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第3話 初めて会う人物
八年、八日、八歳――なにかと八という数字に縁があるが、ウォンオール帝国では縁起の良いと言われる数字だった。初代皇帝が八番目の王子だったと記録があるほどだ。
目覚めてからしばらく、ユーリルは日記帳を読みながら、現在と未来の違いを確認していった。未来と大きく異なる点はそれほど多くない。
魔法の文化が未来よりも発達して、帝国の生活水準が上がっているくらいだろう。
八年後の世界では魔力を自在に操れる者が少なかった。宮廷魔法使いくらいで、平民はまったく無縁に近かったと記憶している。
日々記憶をすり合わせて、ユーリルの混乱や動揺も減った。ただ時折わからないことを訊ねるので、そのたび従者たちに心配をかけてしまう点は、いまだ申し訳なさが募る。
「殿下、アビリゲイト卿がいらっしゃいましたよ」
自室の日当たりの良いソファで、本を読んでいたユーリルは、かけられた声に顔を上げる。一瞬だけ緊張でためらうけれど、短く返事をして部屋へ通すように伝えた。
訪ねてきたのはサイラス・デイル・アビリゲイト侯爵子息。エリーサの甥に当たる人物であり〝第三皇子〟の、つまりユーリル付き近衛騎士隊長だ。
ただし――
「ユーリさま、ご無沙汰をしております」
「……ああ」
彼は未来のユーリルにとって、知らない人物だった。
騎士らしく大きな体躯で、すらりと背が高い。ユーリルは少々小柄なので、おそらく隣に並べば見上げてちょうどだ。
体が大きいと聞いていたから厳ついのかと思いきや、顔立ちは非常に柔和。
明るく華やかなピンク色の髪は、風にそよぐ程度の短髪で、瞳は黒と髪色と同じピンクの二色だった。
そして美丈夫と言っていいだろう、男性らしい精悍な面立ちをしている。
「お加減はいかがですか?」
「かなり良くなった」
「それはなによりです」
柔らかく微笑む彼の表情を見て、本当に心配をしてくれていたのだなと感じた。記憶に残るユーリルも幼い頃からとても懐いていたけれど、実際に会うと気持ちがわかる。
近衛騎士だというのに、しばらく顔を見せなかったのは、ユーリルの記憶障害を慮 ってらしい。近しい人間だったので落ち着くまで、わざと顔を合わせなかったのだ。
(だとしても僕は初対面だからな)
未来でも騎士団はあった。その中にいた人物ならば覚えがあってもおかしくはない、のだが――彼の肩書きは〝魔法騎士〟なのだ。
(いまの帝国の魔法普及を鑑みると、魔法騎士という存在は不思議じゃない)
ウォンオールの魔法は地を護ることに重きを置いているため、防御魔法と補助魔法に優れている。ゆえに剣と魔法の組み合わせは非常に相性がいい。
考えた者は頭が良いのだなと素直に感心すらする。
他国でも魔力を持つ者はいるらしいが、魔力保持者は帝国が追随を許さない状況。元々国力があった帝国は現在、未来よりも安定していた。
(彼を、僕はなんと呼んでいたんだったか。どう話したらいいだろう。戸惑うな)
目覚めてから初めて会う人物。彼相手にユーリルはいささか緊張をした。
人見知りでもないのに、そわそわと視線を動かしてしまい、クスッと小さく彼に笑われる。
「記憶のほうが少々曖昧と伺いました。私のことはデイル、と気軽に呼んでください」
「デイル、僕はそう呼んでいたのか。サイラスとデイル。名が二つあるのは珍しい」
皇室を預かる家門は、元々の家名が含まれるので名前・家門・ウォンオールとなる。
しかしデイルのようにサイラスという名と、デイルという名が二つあるのは珍しい。
「私はアビリゲイトに幼い頃、魔法の才を買われて引き取られました。サイラスは侯爵につけていただいた名です」
ぽつんと独り言のように呟いたユーリルに対し、驚く様子も見せずデイルは答えてくれる。
やはり記憶にあるとおり、ほかの者たちよりもずっと彼はユーリルと距離が近い。
なぜならデイルはユーリルの愛称を揺らぎなく紡いだ。
その場で体裁を取り繕ったのであれば、声に揺らぎが出るものだが、一切なかった。
「デイル。たびたび、僕はおかしなことを言ったり聞いたりするかもしれないが許してくれ」
「もちろんです。なんなりと私にお聞きください」
恭しく胸に手を当て、礼を執るデイルをじっとユーリルは見つめる。どこかで会っていないかと考えてみたものの、まったく記憶にない。
(記憶にないと言えば)
「デイルは宮廷魔法使いと面識があるか?」
「はい。立場上、情報のやり取りも多いですので」
「黒色の魔法使いを知らないか?」
「……黒色、の魔法使いですか? 魔法使いで黒色とは珍しいのでは?」
「そう、だな。確かに、珍しい」
ユーリルは目覚めてから、死に間際の出来事を何度か思い出した。
最期の時、繰り返し名前を呼ばれた覚えがあり、声の持ち主と約束をしていた。
しかしどれだけ思い出そうとしても、顔も姿も、名を呼んでくれた声さえもよく思い出せないのだ。
かすかに残るのは、彼が黒い髪と黒い瞳。宮廷魔法使いであったというものだけ。
おかげで未来こそが夢だったのではと思ってしまいそうになる。
「その方をお捜しなのですか?」
「ああ、だがあまりはっきりと思い出せないんだ」
「ユーリさまにとって、どんな方だったのでしょう?」
「たぶん大切だった人、だ」
大切と言いながら思い出せないのは薄情な気がした。時間が経てば立つほど忘れてしまいそうで、ユーリルは不安が募る。
「お手伝いできることがあれば、私が微力ながら力添えいたします」
「ありがとう」
足元へ落ちかけていた視線をユーリルが上げると、デイルはふわりと微笑んだ。
優しい笑みと一緒に、癖のある前髪がさらっと風になびくように揺れる。
彼の雰囲気によく似合う優しいピンク色だと、ユーリルは心を和ませた。
「ところでデイル。早速だが僕の悩みを聞いてくれるか?」
「なんなりと」
「僕はこの細りきった体を鍛えたいのと。……兄上たちとの関係を改善したい」
「それは、とても良い心がけですね」
ほんの少し驚いた表情を見せたあと、デイルは嬉しそうに笑みをこぼした。
慈しみのこもった目で見つめられ、ユーリルは照れくさくなりつつも、おずおずと彼に問いかける。
「なにからしたら良いだろう?」
「そうですね。まずユーリさまは持久力をつけるのが先かと。殿下たちへはお手紙や贈りものはいかがでしょうか。いきなり面と向かっては障壁が高すぎるでしょうから」
「それは良いな。デイルは頼りになる」
「光栄でございます」
未来のユーリルには、親身になって話を聞いてくれる人がいなかった。
母であるエリーサは常に気にかけいたわってくれたけれど、腹を痛めて産んだ我が子だ。
よほどなにかがねじれ、こじれなければ愛情を持ってくれる。
そんな彼女も未来では儚く散ってしまった。もうなにかを失うのはこりごりと思えた。
「デイル。できるだけ僕の近くにいてくれ」
「この命ある限り、私はユーリさまの騎士です」
「うん」
未来と同じようでいて非なる世界。ここでデイルをよく知らないのはある意味、幸いだったのではないか。
すでに知っている相手にはあまり期待が持てず、関係を変えられないのではと弱気になる。
しかし彼に関する記憶があっても、いまのユーリルには初めてのことばかり。新たに関係を築こうと努力ができる。
「ではユーリさま。本日は午後より、騎士団へ見学に参りましょうか?」
「見学だけか?」
「いきなり運動をしては、体がびっくりしてしまいます。許可できるのは、柔軟程度ですね」
「そうか。仕方がないな。僕の体は筋力というものがないし」
「病み上がりです。ゆっくりとこなしていきましょう」
女性より細いのではと思える腕。ユーリルが袖を捲ってみせるとデイルは苦笑した。
笑われたのは恥ずかしいけれど、以前はできなかったことができる。そう思うだけでユーリルは童心に返るような気分だった。
その日から毎日、二人のコツコツとした地道な鍛錬が行われるようになる。
幼い頃からベッドの上にいるばかりだったユーリルの、走る姿や木剣を振る姿に、誰しも目を見張り驚いた。
そしてそれと同じくらい皆、感動もしたのだった。
いつしかユーリルにも皇位継承の資格が与えられるのでは、と宮殿内で囁かれるようになる。
本人はそんな可能性など考えもしなかったのだが。
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