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第4話

 家に帰ると、当然ながら誰もいなかった。  けれど誰かがいた気配は残っていて、駿太郎は不思議な感覚になる。 「あれ?」  リビングに入ると、ローテーブルに何かが置いてあった。近付くと、鯖の味噌煮とコンソメ野菜スープだとわかる。 「……相変わらず統一性がないメニューだな」  作ったのが友嗣だというのは、置いてあったメモ書きでわかった。「たべてね」と汚い字で書いてあり、わざわざ買い物まで行ったのか、と頬が緩む。  正直、こんなことをする奴だと思っていなかったのだ。緩い奴だと思っていたのに、少しは義理堅いところもあるんだな、と。  着替えてから、置いてあった料理を電子レンジで温めて、ソファーに座る。炊いてあったご飯と鯖の味噌煮を一緒に頬張ると、味噌と生姜の味が沁みた。 「……うま」  夕飯を作らなくなって久しいな、と駿太郎はご飯をかき込む。前職での社畜生活で、夜は外食の習慣がついてしまい、それが今でも続いている。家計にも健康にも優しくないことはわかっているけれど、外食の楽しみは駿太郎の精神的支えにもなっているので、どちらを選ぶか悩ましいところ。 (だから、生活を支えあって生きていけるパートナーが欲しいんだけどな)  そう思って、恋人は真面目で誠実な人を選んできたつもりだ。そして、誰にも恥じることはない、と光次郎にも言い続けてきた。けれど彼の答えはいつも、「ふざけるな」だった。  話せばこちらを否定してくる弟のことは、無視すればいいのだと思う。でもそうすると両親を悲しませることになるから無下にできない。 (……そうだ。もし店長サンのことバレたら、どう説明しようか)  正直に、家がないから泊まらせているだけ、と言えば良いだろうか? いや、光次郎なら「そんなヤツと付き合うな」と一蹴されるだろう。  はあ、とため息をつく。本当に厄介な人を押し付けたな、とイラついた心を、野菜スープを流し込んで溜飲を下げた。食器を片付け、部屋の掃除をしてふと時計を見ると、まだ二十時前だ。  駿太郎は考える。今日はこのまま風呂に入って寝てもいい。けれどそうすると、生活リズムが違う友嗣には、ご飯のお礼が言えないかもしれない。 「……」  少し考えて、駿太郎は出かける準備をした。今日は金曜日だし、礼を言うだけだ。ご飯は食べたので長居はしない。将吾にも文句を言わなければならないし、とアウターを着る。  外に出て繁華街に向かうと、クリスマスの雰囲気はあっという間に消え、正月用の飾り付けがされていた。毎年、世間の変わり身の早さに苦笑するけれど、将吾と友嗣のおかげでクリぼっちは避けられたな、と笑う。  【ピーノ】に着くと、相変わらず客は将吾だけで、店の中は静かなものだった。 「おー、今日は遅かったな」  仕事か? と聞かれて駿太郎はいや、とカウンターの中の友嗣を見る。彼は駿太郎にお冷を出すために、グラスを用意していた。 「店長サンがメシを作ってくれて。食べてから来たんです。ありがとう、美味かった」  駿太郎はそう言うと、友嗣は水が入ったグラスを駿太郎の前に置いて「どういたしまして」と微笑む。すると将吾が声を上げた。 「え? ……いやいやいやいや! 友嗣、シュンにメシ作ったのか!?」 「うん」  今までにないくらい驚いている将吾に、友嗣は微笑んだまま肯定している。何をそんなに驚いているのだろう、と思っていると、将吾は「俺でさえ作ってもらったことないのに!」と叫んでいた。 「え? でもここでいつも食べてるじゃないですか」 「ばか、これは仕事だからだよ。プライベートでなんか一度もない」 「……そうだっけ?」 「そうだよ!」  どうやら将吾は長い付き合いなのに、駿太郎のように料理を作ってもらったことがないらしい。先を越された、と将吾は嘆いているけれど、駿太郎にはその嘆きポイントが分からなかった。しかも友嗣本人も気付いていなかったのか、ぽかんとして聞いている。 「なんだよ友嗣〜、付き合い長いのに〜」 「あはは、ごめん。今度作るから」  ついには机に突っ伏してしまった将吾に、友嗣は笑っている。しかしやっぱり駿太郎は、その笑顔がなんだか胡散臭く見えてしまうのだ。なぜだろう、と考えながら目の前に置かれたビールを口に含む。 「シュンは恋人だから。特別」 「ブフォ……ッ」  その胡散臭い笑顔のまま、友嗣は恥ずかしげもなくそう言い切った。あまりの衝撃に駿太郎は口に含んだビールを噴き出してしまう。「あーあー」と微笑んだままお手拭きをくれる友嗣を見ることができず、駿太郎は零したビールを慌てて拭いた。  すると将吾は顔を上げる。そして駿太郎を見て「ふーん?」と呟いた。それはからかうようなニュアンスではなく、優しく、温かいものを含んだものだ。なんとなく気まずくて、駿太郎は視線を逸らす。 「待て。ちゃんと訂正しろ。恋人じゃなくて恋人のフリするだけだろ?」  将吾の温かい目と友嗣の微笑に耐えられずそう言うと、友嗣は「そうだった」と笑った。 「しかも将吾サン、コイツ昨日、早速朝帰りした挙句、俺を襲おうとしてきたんですよ?」  信じられん、と友嗣を睨むが、本人はにこにことスツールに座っている。将吾は分かっていたようで、やっぱりな、と笑った。 「友嗣、今恋人はシュンなんだから、やるならシュンとだけにしな?」 「うん、わかった」 「ちょっと待て!」  どうしてそうなる、と駿太郎は声を上げた。しかし将吾に「何か違うのか?」と聞かれて反論できずに黙る。 「大体、恋人のフリするだけなのに、なんでセックスも込みの話してるんですかっ!」 「えー? シュンは嫌い? セックス」  好きか嫌いかの話はしていない、と叫びたかった。そんな質問を微笑みながら聞いてくる、友嗣の神経も分からなかったし、やっぱりお似合いだ、と笑う将吾の考えもわからなかった。 「冗談抜きで。友嗣が他人に興味を持つこと自体が珍しいから、お前ら本当に付き合っちゃえよ」 「将吾サン……。そりゃあ、今までの店長サンの相手に比べたら? 面白味ないのが逆に面白く見えるんでしょーね!」 「あはは、そこまで言ってないよー」  相変わらずにこにこ笑っている友嗣は、穏やかな口調でそう言う。けれど将吾や駿太郎の言葉を否定しないことから、どうやら見解は合っているらしい。失礼な奴だな、と駿太郎はまたビールをあおった。 「そうかそうか。じゃあ二人の邪魔するのもアレなんで、今日は俺、帰ろうかな」 「えっ? ち、ちょっと待ってくださいっ」  まだ話したいことがたくさんある、と駿太郎は将吾を止めるが、これからデートなんだ、という彼の邪魔はできなかった。静かに閉まったドアを見つめて、駿太郎は肺の空気が無くなるまで大きなため息をつく。 「……なんなんだよ」  駿太郎はカウンターの向こうで、食器を食洗機に入れる友嗣を睨む。 「昨日は俺も将吾サンも、今朝まで一緒にいた奴と同列だって言ってただろ」 「うーん……」  テキパキと片付けをしながら、友嗣は珍しく考える素振りを見せる。そしてこちらを見ると、にこりと笑った。 「将吾に話したら、もっとよく考えろって言われて考えた。そしたら、将吾とシュンは、今朝の子とは違うなって」 「って! 今朝のこと将吾サン知ってたのかよ!?」  さきほど、将吾は駿太郎の話を聞いて、やっぱりな、と答えていた。しれっと初めて聞く素振りをされたのだから、将吾もタチが悪い。 (というか、将吾サンと店長サンはそこまで親密な仲だったのか!?)  友嗣が今朝、女性と寝たことまで知っているのなら、二人はおそらくなんでも話せる仲なのだろう。十年来とは聞いていたけれど、と驚いていると、ビールのグラスが下げられる。 「ちょ、まだ残ってるだろ」 「今日はもう店じまい」 「は? まだ九時回ったばかりだぞ?」 「いいのいいの、今日はおしまい〜」  駿太郎は、そんな適当でいいのかと言うと、友嗣は雇われ店長だからと返してくる。いや、雇われならもっとちゃんとやれよと思うけれど、グイグイ背中を押す友嗣に店外に出されてしまった。

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