9 / 35

第9話

 遠くで、バイブレーションの音がする。  今日は休みだし、目覚まし代わりのアラームは鳴るはずがない。メッセージの受信にしては長い通知だ、と駿太郎はそこまで考えてハッと顔を上げる。  これは電話の着信だ。  こんな朝から誰だよ、と思うものの、思い当たるのは一人しかいない。慌てて起き上がろうとしたら、何かに邪魔された。  友嗣がピッタリくっついて、駿太郎を抱きしめていたのだ。どうりで重いと思ったし、自分が抱きつかれて眠るなんて初めてのことだった。  しかしそんなことを考えている場合じゃない。今もスマホは震え続けているし、電話に出ないとあとが面倒だ。  駿太郎は友嗣の腕からそっと抜け出そうとする。けれど彼は起きてしまったらしく、「行かないで」と呟いた。 「電話だ。出ないと」 「ほっとけばいいよそんなの」 「それはそれで面倒なんだよっ」  ほら離せ、と友嗣を引き剥がすと、裸のままスマホがあるローテーブルまで行く。画面を見ると予想通り、弟の光次郎の名前が表示されていた。 「もしもし?」  すぐにスマホを拾い上げて着信に応答した。弟はこうしてこちらの様子を聞いてくるけれど、何もホテルにいる時にかけてくるなよ、と思う。 『なんだ。出るの遅いからまた遊んでるのかと思った』  開口一番それかよ、と駿太郎は息を詰める。けれど家族や親戚の顔に泥を塗るなと言う彼の言葉も、一理あると思うから反論はしない。 「遊んでないよ。もうあんなのは懲り懲りだし」 『嘘だろ。今兄さんの家の前にいるけど、留守だぞ』 「……っ」  しまった、と駿太郎は息を飲む。ドクン、と心臓が跳ね上がったのを抑えるように、胸で拳を握った。 「あ、ああ……。支店の応援で出張だったんだ」 『出張だぁ? そんなの、わざわざ兄さんが出向かなくてもいいじゃないか』  これだから雇われは、とため息混じりに言われ、駿太郎は通話を切りたくなる。まあいいや、と切り替えたらしい光次郎は、さらに嫌な話題を持ち出してきた。 『正月、帰って来いよ? 父さんたちも兄さんがいないと悲しむ』 「……分かってるよ」  子供なら、親孝行して当たり前だと光次郎は言うけれど、腫れ物にさわるような両親と、どう接していいのか駿太郎はわからない。それでも、自分が帰省しないと寂しがるのはわかるので、実家に帰らないという選択肢はないのだ。 (親戚への挨拶回りさえなければ、平和なんだけどな)  どうやら光次郎は、帰省するよう釘を刺したかっただけらしく、通話はすぐに終わる。はあ、とため息をついてスマホをテーブルに置くと、ベッドでこちらをじっと見ている友嗣と目が合った。 「どうしたの?」 「いや、……弟が正月は実家帰れって」  そっかぁ、と微笑む友嗣。ふと、駿太郎は友嗣が正月をどう過ごすのか気になり、聞いてみる。 「友嗣、お前正月はどうするんだ?」  駿太郎としては元日だけ実家に帰ればいいかな、と思ったけれど、光次郎がそれを許すかは怪しい。友嗣が正月も家にいるなら、食料品などのストックも考えなければ、と思ったのだ。 「俺? 毎年どこかに泊まらせてもらってたー」  予想の範疇の答えが返ってきて、そうだよな、と心の中で項垂れる。今回はどうするのかと問えば、シュンの家があるから大丈夫かなー、と返ってきた。 「ってか友嗣、お前家族は?」 「ん? いるよー?」 「じゃあ実家行ったりしないのか?」  駿太郎がそう言うと、友嗣は目を細めて笑った。その笑顔が、昨日まで見ていたものとはまるで違って、心底優しさが滲み出ているものだった。こんな表情ができるのに、どうして昨日までは感情を隠していたのだろう、と思う。  すると友嗣はベッドから降りてこちらに来る。 「な、なに……?」  そのまま無言で抱きついてきたので、思わず腕を彼の背中に回すと、腕に力を込められた。そして嬉しそうに笑うので、駿太郎は訳がわからず困惑する。 「シュンはかわいいね。大好き」  ちゅっと耳たぶにキスをされ、駿太郎はひく、と肩を震わせた。こういう仕草もだけれど、かわいい、大好きなどというセリフは昨日まで言わなかったじゃないか、と友嗣を見る。 「いきなりどうし……、ん……」  キスで口を塞がれ黙ると、ぬるりと舌を入れられた。昨晩の熱が再燃しそうだったので友嗣の胸を押すと、彼は機嫌が良さそうに笑っている。 「帰る? それとも、もう一回する?」 「お試しの一回だろ帰るぞ」  間髪入れずにそう返すと、「わかった」と友嗣は離れた。本当に、昨日の途中から彼の態度が変わったけれど、もしかしてお試しがお気に召したのだろうか? 「友嗣、……その、……もしかして、試してみて良かった、とか言う……?」 「うん。将吾の言う通り、シュンは特別だった」  笑って離れた友嗣は、駿太郎の服を持ってきてくれる。なんでまた将吾が出てくるのかと思ったけれど、「特別」という単語に引っかかってしまい、駿太郎は眉根を寄せた。 「……それ、昨日も言ってたよな? 俺は何もしてないぞ?」 「ん? 家に泊まらせてくれたー」  やっぱり上機嫌に言う友嗣は、駿太郎の下着のシャツを広げる。そのまま渡してくれるのかと思いきや、頭から襟ぐりを通された。どうやら着せてくれるらしい。いや、そこまでやらなくても自分でできる、と無言で腕を動かすと、彼も無言で腕を掴んでそっと制された。 (家に泊まらせてくれたって……困ると言ったのはそっちだろ)  なんら特別なことはしていない、と駿太郎は首を傾げる。友嗣に服を着せられ着替えが終わると、彼はまた嬉しそうに軽くキスをくれた。 (わけがわからない)  身体の関係込みの泊まりならいくらでもしているだろうに、友嗣は駿太郎を特別だと言う。何がどう特別なのか、自分には皆目見当もつかない。  すると目の前の仮の恋人は、さらに笑みを深くしてこう言い放った。 「将吾がシュンとやってみて、気持ちよかったら大事にしろって言ったんだぁ」  ――なるほど、と駿太郎は思った。

ともだちにシェアしよう!