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第34話 犬と猫

 廊下の突き当りにあるドアの向こうは、如何にも研究室といった部屋が広がっていた。  机の上に明らかに呪詛を纏った札だの武具だの人形だのが置かれている以外は、化学実験室のような様相だ。   「穂香、いるかい? お客様を連れてきたから、茶でも入れてやってくれ」 「いや、我々は客では……」  言いかけた護を振り返り、朽木がニタリと笑う。 「いいじゃないか。ウチは滅多に人が来ないから、誰か来るとつい浮かれてしまうのさ」  言葉の意味は、部屋の中と朽木の性格で何となく理解できた。  護と二人で住んでいる事務所にも滅多に人が来ないが、ここは違う意味で来ないのだろうなと思った。 (こんだけの呪具があると、流石に気分悪くなるな。この朽木って人も、人との距離感バグってて何つーか気色悪いし) 「はーい、今行きまーす」  女性の声がして、奥の扉が開いた。 「本日、来訪予定の化野さんと瀬田さんですねぇ。お待ちしていました。こちらに、どぅぞぉ」  盆に茶を乗せて入ってきた女性は、どこにでもいるOLのような可愛らしい女性だった。  ごっちゃりと呪具が載っている研究机の奥にある、申し訳程度に置かれている来客用と思しきテーブルに茶を並べている。  化野が女性に近付き、丁寧に頭を下げた。 「本日は、お世話になります。あのこれ、詰まらない物ですが」  菓子折りを渡された女性が、顔を明るくして受け取った。 「きゃー。いつもありがとうございます。化野さんが持ってきてくれるお菓子って、どれも美味しいんですよね。嬉しいですぅ」  本当に嬉しそうに受け取って、ニコリと笑顔を見せる。 「直桜、こちら呪法解析担当室副室長の垣井(かきい)穂香(ほのか)さんです。この方は安全ですから、近づいて大丈夫ですよ」  大変棘がある言い回しに、穂香がカラカラと笑った。 「やだー、もしかして(かなめ)室長に何かされました? 後できつーく叱っておきますね」 「直桜を誘惑されました。念入りに叱っておいてください」  椅子に掛けながら、護が険しい顔で息を吐く。  心なしか、いつもより砕けているように見えなくもない。 「わかりましたー。ところで、お隣が化野さんの新しいバディですか?」  視線を向けられて、ぺこりと頭を下げる。 「瀬田直桜です。よろしく……」  差し出した手を、穂香が噛み気味に握った。  ずん、と顔が迫って、直桜をじっと見つめる。 「んー、要室長が誘惑する気持ちがわかるー。けど、私は化野さんと瀬田さんを応援していますからね」  握った手をぶんぶんと手を振って、ぱっと離された。 「例のキャリーケース持ってきますので、待っててくださーい」  楽しそうに笑いながら、穂香が奥の部屋に戻っていった。 「ここは基本、ヤバそうな奴しかいねぇの?」  朽木要ほどでないにしろ、穂香も充分に普通でない気配を醸し出している。 「穂香さんは、まともな方です。他の輩は大体もっとヤバいので」  護が冷静に危険な言葉をさらりと口にした。 「人が寄り付かない訳だね」  出された茶を一口含んで、ふぅと息を吐いた。 「そういえば、犬と猫、どっちが好きだい?」  どこかに消えたと思ったら再び現れた要が、コーヒーカップ片手に問いを投げた。  直桜は首を傾げた。 「どっちだろ。どっちも可愛いけど、犬かなぁ。賢いし、従順で懐いてくれるイメージかあるから」 「私は猫ですかねぇ。気紛れで甘えてくるところとか、可愛いですし。普段、塩対応なのに時々デレるギャップとかも、好きですね」  二人の話を聞いていた要が、笑いを噛み殺している。  その反応を見て何かに気が付いたらしい化野が、顔を赤くして要を睨んだ。 「そうか、瀬田は犬で、化野は猫か。今の飼い猫は、そんなに可愛いかい?」 「だから、そういう質問やめてください!」  護の言葉を聞いて、直桜もやっとその意味に気が付いた。 (確かに化野は犬っぽいし、俺は猫っぽいかもな)  言い得て妙な結果に、かえって何も言い返せない。 「揶揄うために聞いたんじゃないんだ。許してくれ。穂香、両方持ってきておくれ」 「はぁい」  奥の部屋に向かって要が声を掛ける。  勢いよく扉が開き、穂香がキャリーケースとぬいぐるみを抱えて戻ってきた。 「はい、犬と猫」  テーブルの上に、犬と猫のぬいぐるみが置かれる。  訳が分からず、直桜は穂香を見上げた。 「結論から申しますとぉ、このキャリーケースは多分、瀬田さんじゃないと開けられないんですぅ」  要が霊気を纏った手をキャリーケースに伸ばした。 「! やめろ!」  直桜は咄嗟に手を伸ばした。要の腕を掴んだのと、指がキャリーケースに触れたのは同時だった。  バリン、と雷が落ちたような音がして、要の手が焦げた。 「この中に枉津日神が鎖で繋がれている。キャリーケース自体を開けることは、実は可能なんだ。だが、その後がね」 「鎖を破って枉津日神が出てくる可能性がありましてぇ。下手をするとこの場にいる全員が死にます」  穂香の目が、暗く灯る。 「それより、アンタの手だ。わかっててやっただろ、馬鹿なの」  直桜は要の腕を掴み上げた焦げた手に手を添えて、神気を込める。黒く焦げた手が、元の肌の色を取り戻した。  自分の手を、要が感心した顔で眺めた。 「瀬田は回復術も使えるのかい? 直日神にはそんな力もあるんだね」 「ないよ、そんな力。体を治したんじゃない。穢れを祓ったんだ。強い穢れに侵食された体は、直後に祓えば怪我には至らない」  要と穂香が同じ表情で直桜を眺めている。 「……何?」  何となく居心地が悪くて、つい可愛くない言い方をしてしまった。 「直桜様は特別という、あの子たちの言葉の意味が分かったよ」  要が優しい顔で笑んでいる。  会ってから初めて見る真面な顔だと思った。 「あの子たちって、他の惟神のこと? アイツ等はまだ若いから、そんな風に思うだけ。世代交代してまだ間もないから」 「いいや、律もだよ。尊敬していると話していた」  返す言葉に戸惑って、直桜は目を逸らした。  四人の惟神の中で、瀬織津姫神を降ろした水瀬《みずのせ》律《りつ》だけは直桜より年上だ。直桜より先に惟神になり、今でも神を宿しているのは律だけだった。 「尊敬なんて、そんなの、俺の方が……」  呟いた言葉を飲み込む。  直桜が律に対して抱いている感情は、尊敬などという綺麗なものではない。もっと薄汚れた同情や憐みの方がずっと強い。  故に、大事に思う従姉弟に他ならない。  同じ惟神として幼い頃から直桜を支え続けてくれた大事な姉なのだ。

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