせてもらうよ」
嫌そうにしながらも、こうして灯りを手に待っていてくれる老人が、セスティは嫌いになれない。
木製の古めかしい扉を開く。中は書庫になっていた。
本は総てが 『儀式』に関わる内容だ。これまでの『儀式』の記録と歴史書が何百冊も並んでいる。中には古すぎて虫に食われていたり、文字が滲んで読めない本もある。
「一番古い歴史書を借りていってもいいか?」
「持ち出し禁止」
セスティの言葉に、老人は短い言葉で応える。
「魔法で転写するのは?」
「頭で覚えなさいな」
首を横に振って、老人は奥の棚に消えていく。
「あ、そうだった」
セスティは保管魔法を解いて、バスケットを取り出した。中には焼きたてのパンがどっさり入っている。
老人を追いかけて、バスケットを手渡した。
「また賄賂ですかな?」
背中が曲がった小さな体で、セスティを見上げる。
「そうだよ。今日は、教えてほしいことがある」
バスケットの中のパンの匂いをクンクンと嗅いで、老人がふんと鼻を鳴らした。
「本を調べるのは、諦めましたか。ま、一つくらいなら、教えないこともないかな」
「なら、今日こそは貴方の名前を教えてほしい。俺はもう、この書庫に一年近くも通っているのに、さっぱり教えてもらえていないからね、大精霊様」
老人が、飛び出す勢いで目をひん剥いた。
大変驚いている様子に、セスティはにっこりと笑みを返す。
「最初は本にばかり夢中だったけどね、やっと気が付いた。祝部は『儀式』の記録を管理する場所だが、実際に支援もする。つまり部署の名前じゃない、貴方こそが祝部そのものだ」
祝部は文字通り『儀式』に関わる部署で、この国の祭事の一切を取り仕切る。しかし、祝部の人間が表に顔を出すことはない。
それもそのはずだ。この国の祝部に関わる者は、この老人一人だけで、秘された事実だったのだから。
老人が、じっとりとセスティを見詰める。
「貴方はパンやクッキーのような小麦の食べ物が好きだろう。俺の仲間の精霊も、好物が同じだったんだ。今日はとりわけ、貴方が好む地方の小麦を使ってみたんだよ」
小首を傾げてみせると、老人はセスティから顔を背けて部屋の奥のテーブルに向かった。
「コーヒーを淹れましょうかね。皇子様はあまり飲む機会もないでしょう」
「ありがとう。いただくよ」
老人の向かいに腰掛ける。
カップにドリップされた黒い液体を受け取る。香りを楽しんで、一口飲み込んだ。
「先に言っておくがね、儂はキジムという名の、ただの精霊ですよ。この国に大精霊は一人しかおりませんからな」
コーヒーを一口含んで、老人はバスケットのパンに手を伸ばした。
「祝部については、この場所を見付けられた時点で、いずれ気が付かれるだろうと思っていましたがね。何故、儂が精霊だとわかりました?」
パンにかぶり付きながらキジムが問う。
「凡その予測は付いているんだろう? 俺の仲間は精霊と人の間の子だ。キジム殿は、彼と似た気配がする。人とは違う、独特な気の流れを纏っているよ」
咀嚼したパンをコーヒーで流し込んで、キジムが頷いた。
「更に言うなら『儀式』の時、俺たちを攻撃した少年。彼にも似た気配を感じた。仲間の精霊術師は、あの少年も精霊か、或いはそれに準ずる存在ではないかと話していた」
アルバートに指摘されるまで忘れていたが、確かに『儀式』の場にいた少年は精霊に近い存在だったと思う。だからこそ、疑念を抱いた。あれは本当に神様だったのかと。
『そう考えると辻褄が合う。精霊である自分の正体を隠すために、精霊術師の俺を一番最初に攻撃して潰したんだろ』
アルバートの推察は妙に腑に落ちた。
では何故、少年は自分が精霊である事実を隠さねばならなかったのか。その答えは『儀式』の真相に近づく大きなヒントだと思った。
「ユグドラシル帝国のアルバート皇子が目を覚まされましたか。あの国は精霊術師が多くいると聞くが、噂に違わず優秀でございますな」
「それについてもアルバートは疑問を持っていたよ。ムーサ王国は強力な精霊が多くいる国なのに、精霊術師が少なすぎる。国内の精霊の分布が偏り過ぎている、とね」
二つ目のパンに手を伸ばしたキジムが、目だけをセスティに向けた。
「精霊とは本来、自然と共に在る。どこにでもいるのが当たり前の、自由にどこにでも行ける存在であるはずだと、教えてくれた」
パンを食べ終えたキジムが、コーヒーを啜る。一つ、小さく息を吐いた。
「それで、儂に聞きたいことは何でしょうかな。まさか神様の正体が大精霊だとでもお考えではありますまいな」
セスティは、パチパチっと瞬きした。
「実は少し前まで、そう考えていたけどね。名前はもう教えてもらったのに、まだ答えてくれるのかい?」
キジムがパンを手に取り、匂いを嗅ぐ。
「リューシャルト地方の小麦を使いましたな。懐かしい香りだ。故郷を思い出しますなぁ。望郷の礼に、少しだけ口を滑らせてみましょうかな」
ちらりとキジムがセスティに目を向けた。
「精霊の分布を調べたのなら、あの辺りに精霊の数が異常に多い事実にも気が付かれましたでしょう。あの辺りには精霊の里がある。勿論、地図になど載っとりゃせんがね」
「キジム殿は、精霊の里の出身なんだな」
パンを頬張りながら、キジムが頷いた。
「この国で生まれた精霊は皆、あの里で育つのですよ。成人して外の世界に旅立つまでね。この国の精霊はユグドラシル帝国とは生まれ方から違いましてな。自然の中で自然と共に生きるのは同じだが、この国の精霊は神様から生まれる神子なのですよ」
セスティは息を飲んだ。
そんなセスティをキジムがじっと見つめる。
「この国の神様は大精霊などではない。精霊は自然の均衡を保つため、無くてはならない存在だ。自然を維持する精霊が豊富に存在するからこそ、魔法が使えるのです。その上で、オメガが神に献上される理由を考えてみなされ」
セスティは俯いた。
そんなもの、考えるまでもない。
「神子である精霊を、産むため、か」
神の子を孕むため、精霊を生み、自然の均衡を保つため、オメガは神と婚姻する、ということなのだろう。
(オメガの、カナデの番《つがい》は神様ってことなのか。だとしたら、運命の番なんて、全くの無意味じゃないか)
だったら初めから、運命の番は自分ではなく神様であれば良かった。見たことも会ったこともない人間以上の存在に嫉妬する。
額に手をあてて苦悶するセスティに、キジムがコーヒーのカップを差し出した。
促されて、一口、含む。逆立った気持ちが少しだけ、凪いだ。
「セスティ皇子、 貴方は絵に描いたような皇子ですなぁ。きっと誰もがセスティ皇子が王位に就くことを疑わない。それは、あなた自身もです」
セスティは目を上げた。
「だが誰も、貴方の本当の苦悩に気が付かない。貴方自身も自分の本当の願望に気が付かない。いいや、最近では、見て見ぬ振りをしておられるのでしょうかね」
「何の話をしているんだ?」
キジムが目を細めた。
「セスティ皇子は、儂と会ってまだ数年だと思っているでしょう。『儀式』のために二年前に会い、話すようになったのは一年程度前だと」
「実際に、そうだろう? 名前だって、今日やっと教えてもらったくらいなんだ」
キジムがくすくすと笑った。
笑った顔を見たのは、初めてかもしれない。
セスティがここに来ると、いつもむっすりとしかめっ面をする老人だ。
「しかし儂は、貴方がお生まれになった時から知っている。貴方の父王も、そのまた前の父王も、その前も、その前も。この王室ができる前から、知っておるのですよ」
「貴方は一体、いつから生きて……。精霊は、そんなに長生きなのか?」
キジムがセスティの手を握った。
「自分が作りだした狭い常識を疑いなされ。自分の心には正直に生きなされ。柔軟になれば、貴方の本当の役割を知った時、迷わずに進めましょう」
「俺の本当の、役割? キジム殿は、何を知っているんだ。それは『儀式』に関わることなのか? だったらもっと詳しく……」
キジムが指でバツを作って見せた。
「試練は自分で乗り越えねば意味がない。二年前の『儀式』の時、あの少年が貴方方それぞれに与えた試練。それを乗り越えて次の『儀式』に望まねば、どのみち国は滅びましょう」
前のめりになった姿勢を正す。セスティは無言で頷いた。
「儂も今日は少々、口を滑らせすぎましたかな。リューシャルト地方の小麦は美味いのでね。これ以上、滑らす話もございませんから、ここにはもう、来る必要もないでしょう」
「いいや、また来る」
椅子から立ち上がりかけたキジムに、セスティは顔を上げた。
「今年収穫されたリューシャルト地方の小麦で作ったパンを持って、また来るよ。その時は、もっとたわいない話をしよう」
キジムが何かを考えるように俯いた。
立ち上がり、セスティに向かって礼をした。
「我が故郷と精霊たちを、何卒よろしくお願いいたします。セスティ皇子殿下」
頭を下げるキジムの姿に、身が引き締まる思いだった。
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