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第34話
ソファーに座った光次郎は、コーヒーを淹れる駿太郎を――いや、その後ろにくっついている友嗣をじっと見ている。
「友嗣、動きづらい」
「やだ。あれだれ?」
友嗣は駿太郎の主張をあっさりと無視し、光次郎に敵意剥き出しだ。
「弟。いつも抜き打ちでここに来ては、小言言って帰ってくだけだから」
今回もそれだろう、と淹れたコーヒーを光次郎の所へ持っていく。すると光次郎はコーヒーを受け取るなり顔を顰めた。
「兄さんこれインスタントだろ」
「そうだけど文句あるなら……」
「兄さんにインスタントなんて似合わない!」
そう言いながら光次郎はコーヒーを大きな音を立てて啜る。
「でも兄さんが淹れたコーヒーだから美味い!」
――誰だこれは、と駿太郎は思った。さっきから光次郎の発言がおかしい。やはり褒められているような気がするけれど、気のせいだろうか。
「嫌なら飲むなよ……ってか、何しに来たんだ」
「何って……兄さんに会いに来ちゃダメなのか?」
「うぐっ」
光次郎の言葉に喉を詰まらせると同時に、友嗣の腕にも力が入り、駿太郎は苦しくて呻く。友嗣の腕を軽くタップし、少し力を緩めてもらうと、ため息が漏れた。
「会いにって……いつも小言言って帰るだけじゃないか」
「小言?」
「そーだよ。早く結婚しろだの、まだ雇われ社員なのかとか、余計なことばっか」
そう言うと、光次郎は慌てたように立ち上がる。
「違う! 余計なことだなんて!」
「なんでだよ? 俺は女の人を好きになれないって知ってるだろ?」
駿太郎はそう言うと、光次郎は頭を抱えて再びソファーに座った。やはり光次郎は、駿太郎がゲイだということを認めたくないのだろう。こればかりはどうしようもないし、時間をかけてわかってもらうしかない。
そう思っていると光次郎が顔を上げた。その目はなぜか潤んでいて、俺の夢だったのに、と呟かれる。
「兄さんが選んだ相手なら、すごく美人でいい人に決まってるからめちゃくちゃ楽しみにしてたのに……!」
「えと、……光次郎?」
うわーん、と漫画のように声を上げて泣き出した弟に、駿太郎はついていけない。
「兄さんが! 小さい頃いじめっ子から助けてくれた日から! 俺は兄さんみたいなヒーローになるって思って法務教官になったのに!」
「こ、こうじろ……?」
「なのにフツーのサラリーマンしてるし浮いた話がないと思ったらゲイだしで……!」
「……悪かったなぁ」
もはや褒められているのか貶されているのかわからなくなった。しかし光次郎は止まらない。
「でも大晦日に親戚に啖呵切ったのはかっこよかった! さすが俺の兄さんだと思ったらすぐに帰っちゃうし……!」
「ああ……うん。……悪かったよ……」
そうだった。光次郎は小さい頃から駿太郎のそばを離れないほど兄を慕っていたのだった。にいちゃん、にいちゃん、と付いてきていた弟は、やっぱり今もそんなに変わっていない。――大きくなって、こんなにブラコンを拗らせているとは思わなかったけれど。
「……で? ほんとに何をしに来たんだ?」
「……弟が兄の心配しちゃいけないのかよ……?」
言いたいことがあるならさっさと済ませろ、というつもりで駿太郎は言うと、光次郎は口を尖らせてそう呟いた。まさかとは思うけれど、ただ単に顔を見に来ただけだというのか。だったら今までの小言は、本当に何だったのだろう?
(あ、いや……家にいないと知ったらあっさり帰ってたな……)
駿太郎の言うことならなんでも聞く、と今の光次郎は言いそうだ。そしてそんな光次郎に似た人を自分はよく知っている。
駿太郎は無言で、背後霊のように抱きついている友嗣を見た。
「まあ、兄さんの選んだ人なら文句は言わないさ。義姉 さんは諦める」
「え?」
意外にも、光次郎の言葉に反応したのは友嗣だった。ハッと顔を上げ、その瞳がキラキラしていくのを、駿太郎はどこか遠い意識で見つめる。
自分を認めてくれる存在に飢えていた友嗣は、光次郎の発言を自分を受け入れてくれた、と受け取ったのだろう。ちょろすぎだろ、と駿太郎は心の中で呆れた。
「シュンってかわいいしかっこいいよね」
「お、おう? まあ、俺の兄さんだからな」
いきなり喋りだした友嗣に、光次郎は戸惑ったものの、兄好きマウントは忘れない。どれだけだよ、と駿太郎は笑ってしまった。そして、そんな駿太郎を見た光次郎に、兄さんが笑ったの、久しぶりに見たと言われたら、なんだか申し訳なくなってくる。
「悪かったな。場の空気悪かっただろ」
「いや、兄さんは全然悪くないって。俺も父さん母さんを説得してた」
親類に迎合せず、家族の中でも孤立し始めた駿太郎を、繋ぎ止めようとしていたのは光次郎だったのだ。だから両親も、正月には駿太郎を認める発言をしたのだと思えば、感謝しかない。
「悪かったな……」
嫌な態度を取ったことは素直に謝るべきだろう。駿太郎は苦笑すると、光次郎は笑った。
「俺も優先すべきことを間違えてた。兄さんのことが好きだから、こうあって欲しい、が暴走してたよ。ただ、まだそいつは認めてないけど」
「……」
言葉の後半で友嗣を睨んだ光次郎。友嗣も、今しがた見せたキラキラした瞳をすん、と曇らせ、やっぱり駿太郎に抱きついてくる。
光次郎の言うことはその通りだ。そしてそのせいで憂鬱な気分にさせられたのも否めない。けれど、それも好きだからこそだったと思えば、許してしまえる。――甘いのかもしれないけれど。
「シュンちょろすぎ……」
ため息一つで流した駿太郎に、抱きついていた友嗣が察したのだろう、ボソリと呟く。優しくされてあっさり友嗣に落ちた前例があるので、駿太郎は否定しない。甘えたがりだから絆されやすい自覚はある。けれどそうじゃなきゃ友嗣とは付き合っていないし、光次郎とも険悪なままだっただろう。
「優しくされたら、優しくしたいって思うだろ? そういうことだ」
「兄さん……それ、いつか騙されるよ?」
「うん、ちょっと心配……」
思わぬところで意見が一致した恋人と弟。けれど駿太郎は納得いかない。
「いや、限度があるのはわかってるぞ?」
「それにしても、将吾に言われたからって俺を居候させるかな?」
「あれは! お前が困るって言うから……!」
そういう言い方はずるい、と駿太郎は抗議する。断れないように事を進めたのに、今になってそれを言うのか、と友嗣を睨んだ。
「……っ」
「……っ、おい! お前……!」
振り向きざまにキスをされ、駿太郎は固まる。それをばっちり見ていた光次郎は、ソファーから立ち上がって友嗣を指差した。
「いくら兄さんに認められたからといっても、言動は慎まないと怒るからな! あと、兄さんを泣かせたら許さないから!」
「……だって。俺、すでに何度か泣かせてるけど、お仕置きされちゃうかなぁ」
「もういい二人とも黙れ」
肩の辺りでクスクス笑う友嗣は、相変わらず光次郎を無視している。本当に、心を開いた人以外には冷たいんだな、と駿太郎は呆れた。けれど、駿太郎からひと時も離れないことから、これが彼の精一杯なのだろう。幼い子供が母親の影に隠れるようなものかもしれない、と駿太郎は一人で納得した。
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