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第31話 惟神の鬼神

 部屋の扉を開けると、護が自分の部屋に戻ろうとしている所だった。  直桜の姿を見付けた護が、開きかけた扉を閉じた。 「すみません、起こしてしまいましたか?」 「いや、寝てなかったよ。……清人は、帰ったの?」  事務所の電気が消えているように見える。 「ええ、本部に戻らなければならないからと。直桜を心配していましたよ」 「そっか」  よく考えたら、清人と真面に言葉を交わさず帰してしまったかもしれない。 (俺、相当メンタルボロボロになって帰ってきたんだな)  改めて、自分が酷い状態だったと自覚した。 「あの、直桜の部屋に行ってもいいですか?」 「え? うん。別にいいけど」  心なしか、護の表情が暗いし、引き攣って見える。  部屋に入ると、護に腕を引かれて、抱き締められた。 「護? どうした……」 「直桜にだけは、知られたくありませんでした。あの男とのこと」  心臓の鼓動がゆっくりと速くなっていく。  直桜を抱く護の指先が、小さく震えているのが分かった。 (もしかしたら俺以上に護の方が、打撃が大きいのかもしれない)  直日神と話したお陰で、帰宅直後よりは気持ちが落ち着いた。何より、直日神が護の名前を憶えていた事実の方が、直桜にとっては驚きだったし大事(おおごと)だった。   (護が詰まらない過去と言い切った槐との関係なんか、小さく感じる。けどやっぱり護にとっては、違うんだ)  槐の前で平気そうに振舞っていたのは、直桜の動揺を煽らないためだった。そう考えたら愛おしくて、直桜は護の服をきゅっと掴んだ。 「確かに驚いた。けど別に、それで護の見方が変わったりしないよ。もう、終わったことだろ」  むしろ槐がどういうつもりで護に近付いたのかの方が気になる。神殺しの鬼と知って懐柔しようと近づいたのならまだいいが。 (本気で惚れてたりしたら厄介だし、話はちゃんと聞かないと)  護の手を引き、ベッドの上に座る。  しっかり護に向き合って、ぎゅっと手を握った。いつも冷たい手が、今は指先まで冷えている。 「ちゃんと聞くから、全部話してよ。槐とは絶対また会わなきゃならない。そういう時にモヤモヤしてんのは嫌だからさ」  護が俯いたまま頷いた。  表情を曇らせたまま、護が重い口を開いた。 「初めて会った時、あの男は戴斗(たいと)と名乗っていました。十年以上前でしょうか。私がまだ嵯峨野にいた頃です」  直桜は、ぽかんと口を開いた。 「え……、護の初めてって、中学生? てか、もっと前?」 「いや、その時はまだ。出会っただけで、体の関係とかはなくて。ただその、あの頃は私も今よりヤンチャだったというか。面影がないくらい別人で」  慌てながら顔を赤くする護の耳に視線が向く。 「あー、そのピアス跡が名残、みたいな? 卒アルとかないの?」  護の耳には幾つか塞がりきっていない穴がある。  今の護には不似合いだと思っていた。  未玖の話を聞いた時、嵯峨野では暴れていたような話し方だったので、今ならあまり不思議にも感じなのだが。  当の本人は気まずい顔で目を逸らし俯いている。  護にとってはいわゆる黒歴史なんだろう。 「東京に来るより昔のモノは総て処分しましたので」 「そんなにか……」  別人レベルの護を槐が知っているのだと思うと、少しイラっとする。 「東京に来て、13課所属になってから偶然、再会したんです。今思えば、あれは偶然ではなく計算だったのでしょうが。私も若かったので戴斗、いや槐が、やけに大人に見えて。慣れない土地で知っている人間に会って安心したのもあって」  護が言葉を切った。  引き結んだ口が、意を決したように開いた。 「誘われるがまま流されて、数回関係を持ちました。当時は彼を信頼していたし、恋人、と呼べる関係だったと思いますが」  恋人、という単語に、ドキッと胸が跳ねた。  過去の話とはいえ、護の口からそういう言葉が出るのは、やっぱり気分が悪い。 「未玖の事件があった時、戴斗が呪詛師だと知りました。奴があの事件に関わっていたことも。まるで裏切られた気持ちになって恋情や信頼が粉々に砕け散った。あの時の感覚は今でも覚えています」  直桜の中で、事件が繋がった。  嵯峨野で見付けた神殺しの鬼を13課に掻っ攫われて、取り返すために仕組んだ未玖の呪詛事件。その間を埋めるように、護の気持ちを自分に傾け繋ぎとめる槐の恋人工作だったのだろう。 「つまり、未玖の事件で戴斗と名乗ったまま槐は護に自分が呪詛師だと晒したわけだ。護に裏切りを突き付けるところまでが、槐の計算だったんだろうね」  直桜は深く息を吐き、頭を抱えた。 「あの男は、私を愛したわけではない。神殺しの鬼が欲しかった。ただそれだけです。あの頃の私は、奴の真意に気付きもせずに、信じきっていました」 「ちょっと違うかも。槐は、もしかしたら今でも護のこと、本気で好きかもね」  言いたくない仮説を何とか言葉にする。  直桜が恐れていた、最もあってほしくない状況だ。  護が直桜に不可解な顔を向けている。 「わからない? 好きな子を虐めたくなる心理っていうの? 現に今でも護の中には戴斗が最悪な男として残っているだろ。そうやって相手の特別になりたがる」 「メンヘラが過ぎませんか?」  護が顔を顰めた。気持ち悪い、と書いてあるような表情だ。 「うんまぁ、メンヘラってそんな感じなんだろうけど。未玖の事件の時も、反魂儀呪にスカウトされなかった?」  直桜の言葉に、護が表情を止めた。 「……自分と来るか、13課に残るか、好きな方を選べと言われて、私は差し伸べられた手を弾いた。あれほど他人を憎んだことはありませんでした」  護の顔に、嫌悪の表情が顕わになっている。  普段見せない表情に、直桜の心が沈んだ。  今でも護にこんな顔をさせる槐に怒りが湧くし、一抹の不安が過る。 「何にせよ、槐は今でも護に執着してるんだろうな。アイツがマウントとってきても逆上しないように気を付けるよ」  言いながらも既に腹の奥から怒りが燻ぶってくる。  護が直桜に複雑な表情を向けた。 「メンヘラというのなら、直桜の方こそ槐に狙われているのでは? あの虐め方を見るに、直桜への執着の方が強く感じましたが」 「まぁ、そうかもね。集落にいた頃から、あんな感じだったよ。だから俺、アイツが嫌いなんだ」  怒りを通り越して疲れてしまう。 「二人とも欲しい、と断言していましたからね。直桜に手を出すつもりなら、容赦はしません。13課の許可がなくても、殺します。恐らく私は直桜の倍以上、あの男が嫌いです」  護の表情があまりに暗くて、言葉に窮した。  これほど強い感情を護が槐に向けているのだと思うと、複雑な心境になる。 「今更、自分の過去は何とも思いませんが、直桜に手を出されるのは我慢ならない」  護が直桜の手を引く。護の胸に倒れ込んだ直桜の体を強く抱いた。 「私が直桜を守ります。惟神の鬼神(おにがみ)はそのために存在する」 「どういうこと?」  護の手がいつもより熱を帯びて、心臓が煩い。 「惟神に神紋を授けられた神殺しの鬼は、鬼神と呼ばれる。惟神の守人(もりびと)になるんですよ。お陰で私は永遠に、直桜の傍にいられます。どんな時も直桜を守る、直桜だけの鬼です。だから神紋を貰った時、とても嬉しかった」  護の手が優しく直桜を包み込む。  優しいのに力強いその手が、心地よくて嬉しい。 「そんな名目なくたって、俺は一生、護と生きたいよ」  気持ちを返すように、腕を回して強く抱きしめた。 「それなら、正式なバディ契約をしましょうか」  顔を上げると、微笑んだ護が直桜を見下ろしていた。  抱き合った体を離し、正面から向き合う。 「初めて会った時にも、告げました。あの時の気持ちは変わっていません。むしろ今の方が強い。直桜、私と結婚してくださいますか?」  護が手を差し出した。  初めて会った時の護の言葉を思い出す。 「今でも俺のこと、性格悪いと思ってる?」  直桜の問いかけに、護が一瞬ぽかんとして、困った顔で笑った。 「思っていません。今は、そうですね。マイペースで自分の気持ちに素直で真っ直ぐな、優しい人だと思っています」 「そっか。護は出会った時から変わらないよ。ああ、でも、可愛いのに雄みが強かったり、眼鏡外すとイケメンだったり、ギャップが凄いとは思うけど」 「なんですか、それ」  目を合わせて、同時に吹き出す。  直桜は護の手に自分の手を重ねた。 「こんな俺だけど、末永くよろしく」 「そんな直桜が欲しいんですけどね」  腕を引かれて、顎が上がる。  唇が重なって、舌が絡まる。  噛みつくような口付けが独占欲を現しているようで、胸が締まる。  手を伸ばして、護の顔を包み込んだ。 「離れたら許さない。俺だけの鬼神」 「御意に」  直桜の顔を見詰める護の目が艶っぽく笑んだ。  そのままベッドに押し倒されて、唇を甘く食まれる。  首筋から鎖骨に降りていく唇に、甘い期待を膨らませて、痺れる快楽を受け入れた。

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