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第35話 枉津日神を降ろす器

「で? 枉津日神を降ろす器が、このぬいぐるみなワケ? 降りた瞬間、弾けると思うけど?」  顔を上げて、テーブルの上の犬と猫を指さす。 「そのぬいぐるみは穂香が作ったんだ。こう見えて穂香は優秀な呪具技工士でね。しかし、今のままでは足りない。完璧にするには、瀬田の神力が必要だ」 「いやだー、優秀なんてただの事実述べられても困りますー」  キャッキャする穂香の頭を要が撫でる。  二人の距離感がいまいちよくわからない。  だが、さっきの話を引き摺らずに変えた話題に乗ってくれたのは、有難いと思った。  直桜は犬のぬいぐるみを手に取った。 (確かに、良く出来てる。普通の御霊を降ろすなら十分すぎる強度だ。だけど、神を降ろす器には成り得ない)  ぬいぐるみをいじりながら、考えを巡らす。  ちらりと、隣に座る護を見詰める。 「直桜? どうしました?」  見詰め過ぎたのか、護が困った顔をした。  護の顔の隣に、ぬいぐるみの顔を並べる。護がびくりと身を引いた。 「似てるね」  直桜の呟きに、穂香が嬉しそうに乗っかった。 「わかります? ワンコのぬいぐるみ作っている時、化野さんをイメージしてたんですよぅ。瀬田さんにそう言ってもらえると嬉しいー」 「じゃ、これにするよ」  犬のぬいぐるみを護に手渡す。  訳が分からない顔をしたままぬいぐるみを受け取った護が、直桜を見上げた。 「そのまま、しっかり持ってて。腹の神紋に押し付けるように、両手で」  護の手の中のぬいぐるみを、ぐっと押し付ける。  席を立ち、キャリーケースに触れて中を確認する。額をあてると、確かに神気を感じた。 「俺がキャリーケースを開けて鎖を解くから、護はそのまま動かないで」 「え⁉ 大丈夫なんですか。今、朽木室長の手が焦げたばかりですよ」 「化野、要と呼ぶようにと言っているだろ。しばらく会わないと、すぐに忘れるんだから」 「そんなこと言ってる場合ですか⁉」  慌てる護と違って、要は落ち着いている。 「瀬田がやるといってるんだ。慌てる必要はないだろ」  キャリーケースを横にして、張られた札を一枚づつ剥がしていく。 「直桜でいいよ。俺、アンタのこと、あんまり嫌いじゃないっぽいから」  話しながらも手を止めない直桜の頭の上で、要が小さく吹き出した。 「そうかい、直桜。じゃぁ、私のことも、要と呼んでくれるかい」 「いいよ。じゃぁさ、要。この部屋に結界張ってくれない?」 「強度は、どれくらい?」 「MAXで。どうせ破られる」  天井に手を翳した要に次いで、穂香が手を横に広げた。 「私もMAXで結界張りますよー。だから、私のことも穂香でお願いします、直桜」 「穂香、ありがと。危険だと思ったら、その瞬間、解いて」 「らじゃ~」  穂香の高い声はアニメ声だなと思いつつ、最後の札を剥がす。  禍々しいほどの邪魅がケースの隙間から溢れた。  要と穂香が顔を顰める。  次の瞬間には、光が塵のように舞う。吹き出した瞬間に浄化される邪魅を、二人は息を飲んで眺めていた。 「こんなの、初めて見ましたよ……」  呆れたような関心の声が、穂香から漏れた。  留め具を一つ一つ外していく。 「開けるよ。危ないと思ったら、避けてね」 「簡単に言うね」  要が不敵に笑ったように見えた。  キャリーケースの蓋を開ける。神気を纏わせた手でも、重く感じた。  力いっぱい蓋を引き上げる。開き切った瞬間、溢れた邪魅が部屋中に飛び出した。  結界の壁に勢いよくぶつかる。強く張られた結界に亀裂が入っているのが分かった。 「流石に多すぎて鬱陶しいな。先に清祓するか」  呟いて、ゆっくりと息を吐く。シャボン玉のような光が大きくなり、子供くらいなら入れそうな大きさまで膨らます。  浮き上がった光の玉を、指で突く。パァンと弾けて、邪魅が光に溶けた。  部屋の中に清浄な空気が流れた。 「この規模の清祓を、一瞬で……」  要が驚いた声を零す。  直桜はキャリーケースの中身に目を落とした。  何重にも張られた鎖がみえる。その中に、小さな光が一つ、灯っていた。 「こんなに力を落としていたのか」  キャリーケースの中に封じられている枉津日神は、自分の中の直日神とは比べ物にならないほど弱々しい。  もう何年も人の体に降りられず、挙句邪魅塗れにされて呪術で縛られた神は、直桜が想像していた以上に弱っていた。 (やはり祓戸の神は惟神になれなければ消滅してしまうのか)  直桜の指に光が灯る。直桜が意識しなくても直日神が送ってくれる神気だ。 (直日も悲しいんだな。枉津日神に消えてほしくないんだろ。でも、大丈夫。この状態なら、あの器でも耐えられる。ゆっくり惟神になれる人《器》を捜そうな)  仄暗い灯りを纏う指が、鎖に触れる。それだけで、鎖は泡のように溶けて消える。  一本、また一本と、ゆっくり切り千切っていく。 「護、準備いい? 最後の一本、切るよ」  ちらりと護を覗く。  護が意を決した顔で頷いた。 「大丈夫です。いつでも、どうぞ」  ぬいぐるみを腹にぐっと押し付ける。  口端を上げて、直桜は最後の一本の鎖に触れた。  総ての鎖から解放された小さな光が、ケースから飛び出した。  先導するように、灯った指を上げると、ぬいぐるみを指さす。  光が、ぬいぐるみの中に入った。  「うっ……」  どん、と強い衝撃で護の体が後ろにずれた。  直桜は護の肩を掴み、ぬいぐるみの頭を鷲掴みにした。  護の額に額をあてて、神力を流し込む。 「護の中に流し込んだ俺の神気を腹に溜めて、神紋から犬に神気を送るようにイメージして」 「はいっ」 「護、力入り過ぎ。もっと力抜いて。ゆっくり呼吸して」 「でもっ、押し返す力が強くて」  腕にも肩にも力が入って、強張っている。 「仕方ないな」  顎を掬い上げて、口付ける。  神気を流し込みながら、舌を絡めた。  後ろで「きゃっ」と嬉しそうな悲鳴が聞こえたが、気にしない。  上顎を何度も舐め挙げると、ようやく護の肩の力が抜けた。 「じゃ、仕上げだ」  ぬいぐるみを持つ護の手に手を重ねる。  口付けと手から一気に神力を流し込んだ。  荒ぶっていた神の御霊が、すとん、とぬいぐるみの中に納まった。  地震でも起きたかと思うほどに揺れていた室内が、しんと静まり返った。 「あぁ、ようやく得た器が無機物とは、情けないのぅ」  犬のぬいぐるみが、眉を下げて呟いた。 「消滅しなかっただけ、良かったですよ。枉津日神様」  ぬいぐるみが顔を上げる。 「其方、直日か。久しいのぅ。立派な惟神と共に在る。直桜といったか。気安くしてよい。其方のお陰で消えずにすんだ」 「では、枉津日、よろしく」  ぬいぐるみと握手する。  その光景を他の三人が唖然と眺めている。  ぬいぐるみが護を振り返った。 「其方、直日の鬼神か? 先代の神殺しの鬼は如何した?」  突然、話を振られて、護がビクリと肩を跳ねさせた。 「先代は、亡くなりました。かなりの高齢でしたので。貴方、様を人から引き剥がした神殺しの鬼、です」  申し訳なさそうにする護に、枉津日神が笑いかけた。 「良い良い、詮無きことだ。我らは人と共に生きる神、故に人を大事にする。こうして我を救ったのも、また人ぞ」  枉津日神が穂香と要を振り返った。 「其方らも、世話になったのぅ。この器も先の結界もご苦労じゃったな」  ぬいぐるみの犬の顔が笑んでいる。  不思議な感じだなと思いながら、直桜は犬を眺めていた。 「まさか、祓戸大神と話ができる日が来るとは、思わなかったな」  要が本気で呆気に取られている。 「ぬいぐるみ、気に入ってもらえて良かったですぅ」  穂香は案外、驚いてもいない様子に見えた。 「お洋服も作ったんですが、着ますかぁ?」 「何? 服とな。興味があるぞ」  護の膝の上で、犬がわちゃわちゃ動いている。 「たくさんあるから、あっちの部屋で見ますかぁ?」 「見る! 着てみたい!」  案外俗物だなぁと思うが、楽しそうなので突っ込まないでおいた。  それよりも、疲れ切った護の顔の方が気になった。  枉津日神を抱き上げる。 「俺が連れてくから、護は少し休んでてよ」 「いえ、でも」 「いいから」  立ち上がろうとした護の肩を押し込む。腰がすとんと、椅子に落ちた。 「後で俺の神気、たっぷり補充してあげるね」  耳元で囁いて、すっと顔を離す。  顔を赤らめて俯いている護が可愛い。 「俺も一緒に行っていい?」 「いいですよぉ」  直桜は枉津日神を連れて、穂香と共に奥の部屋に入った。

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