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第47話 梛木の真意

 直桜と別れて12階に残った護は、不安を抱えていた。  小脇に抱えた犬のぬいぐるみの中に在る枉津日神と直日神に挟まれて、神倉梛木が目の前に立っている。 (神様の密度が高すぎる。皆、高位の神すぎる)  全く落ち着かない。  オフィスのフロアのような空間の真ん中にある長椅子を梛木が指さす。その指をすぃと下に向けた。  座れという指示だろうと思い、素直に腰掛ける。隣に並んで直日神がちょこんと座った。護の手から離れた枉津日神も、反対側の隣に腰掛けたので、またもや挟まれた。 「久しいのぅ、直日。この間は姿を見せもせんかったが。直桜と離れれば、顕現せざるを得ぬか」  ニタリと笑んで、梛木が直日神を見下す。 「この間は必要ないと思うたのだ。だが、何やら不穏な気配を感じ取ったのでな。何より今日は、護にこの姿を覚えさせたかった」  直日神が隣に座る護に目配せする。  どう返事してよいかわからずに、軽く会釈をした。 (髪が長くて声も優しいし中性的だが、顔立ちはどこか直桜に似ている。直桜をもっと大人にしたような)  直桜の姿で話したことが一度だけあるが、顕現した姿を見るのは初めてだ。 「どうした? 吾の姿に見惚れたか?」  言い当てられて、顔が熱くなる。  咄嗟に目を逸らしたら、犬の枉津日神と目が合った。  可愛らしいぬいぐるみ姿が、今は癒しだなと思う。 「なんだ、化野は直日と既に話しておったか」 「以前に直桜の姿で一度だけです。姿を拝見するのは初めてですよ」 「珍しいのぅ。滅多に人と話さぬ直日が、自分から話しかけたのか?」  枉津日神が護の足に手を掛けて前にのめる。 「吾から話しかけねば話せまい。しかしまぁ、何度見ても珍妙で愛くるしく、不憫な姿よのぅ、枉津日」  直日神が、ぬいぐるみを抱き上げる。 「可愛らしかろ? 最近は気に入っておるのだ。穂香という娘子が服を作ってくれるでの。今日は一張羅にしてみたぞ」  今日の枉津日神は羽織のような服を着ている。  嬉しそうに語る枉津日神を直日神が愉快そうに眺めていた。 「まぁ、枉津日はそのくらいでいてくれた方がよいの」  呟いて、梛木が護に視線を移した。 「直桜は忍の所で霊力の底上げ訓練じゃ。二週間は戻るまい。その間、化野には神殺しの鬼の力を鍛えてもらうぞ」 「神殺しの鬼? 鬼神としての、ではないのですか?」 「まずは神殺しの技からじゃ。でなければ、鬼神の力は使えぬ」  護は押し黙り、視線を下げた。  口伝で伝えられる鬼殺しの技は頭に入っている。鬼神がどんなものかも知っている。神殺しの鬼は惟神から神を引き剥がし、殺すことも出来る。鬼神は惟神の中に神を封じ込め、戻すことも出来る。  絶対的な存在である神を殺める唯一の存在といえる。  神倉梛木という高位の神が惟神の神である直日神と枉津日神の前でこの話をしている現状に、危機感に似た恐怖をじんわりと抱いた。 (神倉副班長は、全部知っている。知らぬはずはない。この方は、国つ神の頂点と呼んで過言でない存在なのだから)  だからこそ、梛木がやろうとしている計画が、怖い。 (俺が下手を打てば、直日神も枉津日神も、直桜だって、死んでしまうかもしれない)  嫌な汗が背中に流れた。  護の顎に指が掛かった。くぃと持ち挙げられ、上向いた視線の先に梛木の顔があった。 「案ずるな、鬼。お主に下手をさせぬための訓練じゃ」 「わかっています……」  緊張が解けない護に業を煮やしたのか、梛木が護の顎を払った。 「なれば、先に話しておこうかの。直日神の荒魂について。化野は知らんじゃろう」 「知らぬのか? 小倉山の鬼ならば、存じていよう」  意外そうな顔をする直日神に、首を振って見せる。 「そこで新しい服に浮かれる、犬だ」  直日神が枉津日神を指さした。  訳が分からず、首を傾げる。 「枉津日神《おうつひのかみ》の真名は禍津日神《まがつひのかみ》。黄泉の穢れより生まれし災禍の神であり、吾と表裏の神よ」 「え? ……え?」  説明されたようだが、上手く理解できない。 「本来、吾らは共に在るべき神での。同じ惟神に添うが道理だが、二柱の神を降ろせる人間は、未だかつておらなんだ。だから、別々の人間に入っておったのよ」  新しい服に浮かれる犬が、説明しながら護の膝に乗る。 「枉津日神は惟神の中では異端じゃ。正確には祓戸大神とも呼び難い。他の惟神が神力を増幅すのに対し、枉津日神の惟神は災厄を抑えるため、封印の意味合いが強い」    護は息を飲んだ。  確か、以前は藤埜家が枉津日神の惟神を引き受けていた家系だったはずだ。先代の神殺しの鬼が枉津日神を惟神から引き剥がしていなければ、今頃は清人がその身に災禍の神を封じていたのかもしれない。  そう考えたら、ぞっとした。 「災禍の神とはいえ、真名を戻さなければ他の神と大差ない。直日神の分身のようなものじゃ。他の惟神と同じように神力を得て、清祓や浄化も出来る」  護の顔色に気が付いた梛木が、釘を刺した。  しかし、護の中の不安は拭えない。 「では、直日神を荒魂に堕とすというのは、つまり」 「直桜に二柱を降ろす。直日神を封じ、枉津日神《|ルビを入力…《まがつひのかみ》》の真名を戻して、荒魂とする」  梛木が護を真っ直ぐに見据えた。 「そんな……。それではあまりにも直桜の負担が大きすぎる! 神倉さんは直桜を殺す気ですか!」  思わず立ち上がり、梛木の両肩に掴みかかった。  後ろから腕が伸びてきて、護の体を引っ張る。全く強い力ではないのに、体が後ろに傾いて、気が付いたら直日神に抱きすくめられていた。 「可愛い、護。吾の可愛い直桜のために怒ってくれる護は、可愛いな」  まるで子供にするように頭を撫でられて、逆立った気持ちが凪いでいく。  その光景を、梛木は顔色を変えずに眺めている。 「直日神は、良いのですか。直桜が辛い目に遭うのを見過ごせるのですか」  直日神が護に微笑んだ。 「それが直桜の望みなら。吾は直桜が望む平穏を得るために、共に歩む。それだけぞ」 「直桜は全部わかっておる。反魂儀呪の狙いがソコにあることもな。わかっておるから、忍の所に行ったのだ」  護は梛木に視線を移した。 「反魂儀呪の、狙い? 直桜を荒魂にすること、ですか?」  零れた問いに、梛木は頷かなかった。 「八張槐のこれまでの行動を思い起こせば答えは出る。槐は、直桜に二柱を降ろせるポテンシャルがあると、始めから気が付いておったのだろう。更に小倉山で神殺しの鬼を見付けた。そこから始まった、十年越しの計画じゃ。何とも執念深い」  護は、これまでの槐の活動を思い返した。 「私に近付き、呪詛を仕掛けたことも。直桜を集落から出して13課に引き込んだのも。今、私と直桜が訓練を受けていることすら、槐の狙いだと?」 「自分に呪詛がかけられた状況に不信を抱かなかったか? 槐の狙いが化野の鬼のみであれば、呪詛を使って意識を支配し、反魂儀呪に引き込めばいい」 「……未玖の呪詛は、直桜を表舞台に引き摺りだすための餌だと?」  確かに、未玖の呪詛があったから、清人は直桜を探し出し、13課に引き込んだ。あの呪詛がなければ、直桜と再会することすらなかったかもしれない。 (()直桜(惟神)を出会わせるための、餌でもあったってことなのか)  直接的には関わっていなくても、誘導するような事件を起こし状況を作って、周りが意図した方向に動くように仕向ける。  それくらいのことは、槐なら容易にやりそうだ。実際に今、槐が望んだ状況が作られている。   「或いは、そうじゃろうな」 「だったら何故、槐が望むような結果を13課が後押しするのですか! 直桜の中に枉津日神を降ろさなければ、荒魂になどしなければ!」  声が震える。  直桜が壊れるかもしれない未来など、受け入れられない。  護を抱く直日神の手が優しく肩を撫でてくれても、気持ちは落ち着きそうにない。 「このまま放置すれば枉津日神は消滅するか、荒魂となり屠るしかなくなる。直桜はそれを望まんのじゃろう。枉津日が消えれば直日も同時に消滅する」  梛木の言葉に、直日神を振り返る。  変わらない柔らかな笑みが護を見詰めていた。 (表裏の神、とは、そういうことなのか)  枉津日神の、犬の手が護の手に重なる。  眉を下げている顔は、申し訳なさに溢れていた。 「槐の狙いが、直桜に二柱を降ろし、化野に鬼神としての才覚を開花させることならば、叶えてやろう。それは13課も望む結果じゃ。しかし、その先は、くれてやる気は無いぞ」  梛木が護を振り返る。   その顔に、ぞっと怖気が走った。  まるで神とは思えない、いや、神だからなのか。笑んだ顔には気魄が満ちていた。 「奴らの望んだ結果が奴らの悪事を挫くのだ。やられっぱなしも、そろそろ飽きたしのぅ。(すだま)御霊(みたま)のみならず神までも弄ぶ輩には天罰が必要じゃ。そう思わぬか?」  ぞわりと鳥肌が立って、何も言えなかった。  神の怒りをかうとは、こういうことなのかもしれない。  たとえ槐の野望が計画通りに進んだとしても、きっと槐に勝ちはない。梛木の全身から噴き出る神気は、そう思わせる怖さがあった。 「枉津日神は真名を戻さなければ今のままだ。案ずるな、護。直桜が壊れるような未来はない。吾も、斯様な未来は望まぬよ」  直日神が、護を優しく包む。  抱きとめてくれている腕に、そっと触れる。温かな温もりは、今度こそ護の心を落ち着けてくれた。 「だからこそ、お主が肝じゃ、化野。直桜は腹を括ったぞ。お主は、どうする?」  背もたれに倒れていた上体をゆっくりと起こす。  直日神が抱きとめていた腕を解いた。 「やります。惟神の鬼神として、何があろうと直桜を守ってみせます」  心の迷いは晴れた。  直桜が普通を捨ててまで選んだ新しい未来(平穏)を共に守るために、今が自分の使い所だと感じた。

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