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黒薔薇の章 壱節
――死ぬ迄憎み〼。
約束を無碍に破られたのは此れで何度目と為るのか、両手指を越えそうに成った時点で中也は数える事を止めた。
冷え切った部屋はまるで中也と太宰の関係性にも似ていて、当然の様に其処に居て「御帰り」を告げる存在が今は無い事にも――もう慣れた。
慣れるしか無かった。認めて了へば樂に成るのに、認める事を心の何処かが拒んで居た。
脱いだ帽子を定位置に掛け、外套を肩から降ろせば冷気が薄い布越しに直接肌へと傳わる。
「來ないのか?」なんて訊いた処で返事が無いのは解り切って居た。期待して傷附く位ならば初めから何も期待しない方がマシだ。
着替えも疎かに疲れた身體を長椅子に沈める。
――革の品質が悪いね。柔らか過ぎるよ。
何時だったか太宰が難癖を附けて来た言葉が唐突に蘇る。革は柔らか過ぎ、発条が硬過ぎる等文句許りを挙げ連ねて居た癖に、氣附けば家主依りも長椅子を占有して居る時間が多かった。
其の無駄に長い身體が長椅子の肘掛けから反対の肘掛け迄を容赦無く占領し、時折覗く白い肌が焦茶の革に善く映えた。
今でも近くに太宰を感じて了うのは、太宰の寝床と化した此の長椅子の芯迄染附いた残香の所為だ。残香と云うには主張が強過ぎる其れは如何なる時でも当然の様に在った倖せを想起させる。
何が契機で斯様な事に陷って了ったのか。其れに氣附く事が出来たならば中也は今冷えた部屋の中で一人鬱屈と為た想いを抱いては居なかっただろう。
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