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第57話 八十禍津日神
目の前が真っ暗で、起きているのか寝ているのかも、わからない。刀が凌ぎ合う甲高い音が聞こえるから、誰かが戦闘中なのだろう。
そこまで考えて、護は目を開いた。
「やっと起きたね、化野。直桜が頑張っているんだ。簡単に殺されてやるなよ」
「朽木室長……」
目の前にある要の顔を眺めながら、自分の肩に手を置いた。
「治療、してくださったんですね」
呆けた頭で考える。
黒い旋風に飛び込もうとしたところで、刀を持った男に襲われた気がする。
「今、どうなって……。っ!」
起き上がろうとして、全身に激痛が走った。
「無理はするな。迫っていた刃は白雪が防いだが、荒魂の旋風に巻き込まれるのは止められなかった。すぐには動かん方がいいよ」
要の言葉にぞっとする。
大人しく要の膝枕に収まって、周囲を見回した。
白雪と剣人が、刀を持った男女二人と応戦している。
「俺んとこから出てったんだ。それなりに強くなってんだろうなぁ、ケン!」
「少なくとも、一倉さんよりは強くなってますよ。あと、今の俺の名前は剣人です」
「そりゃ、楽しみだ! 全部出してこいや、オラ!」
剣人が一倉と呼んだ男と応戦している隣で、白雪が退屈そうに剣を振るっていた。女性の剣士を適当に軽くいなしている。
「ねぇ、僕もそっち混ざっていい? この子、すばしっこいだけで剣技全然なんだけど。楽しくなーい」
「ひどーい。じゃぁ、本気出しちゃう」
「あ、いいね、その感じ。もっと本気出していこ!」
命のやり取りをしているはずなのに、会話は全く危機感がない。
要が祭壇を指さした。
黒い旋風が徐々に弱まって、直桜の中に吸い込まれていく。
護は痛みを忘れて起き上がった。
「枉津日神 が、目を覚ますぞ。どちらが起きるだろうね。直桜か、荒魂か」
直桜の精神が荒魂を制すれば、直桜が目覚める。その時点で封印できれば、直桜が命を落とす危険もない。
だかもし、荒魂が勝れば直桜の精神を抑えて体を乗っ取られる。完全に乗っ取られる前に封じなければ、直桜ごと災禍の神を殺すしかなくなる。
(普段の直桜なら、問題ない。けど、あの状態の直桜では……。いや、その為の訓練だったはずだ。直桜を信じなければ)
反魂儀呪が直桜のメンタルを壊しに来るのは予測していた。方法はどうあれ、忍との訓練はその状況を想定して行われていたはずだ。
自分に大丈夫だと言い聞かせるのに、不安が払拭できない。梛木や直桜に言われた言葉が、頭から消えない。
(直桜、直桜! 頼むから目覚めてくれ)
祈るような気持で、直桜を見詰める。
白い衣を纏った直桜が、祭壇の上に立った。ゆっくりと顔を上げて、うっすらと目を開く。自分の足を確認し、手を眺めると、薄ら笑んだ。
「やはり人の体は良いな。こと直桜の体は思った以上に馴染む。使い勝手が良さそうじゃ」
期待はあっさりと裏切られた。
想定していた事態でも、愕然とした気持ちになる。
「荒魂は確定だ。化野、動けるか? 今のうちに封じなければ、直桜を殺す羽目になるよ」
要の言葉に、護は我に返った。
(そうだ、今ならまだ、直桜を救える)
要に頷いて、護は祭壇に向かい駆け出した。
祭壇の上に立ち、呆然を辺りを見回す直桜の姿に手を伸ばす。
(初めてなんだ。これから先を一緒に生きたいと思った人は、直桜だけなんだ。神だろうが人だろうが、俺から直桜を奪うな!)
護より早く、禍津日神の前に出たのは楓だった。傅き、首を垂れる。
「禍津日神様の復活を心よりお待ち申し上げておりました。我等は禍津日神様の望むすべてを献上する用意がございます」
禍津日神が楓を見下ろしている。
駆け寄ろうとする護を、槐が遮った。
「俺たちの目的は、一先ず成った。これ以上の介入は邪魔だから排除するよ」
槐が護に向かい掌を翳す。見えない壁が行く手を阻む。
「どけ! 急がないと、直桜が……」
槐の背中越しに、直桜の、いや禍津日神の手がすぃと動いた。
次の瞬間、楓の首が胴から離れて降ち、祭壇の上に転がった。
動きを止めた護の表情に気が付いた槐が振り返る。
「不敬であろう。たかが人の身で、神と同じ祭壇に上がろうとは」
冷たい目が動かなくなった楓を色もなく眺める。
祭壇の下に歩み寄り、槐が傅き、首を垂れた。
「多大なる無礼をお詫び申し上げます、禍津日神様」
禍津日神が足下で頭を下げる男に目を向ける。
「最もなる不敬は、傀儡などで吾を試した心持よ。小者すぎて相手取る価値もない」
槐の後ろに楓が現れ、同じように傅く。
「申し訳ございません。傀儡などと忌まわしき姿をお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。あまりに神々しく禍々しいお姿に畏怖を抱き、動けませんでした」
話す楓には目もくれず、禍津日神は周囲を見渡す。
「興味はない。それより」
禍津日神が護の姿を捉えた。
目が合って、思わず一歩、後退る。
その姿に薄く笑むと、禍津日神が祭壇から飛び出した。
一足飛びに護の目の前に立つと、顔を眺めてニタリと笑んだ。
「神殺しの鬼、直日神の鬼神。腹の神紋は直桜が授けた印だな」
禍津日神が護の腹に手を添える。
体が思うように動かず、逃げることも出来ない。
何より直桜の顔で笑む禍津日神から、離れることができない。
「直桜との同化が成れば、其方は吾の鬼神だ。災禍の神を守る穢れた鬼。あるべき場所に収まったな、護よ」
「直桜と、同化?」
恐ろしい言葉に、声が震える。
禍津日神が頷いた。
「神喰いは本来、神との同化を指す。直桜にはそれだけの器がある。だからこの体も心も貰い受けて、吾が使うてやるのよ。直桜も喜ぼうぞ」
「直桜は! 直桜はどこに行ってしまうのですか!」
護は禍津日神に迫った。
禍津日神が首を傾げる。
「吾の中にあろう。時々には直桜のように振舞ってやらんでもないぞ。まぐわう時などは、直桜のように啼いてやろう」
禍津日神が護の腰に手を回す。
「は……?」
「吾の中に直桜が溶ければ同じであろう。吾を愛しい直桜と思え」
唇を噛み締めて、禍津日神を思い切り突き放した。
「直桜は返してもらいます。枉津日神の真名を封じるのが、私の仕事です」
右手を構えて向かい合う。
禍津日神が頭を掻いて考え込んだ。
「ふぅむ、結局そうなるか。詰まらんな。ま、よかろう。同化してしまえば其方は嫌でも吾のものだ。今は一先ず」
禍津日神が左手を軽く振り上げた。
空を覆っていた岩が一瞬で砕けて舞い上がった。旋風にのって石礫のように辺りに飛び散る。
応戦を繰り広げていた剣人や白雪が要を連れて洞に逃げ込む。
石を叩き落としながら、槐たちも岩陰に身を潜めた。
護だけは、逃げ込まずとも石が当たらなかった。
禍津日神が護を横目に見やり、ニタリと笑んだ。
「空が広く見える。人の姿で見渡すのは、何年ぶりかのぅ。あの時の惟神は、もうおらぬのか」
禍津日神の目が細まる。
その表情に、護は息を飲んだ。
まるで当時の惟神を懐かしんでいるように思えたからだ。
「消してしまうか、すべて。この世に惟神など二度と生まれぬように。吾ら祓戸大神が神として在るべき姿を持てるように」
呟きは願いに似て響いた。
禍津日神が空に向かい手を掲げる。
暗い雲が集まり、徐々に大きくなる。空を覆いつくすほどに集まった雲間に、稲光が走った。
「雨雲? 一体何を」
「長く激しい雨で、桜谷集落を流そう。あの場所さえ消えれば、惟神も生まれまい。術を継ぐ者は、皆殺そう。今の惟神も、殺してしまえばよい」
「やめてください。発想が極端すぎます」
護は禍津日神に駆け寄り、その腕を掴もうとした。が、それより早く、禍津日神の腕を掴んだ手があった。
「神とは発想が極端なものが多いが。お主の場合はちと、尚早すぎるの、枉津日 」
神倉梛木が、禍津日神の腕を掴んで制していた。
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