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第56話 神降ろしの儀式②

 目隠しをされて連れてこられた場所は、大きな岩倉の中のようだった。外より低い温度の空間に音がやけに響く。聞き慣れた愛しい声が直桜であると、目隠しを取るまで認めたくなかった。  鍾乳洞のような広い空間は、頭上に開いた大きな穴から月明かりが差し込む。  祭壇と思しき舞台の上の直桜は、彼が友人と呼んだ男に犯されていた。その男が巫子様なのだと直感した。  楓が直桜の体を起き上がらせて、白い衣を纏わせる。手と足には鎖が繋がっている。枉津日神を封じていた鎖だとすぐに分かった。  目を虚ろにした直桜は、楓にされるがまま白い祭壇の上に座っていた。 「直桜にはちょっとキツかったかなぁ。こういうの免疫なさそうだし潔癖そうだしね」  何でもないように話す槐の言葉にすら、気が尖る。  護の気を逆立てるためだとわかっていても、感情を殺せない。 「あの鎖に繋がれている直桜は神気を使えない。直日神を封じるには丁度いい状態だけど、どうする? 13課の狙い通りに動くなら、今が頃合いだよ」  槐が護に問い掛ける。  それすらも腹が立った。 (わかってる。直日神を一時、封じなければ枉津日神を降ろせない)  枉津日神を降ろして荒魂にしなければ、それを封じることも出来ない。だからやらねばならないことは、わかっている。 「お前たちの望み通りの状況を作ってやったんだから、感謝してほしいよ。正気の直桜相手じゃ、大変だろう?」  槐が護に向かって微笑む。  飛び出しそうな拳を摑まえて、ぐっと耐えた。 「私が祭壇に近付いても、直桜は大丈夫なんですね」  押し殺した声で問う。  万が一にも直桜に何かあっては、事だ。これ以上の惨事は避けたい。  尤も護にとり、今しがた目の前で起きた以上の惨事など、ありはしないが。 「問題ないから、お好きにどうぞ。恋人をじっくり慰めてやるといい」  槐の方に目はくれずに、歩き出す。  護の姿に気が付いた楓が、横目に笑んだ。  直桜の体を抱きかかえて、正面から向き合う。 「ねぇ、直桜。もっと気持ち良くなりたい?」  虚ろな目で、直桜が頷く。 「じゃ、直桜からキスして」  直桜の唇が自分から楓の唇を貪った。 「楓……、気持ちい……、すき……、かえで」  譫言のように繰り返して、直桜が楓の唇を食む。 「そうだよね、今の直桜は俺が好きだよね。呪詛すら跳ね返す惟神の神力を封じると、こんなに簡単に手に入っちゃうんだなぁ」  至極楽しそうに、楓が笑いを堪えている。  楓の目が、祭壇に辿り着いた化野に向いた。 「化野さん、ごめんね。でも、俺の方が直桜のこと、ずっと前から好きだったんだから、いいよね。化野さんだって、昔は槐兄さんに抱かれていたんだから」  直桜を抱く楓の手を乱暴に掴み払った。 「貴方と話すことはありません。退きなさい」  目を合わせることなく、護は直桜に手を伸ばした。  両手で直桜の頬を包み込む。 「直桜、こんな目に遭わせる筈じゃなかった。本当に、すまない」  半開きの唇に、そっと口付ける。  直桜の中に呪詛が流し込まれている気配がした。  肩がピクリと震えて、焦点の合わない目が護を捉えた。 「……護、俺……、ぁ、やだ、嫌だ。ごめん……」  傾いた直桜の体を護の胸が受け止める。  動いた拍子に、直桜の股の間から混濁した液体が流れ落ちた。苦虫を嚙み潰す気持ちで耐える。  護の腕の中で力なく暴れる直桜の体を、強く抱き締めた。 「謝らなくていい。俺の直桜には、変わりないから」  何度も何度も、頭を撫でる。 「あったかい」  呟いた直桜の体が徐々に熱を戻した。 「まも、る。俺の、なか、まだ、呪詛……が……」 「うん」 「……約束、守って、ね……」  護の腕を力なく掴んで、直桜が自分の腹に押しあてた。  そのまま、だらりと脱力し、動かなくなった。 「惟神の御心のままに。……直桜、愛していますよ」  悔しい気持ちを拳を握り締めて耐える。 「さっさと直日神を封じたほうが良い。直桜の呪詛、解いてあげたいでしょ? このままじゃ、俺を好きな直桜のままだよ」  楓が下卑た目で笑み、護を見下ろす。  護はその目を睨み返した。 「直桜が本当に貴方を愛する瞬間など、永遠に来ませんよ」  右手に力を込めて、直桜の腹に改めて宛がう。皮膚を通り越して腹の中に右手を押し込む。中に感じる温かな魂を掌で包み込んだ。  上向いた直桜の唇を塞ぎながら、右手を強く握りしめる。  封印の鎖が直日神の魂を雁字搦めにする。直日神を、封じ込めた。  直桜の体から神気が消える。  漂う弱い霊気だけが、直桜を包んでいた。 「お別れは済んだみたいだし、降ろそうか」  二人の姿を冷めた目で眺めていた楓が、犬のぬいぐるみを持ち挙げた。  枉津日神が収まっている呪具だ。  両手で掴むと、ぬいぐるみを引き裂いた。  引き裂かれた隙間から、光が溢れ出す。溢れ出た光が一つに纏まって、空に浮いた。浮いた光は宿木を求める鳥のように、直桜の体に一直線に飛び込んだ。 「くっ……」  直桜の背中に入り込んだ光の衝撃が強すぎて、護は足を踏ん張った。  ドクンドクンと心臓が鼓動するように、直桜の体が跳ね上がる。それを押さえつけるために、護は直桜の体を精いっぱいの力で抱き締めた。  強い突風が去って、辺りに静寂が戻る。  直桜の指がぴくりと震えた。 「直桜、直桜!」  肩を揺すると、直桜がうっすらと目を開いた。 「直……!」  直桜の後ろに人影を見付けて、咄嗟に身を捩り飛び退く。  若い男が刀を振り下ろしていた。 「おいおい、避けんなよ。そのままじゃ、アンタらが望む荒魂にはならんぜ」 「直桜を傷付けても、荒魂にはなりませんよ」 「ああ、そうだよ。だから俺の狙いは、アンタだ!」  男が護に向かい刀を振りかざす。  切っ先から逃れたら、祭壇から降りてしまった。 「それはルール違反だよ、化野さん。神降ろしの儀式に必要なのは、雑魚神様の荒魂と、神殺しの鬼の穢れた血だ」  楓の後ろから、もう一本の刃が向かってくるのが見えた。  避けるために後ろに下がると、直桜を抱えた護の体が祭壇に戻った。 「おお、これで元通り~。いっちゃん、やっちゃって~」  楓の後ろから現れた女子が護の後ろに声を掛ける。  振り返った時には先ほどの男の刃の間合いだった。 「しまっ……!」  咄嗟に飛び退いたが、肩に刃が食い込んだ。  飛び散った血が直桜の顔を汚す。 「やっと穢れてくれた」  ニコリと微笑んだ楓の隣で、槐が小さな壺の蓋を開けた。  真っ黒い塊が勢いよく壺から飛び出す。一直線に直桜に向かって飛んできた。  逃げようと思っても、傷の痛みで一瞬、動きが鈍る。  その隙に、黒い塊が直桜の体を攫って取り込んでしまった。 「直桜!」  腕を伸ばしても、渦巻く黒い旋風に弾かれてしまう。  護の動きが止まった。 (荒魂になるためには、これでいい。いいはずだけど、本当に、いいのか?)  直桜の体が壊れてしまわないのか。  惟神の神降ろしの神事は命懸けだと聞く。もし失敗したら、直桜はどうなるのか。  考えれば考えるほど、不安しか生まれない。  護は歯を食いしばり、足を踏ん張ると、旋風に飛び込んだ。  まっすぐ前しか見ていなかったから、横から滑り込んで来た刃の陰に気が付かなかった。

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