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第4話 魔法局と秘密の場所

 デイルは休みがあるのかと心配になるほど毎日、ユーリルの傍にいる。  近くにいてほしいと願い、そもそも仕事だからと言われれば返す言葉もない。  とはいえ朝から寝るまでユーリルの傍にいれば、適齢期なのに恋人や婚約者は心配していないのだろうか、と考えてしまうものだ。 「サイラスに恋人? いないですよ。って言うか婚約者もいないですよ」 「そうなのか?」  珍しく重要な要件があるとかで、デイルは騎士団本部に呼び出されていった。  代わりにユーリル付きの近衛副隊長である、ライード・ヒースがユーリルの傍に控えてくれている。  気さくな彼になにげなくデイルのことを聞いてみたら、意外な返答が返ってきた。  鍛錬の前に行う、柔軟をしていたユーリルは思わずライードを振り向く。  少し離れた場所に立っていた彼は、驚きの視線に眉尻を下げ、大げさに肩をすくめた。 「自分は元平民だからなんとかって」 「……デイルなら、言いそうな台詞だな」 「真面目なんですよね、あいつは」  ライードはデイルの一つ年上の二十六歳。  彼は剣術主体の騎士だが、入団時期がほぼ一緒なのだとか。隊長と副隊長という関係だけれど、生真面目と大らかな性格で仲は良いようだ。 「それを言うならユーリル殿下も、四六時中サイラスが傍にいたら、逢い引きもできないんじゃないですか?」 「ぼ、僕は、そんなものはしない!」 「うーん、これは主従揃って堅物だな」 「ライードが不真面目なんじゃないのか?」  明るい性格で社交的。誰とでも親しくなる才を持っているライードの周りは、人がいつも絶えない。きっと女性関係も派手なのではとユーリルは勘ぐる。 「酷いなぁ。殿下、人は見た目じゃないんですよ」 「あまり説得力がないな」 「ほら、俺は魔力があんまりないので、いくら伯爵家だと言っても、結婚相手としては好まれないんです」  やや赤みのある、茶色い前髪をつまんだライードに「ふぅん」と、ユーリルは曖昧な相づちを打った。瞳も緑なので、確かに彼は魔力量が多いほうではない。  平民でも使える魔道具が増えても、魔力持ちの格差はここでもあるのだなと、嫌な気分にさせられる。  ライードの人柄は魔力量と天秤にかけられるものではない。  ドラゴンの儀式で選ばれるのは健全な精神を持った者――これが一番重要だ。  だというのに魔力を多く宿した子が生まれれば、いつか自分の家門から皇帝となる者が出るかもしれない、そんな期待を持つ者が多い。  魔力をいくらたくさん宿し、能力が優れていても、叔父のミハエルのような人間では選ばれない。未来でユーリルは痛感した。  けれどその辺りを忘れがちな貴族は、意外と減っていない気がする。 「なぜドラゴンは、土地を護るためとはいえ、大きすぎる力を人に与えたのだろう」 「なんででしょうね。ドラゴンと初代皇帝は友人同士だったんですよね」 「そう言い伝えられてはいる。けど詳しい話はどこにも残っていない」  時間の巻き戻りを起こせるほどであれば、神獣と呼ばれるドラゴンが要因ではないかと、ユーリルは宮殿の書庫を調べた。  しかしいくら調べてもドラゴンに関する書物がないのだ。  唯一見つけられたのは一冊の絵本のみ。  そこには友人であった初代皇帝のため、ドラゴンは土地と自身の力を分け与えたとあった。  だがなぜ友の子孫ではない者へ対しても、力を預けるのかがわからない。  おそらく友人への敬愛、としての庇護であるはずなのに、土地の守護者を選り好みする意味が、ユーリルにはさっぱりわからなかった。 「はあ、僕はなにも知ろうとせずに生きてきたんだな」 「なにを急に年寄りみたいなことを。殿下はまだ成人前なんですから、ぜひ伸び伸び育ってくださいよ。体も良くなってきたんです。これからですって」 「あっ……そうだな」  ぽつんと呟いたユーリルの言葉に、ライードは目を丸くした。  確かに少々達観した物言いだったとユーリルは苦笑いを浮かべる。 (僕はいま、十七歳だった。来年になるまでは子供の扱いなのか。不思議な気分だ)  少し前までユーリルは二十五歳だった。未来を生きた自身が年相応だったとは思えないけれど、いまの年齢からするといささか背伸びした印象を受けるのだろう。 「ライード、走ってくる」 「え? 待ってくださいよ、殿下っ、俺も行きます!」 「大丈夫だ。そろそろデイルも戻ってくるから、そちらのほうへ行ってくる」  目覚めてから様々な人に、やけに大人びたと言われる。  なんとなく誤魔化したい気持ちになり、ユーリルはその場から逃げることにした。 「大丈夫じゃないです! 駄目ですって!」  入念にほぐしていた体をぐっと伸ばしたユーリルは、ライードの慌てた声をよそに軽々と走り出した。  素早く補助魔法――身体強化――をかけたため、あっという間に彼の呼び声が遠ざかる。  以前のユーリルは魔力があっても魔法を上手く扱えなかったが、体力がついたおかげなのか、現在の魔法呪文が優れているのか。  とても魔法の展開が円滑だ。近頃は楽しくなり、色々とデイルに魔法を習っている。  魔法は基本、呪文と陣がある。  呪文は複数を正しく唱えられれば効力が大きくなるものの、詠唱が長いと時間がかかり不便だった。  未来ではそのせいで魔法を使いこなせる者が少なかったけれど、いまは呪文の短縮や陣の簡略化の研究が進んでいる。  小さな道具に魔法陣が刻めるようになったのも、研究の成果だ。 「デイルは魔法局のほうで用事があると言っていたな。行ってみよう」  羽が生えたみたいな、軽い足取りで駆けていくユーリルの姿に皆、驚きで振り返る。  あの殿下が――というよりも走る速さに驚いているのだろう。通りすぎた人たちは風が吹き抜けた感覚に違いない。 「うーん、どの辺りで待っていれば会えるだろうか」  魔法局では宮廷魔法使いたちが日々、研究や実験を行っている。  いくら皇帝の息子でも、部外者は簡単に建物へ入ってはならない。それほど貴重な研究が()されているのだ。  出入り口の近くで足を止め、ユーリルは門の前に立つ衛兵たちと挨拶を交わす。  デイルを迎えに来たと気づいた彼らは、用を済ませたデイルが来たら、ユーリルが近くに来ていたことを伝えると言ってくれた。 「僕は少し近くを散策してくるよ」 「はっ、はい。お気をつけて」  ふわっと微笑んだユーリルに衛兵たちが揃って頬を赤く染める。  健康的になり、肌つやの良くなった最近のユーリルは、元の美しさに磨きがかかった。  本人は自身の見た目に無頓着なので、以前もいまも周りの反応にほとんど気づいていないのだが。 「この辺はあまり覚えがないな」  サクサクと草を踏みながら、建物を囲む、塀沿いに歩く。指先で塀をなぞり、周囲を見渡すユーリルは違和感に首を傾げた。  魔法局は未来と比べて随分と活躍しているけれど、建物の外観に大きな変化はなかった。しかし覚えがないというのも不思議な話だ。  幼い頃はまだいまより魔力が少なかったため、外で遊び回る体力はあったはず。ここへ足を伸ばしていてもおかしくない。  訝しく思いながら進んでいくユーリルは、ふと途切れた壁の向こうを覗き込む。  ちょうど建物の真裏だろうか。生け垣が少し乱れていた。  誰かが出入りしていた跡のようにも見える。  本来であれば警戒してしかるべき状況だろう。  それでもユーリルは迷いなく生け垣を越え、奥へ足を踏み出した。 「秘密基地みたいだ」  周囲は枝葉に囲われ、大人が二、三人ほど立てばいっぱいの空間に、木製の椅子が二つ。  まるで誰かを待っているみたいに並んでいた。 「――あっ、ここは覚えがある。かすかだけど僕にも記憶がある」  いまのユーリルではなく未来のユーリルにも見覚えがあった。なにげなく椅子の片方に腰を掛けたら思い出したのだ。  日当たりが良く、ぽかぽかとした日差しが降り注ぐ優しい場所。 「魔法局の裏側ってことは、黒色の、魔法使い? 彼と会っていた?」  ぼんやりとした記憶で、はっきりとしない存在の魔法使いは、いまの魔法局に在籍していないようだった。  黒髪に黒い瞳など、魔法使いにしては珍しすぎるので照会はすぐ済んだ。  未来で聞いた声が夢とは思いたくないが、薬による副作用ですべて幻想だったのではと、さすがのユーリルも思い始めていた。 「魔法局の水準が上がったから、魔法使いになれなかったんだろうか」  こうなると宮殿ではもう探しようがない。  そもそもユーリルは、街へ下りて探し歩くのも難しい立場である。 「ユーリさま?」 「デイル、こっちだ」  椅子に座り、ユーリルがぼんやりしていると、葉が揺れて自身を呼ぶデイルの声が聞こえた。  返事をすれば彼はすぐに枝を掻き分けて顔を見せる。 「よくここがわかったな」 「……ユーリさまは幼い頃から、かくれんぼのたびここに隠れていましたよ」 「そうだったのか」 「いつもそこに腰掛けて、ひなたぼっこをしていました」 「うん。ここは気持ちがいい。もう良いのか? だったらここへ」  ゆっくりと傍に歩み寄ってくるデイルに、ユーリルは空いた椅子の座面を叩いてみせる。  するとにこりと笑んだ彼は、隣にすんなりと腰掛けた。 「走ってこられたとか。体調は大丈夫ですか? ライードが心配していました」 「ああ、問題ない。そうか、すまないことをした」 (騎士隊員同士で通信の魔道具を持っているんだったな。ライードはデイルに怒られなかっただろうか) 「良い運動だったようですね」  小さな空間。さほど距離のない椅子同士なため、伸ばされたデイルの手がすぐさまユーリルに届く。  少し汗ばんだ髪の一房に触れた彼は、口先で小さく呪文を唱えて、さらりと髪全体を乾かしてしまった。 「相変わらずデイルの魔法は繊細で、すごいな」 「ユーリさまに褒めていただけて光栄です」 「デイルは、綺麗な色だものな」  デイルの髪は混じりけのないピンク色。光の加減では赤色にも見える。  皇帝候補に選ばれてもおかしくないくらいに魔力が豊富で、なによりも心根がまっすぐ。 (未来のデイルは、どこにいたんだろう。不審死を遂げたという、ほかの候補者の中にいたのだろうか?)  しかしそうするといま、候補者に選ばれていないのは不自然だ。  候補者は儀式を通過すると国から|徽《き》|章《しよう》が送られるのだが、デイルは身につけていない。 「どうかしましたか?」 「いや、どうしてデイルは候補じゃないのかと」 「ああ、そのことですか。私はお声がけをいただきましたが辞退しました。ユーリさまの傍にできるだけ長く、仕えていたかったので」 「えっ、あ……そうだったのか。僕などのために、もったいないな」  優しいデイルが皇帝向きとは思わないものの、もっと高い地位に就けたのではと思えば、申し訳ない気持ちが湧いてきた。  だが戸惑った表情を浮かべるユーリルに、デイルは穏やかな笑みを浮かべて、銀と赤が混じる(あるじ)の髪を撫でる。 「もったいないなどと、言わないでください。私はいまがとても充実しています」 「それは、良かった。僕もいま、とても安心できる」  葉がこすれる、さらさらとした音が密やかに響く中、ユーリルは表情をほころばせる。  自由に外を走り回り、風を感じ――こうして隣で笑ってくれる人がいるのは、ひどく幸せだった。  日がな一日、ベッドの上で過ごしていた頃とは大違いだ。 (でも駄目だな。記憶が所々おぼろげで、ぼんやりしてる部分がある)  この場所へ至る道に覚えがなかったのに、椅子が並ぶ空間はなんとなく記憶に残っていた。  あまりにちぐはぐで、本当に記憶障害が薬の副作用として、残っているのではと疑いたくなる。 「なにを考えていらっしゃるんですか?」 「うん。目が覚めてからなんだか記憶が曖昧で、落ち着かないんだ。ここにも思い出があった、気がするんだけど」 「そうでしたか。しかしあまり無理はなさいませんように」 「わかってる。無理やり思い出そうとはしない。侍医のバウルにも注意されたし」  記憶がはっきりとせず、イライラとしたユーリルは何度か頭痛に悩まされた。  バウルは精神的に自身を追い詰めると、戻るものも戻らなくなるとユーリルを叱った。  なだめるみたいに頭を優しく撫でるデイルの手が心地良く、ひなたのぬくもりも相まり、ウトウトしてくる。  ユーリルは長いまつげを何度も瞬かせ、懸命に眠気にあらがった。

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