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第63話 枉津日神の行先
ピンポーン、と普段、滅多にならないインターフォンが鳴った。
誰が来たのかは、気配でわかった。
「開いてるから入っていいよ、清人」
事務所の扉が開いて、清人が顔を覗かせた。
「いつもはインターフォン押さないのに、どうしたの? てか、傷は大丈夫なの?」
事件直後は目を覚まさず、その後も回復室で療養していたと聞いている。
清人が気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「失血し過ぎたせいで貧血だったのよ。刺され所が悪かったみたいでさぁ。格好悪い姿、見せちゃったなぁ」
ははっと笑う清人に気が付いて、枉津日神が顔を上げた。
「清人! 清人か! 怪我は良いのか? 生きておるのか?」
飛び出して抱き付くと、清人の顔をペタペタ触る。
身を引きながらも、清人が枉津日神をまじまじと眺めた。
「生きてますよぉ。へぇ、顕現すると、こんな顔なんだねぇ。あの日は直桜だったからなぁ」
「吾が直桜の姿だったから、庇ってくれたのだったな」
「そういうわけでも、ないけどねぇ」
眉を下げる枉津日神の背中に清人が腕を回す。
護に促されて、清人がソファに腰掛けた。
「お初にお目に掛かります、直日神様。枉津日神の惟神を受け継ぐ藤埜家が次男、清人と申します」
清人の口から出たとは思えない真面目な挨拶に、直桜と護は身を震わせた。
「ほぅ、準備をしてきおったか。藤埜の家は、枉津日神を迎える準備があると?」
直日神が清人に向かい、微笑む。
清人が半笑いで息を吐いた。
「集落の五人組筆頭・桜谷家の命には逆らえませんて。藤埜家当代もノリノリなもんでね。正直三十二になって自分が惟神になるなんて、思ってなっかったよ。俺、死んだりしないかな、不安しかないんだけど」
早口で捲し立てる辺り、本当に不安なんだなと伝わってくる。
「でも、今の清人さんには難しいというお話でしたよね?」
護が直桜と直日神に視線を送る。
直日神が清人を指さした。
「藤埜の家には、他の惟神にはない法がある。神降ろしでも神喰いでもない、神との魂重 、その準備をしてきたのだろう」
清人が神妙な面持ちで頷く。
本人は真剣だが、枉津日神が抱き付いているせいで真剣みが半減されている。
「魂重か、聞いたことある。枉津日神が持つ荒魂と幸魂 の二つの魂を持つ神様だから、自分の奇魂 と和魂 を合わせて直霊 を安定させるってやつ」
直桜の話に、直日神が頷いた。
「安定すれば魂が重なり繋がる。神喰いのような状態になれる」
「よくわかりませんが、二人の話を聞いていると、すっごく難しい術のように聞こえますが」
護が不安そうに問う。
「難しいぞ。巧く重ならなければ儀式の途中で惟神が死ぬ」
直日神がにべもなく言い切った。
清人の顔が引き攣る。
枉津日神が眉を下げた。
「清人に危険な真似を強いることはできぬ。吾はこのまま直桜の元におっても良いよ」
「ああ、いや。一応ね、当代と陽人さんから裏技授かってきてるから、多分大丈夫、多分」
自分に言い聞かせるように清人が枉津日神の背中をポンポンと叩く。
「陽人の裏技って……」
嫌な予感がして、直桜は言葉を止めた。
「うん。桜谷家と八張家が何で五人組の代表なのか、みたいな話よ。八張家が暴走した惟神の力を削ぐ術を持っているのとは逆に、桜谷家は惟神の力を増幅する術を持つ。つまり俺、陽人さんにもう改良されてんの」
ははっと乾いた笑いを零す清人の顔に覇気は無い。
病み上がりで、陽人の術を行使された経緯を想像すると、居た堪れない。
「なるほど、それで霊 が揺れておるのか。枉津日神と重なれば今より安定しようなぁ」
「マジでエグいな、陽人……」
呆れと同情で言葉がそれしか出なかった。
「清人、本当に無理はするな。先ほどからずっと魂が震えておる。吾は無理を強いてまで、清人の傍にありたいとは思わぬよ。だから以前も、神殺しの鬼に剥がされたのだ」
枉津日神が清人の顔を両手で包み込み、見詰める。
清人の強張っていた表情が、幾分か緩んだ。
「いやぁ、怖いけどね。嫌なんじゃないのよ。たださ、俺は直桜たちみたいに惟神になる訓練を受けた訳でもないし、いい歳のおっさんだし、枉津日神を降ろした後も体力持つかなとか考えるとね。不安は不安なのよ」
普段、チャラいくせに真面目に色々考えているのが清人だ。真っ当な不安だと思う。
「けどね、迷子の猫みたいな顔した神様を放置するわけにもいかないなと思ってんの。それに、護が荒魂の枉津日神 となんか約束してくれちゃったみたいだし?」
流れてきた清人の視線を受け流すが如く、護が思いっきり顔を背けた。
「あー……」
「吾は封じられていた故、知らぬ話よなぁ。なぁ、直桜」
「んー……、ソウダネ」
直日神に振られて乗っかってしまったが、あの時のことは全部、覚えている。
護が愕然とした顔でこっちを見ているが、思わず目を逸らした。
「丸ごと全部っていうのは、ちょっと酷くない?」
「それは、だから、あのままでは荒魂に直桜が喰われてしまいそうだったので、そうなったら枉津日神の中に直桜が溶けて消えてしまうし、だから、その、究極の選択、的な、ね?」
清人にじっと見詰められて、護が素直に頭を下げた。
「すみませんでした!」
「てか、何で清人がソレ、知ってんの?」
禍津日神と護の間で交わされただけの約束だ。知っているのは恐らくこの場にいる四人だけであるはずだ。
「神倉さんには全部聞こえてたらしいよぉ。同じ空間にいれば囁きすら聞こえるって怖いよねぇ」
清人の言葉に、ぞっとする。
さすが最古の国つ神だなと思う。梛木が出張れば一瞬で総てが解決するんじゃないかとさえ思う。
「だから、懸念もあるんだってさ。今回の騒動、反魂儀呪の本当の目的は俺に枉津日神を降ろして行く行くは反魂儀呪に取り込むことなんだって」
「何ですか、それ……」
護が、あからさまに顔を顰めた。
「八張槐が弟の楓と話している会話を漏れ聞いたって。直桜に枉津日神を降ろしたのはクッションでしかなくて、二柱を降ろしたままにされたら脅威だとも話していたらしい」
直桜は押し黙った。
確かに槐なら、それくらいの企ては容易に立てそうだ。しかし、あの場に梛木が来ていたことを、槐は視認していたはずだ。それを計算に入れないとは考え難い。
「その会話自体がフェイクの可能性は?」
「勿論あるよ。だから、陽人さんも忍班長も、この結論に踏み切った。直桜に二柱を維持するより、俺に枉津日神を降ろすほうがメリットが大きいと踏んだわけだ」
「つまり槐は、禍津日神という荒魂を、まだ諦めてはいないんだね」
直桜であれ清人であれ、枉津日神の惟神は槐のターゲットであり続けるのだ。
枉津日神が、ふわりと清人に抱き付いた。
「何があろうと清人は吾が守ろうな。清人を傷付ける者を一切許しはせぬよ」
すりすりと頬を撫でられて、清人が眉を下げて笑った。
「まぁ、事情は色々あるんだけどさ。こんだけ懐いてくれる神様を無碍にしたらバチが当たるって。統括になってから一人で動く仕事が多いから、バディが欲しいとも思ってたし、ちょうどいいっしょ」
清人が枉津日神の頭を撫でる。
嬉しそうに微笑む枉津日神を見てしまったら、何も言えない。
「そんなわけで直日神様、直桜、俺に枉津日神を神移ししてほしい。ご協力をよろしくお願いします」
至極真っ当に頭を下げられて、直桜の方が居直ってしまった。
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