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第65話 平穏を得るために
直桜の隣に座した直日神を眺める。
「直日がここまで干渉するのって、珍しいね。枉津日のため?」
直日神の神力の導きがあったから、枉津日神は迷わず清人の中に入れた。直桜と護だけだったら、きっとこんなにあっさりとは終わらなかった。
「あのままでは、枉津日が不憫であろうよ。しかし懸念が、ないでもないが……」
珍しく言い淀む直日神の顔を、じっと見つめる。
「俗世に関わる気はなかったが。反魂儀呪とかいう者どもが執着する気持ちは、わからなくもない。枉津日は神子を成すやもしれぬぞ」
「はっ?」
思わず力強い疑問符が出てしまった。
「吾らは性を持たぬ神だが、人を介してなら、子を成せる」
「それはつまり、枉津日は清人を恋愛的に好きで、女神に転じて清人の子を孕むかもしれないと?」
直日神が首を傾げた。
「枉津日神が何故、藤埜の人間から剥がれたか、直桜は経緯を知らぬのだったな」
「まぁ、詳しくはね。その頃まだ俺、産まれてなかったしね。神殺しの話もこっそり聞いた噂だし」
神殺しの鬼の存在自体が惟神には秘されるのが集落の因習だ。とはいえ、人の口に戸は立てられない。噂とは、いつの間にか広がって耳に入ってしまうものだ。
神殺しの鬼の話も、藤埜家の事情も、集落に流れる噂程度にしか知らない。
「結論から話せば、清人自身が神子よ。だから、あんなにもあっさりと枉津日を受け入れた。桜谷の童の絡繰りや、吾の導きなど後押しに過ぎぬ」
「え? どういうこと?」
眉間に思いっきり皺が寄っていると、自分でもわかった。
「先の惟神を、枉津日は大層気に入っておった。同じくらい、その妻も大事にしておった」
それは、少しわかる気がした。
直日神が護を慈しむように、瀬織津姫神が律と陽人を大事にしているように、番になる相手を惟神の神は当人と同様に愛する。
「だから子にも同じ愛を注ぎたかったのだろう。生まれた子は神子だった。集落の人間は、神子の強すぎる力を恐れた。子が生まれてから見る間に疲弊し力を落とした惟神の姿が、集落の人間の恐怖に更に追い打ちをかけたのだろう」
「だから、神殺しの鬼に枉津日を剥がさせたの?」
直日神が何時になく悲し気な顔で頷いた。
「剥がさねば惟神が死んでおった。神子は|親《惟神》の霊気すらも奪ってしまったから、その身に神を維持できなんだ。結果として、人の命は守られたが、枉津日は路頭に迷うた」
「その子孫だから、清人も神子ってこと? だったら、まずいんじゃ……」
清人を介抱しに行った護が事務所に戻ってきた。
「ねぇ、護。清人って浄化師なんだよね? 他にも何か、肩書とかあるの?」
直桜の表情に戸惑いながらも、護が首を捻った。
「結界師ですよ。空間術は神倉さん直伝です。私の空間術は清人さんに習ったものですから。霊力が多いから術の幅も広いですね。攻撃系の術も使えますし。そういえば紗月さんに、13課で一番敵に回したくない人って言われて、本人が苦笑いしていましたよ」
思った以上の返答が返ってきて、直桜は納得しかなかった。
「清人って、もしかしなくても凄い人なんじゃん……」
「そうですね。霊力が暴走しないように普段からセーブしてますし。霊力の絶対値なら、紗月さんの次に多いんじゃないでしょうか?」
つまりは今の直桜単身では足元にも及ばないということだ。
清人に初めて会った時、稲玉を投げつけても平気で戻ってきたのを今更、思い出した。
「てか、神子より霊力が多い紗月って人も、やばいけどね。つくづく13課やばいな」
「神子? って、なんですか?」
直桜と直日神を交互に窺う護に、先ほどの話を説明する。
護の顔が引き攣るのを眺めて、同じ心境なんだろうと、少しだけ安堵した。
「つまり、清人さんは枉津日神の子孫、という理解で、あってますか?」
至極真剣な顔で護が直日神を見詰める。
頬を指で搔きながら、直日神が鼻を鳴らした。
「或いは、そうよのぅ。枉津日の神気を継ぐ者だな」
「それで、惟神を得た枉津日がまた神子を成すかもってことなの?」
「可能性はあろうな。枉津日は先の惟神以上に清人を気に入ったようだ。意識せずとも神子が生まれるということも、なくはない」
直桜の中で嫌な仮説が浮上した。
もし、槐が先代の惟神から枉津日神が剥がされた経緯を知っていて藤埜家の人間に枉津日神を戻すことを望んだのだとしたら。
「槐の狙いは、産まれてくる神子ってこと?」
直桜の呟きに、護が顔を蒼くした。
「しかし、桜谷さんや須能班長も、その事実を知っていますよね? それでも敢えて清人さんに枉津日神を降ろす決断をしたのだから、策はあるんじゃないでしょうか?」
「奪われる危険性《デメリット》より、13課のメリットを取ったんだよ。今の惟神の中で、神子を産む可能性が一番高いのは、清人だ」
何故、陽人が術を行使してまで病み上がりの清人に枉津日神を降ろしたのか、やっと理解できた。
それがたとえ槐の狙いだったとしても、奪われさえしなければ、13課の大きな戦力になる。
「清人には好いた相手はおるのか? 相手が男では、流石に子は成せぬぞ」
直日神が珍しく俗っぽい話を自分から振った。
護が気まずそうな顔で目を泳がせている。
「多分ですが、パートナーはいない、と思います。けど、もしかしたら好きなのかなぁと思う人なら、心当たりがなくもない、ですかね……」
護が大変、歯切れの悪い言い方をする。
直日神が笑顔で圧を掛けている。優しい圧に負けて、護が口を開いた。
「……本当に多分ですけど、本人に聞いた訳でもないですけど、私の心象ですけど、多分、紗月さん、かなと」
「もしかして、その紗月って人も、清人のこと、好きだったりすんの?」
「端から見ている分には、喧嘩ップルって感じですよ。本人たちは毛ほども気にしていない様子ですが」
護が諦めた様子で話している。
「それはまた」
「まずいね」
直桜と直日神が同時に呟いた。
「まずいんですか?」
「枉津日の神気を継ぐ人が産み落とす神子、そこに掛け合わさるが神子より霊気の高い人間。生まれる子は神より強き人に、なるやもしれぬなぁ」
護がぞっとしない顔をする。
「陽人、知っててこの状況作ったんじゃないの? 近いうちにその紗月って人、呼び出されるんじゃない?」
呆れる直桜の前で、護が真面目な顔で俯いた。
「しかし、紗月さんは……。その。あまり他人に話していいことではないですが、子供を授かれない体質だと聞いたことが、あります」
「詮無きことよ。枉津日が、どうとでもしようぞ」
「え?」
直日神に一蹴されて、護の方が呆けている。
「かえってよかろう。清人以外の子を成す恐れがないのだ。まさに打って付けよの」
護があんぐりと口を開けて、直日神を眺めている。
「思った以上に、状況が揃ってるな」
呟いて、直桜は思考を巡らせた。
槐の計画は膨大で長い。直桜たちはまだ槐の計画を追いかけることしかできていない。先回りするには、あまりにも先が見えな過ぎる。
(槐の目的、最初は護だと思った。次は俺に二柱を降ろすこと。けど、それすら飛び越して、本当の目的は清人だった。その真意が神子なら)
この先にもまだ、張り巡らされた意図があるのかもしれない。
いいや、きっとあるのだろう。
「反魂儀呪の次の狙いは、霧咲紗月か」
直桜の呟きに、護の表情が固まった。
「妥当であろうな。神子を孕む可能性がある女子を放置はするまいよ」
「そんなことになったら、関東地方が吹っ飛びますよ」
怯える護の言葉のスケールが大きすぎて、紗月という人間がいまいち想像できない。
直桜は直日神を振り返った。
「珍しく、俗世に首を突っ込むね。どういう心境の変化?」
直日神がいつものように優しく微笑んだ。
「直桜の平穏を守るため、吾も少し変わろうかと思うたのよ。直桜と同じようにな。時には、お節介というのも、悪くなかろう」
さらりと髪を撫でられて、くすぐったい気持ちになる。
「お節介ついでに、このままには出来ぬ者の顔でも、見に行くか」
直桜は、ぴくっと直日神を見上げた。
「もしかして流離 と、佐須良 のこと?」
榊黒流離は祓戸四神、四ノ神、速佐須良姫神の惟神だ。しかし、中途半端な状態がもう何年も続いている。
それは直桜も知っていたし気になっていた。
直日神が静かに頷いた。
「まだ、あのままなんだね」
「枉津日が惟神を得た。佐須良が収まれば、久方振りに総ての惟神が揃う。それは吾も嬉しいぞ」
総ての惟神の頂点に立つ直日神にとり、惟神を得て神が安定する状態を好ましく思うのは当然だ。
しかし、きっとそれだけではない。
これから起き得る事態に備えるためには、総ての惟神を揃える必要があるのだろうと、直桜は感じた。
「そうだね。久しぶりに、会いに行こうか」
それがきっと、直日神が守りたいと言ってくれた直桜が望む平穏に繋がるのだろうと思った。
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