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2. 平凡な奇跡
その角を曲がれば総ての答えが揃っている。
それを知っているから、僕はここで佇んでいた。
恋人と呼ぶにはあまりに近すぎて、友達と呼ぶにはあまりに遠すぎる。
それが適切な表現かどうか解らないけど、少なくとも僕はそう思っていた。
彼に恋人がいることは知っていた。
一般的にそれは不倫とか呼ばれるんだろう。
あくまでビジネス。
彼はそう豪語していたけど、その心がどんどんと彼女の不幸を吸い込んで、やがて鍵のない鎖が彼をがんじがらめにしてゆく様を僕は目の当たりにしてきた。
もういいんだ。
彼がどちらを選ぼうと、僕も覚悟を決めている。
だから、この角を曲がれるはず、だった。
彼が僕を選んでも、それはそれで世間体なんかが気になるんだろうし。
ある程度立場のある人だから、それは仕方がない。
人妻に出をだした、位の方が、まだマシなんだ。
「お前が来てくれた方が別れやすい」
それはそうかもしれないけど、何の冗談?と笑い飛ばされて終ってしまうよ。
彼女は一筋縄では行かない人だと、話を聞いて知っている。
そうなったとき、僕はなんの言葉も持っていない。
ぱん、と頬を叩いたような音が聞こえてきた。
思わず覗き込もうとして、反射的に身を翻した。
状況はおおよそ想像できるし、見るまでもない。
下を向いて溜息をついたら、いつの間にか足元に猫がいた。
やたら人懐っこい。飼い猫かな。
その猫は僕の足に顔をすり寄せると、ごろんと寝転がって腹を見せ身体をくねくねしはじめた。
女の人ってこんな感じかな、なんて思っていたら
くねりすぎた頭の上に尻尾が乗っかって、まるで髷のように見えた。
「くっ、あはは」
僕は思わず吹き出して、しゃがみこんでその猫を撫でた。
「お前、かわいいな」
そういいながら猫の髷に触れる。
猫は、おべっかなんて使わない。
この猫は何となく僕の足が気に入って、自分がそうしたいから、ここでごろごろして
結果こんなおもしろかわいい状態になっちゃってる。
これが媚びた行為だったら、きっと微塵もかわいいなんて思わないんだろう。
「ふう」
笑顔が疲れた溜息に変わる。
そうだよなぁ。
好きなら好きで、いいじゃないか。
どんな醜態を晒そうと、伝えなきゃ後悔するだろ。
僕が彼にとっての道具でも、それはそれでいい。
それくらい、きっと好き、だから。
そのあと、こっぱ微塵にうちひしがれても、立ち直るまで倒れていればいい。
僕は猫を抱きかかえて、その角を曲がった。
泣いている女性が彼の前に立っている。
彼は僕の気配に気付いて、血相を変えて走りよってきた。
そして躊躇なく、猫を抱いたままの僕を抱きしめる。
彼女は僕らの姿を見て、何もいわずに去っていった。
彼の作戦は成功のようだ。
「良かったね」
彼の耳元に小さく呟く。
彼は泣いている様だ。
「ほっぺた、痛いの?」
彼の頬に猫が頬ずりをする。
彼は猫の頭を撫でながら、僕の唇にふわりとキスをした。
おいおい、こんな公衆の面前で、なにしてるのさ。
まるで彼らしくもない。
彼は頬に涙の筋を残したまま笑顔で言った。
「結婚、しようか」
はぁ?
何をいっているのか、よく分からない。
「養子縁組すれば、同じ苗字になれるだろ」
そんなことを本気で考えているのだろうか。
某国ならともかく、ここは日本だぞ。
「本気でそれを説明したら、殴られた」
頬を指差して、ははっと笑う。
しばらく呆然と彼を見つめていたけれど、彼の瞳は僕の知っている真剣な瞳。
大好きな瞳。
僕は俯いて、胸の中の猫を見つめた。
僕と目が合って、猫は、にゃあんと小さく鳴いた。
笑っているみたいに。
「このこを、飼ってもよければ」
口をついて出た言葉に自分でも驚く。
「ああ、勿論だ」
彼はまた、僕を力強く抱きしめた。
彼の肩に顔を埋めて、何となく呟く。
「ありがとう、愛してる」
ああ、僕も実際には相当きてたんだな。
それから僕らは並んで帰路に着いた。
「名前、何にする?」
彼の問いに少し迷って、
「そうだなぁ。にゃんまげ、とか」
くすり、と笑いながらそう答える。
「なんだ、それ」
彼も笑って猫を撫でる。
「帰ったら教えてあげるよ。このこの必殺技」
そう言って猫の尻尾をするりと撫でた。
「楽しみだな」
夕日に照らされた彼の顔が、何となく笑っている。
なんだろうな。
玉砕覚悟の必殺技は結果的に笑顔の種になった。
幸せって、こんな感じに続くのか。
平凡を切実に願う僕にとっては最高のご褒美。
猫と笑顔と、ちょっとの勇気。
たいした武器はなくても、明日の幸せはきっと僕らの手の中に。
繋いだ手が、それを約束してくれる。
離さない、けど、繋ぎ止めない。
それは唯一のルールで絶対の距離。
でも、大丈夫。
この猫が、ここにいるからね。
にゃあんとひとつ大きく鳴いて、にゃんまげは満足そうに僕の腕の中で喉を鳴らしていた。
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