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第27話 狭量で稚拙な嫉妬心
次に向かった茨城県猿島の現場でも、同じ呪符が見つかった。
陽はすでに傾きかけていた。栃木から茨城を経て八王子への車移動は流石に時間が掛かる。
その間も直桜はずっと考えを巡らしていた。
何も聞かずにいた護が重い口を開いたのは、八王子の現場に着く直前だった。
「今日一日、何を考えていましたか?」
「何って、あの呪符のこととか、神降術のこととかだよ。枉津日神を降ろしてどうするつもりなのか、とか」
反魂香と神蝋があれば、神は降ろせる。だが、器をどうするつもりなのか。御霊と違って神は、どんな人間にも憑依するものではない。
降りる先は、神が決めるのだ。
(そんな特別な人間 を用意できるとは思えない。少なくとも一朝一夕には無理だ。だとしたら、繋ぎとめる鎖が必要になる)
鎖もまた儀式だ。だとすれば、近いうちに反魂儀呪がまた集会を行うはずだ。
「本当に、そうですか?」
護の言葉に、直桜は思考を止めた。
「八張槐のことを考えていたのではないですか?」
確かに、考えていた。
これだけの儀式を執り行えるのは槐しかいない。あの男が何を企み、何を成したいのか。枉津日神を降ろしてやろうとしていることは何なのか。考えないはずはない。
だがきっと、護が言いたいことは、そうじゃない。
「直桜が初めてバイトの面接に来た時、どんな顔をしていたか、自分でわかっていましたか? 私はよく覚えていますよ」
護が、ちらりと直桜の顔を窺った。
「今のような顔をしていました。眉間に皺を寄せて、苛々している様子を隠そうともしないで。不本意に怪異に関わる時、君はきっと、そういう顔をする。そう思っていました」
言われてみれば、そうかもしれない。
バイトの面接からしばらくは、確かに苛々していた。関わりたくなかった13課に関わる羽目になって、離れたはずの集落がまた近付いた気がしていたから。
「確かに、あの頃は苛々してたと思う。けど、今日は違うよ。不本意なわけじゃない」
護の中の魂魄《未玖》を祓った時に誓った。護を守るために、未玖の敵を取ってやると。
今日、現場を確認しに行ったのも、直桜から言い出したことだ。
「そうですね。どうやら違うらしいと、私も今日、気が付きました。どうにもできない現実に直面した時の顔なのでしょうね」
言葉が出なかった。
自分の思考の先の先まで読まれたような気持になって、息を飲んだ。
「面接に来た時、君はきっと直感した。この仕事からは逃げられないのだと。だから、苛々していた。今回もそう。八張槐の企てがどんなものであれ、不可避の現実だと結論している。違いますか?」
思わず護から目を背けた。
意識しないようにしていた自分の思考の先を言い当てられたようで、反論できなかった。
「桜谷集落の事情も、惟神についても、きっと反魂儀呪についても、直桜は私よりずっと詳細な事実を知っている。八張槐がどんな人間かも、良く知っている。だからこそ、私が考え及ばない結論を導き出せてしまう」
護が直桜の手を握った。
冷たい手が、直桜の熱くなった肌から熱を奪っていく。
「ちゃんと、話したほうが良いとは思ってる。でも今の段階じゃ、まだ仮説で不確かだから、混乱させるんじゃないかと思って」
「一人で抱えないと約束したはずです。私と直桜はバディです。それとも私には話したくありませんか?」
「違う! そういうことじゃなくて」
護がニコリと笑いかけた。
「わかっています。直桜はもっと私に迷惑を掛けていいんですよ。勘違いでも見当違いでもいい。何でも話して、相談してください。結論だけじゃなく、過程を教えてください。君が不可避の現実と結論付けた答えが変わるかもしれません。一緒に考えましょう」
護が直桜の手を強く握る。
優しくて強い熱に、心を握り締められた気がした。
「うん、そうだよな。ごめん。ちょっと余裕なかったかも」
護が前を向いたまま、アクセルを踏む。
車が走り出し、八王子の山の中へと入っていく。
「直桜から余裕を奪うくらい、八張槐が君の思考を占拠していると思うと、妬けますね」
ぽそりと零れた言葉に、思わず顔を上げた。
「直桜が苛々していると心配になるのは事実です。けど、詰まるところ、そういうことです」
護が前を向いたまま困った顔で笑った。
「そういうことって、どういうこと?」
「私の隣にいる君が、別の男のことで頭がいっぱいになっているなんて、気に入らない。狭量で稚拙な嫉妬心ですよ。直桜が必死に思考を巡らせている間、私はそんなことを考えていたんです」
心臓が大きく跳ねた。
鼓動が早まるにつれ、顔が熱くなる。
「直桜が初めて八張槐の名を出してから、苛々している時が増えました。君がその男にどんな感情を抱いているのか、私にはわからない。けれど、どんな思いであれ、直桜の心を縛っている事実に嫉妬してしまうんです」
指摘されて、はっとした。
思い出してからというもの、槐のことを考えている時間が増えていた。今回の事件に槐が絡んでいるのかも、反魂儀呪のリーダーが本当に槐なのかも、確認できたわけではないのに。
(槐に思考まで縛られてるとか、死ぬほど腹が立つ。でもそれ以上に、それを護に指摘させた俺自身に腹が立つ)
握っていた手をゆっくりと握り返す。
持ち挙げて、手の甲にキスを落とした。
魂魄を抱えていた頃はあれ程熱かった手が、今は冷たくて気持ちいい。
護の手が、小さく震えた。
「俺さ、槐のこと考えると、余裕がなくなる。だから、そういう時は、護に隣にいてほしい。一人に……しないでほしい」
甘えなのだろうか。
自分でもよくわからない感情が湧き上がる。
こんなことを他人に言葉で伝えるのは初めてだった。
集落にいた頃は、直桜の周りには常に人がいた。沢山の人がいたのに、まるで一人のような孤独に囚われていた。
(今は護しかいないのに、集落にいた頃みたいな気持ちには、ならない)
冷たい手が、直桜の手を強く握り返した。
「この手は絶対に離しませんよ。私は直日神の惟神の眷族で、直桜の恋人ですから」
護がちらりと横目に直桜を見る。視線がどこか艶っぽくて、ドキリとする。
胸がキュッとしまって、甘く痺れる。
手の甲に触れていた唇を滑らせて、指を食む。
舌を這わせると、護の肩が大きく震えた。
「直桜、運転中にそれはダメです。危険です」
「指、舐めてるだけなのに?」
「くすぐったくて、危ない」
護の目が色香を増している気がする。
悪戯心に火がついて、直桜は指を咥え込んだ。
「直桜!」
驚いた声と、車体が蛇行した瞬間は同じだった。
「ちゃんと運転してよ。二人とも死んじゃうよ」
「だから、それ止めてくれないと!」
「ん、ダメ」
止めろと言いながら手を引っ込めない護が悪い。などと思いながら、舌を這わせる。ちゅくちゅくと吸い上げると、指が熱を持ち始めた。
「……夜は覚悟してくださいね。寝かせませんよ」
低い声で囁いた言葉には、期待しか生まれない。
返事の代わりに指先を舐めあげて強く吸い上げた。
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