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第17話 直日神との契り
化野護は項垂れていた。
ベッドに降ろした瞬間、直桜が眠ってしまったからだ。
「こんなに酒に弱かったとは。あの日、自分で帰ってこられたのは、奇跡ですね」
友人にキスされたと打ち明けてくれた日の直桜も酔っていた。
「邪魅は近寄っただけで打ち消してしまうのに、アルコールには勝てないなんて、とんだ神様です」
親指の腹を唇に滑らせる。
熱く湿った粘膜が指に吸い付く。
ゾクリと背筋がざわめいて、指を離した。
「さすがに寝込みを襲う気には、なれませんね」
すっかり鬼化も解けて、滾った熱も落ち着いた。
キッチンに置いたままの眼鏡を取りに行こうと立ち上がりかけた時、直桜の手が護の服を掴んだ。
「直桜? 起きました、か……」
のっそりと起き上がった直桜の顔が緩やかに笑んで、護を眺めていた。
「酒は古来より神が好む。どんな毒も薬も直桜には効かぬが、酒は良いものだ。酔う心地よさは教えてやらねばな」
表情も、話し方も抑揚も、全部直桜ではない。
別の誰かが話しているのだと、すぐに感じ取れた。
「貴方は、誰、ですか」
「直桜の中に居る神は一人。直桜を守り、直桜に守られる神ぞ。滅多に表には顔を出さぬが、話をしてみたくなったのよ。化野の鬼とな」
「直日神……」
護はその場に、座り込んだ。
直桜の顔をした神様が、護の前にちょこんと座る。
「それで、どうだ? 己 は直桜を今生を掛けて守る気になったか?」
突然の問いかけに、動揺を隠せない。
(守る気は、ある。あるが、直桜がそれを望まなければ、普通を望めば、隣にはいられない)
あれだけ求められても、やはり迷う。
直桜が求める普通を守ってやりたい気持ちも、護の中で、まだ消えない。
なかなか答えない護に、直日神が表情を曇らせた。
「折角、己の上司とやらが撒いた種を直桜に拾わせたというに、まだ迷うか。自信を持て。己でなければ直桜は守れぬ」
「それは、どういう意味、でしょうか」
どうにも物怖じしてしまう。
顔は見慣れた直桜の造形なのに、表情はまるで別人だ。普段の直桜以上に全身から神気が溢れ出している。
「我が己を見付けた。誰よりも強い惟神の守護に相応しいと判じた」
胸がざわついた。
直日神の指が護の顎に掛かる。
「穢れに塗れながら穢れを知らぬ鬼。気に入った」
「だから、直桜は、私を愛して……。総て、貴方の導きで」
直日神は直桜の中に在る。魂が繋がった神の心を直桜自身の気持ちだと錯覚しても不思議はない。
(そんなもの、直桜の本当の気持ちとは言えない)
護の心を感じ取ったのか、直日神が掴んでいた顎を弾いた。
「自惚れるな、鬼。直桜の心は直桜のものだ。まさか直桜が己に斯様に惚れ込むとは思わなんだ。心を仕舞い込んで生きるのに慣れた童を随分、誑 かしてくれたものだ」
直日神が愉快そうに笑う。
「二度と直桜を手放すな、鬼よ。傷付ける振舞も許さぬ。ただひたすらに守り抜け。この先、直桜は必ず傷付く。一人では立てぬその時に、傍にいてやってくれ」
「二度と?」
直日神がニタリと笑んだ。
「何故、己を知っていると思う? 己は過去に一度、手放した。二度は許さぬ。己はもう、卑しき鬼ではない。神に選ばれた鬼と自負せよ」
「卑しき……、あ!」
遠い昔の思い出が、頭の中に蘇る。
あまりにも古すぎて、思い出そうとすらしなかった過去だ。
「あの時の、あの子供が、まさか、直桜?」
握った手を離したのは、それがその子のためだと思ったからだ。
あんなに悲しそうな顔で、ずっとこっちを見詰めていたのに。
「契れ、墓守の鬼。我は己の名を覚えたぞ、化野護」
神に名を覚えられる行為は、願いを聞き届けられた証だ。
護はごくりと唾を飲み込んだ。
「私は、直桜の傍にいても良いのでしょうか。直桜から普通の生活を奪うことになっても、それでも私は、直桜と共にいたい」
「普通とやらは、直桜を幸せにはできぬ。直桜の中に我が在る限りはな」
惟神になった人間は、死ぬまで神と決別できない。
つまり直桜は、一生、普通の生活で幸せにはなれない。
「契ります。必ず直桜を幸せにすると、一人にはしないと。たとえそれが、直桜が望む普通ではなかったとしても、二度と離さない」
真っ直ぐに見詰める護の目を、直日神の指がなぞった。
「良い。穢れぬ眼は美しい。どれだけ塵芥 に塗れようと己の眼 は変わらぬなぁ。直桜に最もふさわしい鬼よ」
目をなぞった指が唇をなぞる。
酷く冷たい指だと思った。
「忘れるな、鬼よ。再び直桜から離れたその時は、我が己を殺しに来るぞ」
直日神が目を閉じる。溢れ出ていた神気が消えていく。
直桜の体が護の胸に倒れ込んだ。
「……直桜?」
直桜は護に凭れたまま、寝息を立てていた。
どっと、体の力が抜けた。
直桜の体を、強く抱き締める。
「あの時の彼は、君でしたか。こんな出会いが、いや、再会があるなんて。文字通り神のお導きですね。私はあの時から、君を愛していましたよ、直桜」
眠る直桜に口付ける。
もう手放す理由はなくなった。代わりに傍にいる言訳を手に入れた。
それが護にとり、総ての免罪符になった気がした。
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