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第46話 須能忍と特殊係13課

 何もなかった空間は、何時の間にかマンションの一室に変わっていた。それが同じフロアであることは、体感でわかった。 「ねぇ、この空間がころころ変わるのって、梛木の空間術?」 「いいや、俺が用途に合わせて変えている。梛木の術は空間を維持するだけだ。そうでないと、大変だろう」  ソファに座る直桜に、忍がコーヒーを手渡す。  何となく普通に受け取ってしまった。  コの字型のソファに、忍が普通に腰掛けて、直桜をじっと見詰めた。 「……何?」  コーヒーを啜りながら、忍をじっとりとねめつける。  蛇のような真っ赤な目に見詰められると、身動きが取れないような気分になって、どうにも居心地が悪い。 「中の上」 「は?」  突然訳の分からないことを言われて、反射で感じの悪い声を出してしまった。 「お前単身の今の霊力は、中の上だ。そこそこ使えなくもないが現場に出たら早い段階で死ぬだろうな、といったレベルだ」  大変失礼なことを言われている。  しかし、自覚している所なので何も言い返せない。  直桜は押し黙ったまま、またコーヒーを含んだ。 「自身が持つ力の使い方、特に雷の使い方は良かった。水も使い方を考えればもっと良くなる。そのあたり、器用なようだから自身で考え得るだろう。得手不得手も心得ているようだが、機転が足りない。そこは経験不足だろうな」 「つまり応用力と絶対的な霊力が足りないって言いたいワケ?」  忍が表情も変えずに頷いた。 「ああ、そうだ。だが、応用力の方は今は必要ない。今上げるべくは絶対的な霊力だ。直日神に頼ることなく、どこまで自身を高められるか。それが今後のお前の命の長さに直結する」  命の長さ、という言葉に、心臓がざわりとした。  贄になるということは、つまりそういうことだ。 「姿を消した神々が反魂儀呪に囚われているのは、既に確認している。諜報部隊の報告を加味すれば、荒魂の儀式も既に始まっていると考えていい」  直桜は押し黙った。  猶予はない。反魂儀呪の隙を見つけて、神の御霊を取り返さないと、荒魂にされた縫井たちを元の姿には戻せない。 「焦る必要はない。反魂儀呪の方から仕掛けてくる。それを待つ。その間に、お前の霊力の底上げを行う」  忍を振り返る。  直桜の視線を受けて、忍が目を伏した。 「心を読む能力など、俺にはないぞ。相手が考えていることが、何となくわかるだけだ。ただ、お前は他よりわかり易い。ガキ臭い所があるからな」  複雑な心持で忍を眺める。  忍の表情は、ほとんど変わっていない。笑みが消えた顔は冷たさすら感じる。 「なんか、気持ち悪いね」 「そういうところが、ガキ臭い」  間髪入れずに帰ってきた言葉に、直桜は言葉を飲んだ。 「悪癖とは思わない。それもお前の個性だろう」  立ち上がった忍が、籠に盛られた菓子を持って来た。 「菓子が好きなんだろう。食っておくといい」 「そこまでガキ扱いされるのは、嫌だよ」  籠の他に持って来た箱を開けて、並んだチョコを取り出す。忍の指が直桜の口にチョコを押し込んだ。  無理やりに突っ込まれて、仕方なく咀嚼する。  有名ブランドの美味しいチョコに、ちょっとだけ感動した。 「何故、自分が菓子を欲するか、わかるか? お前が持つ霊力の絶対量が消費に比べ不足しているからだ。早く回復しようと体が好物を欲する」  もう一口、チョコを押し込まれる。  今度は素直に食べた。 「お前が桜谷集落でしてきた修行は、惟神として神を受け入れるための基礎体力作りだ。これから行うのは、命を守るための訓練だ。守るために強くなってもらう」 「自分を、守るために?」 「自分も、他者も。自分を守れぬ者に、他者は守れない。特にお前には強さが求められる。それだけの立場だと自覚しろ」  またチョコを摘まんで、忍の指が直桜に伸びる。  餌付けでもされている気分だ。  直桜は自分から、忍の指を食い気味にチョコに食らいついた。   「お前じゃない、直桜だよ。俺も忍って呼んで、いいよね」  忍が食われた自分の指を眺めている。 「足りないのは、わかってる。13課に来たら、遅かれ早かれこうなるだろうとも思ってた。俺のこと、鍛えてよ。今よりレベルアップしたい。忍なら、できるんだろ」  忍が食われた親指を、ぺろりと舐めた。 「惟神の立場から逃げるのをやめたのは、本当らしいな。いいだろう。俺が直桜を誰よりも強い惟神に育ててやる。直桜なら有史最強の惟神になり得る」  忍が嬉しそうに笑う。  その顔に、拍子抜けする。 「有史って。それは流石に大袈裟すぎない? 桜谷集落が惟神を作り始めたのは平安より昔だって話だよ」 「ああ、そうだな。あの頃ですら、今のお前より強い惟神はいなかった」  忍が、今度は自分の口にチョコを放り込んだ。  まるで見てきたような言い回しに、釈然としない気持ちになる。 「まるで知っているような言い草だね。桜谷の集落のこと、そんなに詳しいの?」  直桜の記憶の限りでは、集落の中に忍のような男の介入はなかったと思う。 「通っていたから、良く知っている。渓谷の深く、瀬田川の中流にある美しき集落の誇り高き神々。中臣が延喜式の大祓詞に加えるまでは、祓戸大神も惟神も、片田舎の集落の国つ神に過ぎなかった。だが彼らの存在感と力は、天つ神の比ではなかった」  鬼灯(かがち)の瞳が直桜を見据える。 「あの頃の俺の名は、賀茂役君(かものえんのきみ)小角(おづぬ)。世の中には、死にたくても死ねない人間というのが実際にいる。俺は、世の中にいくらでも存在する解明不可能な不思議の、ただの一部だ」  そう言って、忍はコーヒーを啜る。 「だから、千三百年くらい前から惟神が存在しているのは知っている。俺が集落を訪れるよりずっと前から惟神が慣例化していたことも……」  直桜は忍の口にチョコを突っ込んだ。  忍が不可解そうに眉間に皺を寄せて言葉を止めた。 「ちょっと待ってよ。自分の生い立ちスルーすんな。つまり忍は、役行者本人で、死ねない体のまま、今は13課の班長しているってこと?」 「役行者……。そんな呼ばれ方もしていたな。伝説が独り歩きしているようだが、俺は山だの谷だのに行って好きに修行していただけだ。死ねないから今も生きている」  大変簡潔に自分の千三百年の人生を語られて、呆気に取られる。 「時代が下るにつれ、死ねないというのは生きづらくなる。徳川の治世より前はどうにでもなったが。戸籍上なら何度死んだか、わからない。その度に名前が変わるから面倒だ。13課に所属してからは、その辺りが楽になったな」  死ねない人間の生きづらさは、何となく理解できた。一つの場所に留まれば気味悪がられるだろうから、流れて生きるしかない。  戸籍などで国民を管理するシステムになれば、何時までも死なない人間が不信に思われるのは当然だ。  国家公認のオカルト部隊である13課に所属できたことは、ある意味で国に保護されたのと同じだろう。 「忍が13課に配属になったのって、何時なの?」 「立ち上がってすぐだ。明治の、中頃か。あの頃は特殊部隊と呼ばれていた。最初は1班、殲滅すれば2班ができた。戦後、海軍直下だった特殊部隊が警察庁管轄になり、便宜上、公安部に配置され、特殊係になり班が課に変わった」  菓子が詰まれた籠の中を、忍の手がごそごそと探る。  おかきを見付けて、袋を開けると口に放り込んだ。 「今、13課ってことは12までの班は殲滅したってことなんだ」 「そういうことだ。戦後は殲滅するほど酷い状態は一度きりだった。長らく13課のままだ。班長という役名も、昔の名残だ」  忍が話すと、とんでもないことも、何でもないことのように聞こえる。  あまりにも淡々と話すので、どこからどこまで突っ込んで良いか、わからない。 「13課の歴史、初めて知ったよ。忍の素性には驚いたけど。だから梛木も副班長として協力する気になったんだろうね」  本物の神である梛木が、警察などと俗っぽい組織に身を置いているのが不思議だった。だがスカウトしたのが役行者なら、興味を持って乗っかっても不思議ではない。 「忍って呼んでいいの? 小角とか、呼んだほうが良い?」  チョコを摘まんで忍の口に持っていく。  険しい顔で手を出し、遮られた。 「口の中が甘い。もう、要らない。あと、忍でいい」  本当に辛そうな顔でコーヒーをがぶ飲みしている。  その姿がやけに可愛く見えた。   忍の訓練は厳しそうだと思いながらも、楽しみで心が躍った。

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